だらだらきらきらした生の断片
左川ちかの散文作品について

 

辻 和人

 
 

  2022年4月、夭逝した詩人左川ちか(1911-1936)の全集が書肆侃侃房より刊行された。左川ちかの研究家である島田龍氏が編纂した本で、詩だけでなく、翻訳・エッセイ・日記・書簡の全てが収められている。左川ちかは長らくまとまった形の作品集が入手困難な詩人だった。その全貌が明らかになったことはとても嬉しい。
  左川ちかの詩は鋭角的な語法で激しい情念をうたっているものが多い。左川ちかは萩原朔太郎と北園克衛という、対照的な作風の詩人から同時に高い評価を受けた。萩原朔太郎は濃厚な自我意識を全面に押し出して近代詩を革新した詩人であり、北園克衛は作者の自我から遠く離れて言語の純粋な美の形を追求した詩人である。左川ちかは、この二人の先輩詩人から最良の部分を受け継ぎ、総合した詩人と言えるのではないかと思う。左川ちかの詩は、孤独な自我の悶えをテーマに据えつつ、それを説明的な言い回しで直接的に表現すること避け、即物的な乾いたタッチで間接的に表現した。萩原朔太郎にしてみれば、形式を重視するモダニズムの詩の登場によって自分が過去の人になったかのような想いに囚われていたところ、自分が追求していた主観的な内面表現を新しいモダニズムの語法で表現する人が現れたことで、後継を得て救われたような気持になったのではないだろうか。北園克衛にしてみれば、自分が古いものとして捨て去った自我の告白というテーマが、自分が切り開いた語法で瑞々しく蘇るのをまのあたりにして、目から鱗が落ちるような想いがしたのではないだろうか。

  左川ちかの代表作として次の2編をあげる人は多いだろう。全編を引用してみる。

 

   昆虫

 昆虫が電流のやうな速度で繁殖した。
 地殻の腫物をなめつくした。

 美麗な衣裳を裏返して、都会の夜は女のやうに眠つた。

 私はいま殻を乾す。
 鱗のやうな皮膚は金属のやうに冷たいのである。

 顔半面を塗りつぶしたこの秘密をたれもしつてはゐないのだ。

 夜は、盗まれた表情を自由に廻転さす痣のある女を有頂天にする。

 

   海の捨子

 揺籃はごんごん音を立ててゐる 真白いしぶきがまひあがり 霧のやうに向ふへ引いてゆく 私は胸の羽毛を搔きむしり その上を漂ふ 眠れるものからの帰りをまつ 遠くの音楽をきく 明るい陸は肩を開いたやうだ 私は叫ばうとし 訴へようとし 波はあとから  消してしまふ
 
 私は海に捨てられた

 

 「昆虫」は得体の知れないエネルギーに充ちた都会の夜をテーマにしている。華やかであるが非情であり、そこに住む無数の人々の孤独を内包している、という風に読める。「海の捨子」は不幸な境遇に陥ってもがき苦しみ、他人に助けを求めるが、その甲斐もなく遺棄される残酷さを描いている。「電流のやうな速度で繁殖した」「揺籃はごんごん音を立ててゐる」のような、動きを大胆に感じさせるダイナミックな表現に驚かされる。逐語的に日常的な意味が取れる詩ではないが、全体として何を言わんとしているかは一目瞭然である。飛躍の多い奇抜な比喩を連ねていても、それがどんな感情を表しているかの指示が明確であり、読者を迷わせることがない。むしろ平易な詩であり、時代を超えた普遍性がある。そこが死後90年たって今なお彼女の詩が読まれる所以だろう。左川ちかの詩の革新性は、萩原朔太郎が切り開いた孤独な自我の告白というテーマと北園克衛が切り開いた抽象的で即物的な表現形式の、高度な総合という点にあるのではないだろうか。

左川ちかの詩はこの二編のような、意味内容の面でも形態の面でも、鋭角的に振り切れたものが多い。しかし、『左川ちか全集』に収録された散文作品を読むと、左川ちかには詩で見せるのとは違った顔があり、それも独自の魅力を湛えていることがわかる。

 
 

 貝殻を一杯もつていたことがありましたが今ほしいと思ひます。葉巻の空箱に、長い間かかつてためたのを。赤いのや、丸いの、尖つたの、みんなやつてしまつた後なのに。
 幾年か昔に逆戻りしさうに海がなつかしくてたまりません。地面があがつたり下がつたりしてゐるように思はれる潮鳴り。白い波頭をおしたてて進んで来たり、ずつと引いて行つた後のしめりや、荒れて、荒れて、ゴンゴンと音が続いて、いぶきが霧のやうに重くかたまつて、いつも砂浜に立ちこめてゐましたけど。
       「冬の日記」より

