豆腐

 

道 ケージ

 
 

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予備校にはどこも小さな洞穴教室がある。受験生を丸裸にしてまず生ぬるい風呂に入れいきなり冷水を眉間中心にかけ続ける。世に言う藤垈の術である。その後に糸瓜で過度の乾布摩擦。施術を学生と共にするため大抵の予備校講師は肌がつるりとしているか荒れ果てているかのどちらかである。洞窟を出られた珍しい生徒は当然目をやられている。中でやることが王義之「蘭亭序」の書写のみであるからだ。会稽山麓蘭亭の曲水の盃には小さな豆腐が重しとして据えられていたという。

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豆腐 摑み損ねた
白く穏やかな丸み
若々しい冷たい肌
ニキビない青白い発信
絹漉しの面倒がざわつく

豆腐鍛えて
厚揚げる作業
「白けりゃいいってもんじゃない
空0パリピで行けや(笑)」
葱ふり生姜づけ

豆腐の位置に立つことは
豆腐になることであり
日がなとうふである

いつものようにひょいと
摘めるはずなのに
摑み損ねて

爆発するとは

飛び散った豆腐
どんと机を叩き飛び散って
泣いていた

あまりのことに
慄く
卑しく粒をすくう
木綿ではないから
綺麗にえぐれる角

ごめんよ
にがり

 

 

 

うぅ、崎陽軒

 

道 ケージ

 
 

シニセヨ シニイタセ シニサラセ
シカシテ、シルベナイ、シニザマヲ
シカトシルシ、シレシレシレイ

京急カミオオオカ カミノオオオカ
オカミノオカ オオオオオオ オオオオカミ
崎陽軒十二個入りの焼売
マレに飛ぶ飛ぶ

あぁ、「ひょうちゃん!」
小さな醤油入れがヒュー、ヒャー
小舟のようにころがる
楊枝は流された櫂
さよなら! ひょうちゃん!

シハシハシハと泣くシユウマイ
シュウマイのシュウマツ
焼売軍団、噴射!
窓にはりつくヒダヒダを
剥がして舐める
んまっ!
似合いはジンビーム

目指せ、上海
三日月の切っ先
飛ぶ飛ぶシュウマイ
一コ、ニコ、三コ
肉汁クレーター

ミンサーに足から入れて
(けっこう固い)
シュウマツのシュウマイ
作って作らされ
(つぶつぶの君、切れ切れの言葉)
ピース混ぜてみた

 

 

 

ばってき

 

道 ケージ

 
 

君をバッテキすると言ったはいいが
バッテキの字が書けない
白板の前で佇むが
書かなきゃいいか
「おめでとう!」
声でごまかす

でもね
なぜバッテキが書けないのか?
この字はおそらく
生涯一度も書いたことはない

そんな字がある
一度も書かず
一度も読まれない字

そりゃあ、辞書は読むし
人の知らない言葉を探したり

なぜか
ばってきに
出会わなかったことが

妙に
うれしい

 

 

 

椅子

※ M氏追悼

 

道 ケージ

 
 

森の外れ
血管で出来た椅子は
蔦と絡まり
佇む

ラメの泡のような液血は
混じらずも許し
宿命を代謝しあっている

地表の実生たちが
ソーダ水のようと
われがちに駈け上がる

座られた記憶に
座りこむ椅子
真ん中の窪みが誘う
椅子は花である

ためらいなく入る人々
置き去りの私

椅子は
あちらから落ち窪んだ根茎か

死ねば終わる
二つの世界

あの崖だよと誰かが指差す
死んでみせた人
緑に包まれると
もう椅子とはわからない

 

 

 

蛇道

 

道 ケージ

 
 

蛇の抜け殻のような道
その果てまで両側は
灰色の竹
竹並木というのか
こんな処があったとは

何やら苔のような
おびただしい
びらびらを
はためかせている

かなり急だから
もう登れそうにない
ウロコの跡は
あぁ、キャタピラの跡か

何やら息苦しい
肺か心臓がやられている
カジイかよ
坂に耐えられない

あぁ、オレは人殺しだったのだな
はなから許されてない
なら呼ぶなよ
この道行きが罰?

