あきれて物も言えない 23

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

処理水 海洋放出へ

 

毎月、19日は義母の月命日で墓参している。
女と車で霊園に向かい墓前に花を活け線香を立てる。

紫の煙が香る。

もう随分、たくさんのヒトたちを失った。
墓前では、もうちょっと待っていてね、もうすぐそっちに行くからね、と、祈る。

父も、母も、兄も、義兄も、義母も、友も、あのコも、詩人のあの人もあっちにいってしまった。

ともに生きた人たち、好きだった人たち、りっぱに生きていた人たちが骨になり煙となった。
しかし、わたしの中で彼らは生きていて、たまには会話する。

そして、今を生きている、遠い、家族たち、あのヒト、あの詩人、友たちの無事を祈っている。
ソファーで犬の首を撫でている。
もう、随分、釣りには行っていない。

小舟も売ってしまった。

 

さて、
2021年4月14日、新聞朝刊一面に「処理水 海洋放出へ」* の見出しを見た。

東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出する処分方針を政府が決定したというのだ。
約一千基を超えるタンクに保管された原発汚染処理水、約125万トン、東京ドーム一杯分を海洋に放出するのだという。

確か、昨年の10月17日の朝日新聞の朝刊一面にも「処理水 海洋放出へ調整」と見出しがあった。
副題に「関係閣僚会議で月内にも決定」とあった。
それが、”月内”(2020年10月)には決定されずに、菅義偉総理が訪米しバイデン大統領と会談をする直前に決定された。
アメリカ大統領の承認を貰うためだろう。

海洋放出される原発汚染水は多核種除去装置(ALPS)で処理され、原発汚染物質はALPSで濾過され基準値以下まで下げられるが、ALPSで濾過できない放射性物質トリチウムは事故前の福島第一原発の放出の上限、年間22兆ベクレルを下回る水準にして30年以上をかけて放出するのだという。トリチウムの半減期は12.3年。トリチウムのベータ線は多様な海洋生物のDNAにダメージを与えるかもしれない。
海洋生物のDNAへのダメージは長い時間を掛けてわれわれやわれわれの子供たちに帰ってくるかもしれない。

処理水を海洋放出する前に、保管方法や処理方法の新たな開発、改善をこの国はできないのだろうか?

政府は「風評被害、適切に対応」* するという。
福島の漁民たちが震災、原発事故後に試験操業を開始し今年に終了させた10年の努力が無駄になるのだろうか。
海は世界に繋がっている。
大型の魚たちは世界の海を回遊している。
福島の漁民や日本各地の漁民、日本国民、近隣諸国や世界の人々はこの日本政府の決定に反発するだろう。

海に囲まれた島国の日本、
海の恵みを貰ってきたこの国の人々、
雨が、たくさん降り、雪もたくさん積もり、雨や雪は川となり、海に注ぐ日本という島国だ。
山々には豊かに樹木が繁り、雨が山々の養分を海に届けてきた。
何万年も続いた自然の豊かな循環なのだ。

戦後、原発は、政治家や官僚が作った「国策」によって、アメリカから移植されたものだろう。
わたしたちはTVで鉄腕アトムを観ながら育ったのだった。
安全なエネルギーと言われた原子力エネルギーがこれほどに日本国民を不幸にしてしまったことが残念でならない。
政治家と官僚に憤りをおぼえる。
敗戦後の政治の構図が、今、新たに明らかになっている。
原発も、防衛も、経済も、オリンピックも、コロナも、農民も、漁民も、サラリーマンも、人々は、この構図の中にあった。

魚は人と繋がっています。
魚たちはわたしたちと水で繋がっています。
魚たちはわたしたちの祖先であり、母であり父であり兄であり義兄であり義母であり友だちであり、わたしたち自身です。

トリチウムの半減期は12.3年だそうです。
どうか、海に、トリチウムを放出しないでください。
約一千基を超えるタンクに保管された原発汚染処理水のトリチウムは60年経てば半減を5回繰り返し現在の32分の1(3.125%)になるのです。

そこに小さな光が見えています。

 

この島国の日本から、この世界にとって取り返しのつかない事が起こりつつあるように思えます。
呆れてものも言えないが、言わないわけにはいかない。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* 朝日新聞 2021年4月14日朝刊より引用しました。

