秋が近づくとわたしは

 

ヒヨコブタ

 
 

秋が
近づくとわたしは
秋がうつくしいことも
冬への準備が始まっていることも
見たくなくなってしまう

落ち葉となる葉を選んで踏み歩くというのに
そのこころは軽やかになるはずと知っているのに
なぜだ
すっとしみる記憶の日々が連なる秋が
いつも
すこしだけ見たくなくて
けれども
冬に続くその時季を
ほんとうは
愛していると

ゆれる
ずっとずいぶんゆれる
こころがゆれる
ゆらす手は
わたしの手だと
知っていても
すこしだけいつも
こわいとも思うのは
うつくしさもかなしみも両方なのか

だいじょうぶ
ほんとうは知っているのだから
うつくしさのある世界を

 

 

 

いつもいつかの夏のなかで

 

ヒヨコブタ

 
 

いつかの夏をわたしは知らない
体験はしていない
ただ感じて
読みとって過ごしてきた

たいへん遠い昔の
歴史のなかにあったことと
幼いころ思っていた
いたましさについて

考えないことはなかった

いまのじぶんから見たその夏は
そのじだいは太古ではなかった
いっしゅんいっしゅんの連続のなかにいつも
いたのだろうかというのみだった

水を求めて暑さをしのぎたいのは
いつも変わらずとも
じぶんの変化はじぶんも見てきたこと
他者の変化を変えることはできないだろう

いつかのなんらかの区切りというものの
意味とは
先に旅立ったひとののこしたものとは
わたしのなかでよりわけて
あたたかになる道を選ぶ

大切にしたいことが数えきれなくても
すくなく思えても
どちらもいっしゅんの連続でここにいる

水の流れのようになるべくの穏やかさと
木々の成長のようにたゆまぬことと
寄り添いたいと
願うことと
わがままに散々に混じりあう

途方もないわがままのようにも思うとき
すこしたちどまる
こころは全速力で駆け出したとしても
ぼんやりそれを眺めるように
過ごすことも

のこされたことのなかにヒントがあるとき
ただ嬉しいと思う
いつまでも迷子でもなく
迷子のように見えてもそこから
すっと這い出ていることも
確かにあるような不思議

不思議とあたたかさにつつまれていても
悩むのはなぜか
戸惑うのはなぜか

考える
そして休む

駆け抜けることはないだろう
すっと寄り添いたいのはときに傲慢だろう
傍にいるじぶんがわたしに語るとき
はっとすること

難解なドリルなのか生きることは
そうとらえるのかどうかも
じぶんに問いながら
大切にしたいと思うひとのこころを
踏み荒らしたくないと

過度ななにかより
あしもとがどこにあるかを
見つめて夏
駆け出そうとするこころを少しだけ止める
じきに

旅立ったひとへの思いもさまざまな
秋がくるのを見ている

 

 

 

他者と、生きる日々に

 

ヒヨコブタ

 
 

バケモノだ

何かを区別するこころになにが棲んでいるのだ
おそらく
じぶんがバケモノになることを恐れ
何かをバケモノとすることのほうが
簡単ではないのか
容易いことに流されたさきに
何があるのだ

考える
考え続ける
じぶんと他者との異なるぶぶんが
重なる可能性について
考える
考え続ける
眠る

思考の健全さというものの
それぞれの異なりかたについて
重なるぶぶんは
あるのだと信じてきた
じぶんこそが健全だという主張のなかの脆さは

かなしみにつながっていくときがある
わたしにとって

傍らにいるその誰かは他者だ
よく知っているつもりの
他者だ

耳を傾け全身でききとりたいことが、ある
ひととの関わりに疲れたとき
わたしは眠り続けるだろう
目を覚まし、力が戻れば
また歩きだしききとろうと感じとろうとするだろう
歩みを止めるのは、まだ嫌だと内なる声をききながら

 

 

 

ひとすじの

 

ヒヨコブタ

 
 

