吉野秀雄の『含紅集』

 

駿河昌樹

 
 

手術後の湯治に行くと目覚ましの時計鞄に入るる妻あはれ

金借るは苦しかりけりむきだしの紙幣(さつ)を抛るがごとく渡さる

空白空白空じっくりとは読んでいなかったので
空白空白空吉野秀雄の最後の歌集『含紅集』をゆっくり進めているが
空白空白空やはり
空白空白空いい歌が多い

空席もなく立つ人もなき夜汽車に安らぎ見えて年立たむとす

われ死なば靴磨きせむと妻はいふどうかその節は磨かせ下され

空白空白空というより
空白空白空精神のありようが
空白空白空歌そのものに染まり切った人のことばは
空白空白空どれも
空白空白空歌であることを外れない

老い樹黒く枝の小枝の先ざきもくれなゐにほふ高遠桜

病危ふかりし去年(こぞ)のいま頃ぞ辞世まがひの愚か歌残る

空白空白空生涯多病だった吉野秀雄は
空白空白空気管支性喘息
空白空白空肺炎
空白空白空糖尿病
空白空白空リウマチ
空白空白空心臓喘息
空白空白空などに苛まれ続け
空白空白空つねに貧困のうちにあったともいい
空白空白空65歳の人生を
空白空白空よくもまぁ
空白空白空苦しみつつも
空白空白空文に歌に書に精励した
空白空白空と感心する

みづうみの魚は食ひ得ず親子丼あてがはれ一浴して諏訪を去る

老いの眼は風にも涙湧きやすしまして刺す如き秋の夕風

空白空白空糟糠の妻を胃癌で亡くしてから
空白空白空四人も子があったものだから
空白空白空八木重吉の未亡人とみに手伝いに来てもらい
空白空白空やがて再婚することになったが
空白空白空この時にとみは八木重吉の遺稿を渡し
空白空白空以後
空白空白空吉野秀雄が八木重吉の価値の普及に努めることになる

六十を老いとせねども若きより病み病みて重ね得し齢なる

病むわれを見に来し友は今朝の富士の裾まで雪にかがやくを言ふ

空白空白空いうまでもないが
空白空白空良寛の普及に努めたのも
空白空白空吉野秀雄であった

わが死後は間借しなどして暮せよとはかなきことを今日洩らしけり

臥処より首もたげ舞楽右舞左舞のテレビのぞくも命なりけり

病をも死をも売りものにはせじと無理して書けばフイクションに似つ

便の始末してもらふ妻は尊けれその都度あたま下げて礼言ふ

静脈の注射するにもこのごろは場所なくなりて指の股に射す

垢のため血管わかぬ手の甲を湯タオルにごしごし拭きて注射す

空白空白空自分の宿命を
空白空白空次のようにも歌うものの

よき事も限りありとかわが悪しき運も極まりあるを恃まむ

空白空白空生涯
空白空白空毀誉褒貶の場たる
空白空白空そこはそれ
空白空白空権力争いの山猿たちの狭小の場たる
空白空白空歌壇とは
空白空白空関わりを持たず
空白空白空おそらく
空白空白空鎌倉アカデミアで得た知己だけを中心として
空白空白空歌人と認められた吉野秀雄にも
空白空白空悪しき運
空白空白空ならぬ
空白空白空よき運も
空白空白空やはりあったと見なければならないだろう

さらさらとして淡雅なる趣きをわれは好めど世の移りけり

われ死なば山崎方代かなしまむ失恋譚の聞き手失くして

サルトル氏の講演は切抜かせおきたれどつぶさに読まむ力最早なし

足萎へのわれは車に運ばれてかもかくも春の草に置かれぬ

今日妻と喜びしこと挿入便器(さしこみ)の中のわが物よきを覗きて

一生はただ刻刻の移りなり刻刻をこそ老いて知りつれ

 

 

 

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