 

 

 

あきれて物も言えない 22

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

モコという犬と、女と、暮らしている

 

朝になった。
机の前の窓の障子を開けると雨が降っていた。

ガラスには雨粒があり西の山は雨雲に覆われて灰白色の雲の中にいるのだろう。
時々、強く雨は降ったりしている。

朝の散歩には行けないだろう。
モコと女は、まだ眠っている。

モコというのは飼っているわたしの犬のことです。

ペットショップから連れて帰ってきたんです。
モコは、ミニュチュア・ダックスフンドの赤ちゃんでした。
ペットショップの低い柵の中で他の兄妹たちが元気に遊んでいる柵の奥の隅で、
ちいさく震えていたのです。

その震えているちいさな子が可愛くて連れて帰ってきたのでした。

顔がクリーム色のハート形で、その中に大きな黒い瞳ふたつと黒い鼻がありました。
ハート顔の外側は暗い茶色で頭と耳がついていました。
その暗い茶色が背中まで続いてお腹がクリーム色の熊の赤ちゃんでした。
熊の赤ちゃんの丸い顔は一年も経たないで鼻がすらりと伸びて大きな瞳の少女になってしまいました。

モコは小さいので夏の暑い日や冬の寒い日には散歩が苦手です。
体が小さくて足が短いので夏の地面やアスファルトの熱さや冬の寒さに弱いのです。
でも車の助手席に乗ってドライブするのは大好きです。

ペットショップからモコを連れ帰ってもう12年が過ぎました。
モコの仕草や吠え方でモコの言うことはほとんど理解できるようになりました。
モコもわたしが外出することを日本語で伝えると理解して仏壇の前の座布団に行って眠るようになりました。
仏壇は女の母の仏壇です。
義母が亡くなった時、義母の枕元にいてモコは義母の顔を舐めていました。
犬が舐めるというのは愛の行為なのです。

小さくてか弱いモコも少女になり、もう12年が過ぎて、おばさんになってしまいました。
でもわたしには、いまも、可愛い”少女”のように思えてしまうのです。

少女のように可愛い”おばさん”というのも、この世にいると思います。
できれば、そのような”おばさん”に会いたいですね。

 
昨日の夜は、深夜まで女が録画した相撲中継をソファーで見ていました。
モコは女の横で添い寝していました。
女がベッドに眠るときモコも連れていくのですがモコは寝てくれないのです。

わたしのたてる微かな物音を聞いてモコはベッドに来てと吠えるのです。
わたしは本の部屋で本を読んでいましたが、読書は中断してベッドのモコに添い寝しました。
そしてそのまま朝まで眠ってしまいました。

モコの体はふあふあで、あたたかいのです。
ふあふあのモコといると幸せになるのです。

 
あの地震が起こって、あの光景を見て、10年が経ちました。

まだまだ、大切な人や大切なものを失い避難されている方たちや、心や体に傷を抱えた方たちがいるでしょう。
福島の原発の処理はまだ終わらないでしょう。
オリンピック・パラリンピックは海外からの観戦者の入国を断念したそうです。
しかし震災からの復興を世界に示すという茶番は終わらないでしょう。
疫病の蔓延もまだ終わっていないです。
世界で紛争はまだ続いています。

流浪する人びとがいます。

たくさんの流浪する人びとがいます。
私たちもその一人です。
モコのふあふあのあたたかい体を抱いて、眠って、朝になりました。
流浪する私たちは私たち自身の底を破って、流浪する人びとと底の底で繋がるほかありません。

そこに小さな光が見えています。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* ツイッター「楽しい例文」さんより引用させていただきました。

 

 

 

あきれて物も言えない 21

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

毎日、詩を書いている

 

昨年、2020年の4月1日から、毎日、月曜日から金曜日まで、詩をひとつ書いて、「浜風文庫」に公開している。
もうすぐ、一年になる。

わたし一人ではなく、ロック・ミュージシャンの工藤冬里さんも毎日、詩を書いてくれて、浜風文庫に公開してきた。
また、写真家の広瀬 勉さんのブロック塀の写真も毎日、浜風文庫に公開してきた。

詩を書く、詩を毎日、書くということは、どのような行為なのだろうか?