夢みたものはちいさな幸福で
願ったものはちいさな愛
だった
いつも、いつからか

どこか儚げなのに
このことばはわたしから離れない

独りにしない、独りだとまず思わない
わたしが
というのはここにあるのかもしれない
たとえどう見られようとも

独りを感じるのはとても容易く
とても淋しいものだと
過去のわたしは
いう

いつからかきれいな嘘をつくことになれていた
他者が納得するだろうことを並べて
生き延びるためだとしたら
よくやったともいえるのか

この輪のなかにあんたは入れないと
子どもの遊びにもある残酷さ
入れないという子達の気持ちを想像する
待って
わたしは
入りたくないのといわない
強情に
入りたくないと
いわずに

輪のなかにいないでいるひとが
たくさんいたことに
いつか気がついた
いないと決めたひとの年月も歳もさまざまに
そのひとたちを
ときどき思い出す

懸命に生きていることは変わらない
誰もがそうだろうに
なにかをはじきだすことに
意味を感じられずに
きた

うつくしいと思うことも
そうでないと放つことも
自由なら
わたしは
うつくしいと感じることができるしゅんかんを
切り取っておく
ふりかえるとき
そこに誰がいるか
こころはいつも躍る
ことばもひとも
じぶんに留めて
もうすこしだけ泳いで
夢みたばしょにいつかたどりつけますようにと
今日も
大切なことを切り取って
いる

 

 

 

日々のなかにあって

 

ヒヨコブタ

 
 

過ぎ去ってしまう
わたしとあった日常
ともにあったと錯覚したものたち
どこへいったろう
ときどき混乱し思考のなかに探し求めようと

する

かつてのどこかに置き忘れたならそこで誰かに拾われてほしい
のか
うちすてられたいものもある
のか

いいえもしそうならむかえにいきたいと

当然のような人生の夢は叶いましたか
あなたやあなたのなかで
わたしはずいぶん周回遅れで走っているようで
そのあいだにずいぶんと

これはペナルティなのだろうか
いいえおそらくは走り終えるまでほんとうにわからないだろうと
わたしは保留する
走り終えたとき見える景色は
どんなことでもごまかしようがないと
きりきりいたむ足も頭もすべて
なだめすかして

わたしの意思でおいてきたのかもしれない
置き忘れたというなにかをほんとうには
その可能性からひろがる世界に
またぼんやり歩み出せるように
ひたすら願う

 

 

 

時代が変わるんだってさ

 

ヒヨコブタ

 
 

なにも思い出したくない朝と夜がある
わたしは
表面的に笑いなぜふざけているのだろう
そんなことにもとても疲れて
追いかけてくる過去なんてうんざりだと手ばなしたくなる朝と夜が

この感覚は昔からだと気がつきもする
すべての記憶を手ばなしたら
嬉しかったささやかなことも消えていくなら
わたしはすべてをからめとり
からめとられていたいのだと応える
じぶんに

ことばのなかにひきこまれるとき
会えぬ誰かとの感触がある
地名のなかのあのみどり
わたしは
ほんとうにはしゃいで、いた
そのあとのこともほとんど覚えているのに

書くことのなかに痛みがあると知っていても
幼く頑ななわたしにそれを伝えようと
いまとそこまで変わらぬかもしれない
すべてのうつくしさもそうでないことも
書きとめてしまうのだと
はやく、はやくと急いていた幼い頃から

大丈夫になることも、ある
不安が増大しすぎる時期も生きた
当然じゃない?と開き直って
わたしは行こうか

30年夢見ながら
よく苦しみました
時代は変わるようだけれど
あなたももれなく変わっていくから
心配しすぎないで、疲れたからだをまとって行こう
少しだけ励ましたいのはわたしだったね
ハグするよ、わたしじしんを

 

 

 

半分のなにかと

 

ヒヨコブタ

 
 

うつくしいと感じるとき
半分のわたしになる
いつもほんとうはそうかもしれないこと
それを強く感じるだけなのかもしれないけれど

もう半分がなにを感じ
なにを見ているのか掴めない
ぼんやりそんなことを繰り返す

他者が近しい存在であれば
もっとそれ以上の半分が生まれていく
少しずつぼやかしながら
その感覚をぼやかしながら生きているよう

黒い気持ち、負のなにかを嫌悪し続けることをいまもしたくない
少し前に思う日々がずっしり重みのある年単位になって
半分のわたしが処理してきたり理由づけをしてきたのかとも

