家族の肖像~親子の対話その33

 

佐々木 眞

 
 

 

「廃止」は、やめることでしょう?
そうだよ。
サカイさんは、「やめてください」っていったお。
そうなんだ

カズタケさん亡くなって、オトゾオさん泣いた?
泣いたでしょう。

お父さん、サッちゃん恐くない?
恐くないよ。優しいよ。
そお。

ヒロシさん、おじさん?
そう、おじさんだよ。

お母さん、ぼく、ルパン好きだよ。
ああそうなの。
ルパン、ルパン。

お母さん、分かりゃしない、てなに?
分からないだろう、ってことよ。

お母さん、人殺し、イヤですよねえ。
いやですねえ。

落語ってなに?
面白いお話よ。
ぼく、落語すきですお。
そうなんだ。

フクザツってなに?
いろいろむずかしいことよ。
フクザツ、フクザツ。

お母さん、この桃色の花、なに?
カーネーションよ。
ぼく、カーネーション好きですお。

被害のヒは、コロモ偏に皮でしょう?
そうだね。

証言の証は、ごんべんに正しいだね?
そうだね。

被告人ってなに?
悪い人じゃないかと思われてる人のことよ。

ひらめくってなに?
思いつくこと。こうしよう、っと。

じつは、って、なに?
本当のところは、よ。

バイキンって、なに?
悪い病気の元だよ。耕君、バイキン手に入って痛かったでしょ?
痛かったお。

ぼく、平成5年に歯石取ったよ。
どこで?
聖ヨセフ病院で。横須賀の。
25年前じゃないの。よく覚えてるね。
そうだよ。

お母さん、ぼく、お仕事徹底的にやりますよ。
すごい!

お母さん、ぼく、ウラジロ好きです。
そうですか。
ウラジロ、ウラジロ。

お母さん、ぼく、ヤブコウジ好きですよ。
お母さんも好きよ。
ヤブコウジ、どこにあるの?
あとで教えてあげる。赤い実がなるのよ。

 

 

 

タナカさん

 

芦田みゆき

 
 

「みゆきちゃん!」と呼ばれた気がして振り返ると、夜の道路の向こう側の、更に工事現場の向こう側から、腰の曲がったおじいちゃんが一生懸命呼んでいる。カメラを撮るジェスチャーをし、ぐるっと回っておいで!という仕草をする。どうしようかと迷ったのだけど、気になり、ぐるっと回って会いに行った。おじいちゃんは嬉しそうに何か喋っているが、何を言っているのか、所々しかわからない。「ホームレスみたいなもんだ」と言っているが、臭わないし、髪も髭も整っていて、綺麗な歯をしている。〈区役所の人〉とか、〈御苑〉とか、〈木〉とか、〈倒れた〉とか〈倒れない〉とか、〈仕事が出来ると追い出される〉とか。とにかく体じゅうで何かを伝えている。写真を撮ろうとすると、ちょっと構える。そしてまた話し出す。「ねぇちゃん」と呼ばれて、あぁ、みゆきちゃんではなく、ねぇちゃんだったんだ、とわかった。
 私はここにあった、柵に囲まれた植物に会いに来た。それらはひとつもなくなっていた。代わりにおじいちゃんがいた。私はそのことを伝えた。
 夜遅いからもう帰るよ、と手を振ると、無理に追う様子もなく、「名前はタナカ」と名乗った。私はみゆきと名乗った。どこの生まれ?と聞くと、「秋田」と答えた。風邪引かないでね、バイバイ!と手を振ると、おじいちゃんは磁石で止められているみたいに、その場から動かず、ずっと私を見ていた。バイバイ!おじいちゃん!

大通りに出ると、突然涙が溢れてきた。もういない父を思い出した。性格も見かけも全然違うけれど、仲が良かった頃の父と、にくんでいた頃の父がダブり、ゆらゆらと浮かんでは消えていった。

 

 

 

 

文学と日本酒と

 

みわ はるか

 
 

