村岡由梨

 
 

その日は、あまりにも悲しく辛いことが多過ぎた。
真っ暗な部屋でうずくまり、
細い身体を捩らせて声を上げて泣く花の姿を見て、
かける言葉も見つからずうなだれる、
機能不全の母親。私。
「パパは怒鳴るし、物に当たるし、
猫の首をへし折りそうって言うし、
ママは一緒に死のうって言う」
「何で私を産んだの」
「お願いだから私を殺してよ!!」
暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。

 

およそひと月前、私たちは幸せだった。
花と私、二人で新宿のジョナサンで
バナナパフェをシェアして食べたのだった。
花は細長いフォークで、私は細長いスプーンで。
一番最初に、さしてあるプリッツを1本ずつ食べた。
「プリッツおいしいね」
「うん」
「コーヒーゼリー、ちょっと苦いけどねぇ」
そう言いながら、笑っていた私たち。

ジョナサンを出て、
駅までブラブラ歩いた。
よく晴れた日だった。たくさんの若い人たちが行き交っていた。
私が「ママこの前、イキって
スタバでマンゴーのフラペチーノ頼んじゃったよ」
と言うと、花は笑って
「ママ抹茶苦手なんだっけ?スタバでは
『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』
がおすすめだよ」
と言うので、私は笑って言った。
「それ、詩に書きたいから送ってよ」
すぐに花がLINEで送ってくれた。

『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』

家では、残っている時間を惜しむように寄り添いあって、
何本も映画を観た。
ハッピーエンドの映画を観て、
花は、目を拭っていた。
「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」
そう私が言うと、
花は小さく「うん」と頷いた。

それからおよそひと月ほど経って、
花がひとり、死のうとした。
身に覚えのある痛みだった。苦しみだった。
でも私は、もはや10代の少女ではないのだ。
母親なのだ。
怒ればいいのか。泣けばいいのか。
わからなかった。
わからなかったけれど、
ただ花を失うのがとてつもなく怖かった。

眠、私、野々歩さん
私たちが1階にいれば、花は2階へ行く。
私たちが2階へ行けば、花は1階へ行く。

それなのに花は、
帰宅時、家の鍵がかかっていると
ものすごく怒る。
まるで『家』が自分を拒絶していると感じるのか、
ものすごく怒る。

もうそろそろ『鍵』を渡す時なのか。
互いの不在を確かめ合う鍵を。
互いを『信じる』証として、銀色に鈍く光る鍵を。

 

『また一緒にパフェ食べようね』

そうメッセージを送ろうとして、
送れない私がいる。この期に及んで
傷つけたくないのか
傷つきたくないのか

 

野々歩さん「もうそろそろ自由にしてやれよ」

 

私「誰か私たちを優しく軌道修正して下さい」

 

花「勝手にセックスして、勝手に産んでんじゃねぇよ」

 

 

あの日、暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。
私、偽善者。

 

 

                     (2025年10月 花17歳、私43歳)

 

2025年11月 花18歳、私44歳。

花がインフルエンザにかかって、今日までが外出自粛期間だった。
一昨日は、大きなイワシ団子と豆腐揚げ、生姜入りのさつま揚げと大根のおでんを作ったらおかわりをしてくれた。昨日は、眠と花と私で、アサイーボールをUberした。私は初めてのアサイーボール。花が「はちみつをいっぱいかけるとおいしいよ」と言うのでそうしてみたら、とてもおいしかった。高いから滅多に食べられないけれど、次はナッツ類を多めにしてみようと思う。明けて今日、花は「友達の家でクッキー作るんだ」と言って出かけて行った。帰ってきて、「ママこれ見て」と耳たぶを見せてくれた。先月の誕生日に、野々歩さんと私と眠からプレゼントしたピアスをしていた。ピアスの銀色の鈍い光が涙でぼやけた。

「うれしい」
「ありがとう」
私たちの空白にある厄介なドア
を隔てて交わされる、
ぎこちない言葉たち。
一人一人、鍵を手にして、
外界へ飛び立っていく。いつか
いつでも帰ってきていいんだよ、と
互いを信じて

「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」

そう、自由に。
ただ、自由に。

 

 

 

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