あえてつくりだした世界を語ったわたしはもう必要ない
反射のような防御だとしても

飛び去るようなはやさも焦燥も落ちつかせるのに
これだけの時間が必要だったのか
いまがほとんどの理想を叶えていなくても
しゅんかんに助けられること
温もりのあるひとやことばであるなら
概ねよかったんだ

あのひとやあのひとと微笑みたい
叶わなくてもあたたかなことは
なんと呼べばいいのかわたしはまだ知らなくて
知らないから明日を待ちたくて

 

 

 

待つ日々の

 

ヒヨコブタ

 
 

寒さを堪えることは不得手でないと思ってきた
ふりこめるような雪も氷もとけていくことを待つ気持ちは
幼き日には温もりだった

あたたかさを届けたくて
ことばを重ねるときも
マイナスに伝わることが多いとき
戸惑いが、ある
戸惑いすぎるとき
わからなく、なる
寒さはそこにも、あるのか

 
懐かしさをもって他者と再会したとき
そのひとのなかの永いわたしを見るように
他者であるそのひとのいまも、見る

まだ会うことができるとき
特別な時間かどうかはずいぶんあとにのみわかるのかと
なじみの店での再会が
さみしさよりぬくもりが多いのは

思うのは
多くのひとのしゅんかん
仕草や話し方、目の輝きや歌声
さまざまのしゅんかん

うつろうのは季節よりもじぶんにあり
報せてくれるように季節があるのだろうかと

思う

うちすてられたようにみえるものでも
かつてのわたしの宝物だったもののように
価値はそのひとに委ねながら
片づけていくのも
物ではなく思考やこころなのだろうか

華やかすぎる春ではなくて、いい
春の鳥のこえをきいたとき
そのさえずりに確かにそう思った

 

 

 

冬空のもとで

 

ヒヨコブタ

 
 

ひとつき前はいまを想像できずにおり
ひとつき後をいま考えるのはよそうと

色がついて見えるような景色の日はさいわいだけれど
そんな日々ばかりでもないことにうつむくこともないのかもしれなくて
わたしはもうずいぶんと永く生かされている気がするのだ
あるはずもなかった日々が穏やかでなくとも
悲しみすぎることもないのではないか
悲しみとさみしさはいつでもこちらを向いて待っているから
わたしはふふと笑い飛ばすんだ
そうできぬときには横たわるけれど

流行り病が収まらぬなかのあらゆる不穏は
じぶんのなかで増幅させることをやめる
さんざん繰り返してもう厭きたじゃないかとふふと笑うんだ

このあたりの冬の空は青く覚えている冬の淀みがときどき懐かしい
雪も氷もどんなだったろう
暖かさのなかにいるときにだけ
ほんとうに思い出せばいいほど芯から冷える冬に

 

 

 

「今年」の終わりとは日々とは

 

ヒヨコブタ

 
 

毎日なにかが終わっていくのだとして
新たに始まることも始めることもおそれすぎることもないのだろう
ほんとうには

予測などつかないことばかりの日々がいつのまにか人生などと名づけられうまくいかなかったところをあげつらわれるように感じても
ふりかえればいっしゅんなだけにもみえて

考えていきるという分野が異なるだけのすれ違うひとびとが
温かさを持っていないと思えば生きていくことすらわたしには不可能だったろう
考えないという選択肢がある前提で

きらきら輝きがみえすぎるのは眩しくて
それだけのひとがいないと知っていても目を閉じてしまう
眩しさは素敵だと思うことへの反応のひとつなのか

いつ終わるかは知らずにいる
でもある日不意にそれを告げらたなら足掻くだろう
今までと同じように

同じことばを読んでも
同じ体験をしても
重なりあわぬことの方が多い日々に
驚きすぎず静かにそっと息をはけばいい

ことばですれ違うよりそっと
なつかしさを感じる温もりにも頼りながらいようか
温もりはいつでもなにかの奥底から取り出せるように
それだけは忘れぬように

さまざまな色があるように
さまざまな感情とすれ違いおのれのそれさえときに厄介だとしても
ことばのさきにある、もしくはなかにあるものはきっと温かだと信じて