ひひんと鳴かない馬を

 

薦田愛

 
 

ひひん
ひひんと
ひひんと鳴かない馬を
買った

五月

(道交法の上では
空0馬は
空0車輛と同じ扱いです)

ポニーという
ちいさな馬を飼う
いえ
ポニーという
三輪車
大人用の
前二輪の三輪車を買った

自転車のサドルに跨ったことがない
自動車はさらなり
自前の二足歩行をもっぱらとし
徒競走はビリなくせに
歩くのは
トライアスロンで鍛えている男性と同じペース
ゆえに
走るより歩くほうが速いのではと
囁かれた
歩く
歩いてゆく
それがわたくし

「引っ越したら練習しようね」
二年前の東京
ユウキの言葉に
うんとも、ううんとも
応えないまま
越してきた
ここは
造成されてすっかり住宅街になり
病院や学校の敷地のなかに
里山や竹林の名残が少しばかりという
坂だらけの町
軽自動車でさえ登りづらそうな急勾配や
ゆるゆる長い傾斜が
あっちこっち
地元の勉強会で隣りあった引っ越し組の坂本さんも
以前は電動アシスト自転車に乗っていたけど
ここに来て乗らなくなっちゃったわねえという
そうだよね
自転車向きじゃないんだ
歩くぶんには
三十分でも一時間でもへっちゃらな
わたくしであるから
最寄り駅のまわりはもちろん両隣の駅
さらにはその隣の駅までぐんぐん歩き
安い野菜やら乾物やら肉だの魚だの
急勾配も長い長い坂も
えっちらおっちら
大荷物へっちゃら
おお、とうもろこしが安い
なすも半額だ 

「いやぁ、これはさすがに重いよ、きみの細腕じゃ
一緒に出かける時でいいなら、そうして
無理しないで」
腕にくっきり赤い輪っか
エコバッグの提げ手の痕で
びっくりさせてしまった
だいじょうぶ、だいじょうぶだったら
大荷物には慣れてるから
「だいたいきみは買い物以前に荷物が多いよね。
自転車だったら時間もかからないし
荷物だってのせられる」
そうだね
そうなんだろうけど
ずうっとこんなふうにやってきたから
これが当たり前なんだよ
ああ、でももしかしたら
もしかしたらだけど
三輪車だったらいいかもしれないな
「三輪車? 
そんなの高齢者用じゃない?
どうかなぁ」
そんなことないよ
芦田みゆきさんって友達がね
墨田区から浅草の駒形まで
隅田川を渡って
三輪車で来ていたことがあったよ
乗り心地、どんなだったか
きいてみようかな

以前、三輪車を使っておられましたよね?

――前車輪ふたつのに乗ってたよ!
空白空白空そのほうが安定してるって。
空白空白空前カゴにムスコ乗せて(笑)
空白空白空歩道が狭くなければ、かなりいいです。

空白空白空自転車置き場が、ちょっと困りましたが。
前車輪ふたつタイプだったのね!
今の住まいは坂も多くて自転車向きではないけど、

将来、引っ越すことを検討中で、
自転車はムリかもしれないけど、三輪車ならどうかな
行動範囲が広がるかなって
――今は電動もあるのでは。
今から乗るの気をつけてね
ありがとう。乗るの、田舎道になるかな?
それだと駐輪スペースは心配少なそう。
――かごが大きい三輪はいいよ!

空白空白空ゆっくりでいいと思うし。

「前二輪ね、どれどれ
というか、そもそも大人用三輪車、高いねえ! 
種類もあんまりないし。乗る人が少ないからだろうね」
そうかなあ
それでもあきらめられない
わたくし
すこぶる
あきらめがわるいんである
アレはどうかな
譲りますあげます、の
「うーん、どうかな、あるかなあ?」
画面を覗いてふたり
ああ、あることはある
中古でもけっこうするね
やっぱりシニアっぽいのが多いかな

「あのさ、ちょっと良さそうなのがあったんだ
見てみない?
三輪車っていってもあれなら
きみが乗っても可愛くていいと思うんだ」
ある晩、夕食後だったか
え、なに?
ていうか
“可愛い”って
女子高生専用の言葉だと思ってたよ

そしてそうして
前二輪の大人用三輪車
ポニー
ひひんと鳴かない
赤い
牝馬、かな?
譲ってくれるというひとの指定する倉庫街へ
ふたり
わたくし用だけれどまだ乗れないので
ユウキが試乗
「ああ、こんな感じなんだ!」
空0前輪がブレーキでグッと沈むので
段差を越える時の衝撃が小さくて済むのだという
「子どもをのせたりするのにいいように設計されてるんだね」
前二輪といっても
その幅が狭い
ふらふらしないかな、が揮発
うっすらしんぱいな横でユウキが
「赤がかわいい」
とまた言って
連れて帰った
ポニー

そしてある日
初めての練習
ええっとね、おおむかし
二輪のを押して行って重くて
ちょこっと乗ってみたけどダメで
それっきりだからね
「だいじょうぶ。こうすれば必ず乗れるようになるという
子どもに教える時用のやり方を見つけたから
最初はペダルを外して、ひたすら地面を蹴って進む
転がす感覚をおぼえて飽きるくらい慣れてからペダルを着けると
乗れるようになるまで、早いんだって」
公園でと言ってたけれど
ひとがいて、恥ずかしいな
「最初はうちの前のここ、ちょうどいいんじゃないかな」
ゆるやかにうねる細い道
車がすれ違えるかどうかくらいの
交通量は多くないけれど
ユウキが目を配って先になり後になり
地面を蹴って進む速さがもう怖い
路面のつぎはぎ凹凸が微細に伝わって
身体が浮きあがる
怖くてこわばる腕のつけ根が痛い
ああこれって
わたくしという生き物の
前脚のつけ根だな
ポニー
小さな馬にまたがる生き物の
前脚のつけ根
湿布を貼ってもらって
次の日もその次の日も
サドルに跨る
少し
少しだけスピードが上がる
かすかな傾斜を足を浮かせ後輪ブレーキをきかせて減速してみる
左右にわずかばかり傾ぎながら蛇行する
脇道からの坂を下りながらカーブをきるまで
あと少し
すれ違う
犬の散歩の女のひとと目があう
会釈して話しかけられる
犬じゃないけど
ポニー
連れて
いえ
連れられて
知らない人が
顔見知りになる
ああ、とんぼ
黒いね
オハグロトンボかな

ふるい仕事仲間のライター
中村数子さんは海峡を渡る自転車乗り
そのひとの投稿に
三輪だけれど練習し始めたんですとコメントしたら
「がんがん乗ってください
自転車は背中に翼を授けてくれます」と
いつか
そんなふうに乗れるかな
ポニー
ひひんと鳴かない馬は
翼を隠し持っているのかな

梅雨が明けようとしている
ユウキが追いかけてくる

 

 

 

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