夢素描 08

 

西島一洋

 

起きていて見る夢について

 
 

一般的には、幻覚とか幻聴というのだろう。
しかし本人にとっては、寝ている時に見る夢のリアリティと同じく、生々しい。

僕は、マリファナも含めて一切の薬物はやったことがない。
そして、酒を飲んだ時とか夢うつつの時とかでもない。

一番素晴らしく感動したのは、19歳の頃のある体験である。

当時、六畳一間、古い木造アパートの二階に住んでいた。北側にある、細く急な階段を上り、ギシギシと短かいが暗い廊下を踏み進み、突き当たりの焦茶に焼けたベニア扉の奥が僕の部屋だ。

扉にはノブが付いていた。このノブは内側からボッチを押すとカギが閉まる仕組みだ。よくカギを部屋の中に置いたままロックしたことがある。そんな時は、階段をとっとと降り、狭い路地を通って、表通りの飯田街道をひょいと渡り、すぐ向かいにある街路灯のついた電信棒、これに括り付けてある琺瑯看板のちょっと余った番線、つまりちょっと太い針金を、キコキコ…と…折り曲げ、何度もやってれば、切れて、それを携えて、トコトコと飯田街道を渡り戻り、急な木の階段をすっすいと登り、黒光りの廊下の奥の我が部屋の前に立って、ちょいとひと息。何度もやってれば手慣れたもので、針金一本で簡単にカギは開く。この鍵開けのテクニックで、ちり紙交換をやっていた頃、人を助けたこともある。また後年、ミャンマーでトイレに閉じ込められた時、何とか脱出したこともある。

扉を開けると、半畳のたたきというか床があり、そこから奥が六畳。出窓形式で炊事の場所は一応ある。トイレは共有。

扉は暗い廊下の奥だが、部屋自体は南向きで、飯田街道に面していて、日中は日当たりも良い。夜でも飯田街道の街路灯の灯りがあり、深夜でも真っ暗になることは無い。窓下には三叉路ということもあって、名古屋市バスのバス停が四つもある。下町だが、商店街というか、街の中だ。でも、深夜は静かだ。70年代の頃なので、国道153号線でもある飯田街道でも、深夜は車の通りも無く静かだった。

僕は17歳の時に、あることをきっかけに一生の仕事を絵描きと決めた。まあ、覚悟みたいなものです。まさに命がけです。そして、その後10年ほどの間に、強固で濃密な極私的絵幻想が形成された。端的にいうと僕のいう本当の絵というのは、美術史の文脈でいう絵画では無い。絵なのだ。絵というのは絵画では無い。つまり絵は芸術でも無く美術でもない。しかし、これを伝えるのは難しいし、伝える能力も無い。命がけで本当の絵をかくというのが僕の命題です。僕の現在行っている絵幻想解体作業はこの辺りを因として発しています。解体作業というのは破壊作業と違います。一度解体して、部品を整理して、もう一度構築できるかどうかを問う行為です。5年ほど前から行っている行為「行為∞思考/労働について」も絵幻想解体作業のひとつです。もちろん解体作業と並行して、絵も描いているのでややこやしいですが、そんなもんです。順番通りにはいきません。というか僕の中では、この絵幻想解体作業も絵を描いているのに等しいので、日常、さらには寝ている時も含めて絵を描いているのに等しいのです。言ってみればそれほど強固な極私的絵幻想なのです。これを社会的に一般概念に置き換える作業はしないというより、そこまでの素養は僕には無いです。

本題に戻る。というか本題は何だったっけ?
ということで一旦文頭から読み直し、推敲作業をしよう。

推敲作業をしていると段々文章が膨らんでくる。
なんだか、これはまずい。
でもしょうがない。

深夜。
窓下から、というより窓下はるか飯田街道の西の彼方から微音。
あたりは静かだが、その音も静かな音だ。
深い低音。
ブンブンブン…
ゆっくりと、ゆっくりと、本当にゆっくりと近づいてくる。
その音は近づいてくるにしたがって、徐々に分かってきた。
歌声だ。合唱だ。足音だ。
だんだん近づいてくる。
男たちの集団の歌声だ。
言葉は分からないが労働歌である。
反戦歌でもあった。
凄い。
凄い。
どんどん近づいてくる。
ドウドウドドン。
強烈な大きな音のうねりだ。
体の芯まで響く音というか振動というか。
たまらない。
窓下の前を横切る集団。

感動した。

僕も参加したいという衝動に駆られて窓を開けた。

突然、音は消えた。
誰もいない。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です