薦田愛
洗って剥いて刻んで煮て
にんじんあおくさい
かぼちゃかたい
じゃがいもの肌理
しいたけは石突きも捨てない
トマトを湯剥きする手順は省いて皮ごと
ほうろうの鍋の白を汚す橙いろ黄いろ
まな板が空くひまがない
二十二時
地下鉄を乗り継いで二十五分
デスクの前から家にはあっという間
でも
かき揚げ天ざる讃岐うどんや
新蕎麦に日本酒でいっぱい
なんて
寄り道のかわりに家ごはん
と言えるほどのものではないけれど
洗って剥いて刻んで煮て
ぐつぐつ
くぐつのように鬱屈する思いも放り込んで茹でたり
焦がしたりするかわりに
野菜室のすみに何かわすれていやしないか
かきわけかきわけ
ああ大根のきれはし 玉ねぎ四分の一 水菜半束
いやこれは明日のぶん
当年とってごじゅうろくのわたくし
自慢ではないが
リョウリと呼べそうなことを
ほぼ経験せずに歳を重ねた
二十代半ばに半年
(つくってくれていた親が体調をくずし
あわてて料理入門書を手に弁当ひとつに毎夜二時間)
まごまごまどわぬはずの四十代初めに半年
(涙が止まらなくなって出かけたカウンセリング先で
まず夕食だけでもじぶんでつくりましょうと促され
赤いパスタ白いパスタ
赤いチャーハン白いチャーハンと
呼んでいたあやしい一品のくりかえしを半年)
そしてこのたび
発端は
最高気温三十五度を下まわることのない八月某日
夜の炭水化物摂取はやっぱり
控えたほうがいいでしょうかと
十年かよう鍼灸の先生にふと問うや
元アスリート男前の女先生「そうね」とひと言
ゆえにその夜
唐突に洗ったり剥いたり刻んだり煮たりが
始まったのだった
そう
八月の終わり
ウェイトは一見問題なしだったけれど
みもこころもどことなく滞っていて
まっこうからリョウリといってキッチンに立つのが
面映ゆかった
ひとりっ子の生い立ちに加え
はたちで父をなくすと
あとは世話見のよすぎる母との暮らし
いちど結婚するも
諸般の事情というより周囲の懸念思惑によったろう
オヤツキケッコン
ひとり暮らしの長かった当時の夫のほうが
煮炊きの経験はゆたかだったうえ
箸のあげおろしにも講評をくわえずにはいられない母のまえでは
野菜を刻もうなどという気がうせるのは
あたりまえ
だからね
お米はとげるし味噌汁もつくれるが
そこに加えるなにひとつ
ないままに
ねえ
ごじゅうろくさい
だからね
じぶんだけのために
じぶんのたべたいものを
おもうままに煮たり焼いたり
地下鉄を乗り継いで二十五分
二十二時
ああ今夜は二十一時
この時間に帰ると
「早かったね」っていわれるんだ
母にね
カレー粉 焙煎玄米胚芽 昆布粉末
岩塩 かつお節粉末 そして水
野菜十種カレー煮のつづいたある日
豆腐や乾燥わかめに玉ねぎ椎茸を加えて
ぐつぐつ
昆布粉末を溶いちゃってね
湯豆腐ふうにしてぽん酢かけて食べた
そしてあの
伝説のメニューが生まれる
豆腐ステーキ
水切りもせずにね
木綿豆腐一丁をうすく二枚に削いで
両面あぶって
皿にのせ
しめじに玉ねぎ人参なすなんかを
塩こしょうして炒めたのをたっぷりトッピング
ぽん酢をざぶざぶかけてむしゃむしゃ
おお
二十一時
あるいは二十二時の
じぶんだけのための煮たり焼いたり
にたり
にんまり
ほころんでしまうくらい
いい
うんまいっとひとりごち
いやね毎日こしらえていた
野菜のカレー煮や湯豆腐ふうだって
けっこう美味しく食べていたんだが
いずれにせよ今夜のだって
リョウリと呼べるほどのものではあるまいが
それでもこれは
誰かに食べてもらってもいいのかな
いや
食べてもらうあてもないけれど
と
箸が止まる夜半
ことの始まり
これがはじまり
゛食 ” という日常を通して
人生のひだ
長い年月の感情を
こんなにも細かく
言葉にして綴ってゆくことが出来る、とは。