靴はもう泥だらけだ
土産の水羊羹はどうする
詫びじゃない
礼儀にすぎない

先輩が言ってたな
相撲辞めちまいな
川沿いの堤の道である
自転車が捨てられ
錆に雫

野望はどうする
張り手で殺した
茅の輪くぐっても
もう遅い

 

注「カジイ」は梶井基次郎のこと。

 

 

 

内職

 

道 ケージ

 
 

コオロギの頭をそっと撫でて
足のギザギザに触れてあげる
そんな面倒な内職だけど
丁寧に時間をかける

透明な羽根だけは触わらない
思い込みの露をためた
虹の足の泉で
緑線を洗うらしい

選り分けるだけでないことを
理解せねばならない
付け加える必要はない

生き様が奏でる
甘い気持ちは見透かされ
たちまち弾かれる

イカズチを操る金髪の男
太り過ぎだよ
踏むなよ

一瞬では
どうしても遠くに行けない俺ら
愚かさだけ晒す

とびっきりの錐で
頭頂を撫でてあげよう

 

 

 

帰福

八十八歳の母に会いに*

 

道 ケージ

 
 

帰ってきとった方がよかろうと兄
やはり 帰るか
「なんかあるごたぁね」と電話越しの母

帰郷すると
またすっかり母は小さくなっていた
妖精のように

なにかへ 帰る
何処かに 帰る

「小鳥に餌をあげると」
残飯を庭に置く
自分の食事はほとんど残して
「猫が口尖らしてやって来ると」

買い物にはもう行かない
「生協が来るけんね」
しなびた大根を
僕はおろすのだ

ほら、肉も食わんと
料理はしたことはないが
母に焼肉を
上等の和牛はすぐに焼ける

それでも箸で引きちぎって
「これだけでよか やわらかかね」

苦労時代のことは鮮明
「ほんと好かんやった 呑んだくれて
もう一回結婚? 絶対せんね」

福岡というのはめでたい名だ
帰福と手帳に書く

孫、つまりは僕の娘の入社祝い
「あげとったかね?」
十回、さらにもう五回

メモしとくけん、これをまず見やい
今度はそのメモがない
「どこやったかいね こげなふうたい」

使われないミシン
古びた三面鏡はすっかり縮み
・・・ここに座って無限に見入った

中野重治に母の詩はないらしい
プロレタリアの戻る場所は
何処

「その引き出しの下やなかかね」
へそくり見つけて
大笑い

親孝行らしきことは何もしていない
そう言うと
「そうたい 情けなかね」

じゃあ、またね
「今度はいつ帰れるね?」

階段は無理なので
門前の壁に寄りかかり
手を振る母

道をひきずり
振りかえる

帰福
帰る場所**

 

 

* 「朝日新聞 二〇一九年四月二〇日」
一人暮らしをする六五歳以上の高齢者が二〇四〇年に896万3千人となり、十五年より43・4%増える。全世帯に対する割合は17・7%。全国最多の東京では116万7千人と、六五歳以上人口の約3割にのぼる。背景には未婚や離婚などの増加があるという。

** 山本哲也遺稿集の表題でもある。

 

 

 

逆を行けば

 

道 ケージ

 
 

怒る、から      笑う
憤る、ゆえに     褒める
死ぬ、から      生きる

拘るなら       捨てる
棄てるから      慈しむ
跳びたいなら     座わる

こもるなら     窓を開け
殺したい だから  逃がす
旅立つなら     風呂掃除

どうもまどみちお  いやあいだみつを
まあ 続けますか  接続が問題かな

続けたい なら/から 黙る
食べたい から/なら 種まく
よい なら/から   悪い

そうではない     そうだよ
疑うなら       賭ける
信じろ        疑えよ

戻って        挑む
戦い         逃げる
生真面目に      裏切る

はい         いいえ
でも         だから
たまさか       きっと

へべれけで      もう一杯
小走りの       セキレイ
この水たまりは宇宙  流星をかわし

いいかげん      働いて
適当に        生きる
ふるえて       鎮める

波と雲が紛れ     鳥の影か
淡水の混じる     潮目
みたことない     みっともない

「廃人ね」と妻が言う

一つの残酷を夢見て
私は一人押し黙る
笑わねばならない

 

 

 

不浄観

 

道 ケージ

 
 

葬式のあるたび
父は火葬場の裏に
私を連れて行った
黒い鉄扉は薄汚れ
丸いのぞき穴は
炎で何も見えない
「これが人間たい」

パイプ椅子に置き去りにされ
不思議へ傾く
「不浄観」だったのか?