わたしの場合は、毎日の自分の生活の事実に基づいて書いている。
ツイッターの「楽しい例文」さんからタイトルを借用して、本文にも、同じ例文を最終行に引用している。

まず、日本語で詩を書いて、次に英語に翻訳して、英語の詩と日本語の詩を繋げて、ひとつの詩としている。

例えば、今日は、以下の詩を書いた。

 
 

Something is wrong with the engine.

エンジンはどこか故障している。

 
 

this morning too

to the estuary
walked

I walked along the river

on the peninsula
the sun was shining

the wind was blowing

before noon
at the florist

I bought a white chrysanthemum for my mother-in-law’s Buddhist altar

soon
two years

in this world
is it the third anniversary

in the afternoon
I was listening to Haruomi Hosono’s “I’m only a little”

repetition
I was listening

the wind was blowing
I was walking in the wind

Something is wrong with the engine *

 

 

今朝も

河口まで
歩いた

川沿いを歩いていった

半島の上に
朝日は

光っていた

風が吹いてた

昼前に
花屋で

義母の仏前に供える白菊を買ってきた

もうすぐ
二年になる

この世では
三回忌というのか

午後には
細野晴臣の”僕は一寸”を聴いてた

繰り返し
聴いていた

風が吹いていた
風のなかを歩いていた

エンジンはどこか故障している *

 
 

日本語の詩を英語に翻訳するのは、英語にするとどんな言葉のニュアンスになるだろうかという異言語の語感の楽しみがあるのです。日本語を英語にするとき英語はわたしに主格と時制を要求して来ます。

毎回、そうですが、詩を書くときは、自分や他者の既存の詩のことを考えません。

詩は、ゼロになって、ゼロから書きはじめて、生きるものとして書きます。
自分の生活の事実に即して詩を書きはじめます。
それで「詩が成立した」と思える一瞬が、たまにあります。

「詩が成立した」と思えると、嬉しいのです。楽しいのです。
「詩が成立した」とはどういう事なのでしょうか?

わたしの詩の言葉は、言葉のコミュニケーション機能が破壊されて、わたしたちの心の底に沈んでいるわたしたちの言葉の「先祖」に出会う体験なのではないかと思うことがあります。

「先祖」といってもお祖父さん、お祖母さんや、曾祖父さん、曾祖母さんよりも、もっともっと昔の1,000年や10,000年、100,000年前くらい前の「先祖」、原人くらい前の言葉の「先祖」に出会うことじゃないかと思ったりすることがあります。

原人くらい前の「先祖」の言葉とはどのような言葉なのでしょうか?

今日、わたしは、朝、小川の土手を河口に向かって散歩していて菜の花が風に揺れるのを見たのです。
菜の花には朝日が斜めに射していて輝いて揺れていました。
その光景が眼に焼きついています。
眼ではなく脳に焼き付いているのでしょうか?
この眼と眼と脳を結ぶ神経と脳に焼き付いているのでしょう。

菜の花が風に揺れるのを言葉にすることはできるでしょう。
それで春が来ているというような意味のことを言うこともできるでしょう。
しかし、この眼と神経と脳に焼き付いている光景は言葉ではないのです。

その光景はこの世界そのものなのです。
わたしは、その光景に出会い、言葉を失います。
絶句します。
そして絶句の後に、言葉にならない言葉を探しています。

このわたしが感じることができる光景や、言葉にならない言葉の歓びが、
もしも、他者に届くことがあれば、それは、ありがたいことだと思うのです。

詩がなんであるのか、うまく言えません。

しかし、詩を感じることは、できるのです。
詩は、わたしたちの遠い「先祖」であり、いまを生きること、この世界そのものに出会うことの歓びであるように思います。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* ツイッター「楽しい例文」さんより引用させていただきました。

 

 

 

あきれて物も言えない 20

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

見捨てられた人々がいたし、いるでしょう

 

以前、わたしは、トランプ大統領のことを「金髪の花札男」として詩に書いたことがありました。
現役の大統領が、”自身のために” SNSを使って様々な批判やデマや嘘を発信し分断を利用して熱狂的な支持者を増やし、遂には議会を襲撃させるまでなりました。

