あきれて物も言えない 13

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

空気を喰う

 

夕食を食べてから考えはじめて、
途中に寝て、
夜中に再開してボーッとして、また、朝になってしまった。

「2次補正 疑念残し成立」 * 1
「給付金事業委託「中抜き」」 * 1
「予備費10兆円「白紙委任」 * 1
「河井夫妻、100人に2600万円か」 * 1
「米警官 今度は黒人射殺」 * 1
「陸上イージス計画停止」「技術改修に時間・費用」 * 1
「河野防衛相「合理的でない」」 * 1
「北朝鮮、南北事務所を爆破」 * 1

最近、5日間ほどの朝刊一面の見出しです。

ここのところ、TVの国会中継をチラチラと見ていた。
この国の首相が、平気で、言い訳や、嘘とわかる嘘や、時間稼ぎの答弁をしている。
大臣や、官僚たちが指名され、忖度し、答弁している。

あきれてしまう。
すでにあきれてしまう。

政治家というのは「コトバ」の専門家だと思っていたが、国会中継を見ていると、改めて政治家は「コトバ」の専門家だと思えます。
「コトバ」の専門家は、「コトバ」の機能と効果をよく理解して、使用しているということでしょう。
「コトバ」の機能と効果をよく理解して、自分や自分たちの党派のメリットを最大に引き出すように使用しているということでしょう。

そこに求められるのは「コトバ」の真実ではなく、効果と結果だというわけだろう。
そんな「コトバ」、わたしは国会中継で、見たくも聞きたくもないのだった。

「空気を喰う」ということを思ったことがある。

一昨年だったか、
高円寺のコクテイル書房で、
広瀬勉の写真展「鎌倉詣」を見に行った時に思ったことだったか。

亡くなった女性作家や友人たちとの黒姫での写真や、
鎌倉の海辺の道路を渡ろうとする老いた田村隆一や、
旅館の一室で二人きりで撮っただろう浴衣の少女の写真や、
うなだれた黒猫、
広瀬勉の逃れ難く言い訳のきかない写真を見たときに、写真は「空気を喰う」ほかないのだと思ったのだった。

広瀬勉の写真を見て言葉を失った。
絶句した。

写真も、詩も、
この世の絶句に突き当たった時に、語りはじめられる言語なのだろう。

「空気を喰う」といえば、
詩人たち23人による「空気の日記」という連載詩がある。

「空気の日記」は、WEB誌「SPINNER」で2020年4月1日から開始された。

”新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。” * 2

と説明されています。

その連載の「空気の叙事詩」の中から、白井明大さんの空気の詩をひとつ引用させていただきます。

 
 

朝ね
暑い て起きて
熱測ってみたら三十七度もあって
きみが話してくれている
もういちど
水飲んでから測ったら三十六度五分だった
、て

二人が出かけていく
ほんの短い間に何が起きてるか
寝てるとふだん何も知らなくて

たまたま今日にかぎって耳にできたのは
暑い てぼくの耳も
いつもよりずいぶん早く
動きはじめたからなんだろう

南風が吹く
梅雨明けの白南風が
鉦を鳴らして夏を呼ぶ
カーチーベーが来るより早く

風も鉦も知らせない
息苦しさを
呼ぶ声のずっとしないままでいて   * 2

 
 

詩の言葉は、家族のいる空間のなかで、絶句して、います。

絶句して、そして吃りながら、
詩の言葉は、言葉の身体を生きようとしているように見えます。

政治家たちの言葉から遠い場所にこの詩はわたしたちを連れて行こうとしているように見えます。
その遠い場所とはわたしたち自身のなかにあるでしょう。

わたしたち自身のなかに「空気」の詩はあるでしょう。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

* 1 「朝日新聞」2020年6月13日から6月17日より引用しました。
* 2 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」プロジェクトスタートの言葉より引用しました。
* 3 「WEB誌「SPINNER」「空気の日記」6月12日(金)白井明大さんの詩より引用しました。

「空気の日記」
https://spinner.fun/diary/

 

 

 

あきれて物も言えない 12

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

酔生夢死

 

夜が明けて朝になった。

また、
朝になった。

部屋の窓を開けると西の山が霞んで青く見える。
空は灰色で、雨になるのだろう。
燕が低く飛んでいる。

コロナや、
戦争や、
紛争や、事故や病気で、
自分が死んでも、
他人が死んでも、お日様は昇り朝になる。

ここのところ世界は新型コロナウィルスの感染で人々が死んでゆく。
人々は、ステイホームし、自粛している。
自粛するよう要請されているのだから、自粛というのだろうか? 疑問だ。

まあ、それでも、朝は来るのである。
燕が飛んでいる。
生きているからこそそのことを知る。

国会ではコロナの最中に「検察庁法改正案」が上程されている。
検察幹部を退く年齢に達しても政府の判断でそのポストにとどまれる特例を可能とするという法案だ。
安倍総理は検察にも忖度しなさいと言っているのであろう。
政府は大多数の国民のコンセンサスを得られないだろう法案を強行採決しようとしている。

すでに呆れてしまう。

元検事総長ら検察OBたちは、
「検察人事への政治権力の介入を正当化し、政治権力の意に沿わない動きを封じて、検察の力を削ごうとしている」* 1 と、意見書を法務省に提出したという。

