経験を抽象化した仮想のネットワーク
今井義行「空(ソラ)と ミルフィーユカツ」を読んで

 

辻 和人

 
 

2020年12月10日に「浜風文庫」で公開された今井義行の「空(ソラ)と ミルフィーユカツ」は、読み物として心を動かされると同時に、飛び抜けて斬新で明確なコンセプトを備えており、文学の教材としても使える詩のように感じたのだった。
おいしい「ミルフィーユカツ」を食べた話者が、店を出た後なぜか爽快な気分にならず、空が濁って見えてしまう。その理由を探るという詩。全行を引用しよう。

 

空0空(ソラ)と ミルフィーユカツ

空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!! 
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
空0いい気分だったのに

空0ん?

空0ふと 見上げた空が 濁って見えてしまった
空0夕べ 飯島耕一さんの詩 「他人の空」を
空0久しぶりに 読み返した そのせい なのかなあ───

空0「他人の空」
空0鳥たちが帰って来た。
空0地の黒い割れ目をついばんだ。
空0見慣れない屋根の上を
空0上ったり下ったりした。
空0それは途方に暮れているように見えた。
空0空は石を食ったように頭をかかえている。
空0物思いにふけっている。
空0もう流れ出すこともなかったので、
空0血は空に
空0他人のようにめぐっている。

空0戦後 シュールの 1篇の詩
空0鳥たちは 還ってきた 兵士たちの ことだろう
空0途方に暮れている 彼らを受け止めて
空0空は 悩ましかったのかも しれない けれど──

空0そう 書かれても
空0わたしは 素敵なランチタイムの 後で
空0もっと さっぱりとした 青空を 見上げたかったよ
空0暗喩に されたりすると
空0地球の空が いじり 倒されてしまう 気がしてしまってね

空0わたしが 食事に行ったのは 豚カツチェーン店の 「松のや」

空0食券を買って 食べるお店は
空0味気ないと 思って いたけれど
空0味が良ければ 良いのだと 考えが変わった

空0そうして今 わたしを 魅了して やまないのは
空0「ミルフィーユカツ定食 580円・税込」
空0豚バラ肉の スライスを 何層にも 重ねて
空0柔らかく 揚げた とっても ジューシーで
空0アートのような メニューなんだ

空0食券を 買い求めた わたしの 指先は
空0とっても 高揚して ダンス、ダンス、ダンス!!

空0運ばれてきた ミルフィーユカツの 断面図
空0安価な素材の 豚バラ肉が 手間を掛けて 何層にも
空0重ねられてある ソラ、ソラ、ジューシー!!

空0運ばれてきた ミルフィーユカツを 一口 噛ると
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!
空0ソラ、 サクッ 口元が ダンス、ダンス、ダンス!!

空0そうそう
空0豚カツ屋さんには 必ず カツカレーが あるけれど
空0あれには 手を染めては いけないよ
空0カツカレーは 豚カツではなく カレーです

空0カレーの 強い風味が
空0豚カツの衣の 塩味を 殺してしまう
空01種の 「テロ」 だからです

空0ただでさえ 今 街は コロナ禍  なんだから

空0空を見上げながら 入店した わたし

空0ソラ、1種の 「テロ」は 即刻 メニューから
空0ソラ、駆逐すべき ものでしょう──

空0わたしが ミルフィーユカツを パクパク してる時
空0ある ミュージシャンが クスリで パク られた
空0という  ニュースを 知った
空0この世では 美味なものを パクパク するのは
空0ソラ、当然の こと でしょう──

空0鬼の首 捕ったような 態度の 警察は どうかしてる

空0トランスできる ものを パクパク するのは
空0ソラ、ニンゲンの しぜんな しんじつ
空0ソラ、攻める ような ことでは ないでしょう!?

