ネコ

 

塔島ひろみ

 
 

ネコのあとをつけていくものはなかった
路地の一番奥の突き当たりの洗濯物がたくさん干してある白い家 その横に隠れ家みたいに張り付いて建つ薄茶色の小さな家にネコは住んでいた
隠れもせずに住んでいた
でも誰もネコの住みかを知らなかった
ネコはかわいくなかったから
誰もそのネコに興味がないから

ノラ猫連続不審死事件 というのが起きてから
この町の路上に猫はいない
ノラたちは一掃され イエ猫は外に出されなくなった
ネコは事件を生き延びた唯一のノラだ

かつてネコは毎日猫たちのたまり場に行き 
猫たちといっしょにゴロゴロしたり 丸まって昼寝したり
穴を掘ったり 虫を捕まえて食べたりした
猫たちはじゃれてかみつきあったり 追いかけ合ったり
言葉を交わしあったりした
その言葉は ネコの使わない言葉だった
ネコを追いかける猫はいなかった
ネコにじゃれてくる猫はいなかった
ネコはそれでもそのあったかい場所で日を過ごした
猫たちをかわいがる人間がいた
人間はいつもエサとともにあらわれた
猫たちは人間が来ると寄っていって 置かれた皿に喰らいついた
皿はネコにはずいぶん遠い位置にばかり置かれた
ネコがエサにありつけることはなかった
でもネコは家に帰ればエサがあったからそれでよかった
家にはネコの父がいた
父がエサを準備して ネコはそれを食べた
2匹は寄り添って寝た
静かに生きた

ある日一匹のノラ猫が急に死んだ
次の日別の一匹が死んだ また一匹と 次々に死んだ
腎臓の数値から毒物の摂取が疑われた
エサを与えた人間は驚いて泣いた
「誰がこんなひどいことを! こんなにかわいい猫たちなのに!」
事件はいまだ未解決だ

ネコは同じ場所に行った 誰もいない
草がいっぱい生えていて ちょっと湿って ときどきポカポカの日差しがやってきて 気持がよい風が吹くその場所に ネコは行った
ひとりでゴロゴロし ホカホカ日に当たり 
お腹がすくと家に帰った
ネコはかわいくないから 人間はもうそこに来なかった
ある日父猫が死んだ
ネコはお腹がすいたので 父猫を食べた
それからスズメをとって食べ 金魚をとって食べ
畑を荒らし
子どもが持っている団子や焼き鳥を掠め奪った
静かに生きた

ネコは年をとり 毛が長くなってきた
すぐ眠くなった
ときどき近くに建った4階建てマンションの屋上に上って 町を眺めた
自分が支配する町を眺めた
敵がひとりもいない町を眺めた

家に帰る途中人間とすれ違う
ネコはかわいくなく多少毛が長いだけで人の気を引く何も持っていなかった
だれもネコを見て足を留めなかった
ネコをなでてみようとしなかった
ネコの写真を撮らなかった
住みかを突き止めようとしなかった

もしかするとネコは 誰も知らないいろんなことを知っていた
草のことば
虫の秘密
人間の生態
事件の真相
土の歴史
猫の未来
蓄積され続ける膨大な記憶
押し殺し続けてきた強い感情
そのゆくえ

風が強い
路地の一番奥の突き当たりの白い家の3階の窓があいて
太い腕が次々に洗濯物を取り込んで行く
ハンガーとハンガーが当たる音がカチャカチャカチャカチャ
響いていた
ネコは
そのとなりの小さな薄茶色の家の暗い湿った とあるすき間で
誰にも知られないまま 静かに老いを迎えている
寝息も立てず 死んだように眠っている
まだ生きている

 
 

(6月某日、葛飾区鎌倉4丁目で)

 

 

 

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