あきれて物も言えない 06

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

竿を出してみた

 

先週の金曜日だったか、
竿を出してみた。

竿を出すのは、二年ぶりくらいだろうか?

以前に通った海浜公園の下にある釣場で竿を出してみたんだ。
ここでは黒鯛を釣ったことがある。
メジナもたくさん釣った。
大きなボラも釣れたことがあった。
ボラは釣れると横に走って引きが楽しいが釣場が荒れるので釣仲間には嫌がられてしまう。やっとタモですくいあげても直ぐにリリースする。

この釣場では、以前、ひとりの漁師のじいさんが釣りをしているのを見かけた。

じいさんは、いつも、グレーの作業服とズボン、グレーの作業帽子で無精髭を生やしていた。
釣り人は道具にこだわる人が多くいる。
とんでもなく高価な竿や道具だったりする。
でも、そのじいさんは延べ竿一本で、タモも持たずに、撒餌もしなかった。
自作の浮子を浮かべ、餌は練餌だけで、メジナを狙っていた。
たくさん釣れるわけでもなく、シンプルな仕掛けだけで、メジナを狙っていた。

まわりにはメジナを釣ろうと釣り人たちが撒餌を散々に撒いて釣りをしているのだ。
その隣りでそんな単純な仕掛けでメジナが釣れるわけがないのだ。
だけど、そのじいさんは、いつも、そんな仕掛けで、メジナを狙っていたんだ。

いつだったか、
じいさんは赤灯台の突堤で釣りをしていて海に落ちて死んだと、
他の釣り人から聞いた。

じいさんはもう釣りをしていないのだ。

さて、そんなことを思い出しながら、竿を出してみたのだ。
じいさんの真似をして、浮子と練餌だけで狙ってみた。
金曜日に竿を出すというのは、
人がいない時に狙った方が撒餌もなく魚も空腹になっていて釣れると思えるからだ。
金曜日の午前に釣りをしている者はほとんどいない。

しかし、海は荒れている。
波は荒く、浮子が上下して、釣りにならない。
ほんとは海中で餌を安定させなきゃいけない。
餌が波の上下で不自然に動いたら魚だって食ってくれないだろう。

荒れた海を見ながら何度か竿を出してみる。
浮子がどんどん波に流されてしまう。
浮子が波間に揺れるのを楽しみながら目で追うのは味わいがある。
波は一つとして同じではなくその波の中を浮子が流されていくのを見るのは楽しい。
やはり今日は釣れないと思う。
それでも竿を出すのは楽しい。
そこに海があり、波があり、テトラポットがあり、その中に、風に晒されて名前のない釣り人がいる。

今朝の新聞で、大阪豊中市のアパートで、孤独死した独居老人の記事を読んだ。
その老人は奄美群島の加計呂麻島の出身で、金の卵として集団就職で関西にやってきたのだという。
はじめに船会社で船員になり、それから阪急梅田駅近くのパチンコ店で住み込みで働き、店が潰れたあと、土木仕事で転々としたそうだ。
60年代後半は大阪万博に向けた工事の仕事があったのだったろう。
万博が終わった後には、釜ヶ崎などには吹き溜まりのように労働者たちが流れ着いたのだろう。

このように孤独死して死後2日以上経過して発見された独居老人は2011年には2万7千人いたのだと民間調査機関の数値を新聞記事は示していた。

戦後、石炭から石油へのエネルギー転換があり、大阪万博があり、急速な工業化があり、原発推進もあった。
国策だった。
官僚がこしらえた政策だった。
その国策の流れの中に日本があった。
日本の都市も、農村も、漁村もあった。
その国策の中に、金の卵たちや出稼ぎ労働者たち、炭鉱労働者たち、満州引揚者たち、在日の人たちもいて、農村の崩壊と離農があり、水俣があり、原発推進も、安保闘争も、三里塚闘争も、あったのだろう。

いま、日本の明治以降を振り返る時に、はっきりと見えることがある。

大きな国策という流れの中で最底辺の者たちが最後の最後まで利用されて使い捨てられているということだ。
いまや外国人労働者たちもその最底辺に組み込まれようとしているわけだろう。