政府に対して「火事場泥棒」という言葉も聞こえる。
わざわざこのうようなコロナによる緊急事態宣言が発令されている時に急いで通す法案では無いだろうとわたしも思います。

国民はコロナでそれどころでは無いが国会の審議に注目しているだろう。

さて「酔生夢死」である。
ここのところ辻潤の本を読んでいて、この言葉に出会った。

辻潤は明治19年に東京浅草橋に生まれ、
昭和19年に新宿上落合のアパートで室内でシラミにまみれて死亡しているのを発見された。
餓死して死んだ、思想家で、ダダイストです。
伊藤野枝を大杉栄に寝取られた男でもある。

「浮浪漫語」という文章で「酔生夢死」という言葉を使っている。

酔生夢死

「なにひとつ有意義なことをせずに無自覚のまま死んでいってしまう」という意味と、
「自由奔放に生きる」という意味があり、
辻潤は後者の言葉の実体を、望み、生きて、死んでいった人なのだろう。

「人間の姿の一人もいない広々とした野原を青空と太陽と白雲と山と林と草と樹と水となどにとりかこまれて悠々と歩いていると、それらの物象がいつの間にかことごとく自分である。」* 2

と、辻潤は「浮浪漫語」に書いている。

辻潤は空っぽのまま、最後の最後まで自由を求め、生き、死んでいったのであろう。

世界にコロナウィルスは広がっている。
第2波、第3波のウィルスの猛威が想定されるのだという。

部屋の窓を開けると山が霞んで青く見える。

空は灰色で、雨になるのだろう。
燕たちは低く高く曲線を曳いて飛んでいる。

南方から大風が近づいているのだということだ。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

* 1 「朝日新聞」2020年5月16日朝刊より引用しました。
* 2 「辻潤全集 第1巻」「浮浪漫語」より引用しました。

 

 

 

あきれて物も言えない 11

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

カミナリの音が聴こえる

 

夜が明けて朝になった。

今日も、
朝が来た。

カミナリが鳴っている。

こんな朝早く鳴っている。

ピカッと光って、
ドドーンと驚くほど近くに落ちたような音だ。

犬のモコも目を覚ますだろうと隣の部屋のわたしは心配です。
モコはカミナリや花火の音が怖くて怖くて、
ブルブルと震えるのです。

今日は、嵐になるのだということです。

世界でもコロナが吹き荒れている。
新型コロナウイルスの感染者が世界で、200万人を超えたと朝刊の記事にあった。
日本では感染者数が8,000人を超えたのだという。

パンデミックというのですか。

パンデミック(英: pandemic)の語源は、
ギリシア語のpandēmos (pan-「全て」+ dēmos「人々」)だという。 * 1

感染症が世界中に流行することをパンデミック、世界流行というのだという。

日本や世界中で医療関係者が、
このウイルスに感染した人々を救うために尽力している。

日本では、4月16日、全国に緊急事態宣言の対象が拡大された。
この国の首相が指示し466億円かけて各戸に2枚の配布が決まった布製マスクが、届きはじめた。
マスクが小さいではないかという問い合わせがあるようなのだが。

アメリカの金髪の大統領は、
世界保健機構(WHO)が「中国寄り」だとしてWHOへの拠出金支払いの停止を表明したという。

いまやアジアやアフリカや世界の新興国にも感染症が拡がり、
世界中が大変な時に、アメリカの大統領は自国のために世界を分断しようというのだろうか?

新型コロナウイルスに対応する医薬品や医療機器の開発や製造は先進国が行っている。
それらを各国と共有できなかったらどうなるのか?
自国第一主義は世界に混乱を生むように思える。

食料やマスクや医薬品や医療機器の輸出規制など、これからの政策が心配だ。
また、今、日本では種苗法改正法案が国会に上程されている。
外国の巨大資本に種子が独占されるのではないかという危惧が日本の農業現場にあるようだ。

カミナリの音はもう聴こえなくなった。
雨音が聴こえる。

窓ガラスに雨粒が音を立ててぶつかり流れている。

窓の向こう、
西の山が雨に煙っていて頂上が見えない。

ここのところわたしは自宅でモコと三密状態です。

外出から戻ったら必ず手を石鹸でよく洗います。
犬のモコにコロナを感染(うつ)したらかわいそうだからです。

帰宅したら飛びついてくるモコをそのままに、
手を洗ってから、
モコを抱きしめます。

それからソファーに行くとモコはわたしの膝の上から大きな瞳で見つめ返します。

しばらくそうしていると、
モコは安心して眠ってしまいます。
モコも、もうだいぶ年を取りましたからね。

モコを見ているとテミちゃんを思いだします。

テミちゃんはいとこのお姉さんでした。
小学生の一年か二年の頃に遊びに行くとテミちゃんのふんわりとした話し方に子どものわたしは魅了されたのでした。
テミちゃんは顔つきも体つきも白くぽっちゃりとしていて、
絵が上手で、
とてもゆっくりふんわり静かに話すお姉さんでした。

あ〜こんなにゆっくりふんわり話して、いいんだ・・・。

そう、子どものわたしが思ったことを今でも憶えています。
それからそのことを大切に思ってきました。
いまでも思っています。

わたしが青年になり大人になり社会に出てみたら、
そのゆっくりふんわりを大切とする人はほとんどいない事に気付きました。
世の中は、とにかく早く処理することが大事なんだなあ!とショックでした。
勉強も仕事もそうでした。
ゆっくりふんわりなんかまったく大切にされていませんでした。