空0わたしは ミルフィーユカツで トランスしたし、
空0ミュージシャンは クスリで トランスしたし、
空0飯島耕一さんの 時代には 暗喩で トランス 
空0できたんでしょう──

空0だから 「他人の空」も ソラ、輝けたのでしょう

空0鳥たちが帰って来た
空0──おお そうだ あいつらが帰ってきたんだ
空0空は石を食ったように頭をかかえている
空0──おお そうだ みんな頭かかえてた
空0血は空に
空0他人のようにめぐっている。
空0──おお そうだ 他人みたいな感触だったよ

空0わたしは 詩を書いている けれど
空0もう  滅多に 暗喩は  使わない

空0詩は 言葉の アートだけれど
空0今は いろいろな トランス・アイテムが あるから
空0敢えて 言葉で 迷路を造る
空0必要は そんなに 無いんじゃない かな

空0わたしは そう 思うんだ けれど──

空0平井商店街を歩いて しばらくすると
空0濁っていた空が 再び輝き出した

空0飯島さんにとってソラは暗喩
空0ミュージシャンにとってソラはクスリ

空0しかし、

空0カツカレーを駆逐して  ミルフィーユカツを パクパク した わたしにとって

空0ソラは、ソラで 問題 無いんじゃないかな!?
空0(引用終わり)

 

話者は前の日に飯島耕一の有名な詩「他人の空」を読んでいた。敗戦後の社会の気分を暗喩で表現した詩である。「空」は現実の空ではなく、当時の民衆の沈んだ気持ちを暗示している。「他人の空」は全行引用され、この詩に組み込まれる。一方、話者は食事中、ネットのニュースか何かで、あるミュージシャンがドラッグ所持の疑いで逮捕されたことを知る。

ここから話者は独自の考えを巡らす。飯島耕一は当時の民衆の漠然とした不安を掬い上げるために暗喩を使った詩を書いた。当時の読者は漠とした感情が喩によって的確に可視化されたことに驚き、その魅力に夢中になったことだろう。敗戦は当時の人々にとって共通の関心事だったろうから。「血は空に/他人のようにめぐっている」は、敗戦、そして帰還兵を巡る当時の人々の名づけようのない気持ちを見事に表現している。的確な比喩を発見した詩人の興奮、そしてそれを受け止める当時の人々の興奮を、話者は想像する。

一方、ミュージシャンの方はドラッグの摂取によって昂揚した気分になり、非現実的な世界で遊ぶことに夢中になった。違法ではあるが、彼が名づけようのない幸せな興奮を味わったことは間違いない。話者はそのこと自体は良かったこととし、むしろ逮捕した警察の方を咎めている。

話者自身と言えば、ミルフィーユカツに「アート」を見出すほど夢中になった。カツの風味を殺す「カツカレー」を退け、ひたすらそのおいしさを味わう。「安価な素材の 豚バラ肉が 手間を掛けて 何層にも/重ねられてある ソラ、ソラ、ジューシー!!」とくれば、読者も松のやのミルフィーユカツ定食を味わいたくなってくるに違いない。

ここで「ソラ」という概念が重要な役割を果たす。「ソラ」はもちろん頭の上に広がっている現実の空から抽出されたものだが、現実の空から離れて独り歩きする。人が夢中になる程大事なもの、快く興奮させてくれるもの、そうした意味合いが込められているが、それだけではない。濁りがない、ということが重要な要素となるのだ。それは、おいしいものを食べて、晴れ晴れした空の下を歩くはずが、なぜか濁った空の下を歩く羽目に陥ってしまったという、名づけようのない話者の身体感覚から出てきたものだ。つまり「ソラ」は、名づけようのないものであると同時に、話者の身体感覚に即した明確極まりない概念であるのだ。

この仮想の概念「ソラ」が、この詩に登場する者たちを結びつける。飯島耕一にとって社会全体の空気を象徴的に表現する暗喩が「ソラ」であり、ミュージシャンにとっては現実から逃避させてくれるクスリが「ソラ」である。そして話者は、ミルフィーユカツに代表される、自分を取り巻く日常を「パクパク」味わい尽くすことそのものが、自分にとっての「ソラ」なのだと宣言する。話者はいい気分になって、輝きを取り戻した現実の空の下を颯爽と歩き出す。何とも見事な展開。

作者が作り上げた「空」ならぬ仮想の「ソラ」は、本来無関係だったものたちを緊密に関係させ、話者の経験を抽象化した不思議なネットワークを、言葉の空間の中に明確に浮かび上がらせる。「固有」というものの複雑さを取りこぼさずに「公共化」する比喩。今井義行の、話者を巡る「固有の状況」から比喩を抽出するやり方は、「全体の状況」からざっくり比喩を作った飯島耕一の時代からの比喩の進化を、鮮やかに示しているのである。

 

 

 

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