佐々木 眞
その1 西暦2020年水無月蝶人酔生夢死幾百夜
その電車には次々に様々な魑魅魍魎が現れて、先頭車両に乗っていたジャンヌ・モローに絡むので、追っ払ってやったが、代々木で降りて一山30円で売っていた桃を食べながら原宿の会社についてから出張の精算をして5時に出た。6/1
あれからずっと電車に乗り続けているんだが、駅に停まるたびに、昔懐かしい人々が乗り込んできて私の隣に座るので、思い出話に退屈することがない。6/2
「コロナ時代に突入したので、これからは「不純広告」の時代が始まるんだあ」、とその男は宣言した。6/3
社長室にふんぞりかえっているマツザカに、「お前さんは300億でアカスを買収して得意になっているようだが、それは大きな間違いだ。これが躓きの石となって会社は左前になるだろう」と言うたが、馬耳東風であった。6/4
軍事政権に反抗する同志たちは、ことごとく逮捕拘禁されてしまったのに、何で私だけが放置されているのか分からず、取り残された私は、疑心暗鬼に陥った。6/5
紅葉が絶え間なくハラハラと散るこの山紫水明の地は、この世の見納めの景勝地として圧倒的な人気があったので、コロナが流行ろうが、流行るまいが関係なく、世界中からの旅人で3密どころか30密状態だった。6/6
私は某社の某書評紙に雇われて、編集の仕事を請け負ったのだが、それは電電公社の扱う無数の電報文の中から、文学的なものをセレクトして、それを解説するという代物だった。6/7
その山の頂上には、小さな小屋が建っていて、戸を開くとゴンちゃんそっくりの白い大きな犬と、ポコちゃんそっくりの人形が入っていたので、私はその1匹と一人を連れて下山した。6/8
どうやら語尾に形容動詞がつくキーワードを唱えたら、仲間入りを許してくれるようなので「形容動詞、形容動詞」といいながら、そこいらをうろついているわたしなのよ。6/9
人工的に流出された、ゴーストМの実相を平和的に演出する手法を、私は、徐々に極めつつあった。6/10
今日、たまたまイケダノブオに会うから、まだ前の会社にいるのか訊ねてみよう。6/11
公民館を9時から10時まで借りていたのだが、その後は、そこで誰が何をしたのかまったく知らなかった。6/12
「Ⅰ-2からドロップを投げたらぜったいに三振や。まちごうてもストレートは投げんこっちゃ」と、往年のエースは語るのだった。6/13
百貨店の1階のフロアの3/4は、世界を代表する3つのメジャーブランドによって占められていたが、それらは権威主義的で閉鎖的な印象だったので、この店のイメージを決定づけているのは、残された1/4における無名ブランドの無手勝流の自由さだった。6/14
AとBのやり方では、すぐにCになってしまうので、私はそのことを、代表に大講堂で説明させようと画策していたが、面倒くさいので自分でやることにした。6/15
テンプル嬢とチャーリー・テンプルが、ごちゃごちゃになってしまったヨシダ君は、万策尽きたように、青ざめた顔をして、私の方にやって来た。6/16
私が親愛の情を込めて黙ってある音を流すと、それが誰かの耳に流れ、耳に流れたそれは、誰かの心に流れ込むように思われ、そのことは、その誰かが、私に向かって、微かにほほ笑むことで分かった。6/17
ハイランドの急な坂道を、3台のトラックが喘ぎながら登っていく。先頭のトラックのフロントグラスには「働く人」、2台目には「遊ぶ人」、そして3台目には「さすらう人」と書いてあった。6/18
私は魔法使いの元気な丁稚で、口を開けば、舌の上に魚が乗っかっていたものだが、今ではだんだん歳をとってくたびれてきたので、いくら口をパクパクやっても、何も乗っかってこないのです。6/19