わたしは、
二十歳を過ぎて、
東中野にある木造の建物の中の詩の教室に通い始めました。

そこには鈴木志郎康という詩人がいました。
その詩人は私たちの詩をひとつひとつみんなの意見を聞いた後に講評してくれるのでした。
青年のわたしは、やっと素敵な大人に会えたと思いました。

その詩人が「徒歩新聞」という冊子をたまにくれました。
表紙は赤瀬川原平という人がイラストを描いていて、
舗装されていない野原の道路のようなところを下駄と靴だけが歩いているようなイラストでした。人がいないのです。
表紙を開くと扉に、毎号、同じような歩行についての言葉が並んでいました。

“トボトボと歩いている。散歩するという気分でもなく、歩いていると、気もそぞろになって、躓いてしまうということがある。躓いてしまったときの、あの心理というのは、これは面白いものだ。・・・・” * 2

わたしはやっとテミちゃんに似た大人を見つけたのでした。

それからその詩人の詩の真似をはじめました。
そして、それから、ずっと詩を書いてきました。
いやいや、少し、休んだりしながら、トボトボと詩を書いてきました。

今回の新型コロナウイルスの流行が終わって、生き残っていたら、
また、ずっと詩を書いていきたいと思っています。

テミちゃんはどうしているのかな。
もう、おばさんで、孫がいて、おばあさんかもしれないな。

世の中、呆れて物も言えないことだらけです。
わたしのところにはまだ二枚の布製マスクが届いていません。

でも、この世の中には、
わたしの知らない”ゆっくりふんわりした人”が、たくさんいるのだと思います。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

* 1 「ウィキペディア」より引用しました。
* 2 「徒歩新聞」20号より引用しました。

 

 

 

あきれて物も言えない 10

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 

虹をみている

 

3月16日はわたしの母の命日だった。
わたしの母、絹は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気と10年ほど闘い、死んでいった。

ALSは手足、喉、舌、呼吸器などの筋肉が痩せて力がなくなり自分では動かせなくなる病気だった。
10万人に一人から二人という難病であり、
だんだんと全身の筋肉が痩せていき、自分で歩けなくなり喋れなくなり寝たきりになり、食べれなくなり呼吸ができなくなった。

それで姉の家の母の部屋は病院の病室のように介護用ベッドがあり、
人工呼吸器機があり吸引機器があり母の足には脈拍と血中酸素濃度を測るセンサーが取り付けられていて、
そのセンサーの音が間断なく鳴っていた。その音が母が生きている証だった。
食事は胃ろうといってお腹に穴を開けて胃に直接、流動栄養食やお茶を流し込んだ。
東日本の震災以後は人工呼吸器の電源確保ということが課題となった。
当時、自宅でALS患者を介護することは珍しかったようで見学にみえる医療・介護関係者の方もいた。

母との会話は当初はメモで行っていたが、手も指も動かなくなり、質問に瞼の開閉で答えるということをしていた。
最後には自分で眼も開けられなくなった。
わたしが帰省した時には母の瞼を指で開いてあげるとそこには母の眼球があり、わたしをみていた。
眼が泣いていた。笑っていた。

自分の身体のどこも動かせなくなった母が人工呼吸器で肺を上下させていた。
わたしの姉は働きながら母のベッドの脇に布団を敷いて夜中に何度も起きて喉から痰の吸引をしていた。
姉は最後まで自宅で母を介護した。
また長年の介護スタッフの皆さんはまるで母の家族のようになっていた。
母はだんだんと痩せて萎んでいったが、ピカピカの綺麗な顔と身体をしていた。

今朝の新聞の一面に、「やまゆり園事件 責任能力認定」という見出しがでていた。
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で重度障害者19人を殺害し、職員2人を含む26人に重軽傷を負わせた植村聖という30歳の男の判決の記事だった。

死刑だという。

「判決は、被告が園で働く中で、激しい行動をとる障害者と接したことや、同僚が障害者を人間として扱っていないと感じたことから、重度障害者は家族や周囲を不幸にすると考えるようになったと指摘。過激な言動を重ねる海外の政治家を知り、「重度障害者を殺害すれば不幸が減る」「障害者に使われていた金が他に使えるようになり世界平和につながる」と考えたと動機を認定した。」 *

と新聞の一面には書かれている。

また、37面の詳細記事には、
「たしかに法廷では差別意識につながる断片的な事実が明かされた。小学校で「障害者はいらない」と作文に書き、大学では「子どもが障害者なら育てられない」と話した。やまゆり園では「障害者が人として扱われていない」と感じ、やがて「障害者は不幸を作る」と思うようになった。」 *
と、被告の差別意識について書かれている。