 
 阿部さんは硝子に詩を書く。太陽の下で、それは童話風なきらきらひかつた破片となるでせう。そして一つづつがギリシヤの夜を飾るために、透明な花弁となって咲いている。宝石のやうな、統制された花弁が、夜の胸に輝く時、私はあまりまばゆいので目をつむる。すると瞼の暗がりの中で美しい影の配列を見ることが出来る。
 触れると指が切れそうだ。
       「水晶の夜」より

 
 

 身近な出来事を、ふと抱いた想像の広がりを、柔らかで穏やかな雰囲気の中にも、飛躍のある比喩を使いながら生き生きと描く。まるで印象派の音楽でも聴いているかのようだ。色彩感豊かな文体に、その時その時の無防備な心の動きがきわどく記録されている。詩では余り見られない佐川ちかの横顔である。詩においての左川ちかが現代芸術の先端たらんとする野心に溢れているとすれば、散文作品での左川ちかはその野心を脇に置いて、彼女が日々の生活で感じたことを丁寧に楽しく記すという態度に徹している。
 左川ちかの年譜を読むと、彼女が早くから文学に対する関心を示し、語学力の向上に努め、詩人との交流に熱心だったことがうかがえる。師とも恋人ともつかぬような伊藤整との関係も、文学で身を立てたいという彼女の意志から始まったように思う。病に阻まれてしまったが、翻訳家として仕事をしながら、詩壇で認められ、ゆくゆくは小説も書いて文筆家として自立するというのが、彼女の人生設計だったのではないだろうか。左川ちかは西欧の最先端の文学を真剣に学び、その成果を吸収して自作に反映させた。単なる真似に終わらず、自身の内なる感情を濃密に描き尽くしたところにオリジナリティがあった。
 しかし、散文ではそうした気負いがなく、平常心が素直に語られている。その素直さは、語られた内容にとどまらず、彼女の言葉の選び方の嗜好を遠慮なく表に出したところにも出ている。そこに、左川ちかという人の人間の核を見るような想いがするのである。
 「冬の日記」では、彼女が生まれ育った北海道の光景を、言葉を尽くして描いている。描写は非常に細かく、動きに満ちている。実景でもあり心象風景でもある、そうした光景を筆によって蘇らせることを楽しんでいる。ここでうかがえるのは、萩原朔太郎が描いたような都市空間の中での孤独ではなく、手つかずの大自然に包まれた人口の少ない地域の孤独である。孤独は日常の中に当たり前のものとしてあった。荒れた海の前に佇んでいたひとりぼっちの自分を、懐かしく思い出しているのだ。「水晶の夜」は、「阿部さん」(阿部保だろうか)の詩の感想であるが、詩を読んで得た感覚を、イメージの移り変わりに結晶させている。詩の批評ではなく、読後の感覚の変化だけを自由気儘な筆致で描いていることが特色だ。

 
 アベツクの時、あなたは彼氏の左側になりますか、それとも右側にきますか。どちらでもいいとしても、信頼せる彼氏である程シヨウインドのある側へ並んで散歩なさいませ。退屈な時に、またさうでない時に、これ程賢明な方法はないでせう。そして独りぼつちの時には出来るだけ迅速に歩くこと。たん念にウインドを覗いてゐるなんておよそ馬鹿げた仕草に見えます。
       「Chamber music」より

 
 私は花屋とお菓子屋の店先でまるで反対な感覚を持ちます。カーテンをあげたばかりの硝子のフレエムの中に咲くスヰ―トピイやカーネーシヨンやバラを見てゐると、とてもおいしさうで食べたくなるのです。お菓子屋のデコレーシヨンを見るとそれが花園の中の赤い花で黄色い花粉が散つてゐる、といふ風に考へてしまいます。
       「春・色・散歩」より

 
 
 これらの作品は、都市での消費生活を楽しむ若い女性の生活感覚が、ひねりの効いたユーモアでもって、活写されている。私はこのお洒落な浮遊感がとても素敵だと思う。日々の生活を楽しもうとする作者の本音が等身大で語られていると思うのである。このいたずらっぽい軽さや明るさは、詩作品では読むことができない。
 より論理的な組み立てがなされた作品も読んでみよう。

