芦田みゆき
「みゆきちゃん!」と呼ばれた気がして振り返ると、夜の道路の向こう側の、更に工事現場の向こう側から、腰の曲がったおじいちゃんが一生懸命呼んでいる。カメラを撮るジェスチャーをし、ぐるっと回っておいで!という仕草をする。どうしようかと迷ったのだけど、気になり、ぐるっと回って会いに行った。おじいちゃんは嬉しそうに何か喋っているが、何を言っているのか、所々しかわからない。「ホームレスみたいなもんだ」と言っているが、臭わないし、髪も髭も整っていて、綺麗な歯をしている。〈区役所の人〉とか、〈御苑〉とか、〈木〉とか、〈倒れた〉とか〈倒れない〉とか、〈仕事が出来ると追い出される〉とか。とにかく体じゅうで何かを伝えている。写真を撮ろうとすると、ちょっと構える。そしてまた話し出す。「ねぇちゃん」と呼ばれて、あぁ、みゆきちゃんではなく、ねぇちゃんだったんだ、とわかった。 私はここにあった、柵に囲まれた植物に会いに来た。それらはひとつもなくなっていた。代わりにおじいちゃんがいた。私はそのことを伝えた。 夜遅いからもう帰るよ、と手を振ると、無理に追う様子もなく、「名前はタナカ」と名乗った。私はみゆきと名乗った。どこの生まれ?と聞くと、「秋田」と答えた。風邪引かないでね、バイバイ!と手を振ると、おじいちゃんは磁石で止められているみたいに、その場から動かず、ずっと私を見ていた。バイバイ!おじいちゃん!
大通りに出ると、突然涙が溢れてきた。もういない父を思い出した。性格も見かけも全然違うけれど、仲が良かった頃の父と、にくんでいた頃の父がダブり、ゆらゆらと浮かんでは消えていった。