新聞には亡くなった19人のエピソードが法廷で読み上げられた供述調書、心情意見陳述から引用されていた。

「美帆さん(19歳、女性)音楽が好きで「いきものがかり」の曲などノリノリで踊った=母」 *

「甲Bさん(40歳、女性)家では大好きなコーヒーを飲むと、お気に入りのソファに座った=母」 *

「甲Cさん(26歳、女性)見聞きしながら、ひと針ひと針一生懸命作った刺繍も上手だった=母」 *

「甲Dさん(70歳、女性)園に着くとニコニコと私の手を取り、「散歩に連れて行って」と伝えた=兄」 *

「甲Eさん(60歳、女性)食パンが大好き。園ではスプーンを自分で使えるようになった=弟」 *

「甲Fさん(65歳、女性)買い物が好きで、お菓子や色鮮やかなレースやフリルのある服が好き=妹」 *

「甲Gさん(46歳、女性)職員にマニュキアを塗ってもらって、うれしそうに爪を差し出して見せた=母」 *

「甲Hさん(65歳、女性)電車やバスに乗る時は、高齢の人に席を譲る、心が純粋で優しい子=母、弟」 *

「甲Iさん(35歳、女性)手を握り話かけたり、散歩に連れて行ったりすると、笑顔で喜んだ=父」 *

「甲Jさん(35歳、女性)水をおいしそうに飲んだ。母が食事をさせるとくしゃくしゃに笑ったりした=弟」 *

「甲Kさん(41歳、男性)洗濯物を干していると、頼んでいないのに物干しざおを準備してくれた=母」 *

「甲Lさん(43歳、男性)相模湖駅前の食堂で一人で食べきれない量を注文し、全部食べて笑っていた=母」 *

「甲Mさん(66歳、男性)ラジオのチューニングが好きで、きれいな音になるとうれしそうにした=兄」 *

「甲Nさん(66歳、男性)面会に行くと、自分で車のドアを開けて乗り込み、笑顔を見せた=姉」 *

「甲Oさん(55歳、男性)家族の誕生日にはカレンダーの日付を指しておめでとうと表現した=妹」 *

「甲Pさん(65歳、男性)動物が大好きで、動物の絵本を持っていくとすごく喜んだ=兄」 *

「甲Qさん(49歳、男性)成人の時、本人の希望通りパンチパーマにスーツで写真を撮り、笑顔を見せた=母」 *

「甲Rさん(67歳、男性)「兄ちゃん帰るから、また来るからな」と言うと、右手をあげ「おう」と挨拶した=兄」 *

「甲Sさん(43歳、男性)車に乗るのが好きで毎年、家族で長野にドライブへ行った=母」 *

ここには亡くなった19人の被害者と家族との個別の経験と想いが述べられている。
施設では彼らはどのように扱われていたのだろうか?
わからない。
植松被告の”想い”は、重度障害者と家族との個別の経験と想いに届かなかったのだったろう。

障害者施設のことをわたしは詳しくは知らないが、
何度か義母を病院に入院させた経験から総合病院のことは少し知っている。
病院の5階のフロアーの全てのベッドに老人たちがいた。
わたしは毎日、義母の病室に見舞ったが、他の老人たちに見舞いにくる家族はとても少なかった。
老人たちも家族に迷惑をかけたくないと思っているのか静かにしていたのだったろう、なかには泣き叫ぶ老人もいて、その声に義母はおびえた。
病院の医師や看護師たちの仕事は過酷にも思えた、医師たちはいつ家に帰っているのだろうと思えた。
看護師たちは少ない人数で効率的に作業をすることを求められているようだった。
そこには決められたことをマニュアルに沿って施すという”作業”が見られた。
おそらく過酷な作業環境の中で患者である老人たちと人間的に接するという機会は制限されるだろう。

義母を病院に入院させておくのが可哀想に思え担当医に余命を聞いて退院させてもらったが、
自宅に老人たちを迎えられない事情を持った家族が大半なのだと思えた。
病院が姥捨山のようだったとは言わない。
なかには子供たちや孫たちを連れて見舞いにくる家族もいたのだ。

 

まど・みちおに「虹」という詩がある。

 

虹 **

 

ーーーー白秋先生を想う

お目を 病まれて
おひとり、
お目を つむって
いなさる。

心の とおくに
虹など、
いちんち 眺めて
いなさる。

虹が 出てます
先生、
障子の むこうで
呼ぶ子に、

見てるのだよ と
おひとり、
やさしく 笑って
いなさる。

 

まど・みちおの詩を読む時、
そこには、まど・みちおと白秋先生の個別の生があり、
個別の生を超えて、まど・みちおの想いが白秋先生の虹に届いているように思える。

そこに詩が生まれている。

 
あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

* 朝日新聞 2020年3月17日朝刊からの引用
** 岩波文庫「まど・みちお詩集」からの引用

 

 

 

あきれて物も言えない 09

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

マスク外して海をみていた

 

「新型肺炎 国内感染が広がる」という見出しが新聞の一面に大きく出ていた。
ここのところテレビも新聞も中国から世界に拡散する新型コロナウイルスの感染被害について報じている。
ついに日本でも感染者は338人(2月16日現在)という、テレビで専門家はすでに数千の規模で日本でも感染者がいるだろうとコメントしていた。
中国では感染者が6万8,500人となり死者数がすでに1,665人だという。毎日100人以上が死んで行く。

最近では外出の際にはマスクをするようにしていた。
感染するのが怖いし他人に染すのも嫌だ。

ところでウイルスの直径は0.1マイクロメートルで、
1マイクロメートルは0.001ミリメートル、
マスクの網目は10マイクロメートル、
マスクの網目はウイルスの100倍も大きいのだから、おそらく、あまり、予防効果は無いだろうなと思いながら他人を怖がらせないためにマスクをしているようなところも自分にはあるのかな。

