25年後の忘却セッケン

 

正山千夏

 
 

液体セッケンの時代をへて
オーガニックでひとまわり
ふたたびかたちあるあのセッケンを
手に取る今日この頃です

小さくなったセッケンを
新しいセッケンの背中にくっつける
くりかえしくりかえし
うまくくっついて一体化してくれると
なんだかうれしいのです

思い出すと辛いことも
忘れてしまうとかなしい
けれどご心配なくそういうことは
落とせないひつこい汚れのように

あの頃は
どんな汚れだって落とせるものと
言葉は水のよう蛇口からあふれ
いや、それは熱い湯だったかもしれない

いま頃は
電車の中で腰掛けた腰が重い
人々はスマートフォンにおおいかぶさり
親指はめまぐるしく動いて
乗り換え通路を高速ですり抜けて行く

今日も
小さくなったセッケンを
新しいセッケンの背中にくっつける
くりかえしくりかえす寿命のリセット

やがて
古いセッケンはいつのまにか消え
ぴかぴかのまあたらしい人生が
ふたたび忘却を演出する

いまでは
落ちない汚れがある
のも知っている
セッケンの洗浄力というよりは
いや、それは落としたくないのかもしれない

一体化すると
なんだかうれしいのです
セッケンの白さも脆さも
まるであたしの骨のようで

 

 

 

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