@150310 音の羽  詩の余白に 2 

萩原健次郎

 

DSC09613 (2)

 

しゅうたん、しゅうたんと呟きながら、急峻な坂を降りてきた。
私の愁い嘆きは、心が薄く透けている証であり、右足、左足、腰、胴、頭と、道筋に落としていく身体のぐらつきと同じように、心の揺らぎに拠っている。
修行とは、何か。しゅうたんしゅうたんと繰り返すことか。
雲母坂の中程、もう陽は落ちて、一切が闇の中である。風があると、木々の葉末がそよいで、波のようにうねり去っていく。去ればまた、音の波が起って重なり去っていく。
遠い、川の瀬音も重なる。
ぎゃぁと、嗚咽した。
薄い、草鞋の、指先の下で、何かを踏みつぶした感じがした。
液質の、ひしゃげる音もした。
ちいさな生き物を潰したのだろう。爬虫類か、それとも、少し大きな虫なのかもしれない。
私が、今こうしていることを知っている人は、誰もいない。さっきまでただ蠢いていた命を殺めたことも、誰も知らない。
しゅうたん、しゅうたん、比叡の頂から、私が落としてきた汚い砂、小石、言葉。
欲、小欲の銭。穴のあいた硬貨の幻かもしれない。
行とは、落下。落とし、捨てるほかに、修めることなど何もない。
幻を払い落とす、踊りの所作を闇の中に溶かすこと。
雲母橋を渡りきったそのあたりから、遠い西山の麓に町の灯りを眺めることができる。
魚を煮る匂いが、たちこめてくる。
「震度1以上の各地の震度は――」というラジオの音。
漫才師の、割れる怒声。
それから、赤ちゃんの泣き声。
水のような体験をしているのは、修行僧である私である。水は、生きている声音を吸い取って、この山あいから街中へと降りていく。
音の塵を溺れる寸前まで飲まされているのは、私である。
枯草で編んだ、草鞋には液質の何かが沁みている。草の汁か、それとも命が食した、また別の命の汁だろう。
ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ――
いつのまにか、足下の道は、舗装されている。
私は、硬直して別の音を鳴らしていた。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です