それで、日本ではマスクが品薄なのだという。

横浜港に停泊中の大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗員3,700人には感染が広がり、285人がすでに感染していて日々感染がひろがっているのだという。
それでアメリカは自国民、約380人をチャーター機で退避させるのだという。
アメリカや各国のメディアは「(日本政府の検疫は)感染を止めるものではなく、船内で感染を広げているという証拠が山ほどある」と専門家のコメントを紹介し日本を批判しているのだと新聞には書かれていた。

新型肺炎だけではなく、
中東やアフリカの紛争、難民、温暖化、気候変動、森林火災、環境汚染、経済の不安定化、などなど、
世界には問題が山積している。
全て、人間の問題だ。
地球という宇宙にとっては人間がもっとも危険な害毒であるのだろう。
そろそろ人間というリスクをどのように回避するのかを考えはじめているのだろうか。

そんなことを思いながら雨の日曜日、浜辺に出かけていった。

海浜公園には人影がなかった。
マリーナの隣の堤防で何人か釣りをしていた。

西の山が雨に霞んでいた。
水平線が横に伸びていた。
マスク外して海をみていた。
今朝の朝日俳壇の俳句を思いだしていた。

 

旅人の如くマスク探しけり *

 

さいたま市の齊藤紀子さんという方の句だった。

われわれはマスクを持たない旅人でありましょう。
明日さえも今日さえもわからない小さな旅人でありましょう。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

* 朝日新聞 2020年2月16日「朝日俳壇」からの引用

 

 

 

あきれて物も言えない 08

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

やらなければならないことを置いて

 

ここのところ滅入っている。

そんなことを書くと幸せな方々の気分を悪くさせてしまうようで、
申し訳ない気分です。

どうして気が滅入るのだろう。

人には言えないような理由はいくつかあるのだがこの滅入ってくるという気分は、
わたしの平常心なのかもしれないとも思う。

この男、あまり面白くない奴なんですよね。

一昨日は、
やらなければならない事を置いて犬のモコと海を見にいった。

今日は、
やらなければならない事を置いて、
モコと居間のソファーで横になっている。

洗濯をする。

部屋の掃除をする。

トイレも綺麗する。

草をむしる。

玄関の絵を掛けかえる。

野菜と肉の煮物を作る。

水曜文庫に遊びに行き本を買ってしまう。

モコと散歩する。

そんなことでやらなければならないことから逃避している。

一昨年だったか、
東京からここに引っ越してきたが、
本の山をやっと二階の部屋に押し込んだのが去年だった。

それで下の部屋の襖が開かなくなったと女に小言をもらった。

だいたい、
本というものを売ることも捨てることもできない。

それでも本は買ってきてしまう。

本や詩集を送っていただいても、
なかなか読みすすむことができない。

お礼状も書かなければならないができていないものがたくさんある。
申し訳なく思っている。

だんだんと気が滅入ってきて身動きができなくなってしまう。
やらなけれならないことを置いている。

やらなければならないことは、
誰かと約束したことではないがやらなければならないと自分で自分に約束したことなのだった。

挨拶とか礼とかがある。
やらなけれならないことを置いているとやがて淋しい心細い場所にいることになる。

そんなことを考えているとよけいに気が滅入ってくる。

今朝も、
早く起きて、義母の仏壇に、お水とお茶とご飯をあげて線香をたてた。
それからモコと仏壇に手をあわせた。
義母のこと、母のこと、義兄のこと、
女とモコのこと、子どもたちのこと、秋田の姉と兄のこと、志郎康さんのこと、友人たちのこと、などなど、
みんなのことを祈った。

それから味噌汁を作った。

女の弁当とサラダも作った。
朝ごはんを食べた。
洗濯機を動かした。
洗濯物を干した。
浜風文庫にひさしぶりの志郎康さんの詩をアップした。
それでいまこれを書いている。

いまは、やらなければならないことを置いて、全部、置いて、詩を書きたいですね。
詩といっても詩とは別れて詩ではない詩を書きたいですね。

その後で、モコと浜辺に行きたいな。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 07

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

去年の今日、だった

 

義母が入院したのは、去年の今日だった。
もう、一年が過ぎてしまった。

心不全と腎臓の機能低下のため義母の足は象の足のように浮腫んでしまっていた。
それで入院して強い薬を使って浮腫を抑えることになったのだった。
入院してすぐに薬を投入すると浮腫は驚くほど解消されたのだったがあの日、義母の意識は混濁してしまった。

大病院の五階の病室のベッドには虚ろな表情の義母がいた。

それから一ヶ月間、義母は入院した。
毎日、女とわたしは病院に見舞った。
混濁した意識は、まだらに回復して、家に帰りたがる義母を、
担当医に相談して在宅医療の医師、介護施設と連携してから、退院させた。
退院時に担当医から余命は約一ヶ月と言われた。

退院の日、義母を車に乗せて、すぐに家には帰らずに、
病院から出て、港町の風光のなかをドライブして、浜辺まで行き、義母に海を見せた。
最後のドライブだった。

空は、よく晴れていて、海は、キラキラ、光っていた。

退院した義母には、いちごやメロン、マグロ、牛肉や、和菓子など、好きなものを食べさせた。
美味しそうに、義母は、たくさん、食べてくれた。
犬のモコも、義母の帰りを喜んでベッドにあがって義母の顔を舐めていた。