ナチの残党から追われていることを察した私は、ダロウェイ夫人を私のパソコンのOUTから脱出させることに無事成功したのだが、その経緯については、彼女の自叙伝「追憶の旅路」を参照していただきたい。6/20
横須賀の大滝町のキシモト歯科へ行ったら、隣にヨシモトリュウメイとかいう老人が治療を受けながら、「歯垢が試行だ」とか私を挑発してくるので、頭に来た私が、1)なぜ痛み止めは途中で止めてもいいが、抗生物質は飲み続けなければならないか?」と尋ねると、黙ってしまった。6/21
それで調子に乗った私が、あなたはどんどん下降するのが得意な詩人らしいが、直喩より隠喩を使いこなせる詩人の方が高級だと主張しているようだ。しかし「雨が降る」を「空が泣く」、「ライオン」の代わりに「百獣の王」と言い換えて得意になるのが詩人なのか?6/22
それでも納得しないので、私はヨシモト選手を日本橋三越のライオン像の前に連れていき、MGM映画のように「GaOhoo,!GaOhoo!」と吠えてみせると、ようやく「参りました」とシャッポを脱いだ。6/23
ふと思いついて大学のキャンパスを訪ねたら、後期ゼミの開始日で、大勢の学生にお茶が振るまわれているので、良い時に来たと喜んだが、まだ教務に履修届け出をしていないことに気がついたので急いで駆け付けた。6/23
若尾文子になった私だったが、このCMは彼女のキャラには合わないと判断して、一方的にオリてしまった。6/24
夜中に小便をしようと襖を開けたら、動かない。向こう側に誰だか怪しいものがいるのだ。もしかすると強盗かもしれない。思わず「ワアアアア」と叫んだら、その声で目が覚めた。6/25
その男は、「俺は確かに人を殺したが、そこで死んでいるのはお前の息子ではない」と言う。私は半信半疑でそこに近寄っていくと、夜の庭にうごめいているのは、得体のしれない女だった。6/26
「それでは、ここで故人の冥福を祈って何か一曲」と所望されたので、私は題名しか知らない「イヨマンテの夜」を歌いはじめたが、すぐにつっかえた。6/27
展示会の入口で洒落たディスプレィがしてあるので、「これは一体何なの?」とゼンタロウ選手に尋ねると、「会社がデザイナーからショバ代をとってこういう出店を作っているんですよ」というので、なんと阿漕な会社だと呆れ果てた。6/28
村人たちから村八分に遭っている私たちだったが、定食屋で蕎麦を食うてから、サクランボをデザートに頼んだことが、なぜか村人たちの怒りに油を注いだようなのだ。6/29
この婦人服メーカーでは、何事もエイコ先生とかいう謎の企画室の女性にお伺いを立てないと物事が前に進まないので、関係者全員が往生していた。6/30
その2 2020年文月蝶人酔生夢死幾百夜
私は或る男を殺そうと思い、その参考にするために殺人をテーマにした映画を見はじめたのだが、その数たるや物凄い分量で、いつまで経っても次々に出てくるので、なかなか計画の実行に着手できないでいる。7/1
わいらあなんやしらんけどいつのまあにかあのだいきらいなあのおんながあさからばんまでひッつきむしみたいにひっついとるさかい消耗しつくしたんやが、そのおんなが大映映画の準主役に抜擢されたんでようやっと離れてくれたわいな。7/2
修学旅行でリゾートホテルに泊った。相部屋だが、どの部屋でも自由に選べるというので、一番遠いところを選んで、上段ベッドで寝ていたら、クラスで一番嫌いな奴が、下段ベッドにいたのでガックリだった。7/3
「だ」と打つと、字は垣根を越えないが、「だった」と打つと、越えてしまうので、「だた」にした。7/4
おらっちの友人には、映画を見に行く時、座高を高くするための特製座布団を持ちこむ奴がいて、いつでも大騒動を巻き起こすので、こいつと連れだって行かないように注意している。7/5
