いい人とかまともな人とか

 

ヒヨコブタ

 
 

精神科へコンビニのように通うことができる世の中にしたいと主治医はかつて思っていたと
そしてそんな世の中が近づいてきたといい
わたしはふとじぶんの人生をふりかえる
どうも疲れが抜けず緊張感にさいなまれて生きていた頃、それが希死念慮までになるのであれば
病院に連れて行くのが特に親というものではないか

けれども世の中でいい人、まともな人と見られてきたわたしの親族たちの大半も偏見にみちていた
きょうだいは今でもわたしを
変な病にかかっている人という
変な病だから付き合わないというのはどういうことか?
血も涙もないなと思う

じぶんだけが特別でじぶんは大丈夫という人はとても危うい
具合が良くなければ薬をのむのは一緒だろうに
彼らの思考がとても息苦しく追いかけられるように感じる

いい人やまともな人と呼ばれる人に
わたしはなりたくない
心がある人と呼ばれたい

 

 

 

新しい診察科目

 

ヒヨコブタ

 
 

思えば昔から頻脈だった。
スポーツ少年団では長距離を走ったあと、脈を測るのだが、しばらく経っても脈がはやく、コーチに走り込みが足りないと叱られては
苦しいなと思っていた。
走るのが好きで、誰も見ていないところでも走り込んだりしていたが脈が戻ることはなかったのだ。
よくわからぬまま時折心臓の痛みを感じながら大人になり
せんだって、叔母を心臓の病で亡くした。
どうにもこれは頻脈だけではないだろうと
病院に。
血圧が高いですね。脈もはやい。
医師はとても優しいのだが気分はよくない。
血圧が高いのは予期していなかった。
それぞれが都合し合って生きているのだから、となんとなく自分をなぐさめて
帰宅する前に血圧計を買う。
この年でまさか血圧計のお世話になるとは、と医師にもらった血圧手帳を眺めながら
毎朝毎夜血圧計とにらめっこなのだ。
なんとも情けなく血圧は高く脈もはやいまま。
まだまだ始めたばかり、力をそっと抜いて
腕を通してしっかり布を巻きつける。

 

 

 

2023の終わりに

 

ヒヨコブタ

 
 

今年もあと数日、というところでやってきた落とし穴のような闇
いつも何度もおもってきたのだけれど
結局のところはわたしは生き延びられている
今回も新しい年になればふっと軽くなるだろうか
そしてわたしはあといくつ年を重ねるのだろう

いつもきれいに色づくイチョウが、色づいたことの美しさと、また例年よりものすごく短期間で落ちてしまったことを
家を出られる日、裏表の気持ちでながめていた。
死について考えるのは無責任にも自由で
わたしのその時はいつなのかすらわからない
大切な人たちのそのときは覚悟はあるというのに、じぶんにいたってはまったくだということも

誰とも別れたくはないのに、それは決まっている
わたしはもう少し強くならねば
強くなることも芯を持つことも
じょじょに身につけられますように
その日までに間に合いますように

 

 

 

ボビーとオリビア2023

 

ヒヨコブタ

 
 

永い眠りについたその人は
わたしの片思いびとだ
子どもの頃からそう公言し、何度もあきれられてきた
けれども彼の歌のボビーのように諦めることもなく数えればながい時間が経っていた
歌詞の意味がわからないほど子どもだったわたしには、それすら懐かしく思える
初めて家を出る、というのを文字通りに捉えて家族もあきれていたがそれも今では可愛い思い出のよう
彼が居なく、難しすぎるピアノ伴奏を作り上げることもなく、語学を学ぶこともなく、突然海外に行ってしまうこともないと思うと
やはり悲しい
悲しいとしか言いようがない
いつまでも私の思いびとは変わらずこのひとなのだ
東大を目指すといったこともあるな、音大に入ると言ってもいたな
けれども彼が人生最高の伴侶を見つけたとき
嬉しくて悲しくて部屋で飲みつぶれたな
だめだよ、彼女を置いていくなんて早すぎるよ
そんな珍しい病気になってしまうなんて、あなたらしすぎて悲しいよ

毎日どれかは口ずさみ、じぶんの脳内にどれほど彼の曲が遺されたかを知る
そしてその度涙が出る

あんなに優しくて心遣いも一流なアーティストのあなたが
もう居ないなんてこの世界は何なのだろう
わたしには考えれば考えるほどわからないのだ
あなたが美人と公言して憧れたひともあなたを思う記事を書いていたよ
なんだ、本当に良かったじゃないか
がんばったね、大好きなひと

