年の瀬に

 

さとう三千魚

 
 

 

ここのところ

病院に
行ったりしている

病院の五階の窓から
不二を

見たりしてる

頂が白い
不二が雲を載せている

このまえ
コナトゥスという言葉を聴いた

踠いて
ヒトは生きるのだという

そこがコナトゥスか
そこに蕾が膨らんでいる

きみの木蓮の白い花が咲くのを夢みている

 

 

 

ものが壊れる年末

 

長尾高弘

 
 

この年末は色々なものが壊れちゃって参ったよ。
最初は仕事場のPCだったな。
ダイアログのボタンをぽちっと押したら、
ちっちゃな四角がずらずらと画面に出てきて、
うんともすんとも反応しなくなっちゃったのよ。
そのうち、画面が真っ青になって、
重大なエラーでございますとか言い出したんで、
リセットしてみたら、
電源が入っては止まり、入っては止まりして
無限ループみたいになっちゃったんだよね。
電源プラグを引っこ抜いて入れ直しても同じ。
参ったなあと思ったけど、
ちょうど仕事上がりの時間だったんで、
一日頭を冷やしてもらおうってことで、
そのまま帰っちゃったわけ。
翌日いやぁな気分で事務所にやってきて、
電源入れたら普通に起動したのでやれやれよ。
でも、ほっとしたのもつかの間で、
今度は車で出かけたら、
行きについてた車のナビが、
帰りにはつかなくなっちゃってさ。
行き慣れた場所だから、
ナビが見らんないのはまあいいんだけど、
バックしようとしたときに、
ああ、バックモニターも同じ画面使ってんだ、
ってことを否応なく思い出してさ、
昔はそんなもの使わないで平気でバックしてたけど、
あれがあることに慣れちゃうと、
やっぱり怖いなあなんて思っちゃってさ。
これも翌日には戻ったんでやれやれだったんだけど、
ディーラーの定期点検がちょうどあって、
これこれこうこうって言ったら、
いやあ、それ、ときどきあるんですよ、
ってことで、
定期点検の一部だからタダで直してもらえてラッキーよ。
でも、こういうことって重なるもんだなあと思ってたら、
今度は仕事場じゃなくて自宅の方のPCの画面が真っ暗になっちゃった。
朝、Windows 10をアップグレードした
(つーか、前の晩からやってたんだけど)
その日の夜だったかな。
でもよく見ると、うっすら画面が映ってるのね。
バックライトがついてなくて見えないって感じだったわけ。
モバイルでネットにつないで調べたら、
Win、Ctrl、Shift、Bを同時に押してみろって書いてあったから、
やってみると一、二秒映ってまた真っ暗に戻っちゃうのよ。
それでも、その一、二秒の間にマウスでメニューいじって
シャットダウンできるようになったからよかったんだけどさ、
ハードが悪いのかソフトが悪いのかもよくわかんないので、
どこが悪いのか調べるためにあれこれ試してみたけど、
埒があかないから、
翌日の朝、近所のPC DEPOTに行ったわけ。
これこれこうこうって説明したら、
もうほとんどその場で、
モニターが壊れてますねって言われて、
そういや、このモニター、3.11のときにひっくり返って、
右下にミミズがのたくったような傷があったくらいだから、
まあ寿命だよなって思って、
結局、モニター買って帰ったのよ。
これがとってもよくってさ、
画面の面積が広がっただけじゃなくて、
4Kってやつなんで恐ろしく表示が細かくなったんだよね。
前のモニターだと「ば」と「ぱ」の区別がつかなかったんだけど、
字をうんと小さくしても区別できるんだな。
小学館の日本古典文学全集ってのを
何冊か自炊して電子本にしてあるんだけど、
前だったら上段の注も下段の現代語訳も
ちょっと読むのに苦労する感じだったけど、
今度のモニターなら元の紙の本よりもラクラク読めちゃうんだよね。
で、大いに満足して忘年会に出かけたらさ、
二日後に今度は自分の喉が痛くてお腹の調子が悪いわけ。
熱を測ったら37.7度でさ、
速攻で医者行ったら、風邪ですねってことで、
薬もらって、あれ、抗生剤が入ってんなあとか思ったけど、
その日の夜にはもうだいぶ元気になって、
二、三日で普通の生活に戻ったかな。
でも、熱出すなんて久しぶりだったよ。
で、五日分出た薬がまだ終わらないうちに、
仕事場のマシンの画面が真っ青になって、
小さい四角もぞろぞろ出てきて、
今度こそはお陀仏ご臨終ってことになったわけ。
またぞろPC DEPOTに行ったら、
システム起動用のSSDが壊れてますねってことで、
まあこれも3.11のときにも使ってたマシンだから、
(ひっくり返らないように必死で押さえてたんだよね)
面倒だけど作り直すことにしたわけ。
最後にマシン作ったのは四、五年前だったかなあ。
たまにしかやらないから忘れちゃうよ。
それに、CPUファンが今までになくでかくてさ、
筐体のデザインも変わって、
SSDや3.5インチHDDとかは
壁の下の狭いところに追いやられちゃってるのね。
でも、SSDが安くなって、
500GBのやつが買えちゃったのはラッキーだったな。
途中で恥ずかしい失敗をあれこれして、
PC DEPOTに何度も行ってさらに恥の上塗りをしたけど、
なんとかそれも動くようになってやれやれよ。
で、新しいマシンが動き出してみると、
自宅マシンと比べてなんて貧弱なモニターなんだろう、
って思っちゃってさ。
せっかく前のマシンより性能が上がったのに、
すごく残念な感じなんだよね。
で、節税なんてこともちょっと考えて
(大した額じゃないけど)、
今ちょうど同じモニターを買ってきて、
これを書いてるわけ。
あ、言い忘れてたけど、
仕事場PCとほぼ同時に仕事場冷蔵庫も壊れて、
アイスが溶けちゃったんだけど、
何日か前にPC DEPOTに行った帰りにヤマダ電機に寄って、
昨日届けてもらったよ。
前のやつは十九年使ったから、
これは寿命ってやつだね。
年末まであと五日あるけど、
厄介なことはこれで終わりになりますように。