久し振りに見るおフランス語だったので、てんで自信がなかったが、モワをおらっっちの、トワをおめえさんお、と訳してみると、これがけっこうな江戸前仏蘭西語に化けてしまったので、我ながら驚いた。7/6
古希を過ぎても、舞妓はんに対する初夜権の行使を主張する老人がいた。「あまりにも時代錯誤だから諦めるように説得してくれ」と頼まれてノコノコ出かけたのだが、返り討ちに遭ってしまったのよ。7/7
ここ香港では、不信と裏切りが渦巻いている。これまでの友人が中国側に寝返り、密告するので、もはや友人のみならず、親兄弟すら信じられない地獄のような日々が続いている。7/8
私は「ホテル王」だったので、そのホテルの中に事務所を置き、チャップリンの「独裁者」に出てくるような美人の秘書を自由自在に使いこなし、その気が催せば自分の部屋に連れ込んで、性的な悪戯を繰り返していたのよ。7/9
学校でカド君に出くわしたら、「1時からの授業で作品を提出せんといかんのやけど、何かないか」というので、下宿に戻って私が書いたポルノ小説や童話を見せていたら、フマ君もやって来て、「なんだ中途半端な大衆小説ばっかりじゃないか、まともな純文学はないのか」と文句を言うた。7/10
私は大嵐と大洪水に遭遇したが、小学館のナカムラ氏が設計した、段々のついたプールの一番下の窪みの部分に避難して、まるで忍者のように草の茎で息をしながらじっとしていたので、助かった。7/11
私は名人と慕われている老人と相対したが、「この老人のどこが名人なんだ。名人のかけらも見当たらないではないか」と思ったので、そのことを思わず口にしそうになったが、「あなたは軽々に他人を判断しすぎる」と警告してくれたメグロ氏の言葉を思い出して我慢した。7/12
営業から発注を取って、宣伝課で製作した会社のカレンダーであったが、誰も宣伝課分を確保しなかったために、来年は、カレンダーなしで過ごすことになりそうです。7/13
昨日「やまとなでしこ」を録画したかどうかについて、コウ君が私に電話してくるのを今か今かと待っているのが、4時になっても携帯が鳴らないので、うとうとしていたら、5時に鳴ったので、「録画したよ」と言って、また眠ってしまったが、夢だったかもしれない。7/14
全世界を覆い尽くす反知性主義の荒波にのみ込まれ、わが管理棟では、学歴主義が完全に崩壊し、国立大学や有名私大出身者は、ただそれだけの理由で、どんどん粛清されつつあった。7/15
五輪の男女混合5キロ走に出場する選手の控室に行ってみたら、貧相な女子が、ブルブル震えていたので、私は彼女を、丹陽教会の尖塔の下の狭い部屋に似た5Fチールームに連れ込んで、必勝法を伝授しながら、たんと激励したのよ。7/16
朝の4時にザワザワと音がするので、雨が降って居るのではないかと思い、5時になったらコウ君から電話がかかったので「ビデオは録画したよ」と答えたような気がしたが、それらは全部夢の中の話ではないか、と思いながら、また眠ってしまった。7/17
なにせ世界中を駆け巡っている超有名なカメラマンなので、いざ撮影するとなると、無数の機材やカメラや望遠レンズの中から、被写体に最適の物を選び出すのに時間がかかって、結局シャッターを押さずにしまうことも再再だった。7/18
携帯やスマホを鉄砲で撃たれたら、あっさり貫通してしまうというので、ドコモとかauとかソフトバンクは、懸命にその対策を講じているようだ。7/19
郷里の母を訪ねたら、不在。近所の人が、母はヒロヤスさんの妹か娘と一緒に育てられたというのだが、肝心の本人がいないので、確認できずに、帰った。7/20
