みわ はるか
「ファミレス」に来た。
一人で。
いつも来てから後悔するのに。
もう一人で来るのはやめようって思うのに。
忘れたころにまた足を運んでしまう。
略さずに書くと「ファミリーレストラン」。
日本語にすると、「家族で食事する場所」と言ったところだろうか。
食器と食器が触れ合う音とともに楽しそうに会話する家族の声が聞こえてくる。
家族が同じテーブルを囲み、各々好きなものを注文し、それを口に運ぶ。
そんなほほえましい姿を第三者である他人が怪しまれることなく垣間見ることができる。
気の強い母だった。
不器用な父だった。
小学生のとき参観日に両親の姿を見ることはなかった。
入学式と卒業式、ピースサインで二人の間に自分が収まっている写真は貴重だ。
学校から帰って一番に鍵穴に鍵をさすのは自分の仕事だった。
飼っていた牛みたいな模様の犬だけがしっぽを盛んにふって毎日出迎えてくれた。
家の中に入ってまずはじめにテレビをつけた。
電気ではなくて、テレビ。
自分に話しかけてくれているわけではないけれど音がするということに安心した。
耳をそばだてていた。
母の運転する車が家の敷地に入ってくる音を聞き逃さないように。
一目散に走った。
今日あったことを報告するために。
音読のテストですらすら最後まで読めたこと、給食に大嫌いなサバがでたけれどできる限り食べたこと、友達が新しい自転車を買ってもらってそれがものすごく羨ましいこと、来週の家庭科の調理実習には人参を家から持っていかなければならないこと。
話すことなんてたくさんあった。
どうでもいいことから本当に大事なことまで。
それでも全部伝えたかった。
自分のことは全部知っていてほしかった。
仕事から帰ってきた母はとても忙しそうだった。
留守電の確認、夕飯の準備、明日の天気予報の確認・・・。
人を寄せ付けない雰囲気がそこにはあった。
今、成人し仕事をするようになった自分にはそのときの母の気持ちや行動が理解できる。
仕事を遅くまでやり、帰ってからは家族のためにご飯やお風呂の準備、愚痴をはくこともなく毎日こなしてくれたことに感謝しかない。
しかし、当時それを理解するのには幼すぎた。
寂しかった・・・寂しかったのだと思う。
何かを確認するために、何かを取り戻すために自分はファミレスに行くのだと思う。
5、6人掛けの椅子にひ1人で長く居座るのは少し目立つけれど。
きっとまたファミレスに自分は行くのだと思う。