大統領選に勝利したバイデン氏は1月20日の就任式で正式にアメリカの新大統領となります。
就任式が行われるワシントンの議事堂前の広場や周辺は有刺鉄線やコンクリートブロックなどで塞がれて立ち入りが制限され、2万5000人もの州兵が動員されているのだそうです。
アメリカにはコロナとともに分断が渦巻いています。

就任式の2日後、1月22日に「核兵器禁止条約」が発効されます。

「核兵器禁止条約」は、
「あらゆる核兵器の開発、実験、生産、保有、使用を許さず、核で威嚇することも禁じた初めての国際条約。国連加盟国の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。批准が50カ国・地域に達したため、1月22日に法的な効力を発する。核軍縮の交渉義務を課す代わりに米ロ英仏中の5カ国だけに核保有を認めている核不拡散条約(NPT)とは発想が異なり、核兵器そのものを非人道的で不法と見なす。」 *

いままではトランプ大統領が核のボタンを押す(核兵器を使った攻撃命令を出す)権限を持っていました。
バイデン新大統領に代わったとしても、また別の大統領に代わったとしても、
「不安定な大統領」が核兵器を使った攻撃命令を出すことを防ぐための体制を整えるべきなのだと思います。

バイデン新大統はオバマ政権が掲げた「核兵器なき世界」の理念を継承し「核兵器のない世界に近づくよう取り組む」と言明しているということです。

広島と長崎に原子爆弾を落とされた唯一の被爆国であるにも関わらず、
日本政府は日本がアメリカの「核の傘」の中にあることを理由に「核兵器禁止条約」を批准しないという。
広島と長崎の被爆者の方たちの長く厳しい被曝後遺症による苦しみの生と死を受け止めて、
日本政府は「核兵器禁止条約」を批准し、核保有国に対して核兵器廃絶を強く要求するべき立場にあるのだと思います。

日本政府が「核兵器禁止条約」を批准できないことは、被爆者の方たちに対して恥ずべきことだと思います。

 
 

かつて、
長崎の坂の多い街を歩いたことがありました。

長崎の坂の上では舟越保武の26聖人の像を見ました。
空に浮かぶように聖人たちが並んでいたました。
聖人たちのいる公園には野良猫たちもたくさんいました。

原爆資料館では原爆で吹き飛んだ石の天使の首を見ました。
原子爆弾ファットマンの丸みのある模型も見ました。
船の汽笛も聴きました。
教会の鐘の鳴るのを聴きました。

長崎では一瞬にして7万4千人が亡くなったそうです。
たくさんの被爆者たちが原爆後遺症に苦しみ亡くなっていったでしょう。

見捨てられた人々がいたし、いるでしょう。
日本にも、世界にも、たくさんの見捨てられた人々がいたし、いるでしょう。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

* 朝日新聞 2021年1月17日朝刊の記事より引用させていただきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 19

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている

 

菅義偉(すがよしひで)総理大臣は16日、内閣発足から3カ月となることを受け、首相官邸で報道陣の取材に応じた。 *

Go Toトラベルを年末年始に全国一斉での停止を発表した14日夜に、自民党の二階俊博幹事長らと5人以上で会食をしていたことについて、「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と話した。 *

ということです。

何も、
わたしたちは誤解できないです。

新型コロナウイルスの感染対策として政府が5人以上の会食や忘年会の自粛を求めている中で、菅さんが政府の要請に反して、7人と会食した、という事実を、わたしは、誤解できないです。

 

菅義偉総理大臣は、
わたしの田舎、秋田県の英雄です。

菅さんが総理大臣になってから思い出したのですが、
菅義偉さんは秋田県県南の秋ノ宮温泉郷の出身で湯沢高校の卒業生であります。

秋には見渡すかぎり黄金色の稲穂が田んぼにひろがる横手盆地、
その南の端っこの山と山に囲まれた秋ノ宮温泉郷が菅義偉さんの故郷です。

わたしの母が通っていた温泉で菅義偉さんのお母さんと知り合いになり親しくしていただいたと死んだ母から聞いたことがありました。

今年10月の終わりに葬儀で田舎に帰ったのですが、秋の宮の辺りでは菅新総理をお祝いするのぼり旗が立っていました。
また、秋田湯沢駅にはお祝いの横断幕が掛けられていました。
近所の道の駅では菅総理饅頭が売られていて、
県外産の祝菅総理土産用お菓子も売られていました。