国策という流れはいまも変わっていないと思える。
アベノミクスという強者たちに都合の良い政策が国策として進められているように思える。

もう一度、海を見ていた。
荒れた海の波間に浮子は激しく上下して漂っていた。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 05

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

大風は過ぎていった

 

台風19号はわたしの住む静岡に上陸して、長野、新潟、神奈川、東京、千葉、埼玉、群馬、茨城、栃木、福島、宮城、岩手と、大変な被害をもたらして、いった。

その日は台風が上陸すると聞いていたので物干し竿を下ろして雨戸をすべて閉めて、
女と喪中葉書の絵柄や言葉を選んだりしていた。
昼前から強い風が吹いてガタガタ雨戸を揺らした台風は夕方にこの地域に上陸して過ぎていった。
夜中に何度か近所の小川の水嵩を二階の窓から覗き込んだ。
小川は増水して土手まで届きそうな濁流となったがなんとか土手を超えることはなかった。
たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだろうと思える。

原発のある福島は大丈夫なのだろうかと思った。

翌朝、台風は過ぎて、晴天となった。
ニュースでは大変な被害が各地から報告されはじめていた。

秋田の姉からは「近くに川があったけど、だいじょうぶ?」とLINEが届いた。

長野や神奈川、東京などにいる知人に無事を確認してみた。
千曲にいる詩人はなんとか無事とメールをくれた。他のみんなも大丈夫と返事をくれた。

それで、女とわたしは朝早く、地方巡業の相撲を見にいったのだった。
晴天の空の下を車を走らせ隣町の体育館に向かっていた。
台風の大量の雨に空気が洗われていつもよりも街や山々は綺麗に見えた。

体育館前の行列に並んで、女と”向正面ペアマス席”というところに座った。
正面は北側で「貴人は南に面す」といって貴人が座る場所なのだそうです。
正面の反対側の向正面から見ると行司の背中と尻が見えて相撲の取り組みは見えにくいわけなんですね。

公開稽古といって幕下以下の力士たちが廻しだけの裸で稽古をしている。
力士が先輩力士に何度も挑んでいた。何度も何度も投げ飛ばされては起き上がっていた。
擦りむいたり、鼻血を出したり、転んだり、土俵下に落ちたりしている。
裸の背中や胸が汗で光っている。

花道の近くに大栄翔がいた。
大栄翔は女とわたしが応援している力士だ。
大栄翔の横に並んでいる女の写真を撮った。
少女のようにはしゃいでいる。
相撲の絵の座布団にサインまでもらっている。

この前の両国にも見に行ったが大栄翔は横綱鶴竜を破ったんだ。
見事な勝ち方だった。
座布団が飛んだ。

大栄翔は負けるときは簡単に負けるけど、
かわいいのだ。

公開稽古が終わると、
幕下以下の取組が始まる。
その後に、十両の取組、幕内の取組とつづく。

幕内の取組で、大栄翔はやっと登場する。

女が横で、だいえいしょう〜! だいえいしょう〜!と声援していた。
今回も大栄翔は千代大龍と闘い勝った。

勝つと、うれしい。

勝つと嬉しいが、
勝った力士も負けた力士も花道を帰ってくる。

力士たちは様々の表情をして帰ってくる。

それはそうだ、力士たちも、勝って上のクラスに上がらなければ惨めな生活が続くのだろう。
ライバルを蹴落としてでも上に行く気持ちが必要なのだろう。
相撲では物凄い気迫と形相の睨み合いとなる。
大栄翔はその丸っこい顔にあまり物凄い気迫と形相を見ることがない。
それで横綱に勝ったり、ライバルに簡単に負けたりする。
その辺りが面白くて可愛いのだ。

大栄翔はジャンルの中でプレーしているがジャンル以前に個人なのだろう。
この世にはそのようなヒトたちがいる。
画家や写真家や音楽家、詩人などもその部類だろう。

大風は過ぎていった

その下に相撲やラグビーを楽しんでいるヒトがいる。
その横に台風で避難しているヒトたちがいる。
今朝(2019年10月7日)の新聞によると死者78人、不明15人、避難者4,200人ということだった。
被災され避難されている方々はこれからの避難生活や家の片付けなどで疲労が溜まって行くのだろう。