 

 

 

口唇周辺の気息の輪郭(独吟連詩)

 

萩原健次郎

 
 

 

缶のような木のようなものから気息が漏れている

人間が叩く固いものから音が鳴りだす

つまらない煮凝りは青い魚の味噌煮だと匂いでわかる

私より敏感な猫の鼻あるいは髭に付いている汁は乾いている

生活臭という生活音は柔らかな部分もなく塊になって

四方の壁のまま調度されて迫ってきている

誰がキューブだったか毬だったか思い返してもわからない

燕は燕のままの形をして壁に衝突して垂直に墜ちる

緑の水をつくった日には入道雲が起っていた

子守唄を呑み込んだとき唄が喉に詰まった

詠嘆小僧をぐるぐる巻きにして

坂を転がすと石粒に躓いてそこにもガタガタという

硝子女

白飯に浪花節をふりかけて

犬鳴峠の上に来た

とげとげの縄を編んで紐にして首にかける

属性哺乳類鼠語随筆

ああ疲れたという語尾が焼ける

昭和だ昭和だ流行歌の裾がほつれる

不明者発見の報

さみしい語尾

私は峠の門を破って次の世間に揉まれる

登場人物が着ていた衣装はもう丸焼けで

裸だ

音羽川がまた低い地点へ流れて行く

もう爛れた

アルコール臭の腸の壁には新聞記事

冬になるとあれだけ騒いでいたカラスたちも家で寝ている

瞳は黄味

路地裏の金魚

電車よ走れ

木と縄と鼠と腸壁と烏と

硝子女と

笛吹童子

もう夕焼けの時刻には間に合わない

ドナルドダックを抱く

 

 

 

ナイト・クルージン

 

正山千夏

 
 

夜を走り抜ける
語り尽くされた言葉たち散らばる
アスファルト黒く鈍く光ったと思ったら
東の空冷たい風切る自転車が
朝焼けの中に吸い込まれてく

ナイト・クルージン
ジングルベルはもう終わり
光を求めて彷徨う自転車
街の明かりばかり追いかけて
気が付けば浮かび上がる地平線
つらなるビルに塞がれて

ナイト・クルージン
狂ってく自転車の軸が狂ってく
くるくるまわるハーフムーンは
夜明けと夜の境い目を照らし
わたしは熱い心臓はハートビートを刻みながら
朝焼けの中に吸い込まれてく

