「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓六腑の疲れである」 第71回

西暦2018年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

「君らしい仕事を思いっきりやりたまえ」と、イデ君を激励すると、彼は満面に笑みを浮かべて頷いた。10/1

「夢百夜物語」のエスペラント語の新訳には、頁ごとに写真が添えられていたが、これは右翼でファシストの有名カメラマンの作品だった。10/2

ともかくそこはとんでもない変態高校で、ビキニ姿の女子学生たちが、集団で新米の男性教師に襲いかかるので、みな戦々恐々としていた。10/3

ぼくらは、5人で新曲の「凍れる流れ」を演奏したのだが、意外にも満場の拍手喝采を浴びていたく驚いた。10/4

砂漠の真ん中で、100名の全裸の美男美女たちが、二手に分かれて粛々と行進し、双方が出会った地点で、激しく性交している姿は、壮観というも愚かであった。10/5

「おらっちはNY医科大首席卒業のDrヤマガタ、手でも足でも乳でもなんでもかんでもバッタバッタと斬っちまう。人呼んで日本のベン・ケーシーだあ」と、その白覆面の男は、ふんぞり返った。10/6

「星屑兄弟の伝説」の続編が公開されたが、これが圧倒的に素晴らしいので、未完成の作品であるにもかかわらず、カンヌ映画祭でグランプリに輝いた。10/7

来年度の事業部ごとの会社案内の作成をするために、某事業部長を撮影しようとしたら、「来年は、わいらあこの事業部からおらんようになってしまうんやけど」と寂しく呟くので、人物写真の代わりに事業部ごとにいろんな花を載せることにした。10/8

御茶ノ水からどんどん歩いてくると、法政大学の辺の並木道にさしかかった。一緒に歩いてきた学生が、「僕らはここで別れますが、良かったらこれを」というて、何かを手渡した。見るとトリスタンだったので、「ありがとう」というて受け取った。10/9

彼女は、上から命じられると、次次に誰とも知らない人物を暗殺しているテロリストだったが、いつ自分が消されるかと戦々恐々としていた。10/9

その古本屋のおやじ、といってもまだ若いのだが、は、毎週水曜日の夜を相談日にしていて、若い女性の身の上相談に乗っていたのだが、相談相談といいながら、結局は彼女たちと寝ているのだった。10/10

今日から新学期の授業が始まるというので、久方ぶりにキャンパスを訪れたが、あまりにも広大で、どこが自分の教室だかさっぱり分からない。それに自分の講義のタイトルすら忘れていることに気付いて、私は途方に暮れた。10/11

おらっちは、企画室主催の講演会場へ潜り込んだが、入場券がなかったので、ホールの天井に寝転がって、トップデザイナーのパリコレ話を聞き流していた。10/12

大島に半年間滞在している間に終戦となったので、我々はさながら逃亡者のように元町港へ急いだが、芋を洗うような人混みで、なかなか前に進めない。ふと見ると、誰かが私の右手をしっかり握りしめて、一歩も動こうとしないのだ。10/13

昨日、長屋の奥の奥に閉じこめられていた老人が、いきなり陽の光の下に引き出され、あっという間に、細い首をちょん切られたが、あれは、どうも自分だったような気がしてならぬ。10/14

死の瀬戸際から何とか持ちこたえ、安蒲団の中に横たわると、いきなり床の絨毯が立ちあがってきた。10/15

俺は、2人の男を殺したようだ。1人はムジカル、もう1人はオフリング、2人合わせると「音楽の贈り物」になることを、後で知った。10/16

商品企画室へ行くには、小さなエレベーターに乗るしかなかったが、これが古色蒼然とした一時代前のオンボロのくせに、猛烈な勢いで乱高下するので、今では企画室のスタッフが、恐る恐る利用するだけになってしまった。10/17

私らは、その占い師を有名にするために、まず伯爵夫人から、女王に面会の糸口をつけてもらおうとしたのだが、なかなかうまくいかないので、往生している。1018

築地駅からに乗り込んだクボナオコをやっとつかまえ、白い二の腕をぐいと引っ張ったら、万事休すと観念したのか、彼女は、籠の中のタイやヒラメやブリやカツオを、満員電車の中にぶちまけたので、大騒動になった。10/19

大川の土手の上を、オオミチ君と一緒に歩いていたら、後から「時計じかけのオレンジ」のような悪童たちが追っかけてきたので、2人とも必死に逃げたが、気がつくと、オオミチ君の姿が、見えなくなってしまった。(続く)