煙流れて
煙流れて眺むれば
コンロの炎も
付き具合が悪い
電化製品は壊れる

三月の風は肉まんの香り
土饅頭を二、三
満州歓喜嶺の土埃に
五族協和の屍を晒す

父は満州から帰り
ブンヤの傍ら考古学
私たち兄弟を古墳に連れ廻した

「なんもならんやったね」
最後の見舞いの時
父はそう言った

 

* * * * *

 

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」に
「不浄観」が出ている
若妻を甥の藤原時平の策略で
奪われた帥の大納言藤原国経は
夜な夜な屍体を見つめに墓場に出かける

月の光は・・・雪が積ったと同じに、いろ〱のものを燐のような色で一様に塗りつぶしてしまうので、父を密かにつけた茂幹は最初の一刹那その地上に横たわるものの正体が摑めない

「・・・長い髪の毛は皮膚ぐるみ鬘のように頭蓋から脱落し、顔は押しつぶされたとも膨れ上がったとも見える一塊の肉のかたまりになり、腹部からは内臓が流れ出して、一面に蛆がうごめいていた。・・・」

屍体を眺めすべてはこのように成り果てていくと達観すれば、やがてあらゆるものが不浄、無常と見えてくる。絶世の美人も血膿の塊として映じ、飯粒も白い虫ヘと変じる

茂幹は父に聞く
「迷いがお晴れになったのでしょうか」
父は山の端へ目をやり
「なかなか晴れるどころではない。不浄観を成就するのは、容易いものではない」

そうため息のように漏らした

 

 

 

ぼろぼろ

 

道 ケージ

 
 

それは花筏というには余りに
薄汚れていた

ゴキブリのように生きた
恨みは
思い出せない

突き合う度に
石に血が滴る

そう振り回すなよ
強く握ると刺さんねえぞ
こうやって
こう刺すんだよ
ホラ

で、中で抉る、なっ
痛ぇだろ

やってみな
おー、そうだ、そうだ

「あるべきにやあらむ」

空が青い
さらっと
川が流してくれらぁ

さいなら

 
 

* * * * *

 
 

生徒の必死さに
ぼろぼろの河原で
こんちくしょう
の花が咲く

徒然草百十五段
「宿河原といふところにて、ぼろぼろ多く集まりて・・・」
教室の果ての青空が痛い

高架の下に見つからないように
石碑が一つ立つ
卜部の兼好はなぜここに

第百十五段
話の内容は単純きわまりない。
「しら梵字」というぼろが師を「いろをし」というぼろに殺され、その恨みを果たすためにわざわざやってきている。いろをしは手下を抱えるいっぱしの悪僧。

「いろをしはおるか」
「オレだが。よう来たな。ああ覚えてる。そうか、ならやってやろうじゃないか。おめぇら手出しすんなよ」

「二人河原に出であひて、心行くばかりに貫きあひて、ともに死ににけり」と兼好はそっけない。次のように記す。
「ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願ふに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり」

「なづまざる」は少し気になる。
「暮れなづむ」で始まる曲もあったが、同郷の人のあの図々しさは自分を見るようで勘弁してほしい。「なづむ」は「泥む」と書いて、泥にとらわれて身動きがとれずに滞る様子から来ている。だから「なづまざるかた」とは「死にこだわらない」という意味。生の泥をすーと抜け出ることは、確かに「潔い」。

 

 

注)ぼろ・・・「非僧俗の無頼乞食の徒で、山野に放浪する類」(安良岡康作の註による)