しかし、担当医の言った通り、心臓はもたなかった。
義母は退院して一ヶ月で逝った。
もうすぐ、一年になる。

 

話は変わるが、
悲報だった。

12月4日、
アフガニスタンで活動している中村哲医師が銃撃されたというニュースだった。

翌日の新聞で中村哲医師が亡くなったことを知った。
アフガニスタン東部ジャララバードで12月4日朝、銃撃され、死亡した。

中村哲医師の活動については、かつてNHKのドキュメンタリーを見て知っていた。
ドキュメンタリーでは中村哲医師がアフガニスタンでユンボを運転して現地の人々と灌漑用水路建設に従事している映像を見た。
医師とは思えない姿だった。
映像の中で「100の診療所よりも1本の用水路」ということを語っていた。
現地に居て現地の人々の惨状を知り尽くして語った言葉だろう。
砂漠に水があれば、清潔になり、病気を予防し、食うものも作れるから、
アフガニスタンの人々には何よりも井戸と用水路が必要なのだということだったろう。
畑で食うものさえ作れれば、男たちがタリバーンやイスラム国の傭兵として金を稼がなくて済むということだったろう。

その中村哲医師が、運転手や警備員5人とともに銃撃され殺されてしまった。

タリバーンの幹部は事件後に犯行を否定する声明を出したのだという。
中村哲医師を殺害してアフガニスタンの人々にはどのようなメリットがあるというのだろう。
ジャララバードでは4日夜に中村哲医師の追悼集会が開かれたのだと12月5日朝日新聞の夕刊には書かれている。

「中村さんは懸命に働き、砂漠を天国の庭のように変えてくれた」
「あなたはアフガン人として生き、アフガン人として死んだ」

現地NGOメンバーたちの言葉だ。

人はいつか死ぬだろう。
誰にも平等に死はやってくるだろう。
身近な人々、友人、見知らぬ人、われわれ自身に、死は、訪れるだろう。

アフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲医師のような人もいれば、
金髪の米国大統領の傍でニヤニヤしているこの国の首相は、日本ではお仲間を集めてお花見をしているわけなのだ。

この国で、よくも暴動が起こらないものだと思う。
この国の若者たちはおとなしく飼いならされた羊のようだ。
深く深く絶望しているのだろうか?

この世界を分断は覆いつつある。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 06

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

竿を出してみた

 

先週の金曜日だったか、
竿を出してみた。

竿を出すのは、二年ぶりくらいだろうか?

以前に通った海浜公園の下にある釣場で竿を出してみたんだ。
ここでは黒鯛を釣ったことがある。
メジナもたくさん釣った。
大きなボラも釣れたことがあった。
ボラは釣れると横に走って引きが楽しいが釣場が荒れるので釣仲間には嫌がられてしまう。やっとタモですくいあげても直ぐにリリースする。

この釣場では、以前、ひとりの漁師のじいさんが釣りをしているのを見かけた。

じいさんは、いつも、グレーの作業服とズボン、グレーの作業帽子で無精髭を生やしていた。
釣り人は道具にこだわる人が多くいる。
とんでもなく高価な竿や道具だったりする。
でも、そのじいさんは延べ竿一本で、タモも持たずに、撒餌もしなかった。
自作の浮子を浮かべ、餌は練餌だけで、メジナを狙っていた。
たくさん釣れるわけでもなく、シンプルな仕掛けだけで、メジナを狙っていた。

まわりにはメジナを釣ろうと釣り人たちが撒餌を散々に撒いて釣りをしているのだ。
その隣りでそんな単純な仕掛けでメジナが釣れるわけがないのだ。
だけど、そのじいさんは、いつも、そんな仕掛けで、メジナを狙っていたんだ。

いつだったか、
じいさんは赤灯台の突堤で釣りをしていて海に落ちて死んだと、
他の釣り人から聞いた。

じいさんはもう釣りをしていないのだ。

さて、そんなことを思い出しながら、竿を出してみたのだ。
じいさんの真似をして、浮子と練餌だけで狙ってみた。
金曜日に竿を出すというのは、
人がいない時に狙った方が撒餌もなく魚も空腹になっていて釣れると思えるからだ。
金曜日の午前に釣りをしている者はほとんどいない。

しかし、海は荒れている。
波は荒く、浮子が上下して、釣りにならない。
ほんとは海中で餌を安定させなきゃいけない。
餌が波の上下で不自然に動いたら魚だって食ってくれないだろう。

荒れた海を見ながら何度か竿を出してみる。
浮子がどんどん波に流されてしまう。
浮子が波間に揺れるのを楽しみながら目で追うのは味わいがある。
波は一つとして同じではなくその波の中を浮子が流されていくのを見るのは楽しい。
やはり今日は釣れないと思う。
それでも竿を出すのは楽しい。
そこに海があり、波があり、テトラポットがあり、その中に、風に晒されて名前のない釣り人がいる。

今朝の新聞で、大阪豊中市のアパートで、孤独死した独居老人の記事を読んだ。
その老人は奄美群島の加計呂麻島の出身で、金の卵として集団就職で関西にやってきたのだという。
はじめに船会社で船員になり、それから阪急梅田駅近くのパチンコ店で住み込みで働き、店が潰れたあと、土木仕事で転々としたそうだ。
60年代後半は大阪万博に向けた工事の仕事があったのだったろう。
万博が終わった後には、釜ヶ崎などには吹き溜まりのように労働者たちが流れ着いたのだろう。

