塔島ひろみ
重みに耐えきれず手を離した
途端、その、ヒトの入った大きな寝袋みたいな物体は階段を滑り落ち
徐々に速度をあげて落下していく
息を呑む私に
「大丈夫ですよ、ニセモノですから」と、防災係長が言い、
すでに落ち終わったニセモノは袋から顔を出し
笑いながらこちらに向かって手を振っている
「大丈夫ですよ、本番ではあきらめますから」と、
今度は車イスに乗ったホンモノが言うので、皆で笑った
全体訓練はとうに終わっていて、私たちは2次避難場所へは行かなくていいらしい
2次避難所で配ったという焼鳥缶と、サバ缶をもらう
家に帰ると、2階の窓が少し開いて、庭に何か落ちている
ネコが死んでいる
アイ! 駆け寄ると、違う、知らないネコだ(よかった!)
ニセモノは少し口を開けて、まるで笑っているように死んでいた
そしてアイはいなかった
夜11時半過ぎ、アイを見つけた
うちから500メートルほど離れた公園で遊んでいた
一度も走ったことのなかった本当の地面を、走り、はしゃいで、遊んでいたのだ
誰か、飼い主らしい人間と
遊び終わり帰っていく彼らのあとをつける その人は、ひどい跛で、早く歩けない
秋の夜空は曇っていて、生ぬるい空気がたゆたっている
アイは抱っこされて 眠っているのかもしれない
ゆっくりゆっくり尾行して着いたのは 私の家だ
ドアが閉まり、しばらくして2階から、サバ缶の蓋を開ける音が静かに聞こえた
庭にはニセモノの私の死体が落ちている
私は口を開けて少し笑って
その上に雨が降ってきた
(大丈夫、ニセモノだから)
(2018年10月25日 職場避難訓練の後、自宅付近で)