仕方がないので、そのまま土手の道を歩いて行くと、行き止まりになってしまい、そのどんづまりでは大田、山田、広田の3名が押しくら饅頭をしていたので参加したいと思ったが、私の名前は吉田ではなくササキなので、諦めて料亭の二階から見物していた。10/20

リーマン時代の私が、どれくらい忙しかったかというと、トイレで小便をしたあと、チンポコをしまい忘れたことを知りつつ、それを収納している時間が勿体ないので、そのまま歩いていたくらいだった。10/21

今度のCEOは月曜に来るというので、みんなで待っていたが、来ない。あちこち探すと、地下12階の窓のない部屋にこもって、「しこくCEOしごく地獄さ」という死のような詩、詩のような死を垂れ流していた。10/22

ふと思いついて、「わたしらにとって懐かしいところ、心のふるさとのごとき場所をたった一字で表すとすれば、それは「玄」ではないか」、というと、セイさんが「なるへそ、それは面白いねえ。銀座で一杯やりながらゆっくり伺いましょ」というて、タクシーを呼んだ。10/23

その日の結びの一番で、物凄い八百長大相撲が行われたので、一部の客が「八百長だあ、八百長だあ!」と抗議の声を上げたが、幸か不幸か、その日はスコットランド愛鳥協会の客が大半を占めていたので、全体としてはあまり問題にならなかった。10/24

イデア師は、自分のお腹に画かれた難解な図像で、今後の世の中の推移を示していたが、それは、知る人ぞ知る叡智と霊感に満ち溢れた内容だった。10/25

時々ユビ王がやってきて、イデア師のお腹を触ると、たちどころに前代未聞の不思議なアートが飛び出してきて、それらが民草の暮らしに、大きな幸いを授けてくれるのだった。10/25

ホームラン王のクワタは、時々ベースを踏むのを忘れて、せっかくのホームランをふいにしてしまうことがあるので、私は彼に頼まれて、いつも彼と一緒に走りながら、彼の足がちゃんとベースを踏んだか否かを、確認するのだった。10/26

広報担当のヒトミ君とランチしたあとで、「お茶」しに行った。分かれ道で「右はらんぶるだから話ができませんよ」とヒトミ君がいうので、左を進むと映画館がカフェをやっていた。若い女性客が多く、映画館ほど暗くはないが、かなり薄暗いカフェである。10/27

客が横並びに座っていると、店の女の子が端から次々におせんやキャラメル、蓋にストローを突き刺したカフェオレなどを持ってきて、これをリレーして、お好きな物を取ってくださいという。妙な仕組みを考えたものだ。

せっかく映画館に入ったのだから、「マルクス兄弟の映画でも見せろ!」と怒鳴ったら、「マルクスは危険だから、チャップリンにして」という黄色い声が聞こえ、拍手が起こった。民度の低い奴らだと軽蔑していると、隣から妙なものが廻ってきた。(続く)

生きものである。目を凝らしてよく見ると、赤ちゃんである。躊躇ったが覚悟を決めてダッコすると、ニコニコ笑っていたが、そのうちむずかって泣きだしたので、隣の客に渡そうとしたが、誰もいない。ヒトミ君もいない。ワアワアと泣き喚く赤ん坊を抱いた私は、無人の映画館で途方にくれた。10/27

われわれは、首をチョン斬られた20人の兵士と、斬られなかった2人の兵士を見せられたが、どうしてそうなったのかと訊ねても、その理由は説明してもらえなかった。10/28

偉大なる王、トクシカの最期を看取った私の見聞記は、パリ支店のPCが不調で、どこにも発信されることはなかった。10/28

プロデューサーの私は、ある時ふと思いついて、映像製作中の現場に総合アートディレクターとしてキタムラ・ミチコ氏を迎えたのだが、彼女が姿を現わしただけで、現場の空気がガラリと変わり、その効果たるや驚くべきものがあった。10/29

陥落寸前の城塞だったが、少年兵の私は、たった一人で城門にバリケードを張って、雲霞のごとく押し寄せる敵兵に立ち向かおうとしていた。10/30

原口村の原口村長は、芸術愛好家なので、自分が経営している原口旅館に、世界各地の有名無名の詩人、作家、画家、アーティストを招待していたが、その中にランボーならぬランホオが混じっていることを、誰も知らなかった。10/31

私が会社のPCに打ち込んだ「これでも詩かよ」という原稿が、全社員に向けて発信されてしまったので、私は一躍、会社随一の「これでも詩人」と目されることになってしまった。10/31

 

 

 

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