ヒロシマをみるひと、立ちどまるひと

 

ヒヨコブタ

 
 

そのひとがヒロシマに降り立ったとき
わたしはなんとも言えぬ気持ちになった
祖国で多くの犠牲があり、その只中にいる国のリーダーが
ほんとうにヒロシマに来るとは心底驚いたのだ

わたしはいつも戦争が嫌いだと思って生きてきた
何もうまれずそこに誰かの欲があからさまに見え
そのために多くのひとが日常を奪われる
ときに命も

まったく理不尽なことだと思う

そのために時折わたしは涙する
平和というあたりまえに平等に皆が得られるはずのことがなぜあたりまえに得られぬのか
時折怒りで震えるほどだ

幼いわたしが夏の日、原爆資料館を訪れたとき
あまりの残酷さにトイレに駆け込んで胃の中のものをすべてもどした
そこに溢れる過去の現実が苦しくて
心配そうにもう出ようという親を振り切って
最後まで展示を見た
10に満たないこどもでもわかる、見なければという現実があった

過ちは繰り返さないという思いは叶うのだろうか
わたしにはそれすらわからない
あんなに恐ろしい現実からまだ100年も経たぬのに
世界の一部は核を容認し続けている
どこの誰にも他者をあんな目にあわせる権利などない

相手が武器を持つからこちらも武器を持つ
そういった考えを心底悲しく、憎む
1つの武器を得れば、強くなるはずもない
武器は弱さの象徴だとわたしはずっと涙する

なぜこんなイタチごっこを繰り返すのか
過ちを繰り返すつもりなのか
わたしはそれがなくなる世界をいつも待っている
そのままこの星ごと壊されたとしても
わたしのこころや他の平和を求めるひとのこころまで
どんな武器も壊すことはできない
わたしが影のように石に焼きつけられるなら
望むところだ
愚かなことをしようとするなら
わたしから奪えとさえ思う
わたしごと総てを誰かが奪おうとしても
わたしは最後まで平和を希求するだろう

わたしの生まれた夏、それはいつも戦争が愚かだと知らされる夏だった
この夏もわたしは思うだろう
より強く思うだろう

最後の被爆国としてこの世界が平和を取り戻せますようにと
こどものわたしからの宿題を頑なに
願い続けるのだ

 

 

 

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