わたしはあなたの遺した演奏会の幕が閉じても立ち上がれずに泣いているあの日と同じようにまだ、泣いているんだ

 

 

 

すべての性犯罪者よ、さらば

 

ヒヨコブタ

 
 

何十年かけて犯し続けた犯罪なのか
世の中を騒がす性犯罪者のおぞましさに
じぶんのなかで闇に葬ったことがよみがえりそうになる
落ちついて、深呼吸する
可愛い子ではないと変質者にはあわないなどと
大人が言うじだいにわたしは居て
可愛い子ではない私にはそんなこと起こるはずがないと笑う母をじっと見るしかなかった
違うのだよ、変質者は顔で対象を選ぶばかりではない
大人しそうにひとりでいる子が好きな場合も多いんだ
それに当てはまってしまうわたしに
何が起きたかなどもういい
わたしにとっての変質者を呪うのは終わったんだ
眼の前の被害によりそえたらいいんだ
嘘だと決めてかからず
笑い飛ばさずに聞いてこころを傾けたいと思う
いつでもそう生きていられたらと思う
悪夢は短い方がいい
信じるよ、私はというスタンスを
わたしはこれからもまもり続けたいのだ

 

 

 

父を送る

 

ヒヨコブタ

 
 

何度もねばり息を吹き返した人が
その生涯を終える日がきた
各所に連絡し決めることはあまりに多く
でもどこかぼんやりしてしまい
私は泣けずにいた
いまは火葬するのも順番待ち
父はずいぶんと安置されることとなった

その人生は嫁として振り返っても容易でなく
悲しくさみしいことも語れぬほどあったろう
幾人も先に旅立った人たちを思っても
父の人生は壮絶だった
思い返しながら手を動かし頭を働かせる
その人の穏やかで優しい笑顔に
いつもさり気なく身なりをほめてくれる人
父のことを慮ることばをわたしはかけただろうか
今となっては伝えたいことも連れて行く場所も夢のまた夢

戦時中の疎開先から戻る夜汽車は
心細かったろう
少しの握り飯を父へと分けてくれた人に
こころからありがたいと思う

火葬場に向かう空はまるで迎えに来たとも言われそうな
美しい雲が浮かんでいた
ああ、お父さん迷わずに行けそうだねと隣で優しい婿がつぶやく
私はただ空にのみこまれるように見つめて
通夜の席で蛇口を開け放したような涙腺がまた崩壊する

きれいな骨となり父は大好きな家に戻った
ありがとう、あなたの嫁で世界一幸せでした
からだの隅々からそう思っている

 

 

 

存在の消滅はいつも

 

ヒヨコブタ

 
 

青い鳥がここにきてとうとう騒ぎの渦中にいる
特段気にしてもいなかったつもりがなるほど、
新しいものに強い違和感を感じて初めて
あの青い鳥というものが親しかったような
錯覚にとらわれているのだ、わたしは

いつもなくなってからかつてあったものがとても愛おしく思えるとき
こころの中で組み立て替えてきた
そうすることによって
わたしはまた思い出の席に座ることができる
そこからふと目線をあげたあの絵にも会うことができる
さて全ては錯覚なのか
懐かしささえ傲慢のようだが私には愛おしい作業の手前にいつもある

壊されていく、建物のなかにあった日常も
季節ごとに咲いた花も庭木も
どれも今は同じような錯覚の優しい思い出のなかだ
無駄なものというものがなかったらわたしは
一体どう生きていいのか
こんなにも無駄なものと呼ばれそうなものに
日々とらわれゆたかに妄想するのだから

それらのなかにいるじぶんは
恐ろしいほど静かでうっとりしている
幸せな記憶の中にじぶんをおいておく
壊されぬようにそっとやわらかなばしょにおいておく
これ以上壊され続けぬように
そっと息を吐く

 

 

 

四万十の風を

 

ヒヨコブタ

 
 

人の命や一生について考えさせられる日々にいる
元気だった父の容態が突然悪化し
呼吸器をつけ眠っている
24時間そうなってからしばらくになり
最初の慌てふためくじぶんから
まだ諦めぬというじぶんに変化した