わたしの地域は、たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだと思える。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 04

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている

 

もう2ヶ月が過ぎようとしている。

2ヶ月ほど前に表参道のスパイラルというところで自分の詩について話したのだった。
2時間くらい話すようにということだったのですが2時間も話すことは自分にはないなあと思えてその日まで憂鬱だったのだ。
自分の憂鬱はしょうがないけど来てくれる人まで憂鬱にしたら申し訳ないとも思ったのだ。

「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」という演題だった。

自分の詩について話すよりも自分がどのような詩に関わってきたのか、
どのような詩が素晴らしいと思って生きてきたのかを話す方が他者にはメリットがあるのではないかとも思ったのだ。

それで東京に向かう新幹線の中でノートパソコンに向かいレジュメを作ったのだった。
会場ではレジュメ通りに進めた。
松田朋春さんが司会をしてくれたので安心でした。

18歳の浪人だった頃に読んだ西脇順三郎の「茄子」という詩をまず朗読してみたのだ。

それから22歳の頃、東中野にある新日本文学の鈴木志郎康の詩の教室に通っていた頃に読んだ鈴木志郎康の「わたくしの幽霊」という詩集から「なつかしい人」という詩を朗読したのだ。

また、最近、発見した谷川俊太郎の「はだか」という詩集から「おばあちゃん」という詩を読んでみたのだ。

金子光晴の詩が入っていないのは片手落ちだったかもしれないが、
どの詩もわたしが書きたくても書けないような詩なのだ。

 

「茄子」

私の道は九月の正午
紫の畑につきた
人間の生涯は
茄子のふくらみに写っている
すべての変化は
茄子から茄子へ移るだけだ
空間も時間もすべて
茄子の上に白く写るだけだ
アポロンよ
ネムノキよ
人糞よ
われわれの神話は
茄子の皮の上を
横切る神々の
笑いだ

 

「なつかしい人」

わたしの遺影の前には
パイプと煙草がきっと置かれるだろう
そんなふうな
気遣いをしてくれる人が
一人ぐらいはいるだろう
パイプをくわえて
薄暗い室内に座っていると
その人が急になつかしくなる
しかし、その人が誰なのかは
まだ生きている
わたしにはわからない

 

「おばあちゃん」

びっくりしたようにおおきくめをあけて
ぼくたちには
みえないものを
いっしょうけんめいみようとしている
なんだかこまっているようにもみえる
とってもあわてているようにもみえる
まえにはきがつかなかったたいせつなことに
たったいまきづいたのかもしれない
もしそうだったらみんなないたりしないで
しずかにしていればいいのに
でもてもあしもうごかせないし
くちもきけないから
どうしたらいいかだれにもわからない
おこったようにいきだけしている
じぶんでいきをしているのではなく
むりやりだれかにむねをおされているみたい
そのとききゅうにいきがとまった
びっくりしたままの かおでおばあちゃんは
しんだ

 

これらの詩をもう一度、今夜、読んでみた。

これらの詩には詩人が自身でありながら自己と他者を公平に見ることができる視線があるように思います。
自己と他者を公平に見る視線を持つということはなかなか高度な達成であると思います。

これらの詩に書かれている達成に比べたら、
わたしの生は自己に拘泥してきた生であったと思わずにはいられないです。
他人のことなど少しも考えもせずに自分のことや自分の利益だけを考えてきたのだろうと思わずにはいられないのです。

