西島一洋
部屋
十九歳から五年ほど、木造モルタルアパートの二階に住んでいた。六畳一部屋で、西側の窓の突き出しが、洗面台というか流し台というか、ガスコンロも置ける台になっている。一畳ほどの押し入れもある。南側にも窓がある。陽当たりは良い。一ヶ月の家賃は確か七千円だった。
南の窓の下は、飯田街道で、車だけでなく人の通りも多い。窓の正面はアイスキャンディー屋だ。売ってはいるが、主に菓子屋向けのアイスキャンディー製造所だ。そして、そこは三叉路でもあり、名古屋の市バスの停留所が往復で四つもある。つまり、窓下はバス停、とても交通の便が良いということだ。
部屋の真下の一階は饅頭屋だったが、息子の代になって途中で洋菓子店になった。洋菓子店になった時はびっくりした。通っていた美術研究所から夜に帰ると、南の窓がオレンジ色のテントで覆われている。スチールの骨組みに張った本格的なビニールテントである。もちろん、洋菓子店の店名のロゴも描いてある。朝になると、悲惨だった。部屋の中がオレンジ色なのだ。もちろんすぐに取り外してもらった。
西側の窓の下は路地というか狭い通路になっている。この通路の奥には、別棟のやはり木造モルタルのアパートがある。ここも人の出入りは多い。この路地を挟んで三階建ての鉄筋コンクリートの建物がある。美容院だ。一階が駐車場で、二階が美容室になっていて、三階は店の主人と家族、それから住み込みの若い女性従業員数人が住んでいる。西の窓と美容室の窓とは対面で、僕の部屋からは美容室の中がすっかり見えた。
深夜のある時、覗くつもりでもなく、ふと見ると、若い女性従業員が淡い黄色のネグリジェ姿で鏡に向かって髪を研いでいる。しかも、衣服に落ちた毛を払おうとしたのか、裾をまくし上げ、下半身が露わになった。僕は慌てて、部屋の電球を消した。
東隣の男性の部屋からは深夜、麻雀の音がする。北隣の女性の部屋からは男女のまぐあいの声がする。そして、床下からの洋菓子店のバニラの匂いが部屋を充満している。
ベッドは自作だった。1センチ厚のベニア板で造った。とこ下は、収納スペースだった。寝れれば良いので、市販のベットより幅はぐんと狭い。そのかわりと言ってはなんだが長さは充分にある。このベッドの上に敷く布団は、古い布団をはさみでジョキジョキ切って、縫って繕った。可動式の簡単な手すりもつけ、ベットから落ちないように工夫もした。
このベッドはそのまま飛ぶこともできた。寝たまま、宙空に浮かび、飛び交うことができた。
寝っ転がった状態で、足元の向こうが、ドアだ。このドアには、小さなガラスがはまっている。20センチ✖️30センチくらいの縦型長方形。すりガラスではないけれど、ギザギザのガラス。このガラスには、女性を僕が描いた肖像が貼ってあった。その女性とは現在の妻である。
どっと、今に跳ぶ。
寝っ転がって、目を瞑る。
そうして、あの部屋の、あの、空間感を、イメージしてみる。
そうすると、あの、出窓の台所も、ドアの向こうの黒光りした短い廊下も、ボロボロとあちこちが落ちてくる土壁も、南側窓下の群衆の強烈な労働歌も、畳、そういえば、鏡、自画像を描くために壁に取り付けた大きな鏡板、1メートル✖️2メートルくらい、大枚をはたいて買った、西側の窓が部屋の内側に突然倒れた、ガスコンロに長いホースをつけて、部屋の中央で焼肉中、びっくり、布団の下に、一万円札を何枚も並べてはさんで、ちり紙交換で、最初の月は二十万円、次の月は三十万円、古新聞紙、1キロ三十円した時だった、それにしても、バニラの匂いはきついなあ、麻雀の音も一声かけてくれればいいのに、あーうるさい、うるさい、まぐあいの声はしょうがない、それにしても、こっから、飛べるのかしらん、よし、飛ぼう、で、というか、このベッドだと、簡単に宙空に浮かぶ、そして、天空に、スイ、スイーッと、…。
そんなところかな。
入子状という言葉の意味を知らない。
知ろうとも思わない。
奥に、もう一つの部屋があって、その部屋はやけに広い。
というか、その部屋の向こうに、さらにもう一つ部屋があって、その部屋は押し入れのように狭いし、ベニア板でかこまれていて、極めて殺風景なのだが、そこに寄り添うことにする。
なぜか、暖かい。
ただ、光はない。