南 椌椌
Ⅷ
トポ氏がゆるい寝返りのなかで
ふふふと目覚めたのは
午後の3時を回るころだった
ゆめうつつ この言葉好きだね
ことばが 矢も盾もたまらない
意味もなく 相互を干渉するでもなく
たとえば こんな風に
惑星おののく夜の音楽の そしら
手のひらにかざす悔恨の いろは
たとえばこんな風に
文化湯の番台 新聞紙に穴あけて
同級生のリューイチ ミヨコを見てる
そんな境遇にあこがれて みふぁそ
手のひらを陽にかざす ちりぬる
トポ氏は雑木の庭に出て
革トランクの底から ✶
草臥れた古い詩帖を取り出して
まどいなく火を焚いた
思い出すだけで ほほが火照る
いくつかの ゆめと うつつが
在ることがさびしいと 燃える
空0あの水脈(みお)をわたる少年たち
空0踝のくるりが 羽ばたくための骨だという
空0腓骨 脛骨 舟状骨
空0そとくるぶし うちくるぶし
空0脛骨を静かに遡行すると
空0鼠径部 妖しい子の子(ネノコ)の通り道
やがて打ち震える古代半島
peninsula とpenis は同義ではない?
父が生まれた 父がひざを抱えた
光に包まれた村があらわれる
絵に描いたような ハナタレの歓声が
逆反りに腰のまがった ハルモニに
調子っぱずれの 肩おどり(オッケチュム)を
ひょこ譚 ひょこ譚 踊らせる
きしむ古代半島から放たれる
いびつに美しい球形 桃や李や梨や柿
Ⅸ
荒井真一が編集発行人だった
傍若無人不埒可憐な雑誌『仁王立ち倶楽部』 ✶✶
そもそも1986年〜89年の『仁王立ち倶楽部』には
トポ氏散策詩篇と題する 脳天気な
いくつかの断章が載っている
そういえば そうだった
35年なんて 「あっ」
空白空白空マメゾウを出ると
空白空白空カナシミが私を襲って来た
空白空白空ナグル、ケル、ハグ、カム
空白空白空徒らな悪戯はもうよせと私がいうと
空白空白空カナシミ氏はこういうのだ
空白空白空笑わせてはいけない
空白空白空カナシミはいつもおまえの友だちさ
空白空白空七月になると
空白空白空ムクゲを抱えて一斉に
空白空白空死んでしまう祖母たちの
空白空白空死生観はとても恐いものだ
空白空白空淡いムラサキの花弁を地に帰し
空白空白空静かな晩年を迎えたいと思うばかりだ
空白空白空白(仁王立ち倶楽部1986年12月号より)
さとう 三千魚さんも 寄稿者だった
三千魚さんは「わたしの育児」というエッセイに
尾形亀之助のこと書いてた
「昼の部屋」の明るさ
その視線の低さについて
隣りあわせの 生と死
亀之助の詩と松本竣介の画による
選詩集 『美しい街』 を買ったのは昨年のこと
空0太陽には魚のようにまぶたがない
空白空白空白空白空白空白0(尾形亀之助 昼)
あらしんは不思議な男だよね ✶✶✶
太陽でも 魚でもないだろうに
まぶたがあったのかどうか 覚えていない
三千魚さんの親友なのが不思議なんです
Ⅹ
空0狂ったように踊り続ける
空0仮装の父のほかは
空0もうだれもいないのだった
空0楽隊の淋しい野原のために
空0半島の南北戦争で死んだ
空0父の弟の言葉を摘んでは撒いた
手紙を燃やしたことのあるキミなら
知っているだろう 灰になろうとする一瞬
陽炎のように刻印される文字
炙りだされるのは
泣きたくなるような 声と声と声
空0冬の夜にひかる記憶の汀
空0半島の南の尖りにぶらさがった村
空0泥土がそのまま涙の丘になった
空0死んでゆくための手習いのように
空0痩せた牛がもんもん泣いていた
空0弧を描いて沈む村にひびく
空0どこにもいない 遠くから
空0ハナタレたちの 翳りのない歌声
空0葉脈の小径を辿る 孵ったばかりの
空0玉虫が かなしいじゃないか
トポ氏は残りの詩帖はまとめて
よしよし頷き 火にくべた
ほんの数分で さっぱりと燃えた
ありがとう半世紀
そこでトポ氏は夕闇のなか
窓の外にむけて 歌った
どこそこ かしこにいますか いませんね
ぼくのけいるい ぼくのともだち いませんね
ねえご主人 飲みに行きませんか
この近くにあった マダムシルクっていう店 ✶✶✶✶
まだあったよね
あそこで カウンターにひとり
テキーラを飲むのが好きだった
✶ 宮澤賢治に「革トランク」という愛すべき作品がある。
✶✶ 美学校の今泉省彦さんが 『仁王立ち倶楽部』 を教えてくれた。
✶✶✶ あらしんは荒井真一の通名、まぶたはたぶん まだある。
✶✶✶✶ マダムシルクは1969年開店の現存する西池袋の店、50年間通い続けている。『仁王立ち倶楽部』に広告が載っている。