 

 

 

「今年」の終わりとは日々とは

 

ヒヨコブタ

 
 

毎日なにかが終わっていくのだとして
新たに始まることも始めることもおそれすぎることもないのだろう
ほんとうには

予測などつかないことばかりの日々がいつのまにか人生などと名づけられうまくいかなかったところをあげつらわれるように感じても
ふりかえればいっしゅんなだけにもみえて

考えていきるという分野が異なるだけのすれ違うひとびとが
温かさを持っていないと思えば生きていくことすらわたしには不可能だったろう
考えないという選択肢がある前提で

きらきら輝きがみえすぎるのは眩しくて
それだけのひとがいないと知っていても目を閉じてしまう
眩しさは素敵だと思うことへの反応のひとつなのか

いつ終わるかは知らずにいる
でもある日不意にそれを告げらたなら足掻くだろう
今までと同じように

同じことばを読んでも
同じ体験をしても
重なりあわぬことの方が多い日々に
驚きすぎず静かにそっと息をはけばいい

ことばですれ違うよりそっと
なつかしさを感じる温もりにも頼りながらいようか
温もりはいつでもなにかの奥底から取り出せるように
それだけは忘れぬように

さまざまな色があるように
さまざまな感情とすれ違いおのれのそれさえときに厄介だとしても
ことばのさきにある、もしくはなかにあるものはきっと温かだと信じて

 

 

 

キッチンのオバケ

 

辻 和人

 
 

出た、出た
微かに首を垂れて垂直にすっと
薄暗い中
丸い小さな3つの光源にぼおっと照らされて
出た
早朝
トイレに行こうと階段を降りると
キッチンに佇む影
ミヤミヤに似た背丈
目玉焼きの乗った丸い皿を左手で支え
右手にトースト
傍にミルクの入ったカップ
口をもぐもぐ動かしながら
細い首がゆっくり回る
髪がばさっと揺れた
目玉焼きの目玉に捕まるぞ
「あら、起きちゃったの? あたし、今日いつもより早く出勤するから。
時間ないんで食器の片づけと戸締りよろしくね」
おおっ、ぼくがいない時は立って済ませるんだ
ぼくがいるからテーブルを明るくして食べながら話したり笑ったりするんだ
いつものミヤミヤなんだ
でもっていない時は
3つの光源にぼおっと照らされた
キッチンのオバケになるんだ
垂直にすっと
出た、出た

 

 

 

東京のまん中にある空虚な場所

音楽の慰め 第31回

 

佐々木 眞

 
 

 

東京のまん中にある空虚な場所が、ようやく民草に返還されたので、長らく皇族だけの特権であった乾門の紅葉などをはじめて見物してから、御成門に廻り、そこからまっすぐ東京駅に向かいました。

駅の上の煉瓦色のホテルが、私ら夫婦の定宿です。
部屋の窓からは、むかしこのホテルの216号室に住んでいた江戸川乱歩のように、8つの干支のレリーフに飾られた天窓付きのドーム、そしてその下に広がる大きなホールを見下ろすことができます。

大勢の人々が旅立ち、あるいは、さんざめきながら、帰ってくる。
私は、彼らがいそいそと改札口を出入りしている姿を、眺めるのが好きなんです。
それ自体が、さながら一幅の絵、あるいは舞台で演じられる無言劇のようにおもわれるのです。

そういえば昔から、このホールではさまざまなコンサートやお芝居、ライヴやパフォーマンスが行われてきました。
今宵はそんなお話でもいたしましょうか。

コンサートの中で特に印象に残っているのは、dip in the pool(ディップ・イン・ザ・プール)という男女2人組の演奏です。
ボーカル担当は、若くて、すんなり痩せた背が高い女性でしたが、その声は繊細で、文字通り“水の中に溶け入るような”あえかな響きでした。