このように孤独死して死後2日以上経過して発見された独居老人は2011年には2万7千人いたのだと民間調査機関の数値を新聞記事は示していた。

戦後、石炭から石油へのエネルギー転換があり、大阪万博があり、急速な工業化があり、原発推進もあった。
国策だった。
官僚がこしらえた政策だった。
その国策の流れの中に日本があった。
日本の都市も、農村も、漁村もあった。
その国策の中に、金の卵たちや出稼ぎ労働者たち、炭鉱労働者たち、満州引揚者たち、在日の人たちもいて、農村の崩壊と離農があり、水俣があり、原発推進も、安保闘争も、三里塚闘争も、あったのだろう。

いま、日本の明治以降を振り返る時に、はっきりと見えることがある。
大きな国策という流れの中で最底辺の者たちが最後の最後まで利用されて使い捨てられているということだ。
いまや外国人労働者たちもその最底辺に組み込まれようとしているわけだろう。
国策という流れはいまも変わっていないと思える。
アベノミクスという強者たちに都合の良い政策が国策として進められているように思える。

もう一度、海を見ていた。
荒れた海の波間に浮子は激しく上下して漂っていた。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 05

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

大風は過ぎていった

 

台風19号はわたしの住む静岡に上陸して、長野、新潟、神奈川、東京、千葉、埼玉、群馬、茨城、栃木、福島、宮城、岩手と、大変な被害をもたらして、いった。

その日は台風が上陸すると聞いていたので物干し竿を下ろして雨戸をすべて閉めて、
女と喪中葉書の絵柄や言葉を選んだりしていた。
昼前から強い風が吹いてガタガタ雨戸を揺らした台風は夕方にこの地域に上陸して過ぎていった。
夜中に何度か近所の小川の水嵩を二階の窓から覗き込んだ。
小川は増水して土手まで届きそうな濁流となったがなんとか土手を超えることはなかった。
たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだろうと思える。

原発のある福島は大丈夫なのだろうかと思った。

翌朝、台風は過ぎて、晴天となった。
ニュースでは大変な被害が各地から報告されはじめていた。

秋田の姉からは「近くに川があったけど、だいじょうぶ?」とLINEが届いた。

長野や神奈川、東京などにいる知人に無事を確認してみた。
千曲にいる詩人はなんとか無事とメールをくれた。他のみんなも大丈夫と返事をくれた。

それで、女とわたしは朝早く、地方巡業の相撲を見にいったのだった。
晴天の空の下を車を走らせ隣町の体育館に向かっていた。
台風の大量の雨に空気が洗われていつもよりも街や山々は綺麗に見えた。

体育館前の行列に並んで、女と”向正面ペアマス席”というところに座った。
正面は北側で「貴人は南に面す」といって貴人が座る場所なのだそうです。
正面の反対側の向正面から見ると行司の背中と尻が見えて相撲の取り組みは見えにくいわけなんですね。

公開稽古といって幕下以下の力士たちが廻しだけの裸で稽古をしている。
力士が先輩力士に何度も挑んでいた。何度も何度も投げ飛ばされては起き上がっていた。
擦りむいたり、鼻血を出したり、転んだり、土俵下に落ちたりしている。
裸の背中や胸が汗で光っている。

花道の近くに大栄翔がいた。
大栄翔は女とわたしが応援している力士だ。
大栄翔の横に並んでいる女の写真を撮った。
少女のようにはしゃいでいる。
相撲の絵の座布団にサインまでもらっている。

この前の両国にも見に行ったが大栄翔は横綱鶴竜を破ったんだ。
見事な勝ち方だった。
座布団が飛んだ。

大栄翔は負けるときは簡単に負けるけど、
かわいいのだ。

公開稽古が終わると、
幕下以下の取組が始まる。
その後に、十両の取組、幕内の取組とつづく。

幕内の取組で、大栄翔はやっと登場する。

女が横で、だいえいしょう〜! だいえいしょう〜!と声援していた。
今回も大栄翔は千代大龍と闘い勝った。

勝つと、うれしい。

勝つと嬉しいが、
勝った力士も負けた力士も花道を帰ってくる。

力士たちは様々の表情をして帰ってくる。

それはそうだ、力士たちも、勝って上のクラスに上がらなければ惨めな生活が続くのだろう。
ライバルを蹴落としてでも上に行く気持ちが必要なのだろう。
相撲では物凄い気迫と形相の睨み合いとなる。
大栄翔はその丸っこい顔にあまり物凄い気迫と形相を見ることがない。
それで横綱に勝ったり、ライバルに簡単に負けたりする。
その辺りが面白くて可愛いのだ。

大栄翔はジャンルの中でプレーしているがジャンル以前に個人なのだろう。
この世にはそのようなヒトたちがいる。
画家や写真家や音楽家、詩人などもその部類だろう。

大風は過ぎていった

その下に相撲やラグビーを楽しんでいるヒトがいる。
その横に台風で避難しているヒトたちがいる。
今朝(2019年10月7日)の新聞によると死者78人、不明15人、避難者4,200人ということだった。
被災され避難されている方々はこれからの避難生活や家の片付けなどで疲労が溜まって行くのだろう。