菅さんは湯沢高校を卒業して「東京へ行けば何かが変わる」と夢を持ち上京し、
板橋のダンボール工場で働き、2か月で工場を退職。それから約2年後に法政大学法学部政治学科に入学する。 **

在学中には実家から仕送りも受けつつ、警備員や新聞社、カレー屋のアルバイトで生活費と学費を稼いでいた。 **

1973年、法政大学法学部政治学科を卒業し、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社した。
1975年、政治家を志して相談した法政大学就職課の伝で、OB会事務局長から法政大学出身の第57代衆議院議長中村梅吉の秘書を紹介され、自由民主党で同じ派閥だった衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。 **

とウィキペディアには書かれています。

自分の若い体験と重なるところもあり、若かった菅さんの姿が見えるように思えます。
若い菅さんは秋田や東京の現実を見て、この世界を変えるのは「政治」しかないと思ったのだと思います。

わたしも秋田の田舎から出てきて、
満員電車やアルバイトや会社を体験して、貧富の差や、この世界の矛盾や嘘、を感じた者の一人でした。

菅さんは、政治家を志して国会議員の秘書になり、人脈の海の中を泳いで、泳いで、総理大臣まで登りつめたのだと思います。
大変なことだったと思います。秋田県の英雄だと思います。
どれほどの苦い苦い水を飲んだことでしょう。
その苦さが菅さんの表情に現れていると思います。

「他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省をしている」と、
菅さんは記者会見で語ったのだそうです。

わたし、誤解はしませんでした。
ただその言葉の「真摯」や「反省」は真実なのか、どうか、と思いました。

 
 

わたしには、今年、10月に亡くなった山形県寒河江市出身の写真家、鬼海弘雄さんの顔が、思い浮かびました。
鬼海弘雄さんは菅さんと同じ法政大学の哲学科を出て写真家になり、コロナ禍の今年、2020年10月19日に亡くなりました。
嘘のない素晴らしい人だったと思っています。
トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員などの仕事をしながら浅草の人々の大切な写真を撮り残していってくれました。

鬼海弘雄さんの写真にはわたしたちの希望のひかりがあると思います。

12月15日の新聞の夕刊一面には「食も住まいも「明日どうなる・・・」」という見出しが立っています。 ***
東京池袋の路上生活者を支援するNPOの炊き出しの列に若者たちも多く並んでいるということです。

今、コロナ禍のなかで、弱い人たちに支援の手が届いていないのではないでしょうか?
「Go To トラベル」の予算は1兆1,248億円だそうです。
経営が厳しくなる中小の企業ではこれからリストラが進むのではないでしょうか?
そこでは弱者が真っ先に切られていくでしょう。

受け皿が必要なのです。
今のこの世界には弱者を受ける皿が必要なのです。
1兆1,248億円の予算があったら弱者たちを受ける皿を作り、その皿を運動体として活性化させる政策が必要なのです。
下からの運動体を作る政策が必要になっているのです。

まるで政治家のように語ってしまいました。
嘘を言うつもりはありません。

 

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 
 

* 東京新聞WEB版 2020年12月16日の記事より引用させていただきました。
** ウィキペディア(Wikipedia)より引用させていただきました。
*** 朝日新聞 12月15日夕刊一面より引用させていただきました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 18

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

明け方に、「飛騨の円空」というカタログを見ている。

 

2013年に上野の東京国立博物館で開催された展覧会、
「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」特別展のカタログだ。

2013年、
まだ寒い1月だったか2月だったか、
たしか仕事を休んで見にいったのだったか。

東日本大震災から2年が過ぎようとしている頃だった。

円空は長鉈(ながなた)一本で木っ端に仏像を彫ったのだという。
飛騨高山だけでなく、東北や北海道までも歩いて行き、仏法を説き、仏像を彫ったのだという。
全国各地で生涯、12万体もの仏像を彫ったのだという。

