背中

 

松田朋春

 
 

子供の背中をみる
肩の骨が出ている
首筋がやけている
もう違う何かを見ている
ことばが遠くなる
猫の家族のように
眼をあわせなくなって
親が死に子が育ち
その先のあらすじを知っていて
いってらっしゃいという
心が逆巻いている子供の
背中をみる
なすすべもなく
いってらっしゃいといい
おかえりという
知っているものに
ひとがおきかわる
心細さが
自分にもあてはまる
それは
本当なのか

 

 

 

草叢

 

松田朋春

 
 

自分の周りでも抗体検査で陽性になった人がいて
隣り合わせで暮らしている実感がある
私の検査結果はおそらく明日か明後日には届く
自分が陽性であれば家族も全員陽性であるはずだ
疫病のひろがりというよりは
無症状のひろがり
なにもないひとが
なにもないものを
気付かぬうちに手渡すという
シンプルなルールに
働かざるもの食うべからずは
太刀打ちできない
倒産や廃業の知らせが
毎日届くようになってきた
揺るぎない感染のあゆみよ
いよいよちぐはぐな社会のふるまいよ
何かがはじまる前の静けさに草叢が匂っている
明日など来なくていいのではないか

 

 

 

黒板

 

松田朋春

 
 

自分好みのものを他人にも書かせようとして
すばらしい詩が今日もできあがる
湿った朝も乾いた夜も
ああもう何度も感じた
だから密室のようにまっしろい曇天に
あとから書き込んだに違いない鮮やかなインコを見つけて
大急ぎで写真を撮るのだ
どうせ消すのに

 

 

 

 

松田朋春

 
 

一日中コーヒーを焼いて
たまりかねた隣人が小言をいいにきた
ベランダではアスパラがぐんぐんのびて
いちごが赤くなって
めだかは一匹ずつ死んで
キャベツの芋虫がまた大きくなって
風がふくとすべてが揺れて

黄色い靴の夢をみた
あとでその意味を調べようと思って
もういちど眠った

何を書いても暗示してしまう
みんながつながってしまった世界に
ほんとうの他者はいない

 

 

 

天使

 

松田朋春

 
 

ピタゴラスを源流に、響き合いが美を生む音の組み合
わせを和音として整理したのが西洋音楽だった。
ながらく人はその文法のなかで音の物語を紡いできた。
音楽を言語として考えると、和音は意味の単位で、そ
の連なりが物語たる音楽である。

いまから百年ほど前にオクターブの十二音を厳密に平
等に扱うことで和音の成立を排除する反文法的音楽が
発明され、人間の魂は新たな段階に入った。

ここで「意味」と「和音」と「重力」を等号で結んで
みる。いずれも「接地」に関わる作用だと言えないだ
ろうか。月面を歩く宇宙飛行士の映像を見るたび、そ
の歩行は自由なのか不自由なのかがわからなくなる。

二十世紀の芸術は我々のなかにある「接地」を切断す
る試みであった。それはもちろん芸術に限らない。こ
れらは次の世紀に進展する「肉体以降」への最初のレ
ッスンである。

結果として、そこでは天使的なものが分離されるだろ
う。滞空して行き来する。ふれると感情が芽生える。
曲線と色彩を産出する。光をとおす。初恋や万引きを
そそのかす。

天使を感じる
殺しても殺されても機嫌がいいような午後の散策
愛の空間

 

 

 

自由

 

松田朋春

 
 

猫は日向で眠っている
夜更けには出かけて
首輪をなくして帰ってくる
生まれてすぐ
避妊手術をして
恋からも未来からも
自由になった
毛皮で傷がわからないから
自由に生まれてきただけにみえる

そうしよう
男も女も
生まれたらすぐ
100年もすれば
おろかで卑怯な国が
すっかり片付くのだ

 

 

 

復讐

 

松田朋春

 
 

大切なものを奪われた
夏の終わりころ
立つこともできず
水を飲むことすらできなかった
たばこだけは吸えた
床にころがって瑠璃の煙を見ていた

そんな人がいたとして
復讐をしなければならない
奪う人は男で
あらゆるものを持っているだろう
人が生み出す本当につまらない魅力の
品々はもちろんのこと
大きなさざ波がヤスリのように空をけずる湖や
わたぼこりにさえ宿る祖先の思いやりや
まばたきすらしない女の微笑みや
ヒスイ色の鸚鵡さえも持っていて
それは300年生きるのだろう
だれひとり思いつけもしないような出来事も
結局はその男のものだろう

それでも復讐をしなければならない
それがわたしだとして
わたしはその男の
大切なものを奪わねばならない
だが奪われることすら
その男のものなのか
空は奪われたことのないものの目には
決して見えない青色をしているのに

わたしは鸚鵡の前でそう話していた
鸚鵡はわたしと同じ顔になり
時に男の顔に戻りながら
言葉を繰り返した

わたしはそれほど長くは話さず
ただとても人に言えないような
恥ずかしい言葉の限りを
鸚鵡に教え
その目の色を確かめて
引き上げた

ほどなく鸚鵡は男の窓から放たれた
鸚鵡はわたしの教えた言葉に
夢中だったのだ
男の目を見て話し続けたことだろう
恥ずかしく
恥ずかしい言葉の限りを
とても人前に出せないような
うれしそうな素振りで

湖のほとりの森で
鸚鵡は今日も
恥ずかしく
恥ずかしい言葉の限りを
くりかえす
男が手放さざるを得なかった
世界の最初のほころびとして
その死後100年経っても
鸚鵡は復讐に夢中なのだ

 

 

 

 

松田朋春

 
 

電車で席を譲ったけど
座ってもらえなかった

窓の外をみてなぜか
わたしの死んだ犬は誰に席を譲ったのかと考えた

亡骸を撫でても
毛並であたたかく感じた
今までで一番よく眠っている
きれいな顔を見て
死ぬことの実感がやってきて
寂しく感じた

 
空っぽの席を感じる
いつまでも

 
かといって
死にたくなくなるのは
もっと嫌だ