穴子、瀬戸内の

 

薦田 愛

 

 

手を振って純子さんと別れ
桟橋の上のホテルに戻る
母と
預けてあったキャリーをひいて部屋へ入れば
窓はひろい
川ではないかと
訝しむひとがいるのも不思議はないほど
手を伸ばせば届きそうな対岸
向島の灯台からきらっと灯がもれる
尾道
坂道や階段を歩くつもりでいたけれど
あんまり歩かなかったね
でも、お腹すいた
せっかくだから穴子食べよう
東京と違って小ぶりなのをね
蒸すのじゃなく焼いたのをさ

海ぎわの遊歩道をのぞむ通りを歩いて
刺身は食べられない母と夕食をとる店をさがす
街灯のオレンジ色に染まりながら
フロントにあったグルメマップとガイドブック
すみずみまで目をとおして
たぶんこっち
純子さんと三人歩いたアーケードのひとすじ海側に
ここならたぶんと当たりをつけた
覚えにくいひらがなだらけの名前
これかな、ランチ穴子飯と大きな字
夜も食べられるかな居酒屋だけど
階段をのぼり
あのう食事だけでも大丈夫ですか
どうぞと迎えられて海の見える席へ
たんたんと母は
いやほっとした顔
メニューに穴子の炊き込みご飯を見つけて私も
旅のミッションその二を完了した気分
となると
明日も早起きだしお酒はちょっと
などと思ったのをころっと忘れ
ねえ、なんか飲む? ビールかな喉乾いたねと
メニューをめくり直す始末
いいねぇと乗ってくれる母とグラスをあわせ
やっぱり穴子だよね

うなぎなんて食べられないと
もっぱら穴子派だった父
瀬戸内海の地の魚をたくさん食べていたから
東京は魚が美味しくないとこぼして
それでも夜中に鉄火巻きを提げて帰ってきたり
食べろと起こされるのはもちろん私
母は玉子とかんぴょう巻きと穴子
父は
東京の穴子も食べていた
蒸して甘がらいたれを塗ったのを

この店の名前、どういう意味なんですか
ああ、魚の名前なんです
このあたりで獲れる
ええと
関係ないかもしれないんですけど
私たち四国の人間で
父がよく言ってたんですが
でべらがれいって
そうそれです
たまがんぞうかれいっていうんですよね
それでたまがんぞう
そうなんです
しらすのサラダだの梅酒のソーダ割りだのに
ほろっとゆるんで
パパは来たことあったんだろうか尾道へ
どうだろう
宮島の写真はあったと思うけど
ああ母と
こんなふうに旅先でいるところ
父は知らない
炊き込みご飯を分ける
こうばしい
ひきしまった穴子の甘がらくない身がごはんになじんで
美味しい
ふふっというふうに母は
満足を控えめに表明してくれる
よかった
ミッション達成ということにしておこう

次の朝
日照時間の長いこの地方らしく快晴
ホテルの前から
しまなみ海道を辿って今治に到る高速バスに乗る
背骨のように並ぶ
向島、因島、生口島
次の大三島で途中下車
この島から愛媛県
四国一大きな神社
大山祇神社へ
駆け足でご挨拶をと考えたのだけれど
お詣りの次第は他日改めて記すとして
備忘録よろしく書いておきたいのは
お詣りを終え今治へ
向かうバスに乗る前に
お昼を何か食べなくてはと
走りまわったこと
ええ
伊予一の宮大山祇神社の門前だからといって
道の駅があるからといって
隣り合わせる伯方島の塩のチョコレートや
柑橘類を使ったお菓子や野菜は豊かに並んでいるものの
おむすびやサンドイッチは扱われていないのだ
コンビニも見当たらない
しまなみ海道を自転車で行くひとたちに人気の
海鮮丼が食べられる店が鳥居前にあるけれど
時間が足りない
そういうもの
置いてるのはショッパーズだけですと
お土産屋さんが指し示すのは鳥居前のバス停から徒歩三分では着かなかった
親切な道の駅のさらに先
あと六分
しかたない待っててね
母と母のキャリーと私のキャリーを日蔭に残し
ダッシュ
ショッパーズ大三島店へ
惣菜売り場とパンのコーナーはどこ
奥へ奥へ
ひんやりした一角にそれはある
穴子中巻き三百九十八円
パンのコーナーは通り過ぎ
割り箸ください
二膳と言ったか言えなかったか
レジ袋はくるくるねじれて
まだ来てないよね
車内が混み合ったら食べられないと
気づいたのはその時
ええままよってこういうことを言うのか
ほどなくバスは着き
がらんとした後部座席にキャリーを引き入れ
ごめんなさいお行儀わるいけれどそそくさと
穴子中巻きいちパックを分けて
ひとごこち
バスは
伯方島から大島へ
さしかかろうとしている

 

 

 

穴子、瀬戸内の」への2件のフィードバック

  1. 亡き お父さまの有り様を訪ねることも
    この旅の目的の一つだったことが
    よく判ります。

    お母さまと愛ちゃん。

    今、こうして
    想い出の かけらを
    追い求めて
    ちょっとした手がかりで
    繋がってゆくのが

    私にも、嬉しく感じられます。

    亡き人を訪ねる旅。

    私も、
    気持ちと時間とお金に
    ゆとりが出来たら
    亡き母が
    どうしても語りたがらなかった
    幼少時のことが知りたいなぁ・・・。

  2. ともきちさん

    いつも寄り添って読んでくださり、感謝しています。
    母とともに、すでに亡い父のこと、父との記憶を遡ろうと試みても、
    些事雑事や時の経過に妨げられて、不分明なことが多くなっていて、
    言葉を失いもします。
    現在の現実の狭間に、遠い日のかけらを探そうとする試みの旅であり、作品作りなのかもしれません。

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