高校1年で初めて実施された校外模試で早々に志望校を書くようにと担任から指示があった。
その時のわたしは絶対にこれになりたいとか、この大学に行きたいとか全くなかったため困った。
ただおぼろけながら文学部に行けたらなとは思っていたので、近隣の大学の文学部を第一志望校に書いた。
なんとなくだけれど、哲学とか文学者とかの思想を学びたいと感じていたし、あわよくば大学にずっと残って研究できたらなと思っていた。
ちょうど担任は文学部卒だった。
その先生によると、文学部の卒業後の進み先は狭い範囲だそうだ。
昨今も新聞やテレビで取り上げられているけれどそうなのかもしれない。
研究者だってほんの一握りしかなれないし・・・・。
致命的だったのはわたしは世界史や日本史を好きにはなれなかった。
カタカナで並ぶ横文字や、複雑に列をなす漢字にも親しみをもてなかった。
国語の古文や漢文もチンプンカンプンだった。
今では全く畑違いの人生を送っている。
だけれども、文学部が決して無駄な学部だとは思わないし、わたしは素敵な学部だと信じている。
最近、ある記事でとても感銘を受けた文章があるのでここに残しておきたいと思う。

ある大学の文学部長の話。

文学部の学問が本領を発揮するのは人生の岐路にたったときではないか。
人生には様々な苦難が必ずやってくる。
恋人にふられたとき、仕事に行き詰ったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、
自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、
自らの死に直面したとき・・・・。
その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考えるてがかりをきっと与えてくれます。
しかも簡単な答えは与えてくれません。
ただ、これらの問題を考えている間は、その問題をを対象化し、客観的に捉えることができる。
それは、その問題から自由でいられるということでもあるのです。
これは、人間に与えられた究極の自由であるという言い方もできるのです。
人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。
その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であると思うのです。
人文学は人生の岐路に立ったときに真価を発揮するという。
特に人文系に対する風当たりが強い昨今、こんなにも力があるんだよということを伝えたい。
世の中に対し顔を上げて生きていってもらえたらと。
肉体的、精神的につらい状態にあるときに、考えることがつらさを和らげてくれるという実感は何度か経験しております。   ※

とてもわたしの心に響きました。
無駄なことはやっぱりないんだなと感じました。
素敵な文章だと思います。
 

 
さて、最近また少しずつ外でお酒を飲むようになりました。
今実は日本酒に興味があります。
全然詳しくないのですが、飲みやすくて、とっくりがかわいいのが気に入っています。
昔、おじいちゃんが熱燗を毎日家で飲んでいたことを思い出します。
ただ、残念ながら周りに日本酒が好きな人がいないのです。
誰かと楽しく飲めたら素敵だなと思います。
熱燗も冷酒もいいものですね。
おでんなんかにも合うのかな。
どうなんだろう。
まだまだ未知の世界です。

秋はどんどん深まっています。

 
 

※2012年 朝日新聞より引用

 

 

 

避難訓練

 

塔島ひろみ

 
 

重みに耐えきれず手を離した
途端、その、ヒトの入った大きな寝袋みたいな物体は階段を滑り落ち
徐々に速度をあげて落下していく
息を呑む私に
「大丈夫ですよ、ニセモノですから」と、防災係長が言い、
すでに落ち終わったニセモノは袋から顔を出し
笑いながらこちらに向かって手を振っている
「大丈夫ですよ、本番ではあきらめますから」と、
今度は車イスに乗ったホンモノが言うので、皆で笑った

全体訓練はとうに終わっていて、私たちは2次避難場所へは行かなくていいらしい
2次避難所で配ったという焼鳥缶と、サバ缶をもらう

家に帰ると、2階の窓が少し開いて、庭に何か落ちている
ネコが死んでいる
アイ! 駆け寄ると、違う、知らないネコだ(よかった!)
ニセモノは少し口を開けて、まるで笑っているように死んでいた
そしてアイはいなかった

夜11時半過ぎ、アイを見つけた
うちから500メートルほど離れた公園で遊んでいた
一度も走ったことのなかった本当の地面を、走り、はしゃいで、遊んでいたのだ
誰か、飼い主らしい人間と

遊び終わり帰っていく彼らのあとをつける その人は、ひどい跛で、早く歩けない
秋の夜空は曇っていて、生ぬるい空気がたゆたっている
アイは抱っこされて 眠っているのかもしれない
ゆっくりゆっくり尾行して着いたのは 私の家だ

ドアが閉まり、しばらくして2階から、サバ缶の蓋を開ける音が静かに聞こえた

庭にはニセモノの私の死体が落ちている
私は口を開けて少し笑って
その上に雨が降ってきた

(大丈夫、ニセモノだから)

 
 

(2018年10月25日 職場避難訓練の後、自宅付近で)