工藤冬里
五時近く、寂れたモールの屋上に車を停め、フードコートに下ってみると、ゴーゴカレーやらナポリタンやらは軒並み終了していて、上りのエスカレーターで駐車場に戻り、層になったバラ色混じりの雲を眺めていると、昨日も同じことをしたのを思い出した。
左の三本指の画像の頃、王は人気のある職業ではなかった。neighbourhoodに仕えなればならなかったからだ。右の画像の時代になると指は五本になっている。
泡に当たっている者が隅に二人いるが歩いているのは自分だけで、無い屋根から夜空が眺められ、主浴の、どこか円空じみた角顔のビーナスから湯が流れ落ちていて、刺青OKらしく人は疎だが、炭酸泉から隣の電気風呂に移る時など失礼しますと互いに挨拶し合ったりして、脱衣場の床も濡れていないのだった。
隆二が他を差し置いて上々一締めを回してくれるというので有り難いが非道く咳き込むので明日取りに行けるか、これが最後の白土になるやもしれん、残りの土物やってその白轢いて人生終わりだ、小山の息子は南蛮とか父親のくすりを使い切ったか?おそらく。
抽象は最高の形態だけれどもストンとしたフラクタルの収まりを得るにはデッサンの修練が矢張り大事で、石膏とかではなく眼だけによるものでも勿論いいんだけれども、二次元に拘泥る場合にはやはり手と紙と鉛筆が必要だ。手帳を用意して島を描いてみなさい。
咳止めを飲んで寝ていると、昔ジュネとエフェドリンという曲を演っていたのを思い出した。
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