ミツイパブリッシング刊・長田典子著『錨氷』を読んで

 

佐々木 眞

 
 

 

題名の「錨氷」という言葉を知らなかったので、ネットの『ブリタニカ事典』で検索すると「びょうひょう」と読み、固着している氷のこと。「底氷」ともいうらしい。

しかし本書の終りの方に、作者自身による丁寧な説明があった。

「極寒に流れる川底の石に、氷の始まりである直経一ミリにも満たない円形の晶水が張り付き、錨氷となる。錨氷は朝日で剥がれて川の流れに乗り、やがて川は一面、厚い氷で覆われる」。(P137)

さて徐に本書を紐解いてみよう。

するといきなり「旅に出ろ。旅に出ろ。旅に。出ろ。」と“耳の奥から届いた声”に動かされ、作者は先住民アイヌの住む北の大地へと向かうのである。

唐突ながら、ここで私は、かの俳人、松尾芭蕉を思い出した。

生涯を旅に明け暮れる中で俳諧の道を究めようとした芭蕉が、道祖神に突き動かされるようにして『奥の細道』の旅に出たように、作者もまた地道に勤め上げた小学校の教師を突然辞め、50代半ばにしてNYで2年間の学校生活を体験し、帰国後暫くしてから、今度は大学の博士課程で建築学を学び始まる、というような生き方をする。*

それゆえ、ここだけの話だが、私は長田典子という詩人は、現代の松尾芭蕉ではないか、とひそかに思っているのである。

それはともかく、今回の旅で、作者は北の大地を目指す。
そしてその先住民であるアイヌと真正面から出会うのだ。

―アイヌは和人の言葉で「にんんげん」という意味で
「にんげん」はアイヌの言葉では「アイヌ」で
アイヌは「アイヌ」だ。(p39)

そして未知の旅に限りなく高揚する心は、いつしかアイヌの女性になって和人に犯されたり、アイヌの男の恋人になって、なんかいも交わったり、愛する人の子をどっさり産んで、エゾイチゴ、ヤマブドウの生るアイヌの沃野にその身を埋めていく。

いつしか「マリモの、ヒメマスの、イトウノ、カワシンジュの、それらすべての物語」とひとつになった作者は、「広い大地を自由に移動し自然とともに生きた人々の物語」を口ずさみ(P89)、樺太アイヌの弦楽器トンコリを弾いたりもする。

最果ての地、網走に生まれ育った『無知の涙』の著者にして元死刑囚の永山則夫、そして日本国籍がないのに日本兵として徴集され、シベリアで10年近く重労働を強いられた樺太生まれの北方少数ウイルタ民族の北川源太郎ことダーヒンニェニ・ゲンダーヌも俄かに呼び出され、作者の熱い、熱い抱擁に包まれる。

―「この血よ騒げ!
もっともっと騒げよ!
忘れるな
おれたちはウィルタだ!」(P126)

そうして熱量に満ちた極寒の地からやまとに戻った作者は、故郷にそっくりの佇まいの福島県大沼郡昭和村を経て、ダムの底に深く沈んだ今は亡き懐かしい不津倉(ふづくら)集落へと舞い戻り、ル・クレジオのように「きっとわたしも先祖の顔や仕草を引き継いでいるに違いない」と呟いて、長い長い螺旋状の旅の終わりを静かに告げるのである。**

これは、詩とエッセイが渾然一体となって、新しい旅と、新しい自分、新しい世界との出会いを力強くうながしてくれるような、そんな奇跡的な1冊である。

 

*長田典子著『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(2019年、思潮社刊)第53回小熊秀雄賞受賞
**長田典子著『ふづくら幻影』(2021年、思潮社刊)

 

 

 

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