道 ケージ
空0大阪で開催された李秉昌博士記念公開講座「高麗『翡色』の秘密を探る」に出掛けた。
空0京畿陶磁博物館館長崔健氏がまず壇上に登る。演題は「狻貎出香と高麗翡色」。以下はその記録である。
空0『袖中錦』の作者太平老人は、「高麗秘色青磁を第一」と記し、その色を賞嘆している。水の滴るようなその青緑、オリーブのごときその異色、見た者はその肌に触れようとし、或る者はその所持に身を窶す。ところで、高麗に派遣された宋の使臣である徐兢は『宣和奉使 高麗図経』において、高麗人は青磁の第一級品の色を「翡色」と表すと記している。それゆえ、最上の高麗青磁を中国では「秘色」、高麗では「翡色」と形容したと考えられる。では、「翡」とは玉たる翡翠を指しているのか、それとも雄翡翠の意義なのか。驚くことに、高麗の文献に「翡色」が用いられた例はない。中国人の徐兢が「高麗人は翡色と呼ぶ」とはっきり書き留めているにもかかわらず、当の高麗人の著作には「翡色」という表現がないのである。崔健氏はいささか顔を紅くし、水差しの水を飲む。
空0『高麗図経』の時代、およびそれ以前には確かにあった翡色青磁がそれ以降に途絶したということなのか。かの高名な李奎報は一貫して青磁を緑色と形容している。それは青磁が翡色ではなく緑色であったからなのか。「翡色」の青磁とはそもそもどのような色なのか。先生、唾を呑みこむ。
空0「翡色」の「翡」がカワセミから来たのかヒスイに由来するのかは諸説ある。あの青はカワセミか、ヒスイか、はたまたラピスラズリか。遥か昔、カワセミは幼鳥時、翡翠の玉を飲み続け、遂に発色した。自らの種の醜さに親鳥は苦悩煩悶したあげく、雛に玉を与え続けたのである。いかなる進化の偶然かカワセミの羽根は青の構造色を獲得した。それゆえあの青は色素によるものではない。玉虫、アワビの貝殻と同じく、表面構造の反射で発色している。カワセミが今でも噴出型の激烈な排糞をするのは幼少期に飲み込んだ玉を排出することの名残である。
逆に、ヒスイがカワセミを羨み、カワセミの構造色を奪取したという説を唱える者もいる。石にすぎぬヒスイがカワセミに恋をしたわけである。しかも、それは見るも惨たらしいやり方でカワセミを取り込んだ。その残虐ぶりがヒスイを硬玉と軟玉に分かった。極上の勾玉に耳をあてると今でもカワセミの鳴き声が聞こえるらしい。私が糸魚川でヒスイを盗掘をしていた時、その声を連れの女が聞き滝壺に飛び込んだ。 「青八坂丹の玉」の話をしてくれた女だった。「糸魚川と宗像は結びついとるとよ。八尺瓊勾玉も青やしね」。それが最後だった。
翡翠の鳴き声が聞こえる
押しとどめてくれる青だった
空0カワセミに瞬膜がついていることも元はヒスイと関係が深い。瞬膜とは、目蓋とは別に水平方向に動いて眼球を保護する透明の膜である。白熊が雪眼、アシカが陸上の埃、キツツキが木っ端から身を守るために目を瞬時に膜で覆うことがよく知られている。人の半月襞は瞬膜の痕跡器官であるが、半月の時、涙もろくなるのはこの器官のゆえである。カワセミが餌を捕食するために水に突入するとき、この瞬膜が水中眼鏡の役割をする。元々は水中のヒスイ玉を咥えるための眼力が膜を作りだしたわけだが、ヒスイはことほど左様に自然石と見分けにくく拡大鏡の役割もあったという研究者もいる。
もともとは以下のページを参照にしている。だが、作品はこの内容とはほとんど関わりないものとなっている。お礼とお詫びを記しておきたい。
wikipedia等にはいつもながら、お世話になっている。だから、これは、wiki詩の試みと言っていいのかもしれない。
http://chinaalacarte.web.fc2.com/kanshou-135-hishoku.html#jump
史実と創作がうまくかみ合って何とも言えない深い味わいを醸し出していると感心しました。道さんの深い教養と創作能力が見事な詩作品として結実した傑作だと思います。今後益々のご発展を期待しています。
有難うございます。
ハゲみになります。
ますますハゲみます。
ハゲ増しは必要、いや不可避です
(笑)