フロイトやダニエル・ゲラン

 

駿河昌樹

 
 

まるでマルクスのように
フロイトが
語っている場面を思い出しておく

(大学の教養課程では必須の読書のうちのひとつで
(ああ、これは『幻想の未来』にあったよね
(と思い出せないなら
(単位を落してしまうだろうような
(教養の基礎の基礎レベル・・・

「社会の特定の階級だけに要求がつきつけられる場合には、その状況は誰の目にも明らかなものだろう。冷遇された階級は、優位にある階級の特権をねたむものだし、自分たちのこうむっている〈欠如〉をできるだけ少なくするために、あらゆることをするのは、十分に予想されていたことだ。これができないと、この文化の内部において長いあいだ、階級的な不満が蓄積されることになり、危険な暴発につながる可能性もある。一部の人々の満足が、その他の、おそらく多数の人々の抑圧の上に成立することを前提とする文化にあっては(現在のすべての文化の現状はこうしたものなのだ)、抑圧された人々が文化に対して激しい敵意を抱くようになるのはよく理解できる。この文化は抑圧された人々の労働によって可能になっているのに、抑圧された人々にはわずかな財しか与えられないからである。
そのような場合には、抑圧された階級の人々が文化的な禁止の命令を内面化することは期待できない。抑圧された人々は、この禁止を承認しないどころか、文化を破壊すること、場合によっては文化の前提そのものをなくすことを目指すようになる。抑圧された階級が文化にたいして示す敵意があまりにあらわなので、社会的に優遇されている層においても、文化への潜在的な敵意がひそんでいることがみのがされてきた。だから多数の人々を不満な状態のままにしておき、暴動を起こさせるような文化は、永続する見込みもないし、永続する価値もないことは、自明のことなのである。」(中山元訳)

文化
と呼ばれるべきキラキラシサを帯びた文化は
差別から
階級形成から
下層階級の徹底的な抑圧と固定化からしか
絶対に発生し得ないが
そのあたりの事情を
マルクスでもないのに
フロイトも
明晰に見抜いていた
のが
わかる

「一部の人々の満足が、その他の、おそらく多数の人々の抑圧の上に成立することを前提とする文化」

「現在のすべての文化の現状はこうしたものなのだ」

「抑圧された人々が文化に対して激しい敵意を抱くようになる」

「この文化は抑圧された人々の労働によって可能になっているのに、抑圧された人々にはわずかな財しか与えられない」

「抑圧された階級の人々が文化的な禁止の命令を内面化することは期待できない」

「抑圧された人々は、この禁止を承認しないどころか、文化を破壊する」

「多数の人々を不満な状態のままにしておき、暴動を起こさせるような文化は、永続する見込みもないし、永続する価値もない」

どれも
当たり前の認識であり言葉なのだが
マルクスやプルードンが言っているのではなく
フロイトが言っているところが
ひさしぶりに思い出すと
新鮮

ダニエル・ゲランの『アナーキズム』から
なにか引用しておこうかと思い
パリでのある夕暮れ
レストランを探す直前に
ジベール・ジュンヌ古書店で買った
ガリマールの《イデー叢書》版をめくってみたが
やめる

「無政府思想が、回教徒におけるコーランのように、信奉者から崇められる教義であり、不可侵の、異議をさしはさむ余地のない原理であると思われないよう、気をつけていただきたい。違うのです。われわれが当然の権利として要求している絶対的な自由は、絶えずわれわれの思考を発展させ、(各個人の知能の求めるままに)新しい視野へと思想を高めて、思想をすべての規則や慣習の狭い枠から離脱させるのです。われわれは”信者”ではありません」

ゲランの言葉の
こんな邦訳メモが
ノートにあったので
これを
かわりに記しておく

「各個人の知能の求めるままに」
というのが
厳しくもあれば
アイロニーに満ちてもいる

ゲランの原文は奇をてらわない簡潔な名文で
読んでいて
気持ちがよくなる
そういう文に触れると
こちらの頭も澄む

アナーキズムについてよりも
彼の文を手元に置いておきたくて
あの晩
閉店ぎりぎりの古書店で購入したのを
思い出した

まだ
いろいろな友人や知りあいが
生きていた

そのうちのひとりと
どこかで待ちあわせて
やはり
晩秋だったか
夕食をとろうとしていた

 

 

 

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