みわ はるか
高校1年で初めて実施された校外模試で早々に志望校を書くようにと担任から指示があった。
その時のわたしは絶対にこれになりたいとか、この大学に行きたいとか全くなかったため困った。
ただおぼろけながら文学部に行けたらなとは思っていたので、近隣の大学の文学部を第一志望校に書いた。
なんとなくだけれど、哲学とか文学者とかの思想を学びたいと感じていたし、あわよくば大学にずっと残って研究できたらなと思っていた。
ちょうど担任は文学部卒だった。
その先生によると、文学部の卒業後の進み先は狭い範囲だそうだ。
昨今も新聞やテレビで取り上げられているけれどそうなのかもしれない。
研究者だってほんの一握りしかなれないし・・・・。
致命的だったのはわたしは世界史や日本史を好きにはなれなかった。
カタカナで並ぶ横文字や、複雑に列をなす漢字にも親しみをもてなかった。
国語の古文や漢文もチンプンカンプンだった。
今では全く畑違いの人生を送っている。
だけれども、文学部が決して無駄な学部だとは思わないし、わたしは素敵な学部だと信じている。
最近、ある記事でとても感銘を受けた文章があるのでここに残しておきたいと思う。
ある大学の文学部長の話。
文学部の学問が本領を発揮するのは人生の岐路にたったときではないか。
人生には様々な苦難が必ずやってくる。
恋人にふられたとき、仕事に行き詰ったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、
自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、
自らの死に直面したとき・・・・。
その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考えるてがかりをきっと与えてくれます。
しかも簡単な答えは与えてくれません。
ただ、これらの問題を考えている間は、その問題をを対象化し、客観的に捉えることができる。
それは、その問題から自由でいられるということでもあるのです。
これは、人間に与えられた究極の自由であるという言い方もできるのです。
人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。
その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であると思うのです。
人文学は人生の岐路に立ったときに真価を発揮するという。
特に人文系に対する風当たりが強い昨今、こんなにも力があるんだよということを伝えたい。
世の中に対し顔を上げて生きていってもらえたらと。
肉体的、精神的につらい状態にあるときに、考えることがつらさを和らげてくれるという実感は何度か経験しております。 ※
とてもわたしの心に響きました。
無駄なことはやっぱりないんだなと感じました。
素敵な文章だと思います。
さて、最近また少しずつ外でお酒を飲むようになりました。
今実は日本酒に興味があります。
全然詳しくないのですが、飲みやすくて、とっくりがかわいいのが気に入っています。
昔、おじいちゃんが熱燗を毎日家で飲んでいたことを思い出します。
ただ、残念ながら周りに日本酒が好きな人がいないのです。
誰かと楽しく飲めたら素敵だなと思います。
熱燗も冷酒もいいものですね。
おでんなんかにも合うのかな。
どうなんだろう。
まだまだ未知の世界です。
秋はどんどん深まっています。
※2012年 朝日新聞より引用