籍の話

 

辻 和人

 

 

港の見える丘公園の見晴らし台でプロポーズなんかしちゃって
その後は
あれよあれよ
ぼくの両親は「良かった良かった。嬉しいことだねえ。」
あれよ
ミヤコさんのご両親は「そうですか。おめでとうございます。頑張って下さい。」
あれよ
式は来年の3月にしよう
それじゃ引っ越しは2月か
あれよあれよ
婚活で結ばれたカップルはとにかく決断が早い
結婚は何てったって共同生活だからね
仲良く暮らすための形を決めるってことは
恋愛そのものと同じくらい大切
「やらなきゃいけないこと、おおまかなスケジュール作ってみます。」
ミヤコさんはこういう作業は得意だ
喜々として項目を書き出して
「もう10月だからまずは式場探し。荷物の整理も頑張りましょう。」
あれよあれよあれよ

今日は週末だからミヤコさんのマンションにお泊まり
パスタ作って、一緒にお皿洗って片づけて
さあ後は手つないで寝るだけ
あれよあれよ、だ
ここで
気になるあのこと、聞いてみよう

「あのー、ミヤコさん。
籍のことだけど、ぼく、鈴木の姓に入ってもいいんだけど。」
そしたらミヤコさん
仰向けだった姿勢をこっちに傾けて
「わたし、弟いるから、辻の姓に入りますよ。
カズトさん長男なんだし、その方がいいですよ。」
ふーん、長男かあ
あれよ、とはいかないね

実を言えば
婚活してたくせにぼくは「籍を入れる」のが
ちょっとイヤなんだよ
お互い姓があるのにそれを1つにまとめるっていうのが
どうも、ね
2人の人間の暮らしを1つの籍で管理する
それもどっちか一方の姓で管理する
どうも、ね
少し前に用事があって母親に電話した時
それとなーく
「籍入れないで結婚するっていう選択したらどうかなー。」と言ってみた
「そんなのダメよ。ちゃんとしなくちゃ。」と当然のように言われて
なるほどねえ
世間一般ではそういう理解が主流だよねえ
もう少したつと変わってくると思うんだけどねえ
事実婚で「ちゃんと」している人なんかいくらでもいる
事実婚についてざっと調べて感じでは
相続の点で多少難があるだけで籍入れ婚と比べてさほどデメリットがあるわけじゃない
だから、まあ
姓を同じくすることへのイメージの問題
こいつが一番大きいんだろう

籍入れ婚については
同性のカップルを排除しているのが気に入らない
それと、家系に支配されてる感じが気に入らない
でもって、それを主に男が負うというのが気に入らない
気に入らないけれど
籍や家父長制をラディカルに批判するまでの気力はないんだよね
結婚制度は行政サービスとしてちゃっかり利用したいし
世間体というのもちゃっかり取り繕いたいというのが本音なんだ
ぼくたちの名前がいわゆる「下の名前」だけで
最初から姓なんてものがなければ
あれよあれよ
なんだけどねえ

でもでも
こんなことがあった
ノラ猫だったファミを避妊手術のために動物病院に連れていった時のこと
初めての入院にファミは随分暴れて鳴いたけど
その割には看護師さんたちに結構懐いて食欲もあったらしい
手術の傷も塞がって引き取りに行った時
ぼくの顔を見たファミは喜んで顔を擦り寄せてきてくれた
猫の健康手帳みたいなものを貰い、開いてみたら

「辻ファミ」

血がカァーッと熱くなるのを感じましたよ
ファミちゃん、ぼくのものなのか?
うっへぇー
猫は犬と違って役所に届ける義務はないし
籍に準ずるような類のものでも何でもないんだけど
それでも
ぼくが守らなきゃ、という意識が生まれて
困ったな、という感情と
嬉しい、という感情が同時に湧き起ってきた
今思えば、姓の力ってすごい、と感じさせられた瞬間だったってこと
面倒をみていた他の猫ちゃんたちも
その後みんな「辻」の姓を持つようになった

ふと横を見ると
ミヤコさんはスースー寝息を立てている
ぼくはつないでいた手をゆっくりほどいて
天井を見つめた
それから薄明かりのもとで辺りを見回す
何事に対してもきちんとしているミヤコさんの部屋は
清潔でよく整理されている
アジアンテイストの織物が架けてあったりもして
散らかりっぱなしのぼくの部屋とは大違いだ
かわいいけれど秩序に対する強い意志に貫かれた部屋
こりゃ、守ってあげるじゃなくて、こっちが守ってもらう方だな
ミヤコさん
それでは「辻」の姓をぼくたちの暮らしのために役立てさせてください
ミヤコさんの持ち物って感覚でいいですよ
ファミちゃんの役にも立ったモノです
ファミはあれからあれよあれよと言う間に家猫になりましたが
ぼくたちも
あれよあれよと
夫婦になりましょう

 

 

 

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