先週の金曜日には相撲の桟敷席のチケットを知人から頂いたので女と女の友人たちと蔵前の国技館に行きました。
国技館ではちゃんこを食べてから弁当を二つ食べてビールを二本を飲みました。
大好きな大栄翔が鶴竜を打ち負かして座布団がたくさん飛びました。
それから女たちと別れて浅草橋で荒井くんと飲みました。
それで荒井くんと別れて総武線と中央線に乗り、酔いつぶれて武蔵境まで乗り越して、
高円寺に戻って、広瀬さんと朝まで飲みました。
それから新宿のホテルまで戻りシャワーを浴びてすこし仮眠してから恵比寿の写真美術館で写真を見ました。
なにを見たのかよく覚えていませんが金髪の西洋の女性が土田ヒロミの写真を見てボロボロと泣いているのを見ました。
わたしは泣けませんでしたが土田ヒロミはいいなと思いました。
それから中目黒に向かい写真家のしどもとよういちさんと会い飲んだのでした。
しどもとさんは不思議で美しいひとです。
それでしどもとさんと別れて高円寺に向かいすこし飲み、新宿のホテルに帰り、風呂に入りすぐ眠った。
翌日、上原のユアンドアイの会で詩の合評をして、その後で、詩人のみなさんと飲んだのだった。
楽しかった。

よくもまあこんなに酒を飲むもんですねえ。

なぜか突然、思い出したのですが、
むかし、新潟にある坂口安吾記念館に一人で行ったことがありました。
記念館の奥の部屋に「菩薩」という大きな書が掛かっていた。へー、安吾、菩薩かあ!と驚きました。
あれは安吾の書だったのでしょうか?
その後で午後に羽越線に乗り羽後本荘に向かいました。
車窓からずっと夕方の日本海と浜辺に並ぶ漁村の景色を見ていました。

いまはいない義兄が羽後本荘駅で待っていてくれました。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 03

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

敗戦の日なのだ

 

昨日は終戦の日だった。
太平洋戦争が終わり74年が過ぎたわけです。

敗戦の日と言ってもいいのでしょう。

夏になりますと戦争ということが思い出されます。
人の死ということが思われます。

昨日、8月15日の全国戦没者追悼式での新天皇のおことばが、
今朝、新聞の一面に掲載されています。

“本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。”
(2019年8月16日 朝日新聞 朝刊より引用)

戦争により死んだ、あるいは傷ついた、日本人と世界の人々に、これらの言葉は届くでしょうか?

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
という誓いと祈りを大切にしたいとも思います。

 

人はいつか死ぬんでしょうけれど、
戦争というのは国の命令で人が敵国の人を殺したり殺されたりするわけなんでしょう。

ウィキペディアで「第二次世界大戦の犠牲者」を調べると第二次世界大戦の死者数は5000万〜8000万人ということです。

※参照ウィキペディア「第二次世界大戦の犠牲者」

これは傷病者を含まない死者数だといいます。

日本では約312万人の死者数で、軍人が212万人、民間人が100万人が死んでいるということです。

朝鮮(日本統治)では民間人死者数が約48万人、軍人は日本軍の数字に含まれるようです。
中国(中華民国)では約1,000万人〜2,000万人の死者数で、軍人が約400万人、民間人が約1,600万人、
フィリピンでは約105万人の死者数で、軍人が約5万人、民間人が約100万人、
インド(イギリス領)では約258万人の死者数で、軍人が約8万人、民間人が約250万人、
東インド(オランダ領)では民間人の死者数が約400万人、
インドシナ(フランス領)では民間人が約150万人、死んでいます。

ドイツでは700万人〜900万人の死者数で軍人が約550万人、民間人が約350万人、
ソビエトでは2,180万人〜2,800万人の死者数で軍人が約1,385万人、民間人が約1,800万人、死んでいます。

また、
イギリスでは約45万人の死者数で軍人が38.3万人、民間人が6.7万人、
アメリカでは約41.8万人の死者数で軍人が41.6万人、民間人が1,700人、死んでいます。

これらの死者数の単位は万人です。
アメリカの民間人の死者数以外は全て単位は万人なのです。
死者は一人一人で死んでいったでしょう。
単位が万人とはじつに大雑把です。
約1万人の死者の姿さえ想像することができません。
約5000万〜8000万人という死者の姿など想像できません。

日本人が310万人死んでいる。
朝鮮の民間人が48万人死んでいる。
中国人が2,000万人死んでいる。
フィリピン人が105万人死んでいる。
インド人が550万人死んでいる。
インドシナ人の民間人が150万人死んでいる。
ドイツ人が900万人死んでいる。
ロシア人が2,800万人死んでいる。
イギリス人が45万人死んでいる。
アメリカ人が41.8万人死んでいる。

それ以外の国の人びとも死んでいる。

また、この数以上に恐らくは傷ついた人たちがいる。
国から捨てられた人たちがいる。
慰安婦にされた少女たちもいる。

人類はこんなことをまたいつか繰り返すのでしょうか?