わたしの地域は、たまたま上流の山に降った雨の量が多くなかっただけで助かったのだと思える。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

あきれて物も言えない 04

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている

 

もう2ヶ月が過ぎようとしている。

2ヶ月ほど前に表参道のスパイラルというところで自分の詩について話したのだった。
2時間くらい話すようにということだったのですが2時間も話すことは自分にはないなあと思えてその日まで憂鬱だったのだ。
自分の憂鬱はしょうがないけど来てくれる人まで憂鬱にしたら申し訳ないとも思ったのだ。

「自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている」という演題だった。

自分の詩について話すよりも自分がどのような詩に関わってきたのか、
どのような詩が素晴らしいと思って生きてきたのかを話す方が他者にはメリットがあるのではないかとも思ったのだ。

それで東京に向かう新幹線の中でノートパソコンに向かいレジュメを作ったのだった。
会場ではレジュメ通りに進めた。
松田朋春さんが司会をしてくれたので安心でした。

18歳の浪人だった頃に読んだ西脇順三郎の「茄子」という詩をまず朗読してみたのだ。

それから22歳の頃、東中野にある新日本文学の鈴木志郎康の詩の教室に通っていた頃に読んだ鈴木志郎康の「わたくしの幽霊」という詩集から「なつかしい人」という詩を朗読したのだ。

また、最近、発見した谷川俊太郎の「はだか」という詩集から「おばあちゃん」という詩を読んでみたのだ。

金子光晴の詩が入っていないのは片手落ちだったかもしれないが、
どの詩もわたしが書きたくても書けないような詩なのだ。

 

「茄子」

私の道は九月の正午
紫の畑につきた
人間の生涯は
茄子のふくらみに写っている
すべての変化は
茄子から茄子へ移るだけだ
空間も時間もすべて
茄子の上に白く写るだけだ
アポロンよ
ネムノキよ
人糞よ
われわれの神話は
茄子の皮の上を
横切る神々の
笑いだ

 

「なつかしい人」

わたしの遺影の前には
パイプと煙草がきっと置かれるだろう
そんなふうな
気遣いをしてくれる人が
一人ぐらいはいるだろう
パイプをくわえて
薄暗い室内に座っていると
その人が急になつかしくなる
しかし、その人が誰なのかは
まだ生きている
わたしにはわからない

 

「おばあちゃん」

びっくりしたようにおおきくめをあけて
ぼくたちには
みえないものを
いっしょうけんめいみようとしている
なんだかこまっているようにもみえる
とってもあわてているようにもみえる
まえにはきがつかなかったたいせつなことに
たったいまきづいたのかもしれない
もしそうだったらみんなないたりしないで
しずかにしていればいいのに
でもてもあしもうごかせないし
くちもきけないから
どうしたらいいかだれにもわからない
おこったようにいきだけしている
じぶんでいきをしているのではなく
むりやりだれかにむねをおされているみたい
そのとききゅうにいきがとまった
びっくりしたままの かおでおばあちゃんは
しんだ

 

これらの詩をもう一度、今夜、読んでみた。

これらの詩には詩人が自身でありながら自己と他者を公平に見ることができる視線があるように思います。
自己と他者を公平に見る視線を持つということはなかなか高度な達成であると思います。

これらの詩に書かれている達成に比べたら、
わたしの生は自己に拘泥してきた生であったと思わずにはいられないです。
他人のことなど少しも考えもせずに自分のことや自分の利益だけを考えてきたのだろうと思わずにはいられないのです。

先週の金曜日には相撲の桟敷席のチケットを知人から頂いたので女と女の友人たちと蔵前の国技館に行きました。
国技館ではちゃんこを食べてから弁当を二つ食べてビールを二本を飲みました。
大好きな大栄翔が鶴竜を打ち負かして座布団がたくさん飛びました。
それから女たちと別れて浅草橋で荒井くんと飲みました。
それで荒井くんと別れて総武線と中央線に乗り、酔いつぶれて武蔵境まで乗り越して、
高円寺に戻って、広瀬さんと朝まで飲みました。
それから新宿のホテルまで戻りシャワーを浴びてすこし仮眠してから恵比寿の写真美術館で写真を見ました。
なにを見たのかよく覚えていませんが金髪の西洋の女性が土田ヒロミの写真を見てボロボロと泣いているのを見ました。
わたしは泣けませんでしたが土田ヒロミはいいなと思いました。
それから中目黒に向かい写真家のしどもとよういちさんと会い飲んだのでした。
しどもとさんは不思議で美しいひとです。
それでしどもとさんと別れて高円寺に向かいすこし飲み、新宿のホテルに帰り、風呂に入りすぐ眠った。
翌日、上原のユアンドアイの会で詩の合評をして、その後で、詩人のみなさんと飲んだのだった。
楽しかった。

よくもまあこんなに酒を飲むもんですねえ。

なぜか突然、思い出したのですが、
むかし、新潟にある坂口安吾記念館に一人で行ったことがありました。
記念館の奥の部屋に「菩薩」という大きな書が掛かっていた。へー、安吾、菩薩かあ!と驚きました。
あれは安吾の書だったのでしょうか?
その後で午後に羽越線に乗り羽後本荘に向かいました。
車窓からずっと夕方の日本海と浜辺に並ぶ漁村の景色を見ていました。

いまはいない義兄が羽後本荘駅で待っていてくれました。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