ピコ・大東洋ミランドラ
カミナリの音が聴こえる
夜が明けて朝になった。
今日も、
朝が来た。
カミナリが鳴っている。
こんな朝早く鳴っている。
ピカッと光って、
ドドーンと驚くほど近くに落ちたような音だ。
犬のモコも目を覚ますだろうと隣の部屋のわたしは心配です。
モコはカミナリや花火の音が怖くて怖くて、
ブルブルと震えるのです。
今日は、嵐になるのだということです。
世界でもコロナが吹き荒れている。
新型コロナウイルスの感染者が世界で、200万人を超えたと朝刊の記事にあった。
日本では感染者数が8,000人を超えたのだという。
パンデミックというのですか。
パンデミック(英: pandemic)の語源は、
ギリシア語のpandēmos (pan-「全て」+ dēmos「人々」)だという。 * 1
感染症が世界中に流行することをパンデミック、世界流行というのだという。
日本や世界中で医療関係者が、
このウイルスに感染した人々を救うために尽力している。
日本では、4月16日、全国に緊急事態宣言の対象が拡大された。
この国の首相が指示し466億円かけて各戸に2枚の配布が決まった布製マスクが、届きはじめた。
マスクが小さいではないかという問い合わせがあるようなのだが。
アメリカの金髪の大統領は、
世界保健機構(WHO)が「中国寄り」だとしてWHOへの拠出金支払いの停止を表明したという。
いまやアジアやアフリカや世界の新興国にも感染症が拡がり、
世界中が大変な時に、アメリカの大統領は自国のために世界を分断しようというのだろうか?
新型コロナウイルスに対応する医薬品や医療機器の開発や製造は先進国が行っている。
それらを各国と共有できなかったらどうなるのか?
自国第一主義は世界に混乱を生むように思える。
食料やマスクや医薬品や医療機器の輸出規制など、これからの政策が心配だ。
また、今、日本では種苗法改正法案が国会に上程されている。
外国の巨大資本に種子が独占されるのではないかという危惧が日本の農業現場にあるようだ。
カミナリの音はもう聴こえなくなった。
雨音が聴こえる。
窓ガラスに雨粒が音を立ててぶつかり流れている。
窓の向こう、
西の山が雨に煙っていて頂上が見えない。
ここのところわたしは自宅でモコと三密状態です。
外出から戻ったら必ず手を石鹸でよく洗います。
犬のモコにコロナを感染(うつ)したらかわいそうだからです。
帰宅したら飛びついてくるモコをそのままに、
手を洗ってから、
モコを抱きしめます。
それからソファーに行くとモコはわたしの膝の上から大きな瞳で見つめ返します。
しばらくそうしていると、
モコは安心して眠ってしまいます。
モコも、もうだいぶ年を取りましたからね。
モコを見ているとテミちゃんを思いだします。
テミちゃんはいとこのお姉さんでした。
小学生の一年か二年の頃に遊びに行くとテミちゃんのふんわりとした話し方に子どものわたしは魅了されたのでした。
テミちゃんは顔つきも体つきも白くぽっちゃりとしていて、
絵が上手で、
とてもゆっくりふんわり静かに話すお姉さんでした。
あ〜こんなにゆっくりふんわり話して、いいんだ・・・。
そう、子どものわたしが思ったことを今でも憶えています。
それからそのことを大切に思ってきました。
いまでも思っています。
わたしが青年になり大人になり社会に出てみたら、
そのゆっくりふんわりを大切とする人はほとんどいない事に気付きました。
世の中は、とにかく早く処理することが大事なんだなあ!とショックでした。
勉強も仕事もそうでした。
ゆっくりふんわりなんかまったく大切にされていませんでした。
わたしは、
二十歳を過ぎて、
東中野にある木造の建物の中の詩の教室に通い始めました。
そこには鈴木志郎康という詩人がいました。
その詩人は私たちの詩をひとつひとつみんなの意見を聞いた後に講評してくれるのでした。
青年のわたしは、やっと素敵な大人に会えたと思いました。
その詩人が「徒歩新聞」という冊子をたまにくれました。
表紙は赤瀬川原平という人がイラストを描いていて、
舗装されていない野原の道路のようなところを下駄と靴だけが歩いているようなイラストでした。人がいないのです。
表紙を開くと扉に、毎号、同じような歩行についての言葉が並んでいました。
“トボトボと歩いている。散歩するという気分でもなく、歩いていると、気もそぞろになって、躓いてしまうということがある。躓いてしまったときの、あの心理というのは、これは面白いものだ。・・・・” * 2
わたしはやっとテミちゃんに似た大人を見つけたのでした。
それからその詩人の詩の真似をはじめました。
そして、それから、ずっと詩を書いてきました。
いやいや、少し、休んだりしながら、トボトボと詩を書いてきました。
今回の新型コロナウイルスの流行が終わって、生き残っていたら、
また、ずっと詩を書いていきたいと思っています。
テミちゃんはどうしているのかな。
もう、おばさんで、孫がいて、おばあさんかもしれないな。
世の中、呆れて物も言えないことだらけです。
わたしのところにはまだ二枚の布製マスクが届いていません。
でも、この世の中には、
わたしの知らない”ゆっくりふんわりした人”が、たくさんいるのだと思います。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「ウィキペディア」より引用しました。
* 2 「徒歩新聞」20号より引用しました。