松田朋春
ピタゴラスを源流に、響き合いが美を生む音の組み合
わせを和音として整理したのが西洋音楽だった。
ながらく人はその文法のなかで音の物語を紡いできた。
音楽を言語として考えると、和音は意味の単位で、そ
の連なりが物語たる音楽である。
いまから百年ほど前にオクターブの十二音を厳密に平
等に扱うことで和音の成立を排除する反文法的音楽が
発明され、人間の魂は新たな段階に入った。
ここで「意味」と「和音」と「重力」を等号で結んで
みる。いずれも「接地」に関わる作用だと言えないだ
ろうか。月面を歩く宇宙飛行士の映像を見るたび、そ
の歩行は自由なのか不自由なのかがわからなくなる。
二十世紀の芸術は我々のなかにある「接地」を切断す
る試みであった。それはもちろん芸術に限らない。こ
れらは次の世紀に進展する「肉体以降」への最初のレ
ッスンである。
結果として、そこでは天使的なものが分離されるだろ
う。滞空して行き来する。ふれると感情が芽生える。
曲線と色彩を産出する。光をとおす。初恋や万引きを
そそのかす。
天使を感じる
殺しても殺されても機嫌がいいような午後の散策
愛の空間