わたしの母の母、祖母は、一人息子、わたしの叔父を沖縄の戦いで失いました。
祖母は大切な一人息子を「天皇陛下万歳」と言って送り出したのでしょう。
老いた祖母が着物姿で庭の生垣の野ばらの白い花を窓越しから眺めていたのを思い出します。
いつまでも灰色になった眼玉で野ばらの白い花を見ていました。

日本人の多くが戦争を体験しました。
ほとんどの人びとは天皇の名の下に戦ったわけです。
世界の多くの人びとも国の名の下で戦ったのでしょう。
戦闘だけでなく病気や飢餓、大空襲、各都市での空襲、沖縄戦、広島の原爆、長崎の原爆、外地での敗戦による自決や暴力や殺害などなどを体験しました。

国や天皇の名の下に人は通常では犯罪となる殺人や暴力行為を大量に行ったのです。
いまやこの世界ではAIやロボットや小型化された核兵器による戦争までも行われつつあります。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 02

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

海の日なのだ

 

今日は海の日だったのかな。

この港町にも、
参院選の宣伝カーが回ってくるようになった。

候補者の名前が連呼される声は、
やかましいが、今回はやかましいとは言えない場合なのかな。

参院選の争点は、Y!ニュースの88,045人が回答したアンケート結果を見ると、
1)経済政策 33.2% 2)社会保障 26.3% 3)憲法改正 17.8% 4)外交・安全保障 9.6% 5)働き方 2.5% 6)子育て 2.4% 7)原発・エネルギー 2.2%
となっています。

選挙民の関心は、直近の自己メリットということなのでしょうか?
各政党は選挙民の自己メリットに訴えてくるのでしょう。

優先するべき「働き方」や「子育て」、「原発問題」、「憲法」など人間の基本的な問題が後回しになっている。

そう言えば、「経済で勝つ!」というコピーのポスターが数年前の町々には貼られていた。
それでその政党は勝ったのだった。その政党の選挙参謀は人々の自己メリットへの傾斜を見据えていて勝利したのだったろう。

人々は直近の自己メリットを生きている。

さて、海の日なのだ。
海には、魚たちやフナムシたち、亀たち、海豚たち、鯨たち、カモメたち、海鳥たち、貝たち、ゴカイたち、などなどなどがいる。

今朝の「天声人語」には島崎藤村の詩「椰子の実」が引用されていた。
<名も知らぬ遠き島より/流れ寄る椰子の実一つ/故郷(ふるさと)の岸を離れて/汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき)>

新聞には引用されていませんが、詩はやがて<我もまた渚を枕/孤身(ひとりみ)の/浮寝の旅ぞ>と藤村の心情が歌われる。

しかし最近は、椰子の実よりもプラスチックの洗剤容器、レジ袋、サンダル、ペットボトルなどが、浜辺には打ち寄せているのだろう。嵐の後などは浜辺にうずたかく堆積しています。
わが港町の浜辺だけじゃない。どこの浜辺でも似たようなものでしょう。

海は繋がってますからね、国を超えて繋がっている。

今朝の「天声人語」では、2050年には海に捨てられるプラスチックが世界中の魚の総重量を上回るという試算が述べられています。

海には、あまり自己メリットはないから、捨てちゃえ、ということでしょうか。
わが港町の突堤にも土曜、日曜にはたくさんの釣り人たちが集まります。
子どもを連れて釣りにきている若い夫婦もいます。
それで土日の休みが終わると突堤はゴミだらけになるんです。
そのゴミを常連の釣親爺たちが月曜日に片付けていたりしてるんですね。

わたしも以前は遊漁船に乗って釣りをしました。
それでコンビニ弁当やカップラーメンを食べたりしますと最後に船頭さんがゴミを集めて、
海にポイと捨てたりするのを見てしまうんです。

