ピコ・大東洋ミランドラ
酔生夢死
夜が明けて朝になった。
また、
朝になった。
部屋の窓を開けると西の山が霞んで青く見える。
空は灰色で、雨になるのだろう。
燕が低く飛んでいる。
コロナや、
戦争や、
紛争や、事故や病気で、
自分が死んでも、
他人が死んでも、お日様は昇り朝になる。
ここのところ世界は新型コロナウィルスの感染で人々が死んでゆく。
人々は、ステイホームし、自粛している。
自粛するよう要請されているのだから、自粛というのだろうか? 疑問だ。
まあ、それでも、朝は来るのである。
燕が飛んでいる。
生きているからこそそのことを知る。
国会ではコロナの最中に「検察庁法改正案」が上程されている。
検察幹部を退く年齢に達しても政府の判断でそのポストにとどまれる特例を可能とするという法案だ。
安倍総理は検察にも忖度しなさいと言っているのであろう。
政府は大多数の国民のコンセンサスを得られないだろう法案を強行採決しようとしている。
すでに呆れてしまう。
元検事総長ら検察OBたちは、
「検察人事への政治権力の介入を正当化し、政治権力の意に沿わない動きを封じて、検察の力を削ごうとしている」* 1 と、意見書を法務省に提出したという。
政府に対して「火事場泥棒」という言葉も聞こえる。
わざわざこのうようなコロナによる緊急事態宣言が発令されている時に急いで通す法案では無いだろうとわたしも思います。
国民はコロナでそれどころでは無いが国会の審議に注目しているだろう。
さて「酔生夢死」である。
ここのところ辻潤の本を読んでいて、この言葉に出会った。
辻潤は明治19年に東京浅草橋に生まれ、
昭和19年に新宿上落合のアパートで室内でシラミにまみれて死亡しているのを発見された。
餓死して死んだ、思想家で、ダダイストです。
伊藤野枝を大杉栄に寝取られた男でもある。
「浮浪漫語」という文章で「酔生夢死」という言葉を使っている。
酔生夢死
「なにひとつ有意義なことをせずに無自覚のまま死んでいってしまう」という意味と、
「自由奔放に生きる」という意味があり、
辻潤は後者の言葉の実体を、望み、生きて、死んでいった人なのだろう。
「人間の姿の一人もいない広々とした野原を青空と太陽と白雲と山と林と草と樹と水となどにとりかこまれて悠々と歩いていると、それらの物象がいつの間にかことごとく自分である。」* 2
と、辻潤は「浮浪漫語」に書いている。
辻潤は空っぽのまま、最後の最後まで自由を求め、生き、死んでいったのであろう。
世界にコロナウィルスは広がっている。
第2波、第3波のウィルスの猛威が想定されるのだという。
部屋の窓を開けると山が霞んで青く見える。
空は灰色で、雨になるのだろう。
燕たちは低く高く曲線を曳いて飛んでいる。
南方から大風が近づいているのだということだ。
作画解説 さとう三千魚
* 1 「朝日新聞」2020年5月16日朝刊より引用しました。
* 2 「辻潤全集 第1巻」「浮浪漫語」より引用しました。