 

 眼鏡をかけてゐるといふことは物をはつきり見るためではなかつた。つまり顔の幅だけで物をみてゐると、現れてゐる事柄だけに錯覚を感じそのものがどんな拡がりを持つてゐるのか、どんなふうに湿潤してゆくかを知る前に現象それ自体の火花にごまかされてしまふ場合が多い。見ることは結果を知るのではなく、現象の中の一部分の終りに達するためである。こんなことを考へながら麦畑の中を歩いて行く。戦ひとつたやうに生々(いきいき)と伸びている麦が黒い土地をくまどつて白く輝いてゐる。五月の太陽は今の日本の詩人たちにとつては少し明るすぎるのではないだらうか。
 <中略>
 眼鏡をはづした時のぼんやりした風景の中にも明瞭な美しさがあり、眼鏡をかけてゐる時ははつきり見えるものの中にも、ぼんやりしたよさがあるのに、誰れもが、たつた一つの鏡を覗いて、黒白をきめなければならないと考へることはおろかだ。
       「「樹間をゆくとき」より

 

 視覚についての考えを述べたもので、視覚は、単一の客体として与えられるものではなく、見る人の主観によって揺れ動き、多彩な表情を浮かべるものであることを主張している。論の骨子自体はそう珍しいものではないだろう。しかし、左川ちかはそれを、眼鏡をかけている自分が麦畑の中を歩く、という身体的な体験を通して語っている。そこがユニークだ。その体験の中で、五月の太陽は詩人にとって明るすぎる、という突飛な思いつきが生まれてくる。その認識を、話し言葉とは異なる「心の言葉」としての詩に対する考察につなげる。作者はやがて林の中に入り、「火の消えない煙草の吸殻」を踏みつけるという体験をする。「自然の断続」の中に「人為的なもの」を見つけてしまうのだ。人が踏み入る以上、自然はそのままの姿ではいられない。自身も人であることは逃れられない。そこから具体名をあげながら幾人かの詩人たちに対する想いが述べられる。人は人を連れてくるものなのである。最後の部分が面白い。

 

 樹木はだまつて立つている。千年の年月のために、時間を克服するかのやうに。純粋といふことは水とビールの違ひではなかつた。私は樹の間から空の見えないことを息苦しいと思つた。

 

 詩人たちのことを考えた後、作者は古い樹木の前に佇む。そして「純粋」という概念について考えを巡らせるのである。視覚は、純粋な客観的対象そのものではあり得ず、人と自然の混淆物でしかない。そのことを「息苦しい」と表現して終わる。抽象的に論理を展開するかに見えて、自身の身体と身体を包む外界の具体的な在り方に注意を向けざるを得ない。思考は身体とともに在り、引き離すことができない。「水とビール」のように、違う性質のものと言い切ることができないわけだ。

 左川ちかの散文は、突飛な比喩と飛躍のある展開に満ちている。作者自身はこれらを詩とは考えていなかっただろうが、意味を直截伝える一般的な散文とは全く異質であり、散文詩と言って良い程だと思う。いや、むしろ散文詩として読むのがふさわしい。そこに描かれているのは、だらだらきらきらした生の断片である。これは、詩作品が扱いきれなかったものだ。左川ちかがもう少し長く生きていたら、この特質を、行分けの詩にも生かしていたに違いないと思うのである。それは、散文の要素を豊富に吸収した、21世紀の現在書かれている詩を予言するものになったのではないだろうか。詩では、緊迫した心理状態を高度に凝縮された比喩を用いてドラマティックに描いていたが、散文の左川ちかは、緊張のほどけた等身大の日常の個別の表情を、時には笑いを交えて繊細に描くことができた。『左川ちか全集』の「詩編」のパートの最後に置かれた詩はそんな詩である。

 
 

   季節

 晴れた日
 馬は峠の道で煙草を一服吸ひたいと思ひました。
 一針づつ雲を縫いながら
 鶯が啼いております。
 それは自分に来ないで、自分を去った幸福のやうに
 かなしいひびきでありました。
 深い緑の山々が静まりかへつて
 行手をさへぎつてゐました。
 彼はさびしいので一声たかく嘶きました。
 枯草のように伸びた鬣が燃え
 どこからか同じ叫びがきこえました。
 今、馬はそば近く、温かいものの気配を感じました。
 そして遠い年月が一度に散つてしまふのを見ました。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です