もう何も言えません。

たまたまわたしたちヒトに生まれちゃったのです。
ちょっとした遺伝子の組み合わせでヒトではなくわたしたちゴンズイやコノシロ、サヨリ、キュウセン、オジサンであったかもしれない。フナムシであったかもしれない。

一度、真夏の海に一人でボートで浮かんでいて、ウルメイワシの大群の上に浮かんでいたことがあります。

海がウルメイワシの背中で真っ黒になるんです。
サビキの仕掛けを海中に下ろすとウルメイワシはいくらでも釣れちゃうんです。
それでその海中をよく見ると無数のプランクトンが泳いでいるのです。
ウルメイワシの大群はそのプランクトンに集まっていたのでしょう。

海は生命のスープなのだと思ったのを覚えています。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 01

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

いい男は信用できない

 

このまえの夜、
高円寺のバー鳥渡で飲んでいたら、
離れた席からピコ・大東洋ミランドラ画伯が隣の席に座って、
わたしの似顔絵を描いてくれた。

なんだか下ぶくれしたメガネをかけたおじさんが描かれている。
わたしなのである。

あきれた。

似顔絵なのにこんなに正直に現在のわたしを描くのであるか!
この画伯には礼儀というものがないのか!
もうちょっとロマンスグレーの素敵おじさんに描いてよと内心では思った。

だが、もう生涯ない。
否、しょうがない。

安い東名高速バスで港町から出かけて来て、
深夜に高円寺の飲み屋でクダを巻いて新宿のカプセルホテルに泊まろうとしている、
ダメダメなおじさんなのだ。
酒を嫌と言うほど飲んで安い焼き鳥を食って知らず知らずに下ぶくれのおじさんになったのだ。

さて、隣に座った画伯は、
なんだかにんまりとしてチャーミングである。

可愛いというのかな、憎めないというのか、
バカな奴というのか、
どこか少年のままというのかな、
そんな画伯なのだとわたしは睨んだのだった。

それでなにか一緒にやろうよとわたし、言った。
セクスとかじゃなくて、
も少し、疲れない、楽しい、なにかを画伯とやろうと思った。

で、
画伯に「あきれて物も言えない」というタイトルで絵を連載で頂戴して、
わたしが絵の解説を書いて、
浜風文庫に連載かなと思いました。

「あきれて物も言えない」という状態にはわたしは日頃あまりならず、
だいたい「ふ〜ん、そう」と思ってしまうタチですが、
「あきれて物も言えない」苦手意識を克服しようと思いました。

ですので、
意外と、
当たり前の当然について「あきれてしまう」ことになってしまうのではないかと心配しています。

最近では、
福島の除染で集めた汚染土を農地造成に再利用するとか、
廃炉に外国人を使うとか、
厚労省の年金運用が昨年の10月、11月、12月の三ヶ月で14.8兆円の運用損を出したとか、
この国の副総理・金融相が都合が悪い審議会指針を受け取らないとか、
その本人が自分の年金の受け取りがどうなっているか知らないとか、
米国の大統領は根拠ないがタンカーを攻撃したのはイランだと決めつけたとか、
普通にあきれてしまうこともたくさん聞こえて来てしまいます。

世の中、狂ってる、と、思います。

狂った大人たちがやってることを子どもたちは見ていると思います。
それで子どもたちも、あきれていると思います。

さて、話をもとに戻します。

昨日の深夜、
荒井くんと長電話したのでした。
荒井くんは、三十年来の、わたしの数少ない友人の一人です。

世間のこととか、美術のこととか、友だちのこと、などを話したのでした。
で、作家の話になり、
小川国夫さんのことに話が至ったときに、
いい男は信用できないと、荒井くんは言いだしました。

静岡だったら小川国夫じゃなくてブ男の藤枝静男だろう!と荒井くんはわたしに言いました。

ほう!
と思いました。

荒井くんは固く信じて言っているのです。
小川国夫ではなく藤枝静男なのだ!
ブ男の藤枝静男を激しく推挙する根拠がどこにあるのだろうか?

わたしは、ほう!と、
絶句し、
あきれたまま別れの言葉もおぼつかなく電話を切ったのでした。

 

作画解説 さとう三千魚