ウンバリア地方を日本有数のインテリゲンちゃんと旅しているのだが、氏が時々鋭い警句を吐くので油断できない。小さな駅で降りて彼の講釈を聞いているうちに、腹具合が悪くなってきたので、トイレを探してあちこち駆けずり廻る破目に。7/21
道道いろんな人に「トイレはどこじゃ、トイレはどこじゃ」と尋ねるのだが、なんせ伊太利人ばかりだから要領を得ない。あちこちを右往左往しているうちに、どんどん時間が経つ。なんせ団体のツアー旅行だから、集合時間に遅れたら、みんな先に行ってしまうのではなかろうかと思うと、ますます焦る。
そのうち元の場所に戻って目の前の坂道を見たら、その先に細長い木造の小屋が建っている。もしやと思って駆けつけると、個室が3つ並んでおり、真ん中の白いドアを開けると赤茶色の布袋さんとも道祖神ともつかない石像が2つ聳えていたので、私はカメラを縦形にして写真を撮った。
それから穴から突き出た2体の上に跨ってやっこらせと腰を下ろすと、それが伊太利式の古式豊かな便器だった。ところがやれやれこれでやっと用が足せると喜んだのもつかの間、いきんでもいきんでも、出るべきものが出ない。私はなおもいきみながら、さきほどかのインテリゲンたんが吐いた「実存は恐らく本質に先行するだろう」てふ言葉を思い出していた。7/21
あの悪辣な男のお陰で、わいらあ7人は、すでに80の大台を越えていたのに、殺人の濡れ衣着せられて、何年間もローヤに入って居たんだ。.が、釈放された翌日、わいらあ7人は、彼奴に復讐するべく、凶器を準備して集合した。7/22
ヨコヤマ画伯から、「不用心だから、2匹の猛犬を待機させといてくれ」と頼まれたので、その通りにしたのだが、まさにその夜盗賊が入って、なけなしの現金が盗まれたのに、猛犬どもは何の役にも立たなかった。7/23
ある行動絵画作家が製作した「サーカスのG線上のアリア」という作品では、常に激烈な運動を繰り広げているG線を、2点で押さえておく必要があるので、マネージャーの私は、腐女子2名を低賃金で雇う他なかった。7/23
私はエネチアに似たその水都を去る前に、小さなボートに乗ってネオ・ゴシック様式の建物のあれやこれやを訪ね、もしやその中に彼女が隠れ棲んでいないか、と探してみたりした。7/24
何気なく口を開けたら歯が一本もなかった。これでいったいどうやって1日3度の飯を食って来たのか考えてみたのだが、なーんも覚えていないのが不思議である。7/25
口の中に蚊が飛び込んできたので、口を閉じて殺そうとしている。7/26
むかしむかし、お父さんに連れられて程ヶ谷の会田家を訪ねたら、後に原節子になる人のお母さんが、真っ赤なオベベをハサミでジョギジョギ切り刻んでいました。7/27
「わたしはあなたのマキロケンを食べてしまいたい」と彼女は言うたのだが、マキロケンとはいったいなんなのかは、ついに分からなかった。7/28
あっという間治安維持法が発令され、映画では「団地妻」と「女賭博師」シリーズが発禁になるというので、あわてて買いに走ったが、もうどこでも売り切れで一枚もなかった。7/29
見知らぬ街でCMの企画会議が開かれる。大勢の関係者が出席するが発表者は私だけなので念の為に早出したのだが、電車を間違えたり、街中で迷ったりして遅刻しそうだ。それに肝心要の企画案に自信がないので、このままどこかへトンズラしようかと、黒い不安に取りつかれているのよ。7/29
ネット上で発表された俳句は、24時間後に全く別の作品に変換されることが分かったので、俳句界では、これは桑原武夫氏の亡霊による「俳句第2芸術論」の再来ではないかとを憂慮しているようだ。7/30
どういう訳だかさっぱり分からないのだが、戦国の世の習いとかで、私は五条河原に引っ張り出されて、生首をちょん切られることになってしまったようだ。7/31