嫁になったわたしに父は言った
今日からはほんとうの娘のように思うと
孫も産めなかったわたしに
つらくあたることもなかった

そのひとのルーツは大変にこみいったもので
つらくさみしいこともこぼすことなく
息子と娘、そしてその孫をひたすら愛している

よみがえってほしいと毎日何度も祈る
そしてそのひとがまだ見ぬ四万十の水がたゆたうところへ一緒に行くと決めている
そこがルーツなら、わたしも見たいのだ

戦時中の話、たまたま疎開していて空襲からは逃れたとき、夜汽車で握り飯をもらったと
まだ幼かった父のそれからは過酷だったろう

母だった祖母が奏でる三味線
桜並木が美しいと移り住んだまち
裕福と健康からは遠かった若い父は
派手なことは望まぬ囲碁の名手だ

もう一度、息子と囲碁ができますように

叶えられぬとは思わない
わたしは最後まで諦めず
父に四万十の風や景色を見てほしいと思っている
先に旅立った私のすべての身内に
まだ来ぬようにと追い返してもらおう
そう強く、何より強く思っているのだ

 

 

 

ヒロシマをみるひと、立ちどまるひと

 

ヒヨコブタ

 
 

そのひとがヒロシマに降り立ったとき
わたしはなんとも言えぬ気持ちになった
祖国で多くの犠牲があり、その只中にいる国のリーダーが
ほんとうにヒロシマに来るとは心底驚いたのだ

わたしはいつも戦争が嫌いだと思って生きてきた
何もうまれずそこに誰かの欲があからさまに見え
そのために多くのひとが日常を奪われる
ときに命も

まったく理不尽なことだと思う

そのために時折わたしは涙する
平和というあたりまえに平等に皆が得られるはずのことがなぜあたりまえに得られぬのか
時折怒りで震えるほどだ

幼いわたしが夏の日、原爆資料館を訪れたとき
あまりの残酷さにトイレに駆け込んで胃の中のものをすべてもどした
そこに溢れる過去の現実が苦しくて
心配そうにもう出ようという親を振り切って
最後まで展示を見た
10に満たないこどもでもわかる、見なければという現実があった

過ちは繰り返さないという思いは叶うのだろうか
わたしにはそれすらわからない
あんなに恐ろしい現実からまだ100年も経たぬのに
世界の一部は核を容認し続けている
どこの誰にも他者をあんな目にあわせる権利などない

相手が武器を持つからこちらも武器を持つ
そういった考えを心底悲しく、憎む
1つの武器を得れば、強くなるはずもない
武器は弱さの象徴だとわたしはずっと涙する

なぜこんなイタチごっこを繰り返すのか
過ちを繰り返すつもりなのか
わたしはそれがなくなる世界をいつも待っている
そのままこの星ごと壊されたとしても
わたしのこころや他の平和を求めるひとのこころまで
どんな武器も壊すことはできない
わたしが影のように石に焼きつけられるなら
望むところだ
愚かなことをしようとするなら
わたしから奪えとさえ思う
わたしごと総てを誰かが奪おうとしても
わたしは最後まで平和を希求するだろう

わたしの生まれた夏、それはいつも戦争が愚かだと知らされる夏だった
この夏もわたしは思うだろう
より強く思うだろう

最後の被爆国としてこの世界が平和を取り戻せますようにと
こどものわたしからの宿題を頑なに
願い続けるのだ

 

 

 

一方的な分断からの融合実験のように

 

ヒヨコブタ

 
 

日々夫側の両親に気持ちをよせていると
学びもあり、悲しみもあった
実親に抱きしめられるより突き飛ばされ遮断を何度も感じては苦しんできた人生なのだから
もう何も期待しないようにと
今回上京した両親や兄弟にやっと会う

5年ぶりだというその人は
思った以上に年老いて
あんなに口やかましかったひとがおとなしくなり、
さらに耳の遠くなった父は
幾分元気そうで
ふたりで寄り添って助け合って暮らしているというのは
大げさではなかったのだとこころが揺れた

祖父母と母の関係が逆転したときをわたしははっきり覚えている
逆転というのはどちらかが偉ぶるのではなく
老いていくひとに母が優しくそして少し強くなったのだ
控えめにいては出来ぬことがあったのだと
今更ながら思い返している

きょうだいは厄介なままで
正直何を考えているのかわたしにはわからない
わからないと言ってしまえるほど
思考の方向が異なっている人だから
それでも険悪になりすぎずにこのままなんとか保てるだろうか
期待しすぎないように
そろそろと、わたしは年なりの親への接し方をゆっくり重ねていけたら
すっかり緑濃くなった桜の木を見上げた