ところが、なんてこった!
彼女が歌っている最中に、心ない罵声が飛んだのです。「これでも音楽か!」というような。一瞬にして氷のように緊張が張りつめたホールに、静かな、けれども凛とした女性の声が響き渡りました。
「すべてのみなさんに、気にいってもらえないかもしれません。でも、これが、私たちの音楽なんです」

するとどうでしょう。
ホールには、たちまち彼女を励まそうとする声が飛び交い、少しは余裕を取り戻したのでしょうか、彼女はかすかに微笑んで、再びプールの中へ、まるでオフィーリアのように、ゆるゆると沈んでいったのでした。

さてそうなると、もっと過激なミュジシャンの、激しい怒りに触れた日のことも、思いださずにはいられません。

青森生まれのそのフォークソング歌手は、彼の得意のギターの弾き語りで「開く夢などあるじゃなし」という怨歌を、強い感情をこめて唄っていました。

しばらくして勤め帰りに一杯やったとおぼしきリーマンたちが、あざけるような笑いを洩らした瞬間、彼は歌うのをやめ、彼らを睨みつけると、青森訛りの押し殺したような低い声を、濡れた雑巾のようにぶつけました。

「俺の歌が気に入らないのは、構わない。しかし俺は、君たちに尋ねたい。君たちに、君たち自身の歌はあるのか?」

たちまちにして凍りついた会場の、一触即発の異様な雰囲気に耐えきれず、リーマンたちはこそこそと退散してしまいましたが、半世紀以上も前に放たれた、「君たちに君たち自身の歌はあるのか?」という彼の問いかけは、その後も不意に蘇って私の胸を刺すのです。

でもその反対に、いま思い出しても胸の中が明るくなるような、楽しいコンサートもありました。アメリカからやってきたNYフィルが、陽光眩しい夏の昼下がりに行った演奏会です。

7月4日はアメリカの独立記念日で、全米各地でパレードやお店のセールやお祭り騒ぎが開催されるのですが、たまたまちょうどその日に演奏旅行をしていたアメリカ・ナンバーワンのオーケストラが、このホールに立ち寄ったというわけです。

本当は人気者のバーンスタイン氏が来日する予定だったのですが、突然キャンセルとなり、ピンチヒッターに立ったエーリッヒ・ラインスドルフという年寄りの、しかし溌剌とした指揮者が、私たち聴衆に向って語りかけました。

「ご来場の紳士淑女の皆さま、本日は私たちの国の独立記念日です。そこで演奏会のはじめに、まずこの曲をお聴きください」
いうやいなや、楽員の方を振り向いて指揮棒を一閃。ホールに洪水のように流れてきた音楽は、スーザの「星条旗よ永遠なれ」でした。

その日のプログラムも、その演奏もすっかり忘れてしまった私ですが、ラインスドルフの颯爽たる指揮ぶり、そしてスーザのマーチの、あの前へ前へと進みゆく重戦車のような咆哮は、いまだに耳の底に残っており、「ああ、これがアメリカの能天気なんだ」と妙に納得させられたことでした。

やはり所もおなじ大広間に、昔懐かしいヒンデンブルグ号が、超低空飛行で飛び込んできた日のことも、忘れられません。

誰彼時ゆえ、上手なかじ取りが、舵を繰りそこなったのでしょうか?
海の外から何カ月もかけて東京にやってきた巨大な飛行船が、何を血迷ったのか、このホールに迷い込んできたのです。

慌てふためいたヒンデンブルグ号は、なんとか出口を探そうと前後左右に身もだえするのですが、そのたびに膨らんだ船体のどこかが壁にぶつかって大きな衝撃を受け、いまにも墜落しそうになります。

やがてようやく体制を立て直した飛行船は、まるでシロナガスクジラが、閉じ込められた内海から逃れるように、よたよたとホールの外へよろめき出ましたが、おそらく船長さんは、自分たちのことをクジラではなく、井伏鱒二の小説に出てくるサンショウウオになってしまうのではないか、と思ったに違いありません。

さて今夜は、いま話題のはあちゅうさんが、AV俳優のご主人に抱かれるかも知れない!という興味津々のライヴがあるようですが、いかがいたしましょうか?
乱歩のように、カーテンの陰から覗くべきか、はた覗かざるべきか、悩ましい選択に迫られそうです。