オン バサラ タラマ キリク
オン バサラ タラマ キリク
オン バサラ タラマ キリク

円空は真言を唱えながら長鉈を振るったのだという。 *

両面宿儺坐像
金剛力士仁王立像、
菩薩、
観音、
釈迦如来、
弁財天、
不動明王、烏天狗、
柿本人麿、

それぞれの像がどれもぼんやりと微笑んでいて、やさしい。
しかも、微笑んでいるだけで、語ろうとはしていないようだ。

百姓や町人や山人、漁夫、流浪の人たち、
それら地上の人たちの幸を祈っているのだろう。

当時でも、絵描や歌人、音楽家は、支配階級の庇護のもと生きていたのだろうが、
円空や円空仏はどうだっただろうか?
百姓や町人、山人、漁夫、流浪の人たちなど底辺の人たちに円空は大切にされたのではないだろうかと、
その木像のお顔を見ていると思える。

円空仏の(十一面観音菩薩立像など)お顔や体の全面に木の木目が縦に現れてあり、そこには地平に対する垂直の願いであるようにも思えてくる。
金剛力士仁王立像吽形は、円空が生きた立木に梯子を掛けて彫ったものとされ、木の枝の付け根が虚(うろ)となっていて、
その虚が背中側になっていて、凄まじい生の現れと思えてくる。

円空の釈迦如来も阿弥陀如来も薬師如来も、みんな目を瞑っている。
半眼と言うのだろうか。
十一面観音菩薩立像は少女のようだ。
胸元で手を合わせて目を瞑り木目のなかで祈っている。

他者の幸を祈るカタチなのだろうと思える。

今朝の朝刊を見ると、
コロナウィルスが再び猛威を振るっているという。
第三波なのか。
冬を迎えて、欧州やアメリカ、日本でも、感染者が増え、重症患者の増加に伴い医療現場が逼迫しつつあるのだという。
東日本大震災の時もそうだったが、
コロナの現在も円空仏たちは目を瞑り祈っているだろうと思えてくる。

コロナでわかったことがある。

コロナの分断と移動の禁止でわかったことがある。
ヒトは他のヒトと肌を触れて生きてきたということだ。
ヒトは他のヒトと肌を触れて、息を交換し、体液と血を交換し、生き延びてきたのだったろう。
それらの交換がコロナウィルスの侵攻で禁止されてしまった。
ヒトは、詩や音楽や舞踏やアートは、やがてそこ、交換の場所に帰っていくだろう。

木目のなかに静まり、目を瞑り、円空の木っ端の仏像とともにわたしたちはこの世の疫病の退散を願わずにいられない。

地平には、まだたくさんの生きたヒトたちが残されている。

呆れてものが言えません。
ほとんど言葉がありません。

 

*「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」特別展カタログ掲載 千光寺住職 大下大圓氏のテキスト「祈念 〜木っ端に込めた鎮魂と救済〜」を参照しました。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 17

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

Philip Glassの “Dead Things” というピアノ曲を聴いている。

 

もうすぐ朝になるのだろう。
Philip Glassの”Dead Things”というピアノ曲を聴いている。

なんども聴いている。

死んだ物たち、
という曲。

死んだ物たちを思うのは、生きているヒトだろう。
生きているヒトは死んだ物たちを思い、語りかけるだろう。

そこに”橋”がある。

昨日の昼には、
静岡市に開店したHiBARI BOOKS & COFFEEという新刊書店に行き、
おいしいコーヒーを飲んだ。

それからお店の奥で開催されている多々良栄里さんの写真展「文と詩」を見た。

多々良栄里さんの写真にはヒトがいた。
そこにはヒトがいた。

懐かしいヒトたちだった。
懐かしいヒトたちの前で言葉は慎まなければならない。
懐かしいヒトたちは、わたしたちの中にいるヒトたちだろう。
わたしたちの肉体の、血となり、肉となり骨となったヒトたちだろう。

多々良栄里さんの写真には懐かしいヒトたちがいた。
その懐かしいヒトたちはこちらを無言で見つめていた。

 

