みわ はるか
「大人のぬり絵あります」
窓ガラスに大きな字で書かれた紙が貼ってある。
3階建てのビルの1階にある町の文具店だ。
外から見るとなんだか薄暗い。
何度かここは通ったことがあるけれど、なんとなく入りそびれていた。
文具は見るのも使うのも楽しい。
最近は文字を書くことも少なくなったし、ペンも黒があれば事足りることが増えた。
文房具というものから自然と距離ができたような気がする。
小学生や中学生のころは必需品だったのに。
今ではPCやタブレットが台頭してしまっている。
それでも時々、無性にアナログが恋しくなる。
自分の手で書きたい、彩りたい、創り上げたい。
えいっと勇気を出して自動扉の前に立った。
思ったよりゆっくりとその扉は開いた。
入口付近にあるレジ。
そこには店番をしていると思われるおばあちゃんがいた。
わたしが入店したことに気づいたおばあちゃんは、びっくりしたようにうたた寝から目覚めたようだった。
あわてて、蛍光灯のスイッチを入れた。
店内がぱぁ~と明るくなった。
そうか、このお店は半分しか天井にとりつけてある電気がついてなかったから薄暗かったのか。
妙に納得して店内を進んだ。
ファイル、ペン、画用紙、スケッチブック、絵葉書、便箋・・・・・。
昔懐かしい文具一式がほとんどそろっていた。
眺めるだけでワクワクして、それはやかんに入れたお湯が沸騰してくるときのような感じに似ていた。
昔よく通った地元の雑貨店を思い出した。
何か足りなければそこに行けばよかった。
お小遣いで十分欲しいものが買えた。
それが手に入った時の幸福度はかなり高かった。
店内は思っていたより広かった。
奥には、学校や企業に納品しているだろうと思われるノートやペンが一定量段ボールに詰められていた。
本屋や印鑑屋と同じで、こういう所は取引先をいくつか持っていることが多いそうだ。
そこでの収入源がかなり大事らしい。
娘さんと思われる人がエプロンをして、忙しそうに作業していた。
邪魔しないようにそこを通り過ぎた。
違う通路に入ると、そこには特別なスペースが設けられていた。
そう、大人のぬり絵だった。
小さいころは24色の色鉛筆をそろえて、アニメ、花、動物・・・・。
色んなぬり絵をした。
それの大人バージョンである。
パラパラと中身を見てみると、大人のぬり絵だけあって複雑な絵柄が多かった。
でもものすごく興味をそそられた。
これはやるしかない。
何冊かあるうちから1冊を選んだ。
花のぬり絵だ。
色鉛筆もなかったため、今回は12色を選んだ。
ふんふんふんと心の中で鼻歌を歌いながらレジにむかった。
またおばあちゃんをびっくり起こしてしまったけれど、きちんとお会計を済ませて店を後にした。
水色のチェック柄のかわいい袋に入れてくれた文具を握りしめて。
パチパチパチと電気を消す音がした。
電気がふたたび半分消され薄暗さが戻っていた。
久しぶりに童心に帰ったようなそんな気持ち。
帰り道の坂をぽつぽつと歩いた。
日が長くなったなぁと身を持って感じる。
1年の中で最も過ごしやすいこの季節。
穏やかに過ぎていけばそれ以上何も要らない、そんな風に思ったとある日の物語。