昨日の朝日新聞の朝刊一面に「処理水 海洋放出へ調整」と見出しがあった。 *
副題に「関係閣僚会議で月内にも決定」とあった。

福島第一原発で溶け落ちた核燃料を冷やした汚染水を多核種除去装置(ALPS)で処理した処理済み汚染水が福島第一原発の敷地内のタンクにすでに120万トン溜まっていて2022年には満杯になるのだという。
その汚染水をもう一度、多核種除去装置(ALPS)で処理し、トリチウム以外の放射性物質の濃度を法令の基準値以下まで下げ、トリチウムは海水で薄めて海洋に放出するのだという。

安倍総理の政策を継承すると宣言した菅新総理は政策をスピーディに決定するのだというが、
新総理の「福島第一原発 汚染水処理」政策のスピーディを世界は認めないだろう。

わたしたちは経済優先で進められた世界の近代化の行き止まりにきているいるように思える。

この秋にわたしは新幹線で福島を通り故郷に帰省してきた。
わたしたちの肉体の、血となり、肉となり、骨となったヒトたちや物たちが、叫び声をあげているのが聴こえる。
わたしたちの世界は人間だけのものではなく、たくさんの動物や植物、微生物の生きる世界なのだったはずだ。
たくさんの動物や植物、微生物や死んだ物たち死んだヒトたちでわたしたちの身体は日々に生成されているはずだ。

核廃棄物の問題もコロナの問題も温暖化の問題も、人間を原因とした問題なのだ。
経済優先でスピーディに決定される新政策は人間だけでなく世界の動物や植物、微生物にも影響を与えるだろう。
それらがやがて全て、われわれ自身の生存に帰結するのだろう。

“Dead Things”というピアノ曲を聴いている。
懐かしいヒトたちの声を、いま、もう一度、耳を澄まして聴く時間を持ちたい。

この世界にとって取り返しのつかない事がこの日本から起こりつつあるように思える。呆れてものも言えないが、言わないわけにはいかない。

 

* 2020年10月17日 朝日新聞 朝刊

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 16

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

工藤冬里の ” L’Autre Cap ” を聴いている

 

もう朝なのかな。
西の山が青緑に空に浮かんでいる。

夜中に目覚めて、工藤冬里(Maher Shalal Hash Baz)の”L’Autre Cap”というCDを聴いていた。

“L’Autre Cap”

“その他の岬”ということなのかな。

このCDには工藤冬里がマヘル・シャラル・ハシュ・バズとしてアメリカのオリンピアのキャルヴィン・ジョンソン主宰のKレコーズのスタジオで2007年に録音した27曲が入っている。

“Suspended Season” “Portland Town” “Kamakura” “How Long Will You Forget Me?” “Misaki” “Eve, Mary, And Juliett” ” Moving Without Ark “などなど、
生々しく滴る生命の音がある。

その”Misaki”からは、中原中也の北の海が見えるのだろう。
北の海には灰色の浪ばかりが見えるだろう。

“Suspended Season”は”吊り下げられ延期された季節”とでもいうのだろうか?
2,000年以降の現在まで続く新自由主義グローバリズムが浸透しきった世界に生きるわたしたちの生に反響する叫びをこの曲は持っているだろう。

吊り下げられて人々は生きている。
そう、思える現在です。
そう思える現在が20年も続いていると思えます。

10月からは「GO TO トラベル」の東京発着が許可されるということです。
それは希望となるでしょうか?
われわれはわれわれの地獄に薄皮を掛けて見えないようにすることを希望と認めるでしょうか?
かつて「保育園落ちた、日本死ね!」という主婦の言葉がありました。
その言葉をブログに書き込んだ主婦もまたこの薄皮に覆われた世界を生きていることでしょう。

2020年9月16日に、菅内閣が発足しました。
秋田県南部出身の誠実な方だそうです。
安倍政権の政策を「継承」される方だそうです。
菅内閣発足直後の支持率が65%だそうです。

「行政改革」も「デジタル」もおそらくは日本を覆うための薄皮でありましょう。

 

もう朝になりました。
西の山が青緑に青空に浮かんでいます。
西の山は幻影のように青空に大きく浮かんでいます。

いまは、工藤冬里の “How Long Will You Forget Me?” という曲を聴いています。
あなたはどれくらいまでわたしを忘れているの?
工藤冬里の歌う声は痛切です。
それは幻影でしょうか?

あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

Maher Shalal Hash Baz / L’autre Cap (2CD)
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あきれて物も言えない 15

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

ナガサキアゲハと会った

 

ここのところ猛暑が続いている。

7月の終わりまで長雨が続いていたことが嘘のようだ。
今日の浜松は気温が40°Cを超えたということだ。
日本の最高気温を記録したとTVのニュースで言っていた。

40°Cというのはヒトの体温よりも暑い。
外にでて日射しの下に長くいたら熱中症で死んでしまうだろう。
猛暑というのか酷暑というのか。
こんな夏を灼熱の地獄といったらもっと酷い場所に居られる方々からお叱りを受けるだろうか?
しかし2020年のこの夏のことは、たぶん忘れられないだろうとわたしには思える。

コロナウイルスが蔓延しているにも関わらず世界の指導者たちは経済を優先した政策を取っている。
日本も同様に感染者数が増加しているなかで「Go To トラベル」事業という政策に舵を切った。
アメリカもロシアもブラジルもインドも指導者の政策により灼熱の地獄に向かっている。
日本も政治の無策が続いている。

中国は香港国家安全維持法により地獄への道を選んだ。
中国は国内においても、チベット、香港においても、国家の安全を維持するためというよりも、
共産党独裁体制を維持するための法案を作り人々の生と生活の自由を取り締まろうとするだろう。

ここまでくると国家というものを動かしている指導者たちの動向が日々の中に見えてくる。
国家の政治というものがいかに偏ったものであるかが見えてくる。
その偏りに巣食っている者たちがいるのだろう。

国家という枠組みを考えなおす時ではないだろうか?
国家は本当に人々に利益をもたらしているのか?
むしろ国家はわざわざ世界の人々を分断させていないだろうか?
国家は暴走することをわたしたちは知っている。
国家の指導者たちの暴走をわたしたちは監視する必要があるだろう。

また国家を超えて人々が繋がるようなシステムをわたしたちは構想するべきではないか?

朝、ナガサキアゲハと会った。

女が出掛けるのを犬のモコと見送り、
モコを抱いて、
木蓮と南天と金木犀、あじさいに水をやり、
ヤブタビラコに水をやる。

ふと見上げると金木犀の枝に蔓を這わせて咲いたノウゼンカズラの花に赤い斑点がある黒揚羽が舞い降りてきたのだった。

ナガサキアゲハだった。

ナガサキアゲハが、
ふわふわと舞い降りてきてノウゼンカズラのオレンジ色の花にとまったのだった。
この灼熱の日にナガサキアゲハはノウゼンカズラのオレンジの花にふわふわと舞い降りてきたのだった。

その無垢に眩暈がした。

この灼熱の世界を見て、
この灼熱を引き受けて、
原初がもういちど世界を形成するのを見るようだった。

 

ナガサキアゲハと会った。
ほとんど言葉がありません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 

空だ

と思った

彼女の頬づえついた横顔のその先にあるもの
口を固く結んで少し悲しげで

天窓から流れる風が
僕と彼女の静止したままの柔らかな関係を
そっと揺らす

マグカップに残るわずかなぬくもりを両手で包み込みながら
彼女の先にあるものを探す

ブルーマウンテンが香るコーヒーメーカーの先

 
窓ガラスの向こう
そして
そのもっと向こうにあるもの

街?
そうじゃない。

愛し合った時間のその先
彼女は一瞬うつむいてから
静かに目を閉じた

それから
溜息をついて僕の方へ視線を移す
彼女の潤んだ瞳の奥に
僕と僕のマグカップが映っている

空だ

彼女はきっとわかってくれると思っていた

だけど
僕が自分勝手すぎたから?
彼女の思いをくんでやれなかったから?
僕は彼女を悲しませてばかりだった

空だ

 
彼女にぽつりと言う
彼女は微笑みを浮かべ
窓の方をちらりと見て
立ち上がる

「わかったわよ! いちいち『空だ空だ』なんて催促しないでよ!空っぽだと思ったら自分で勝手にコーヒー入れたらいいじゃん!アンタの方がコーヒーメーカー近いんだからね!」
そう言って彼女は立ち上がって
ブルーマウンテンを僕の空のマグカップへ不機嫌そうに注ぐ