武器を楽器に

 

佐々木 眞

 
 

能登半島地震では、家が潰れ、230人もの死者が出て、遭難者は寒さに凍え、
水や食物もなくて泣いているというのに、おらっちときたら、朝から晩まで、
コーヒーメーカーがコーヒーを抽出しない、と大騒ぎしていた。

ガザでは、悪辣非道なイスラエル軍が、おんなこどもを含むパレスチナ人を、
見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、昼ご飯をラーメンにするか、讃岐うどんにするかで、ごっつう悩んでいた。

ウクライナでは、怪僧プーチンが、おんなこどもを含むキーウ市民を、
ミサイルや無人機で、見境なしに殺しまくっているというのに、
おらっちは、川柳がうまくできないので、終日いらだっていた。

でも、
あっちは戦争、こっちは平和
あっちは地獄、こっちは天国

と、簡単には決められなくて、
戦火のさなかにいるひとが、かえって生き甲斐をかんじていたり
いっけん平和のなかにいるひとが、半分死んでいることだって、ありえるのよ。

でも、でも、
おらっちが悪いのか、そっちが悪いか、知らんけど
にんげんが悪いのか、神さんが悪いのか、知らんけど

いくさ、やめないか?
いくさ、もう、もう、やめないか?
いくさ、はよ、はよ、やめてけれ。

ああ、世界中の人々が願っているように、
すべての武器が楽器になればいい。
そうすればおらっち、もっと大きな声で、生きてる喜びなんかを、歌えるのに。

 

 

 

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さとう三千魚

 
 

昨日

詩を
読んでいた

朝から

詩を
読んでいた

尾形亀之助を読んだ

鈴木志郎康さんと
清水哲男さん
松下育男さんを読んだ

亀之助は

“ガラスのよごれ” *
“二人は淋しい” *

と書いていた

“生きのびることが、” **
“生きのびることが、” **

と志郎康さんは
二度くりかえしていた

“暑いなあ” ***
と哲男さんは言っていた

“「助けてくれ」” ****
と育男さんは夢の中で二度叫んだ

どうなんだろう
わたしは夢の中で二度叫ぶだろうか

彼らは低い土地に佇っていた
詩を書いていた

きのうまで
“以無所得故” が *****

わからなかった

風が
吹いてきた

手紙をポストに入れる

 

* 尾形亀之助 詩集「美しい街」より引用しました
** 鈴木志郎康 詩「赤ちゃん」(浜風文庫掲載)より引用しました
  ・赤ちゃん
https://beachwind-lib.net/?p=21235
*** 清水哲男 詩集「換気扇の下の小さな椅子」より引用しました
**** 松下育男 詩集「コーヒーに砂糖は入れない」より引用しました
***** “以無所得故”は、般若心経の一節

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

裾野を走る馬

 

工藤冬里

 
 


https://operatingtheatre.bandcamp.com/album/spring-is-coming-with-a-strawberry-in-the-mouth-rapid-eye-movements
随分と昔に音程ではなく音響による即興を考えていたものだ
その後無音による即興に行くわけだけれども
今はDJがそれらを一手に引き受けているが
一人でやる場合は「小さい政府」みたいな勘違いで民営化に加担したりしてはいけないよ
いつだって、ルーじゃないけど、
「リアルタイム、それが問題だ」
平行世界とのリアルタイムが無音室という見立てだったんだな

「ゲルマントのほう」を久しぶりに読んでいたら昔山谷の永山則夫研究会で会った日雇いの爺さんが「日本にはサロンさえない」と嘆息していたのを思い出した。ドレフェス事件を巡る上下左右の言論を活写するようにして事に当たれ、という意味だったのだろう。

終に語り始めたと思ったら
駝鳥のことだった
陸と呼び海と呼んだものの中で
other words,
一日が先に進んで仕舞い
永遠に取り残され続ける
一日遅れ続けている
このまま一日遅れ続ける
頬被りして遅れ続ける
大きな視野から違いを見ていると
裾野の馬が凍っている

銀次の言うように北鮮絡みの工作員に金を渡されていたかどうかだけ知りたい
国単位で考えるところから始めたんで最後は宇宙人とか言い出したんだった
落ち葉がガサゴソと街路を走るセンチメンタルな時代は終わったんだ
あとはにちゃっとした陽光にしがみつけ
月光でにおいは消えない
行をいくらかさっぴいた谷川癌たれ
とおれはおれに思う

reputation risk
虐殺のADHDは
ものをひとつひとつ
洗おうとするが
世界は片付かない
暖房は切ってよい
啓蟄だからね
雛人形のように撫で肩の
汚れ易い生木の母性を擦る
姿勢が良かった
表で考える
石を運ぶ熱意は削がれた
インドから久し振り
濁音で陽が射す
カンビュセスに宿舎
禁令の中赤貝が好きだった
山が平らになった
裾野で栽培したい
今は片付けする時ではないと考え始めた
政情不安が積み重なって
意気揚々としている時に迫害が来た
前に進めない理由は泪ではなかった
確信できたのは尽きない力による
 と言うのですから
大軍
再建を第一にするならサポートする
何よりも大切にした時

1月29日、朝、愛媛新聞の書評欄を見る。「おわりのそこみえ」というタイトルは、岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を思い出させる。

 

 

 

#poetry #rock musician

生きている、ふり

 

藤生すゆ葉

 
 

ふくろが飛んだ
宙に舞い上がり 風を泳いで
縁石の補助で一回転
追い風で膨らむ透明の膜は
木に阻まれ形を変える
枝の形に添うように
平らな膜に

遠くにいたグレーの空は
水音と両手を組んで
仲間と共にやってくる
透明の膜には透明の水が集まって
茶色も交わり地面をつくる

小さな長靴が足踏みすると
突然始まる 3小節のワルツ
埋もれた膜を知らせるように
日が沈んで陽が昇る
手を振るように会う風は
逆さの景色を空に問う

あたたかな手が触れ
知らない膜に入り込む
隣の枝がトンネルをつくる
遠くを繋ぐその道を
透明の膜は知っている
その景色は今しか出会えないことを

流れるままに 在るままに

花びらの入ったふくろが
舞い上がる
一つの花のように
息をするふりをして

 

————–
自由に受け取っていただけますと幸いです。
ふと道に落ちていた透明の袋、網膜、生命の膜、
3視点をくっつけたり離したりして書きました。

追伸
空からの景色はどうですか?

 

 

 

新しい診察科目

 

ヒヨコブタ

 
 

思えば昔から頻脈だった。
スポーツ少年団では長距離を走ったあと、脈を測るのだが、しばらく経っても脈がはやく、コーチに走り込みが足りないと叱られては
苦しいなと思っていた。
走るのが好きで、誰も見ていないところでも走り込んだりしていたが脈が戻ることはなかったのだ。
よくわからぬまま時折心臓の痛みを感じながら大人になり
せんだって、叔母を心臓の病で亡くした。
どうにもこれは頻脈だけではないだろうと
病院に。
血圧が高いですね。脈もはやい。
医師はとても優しいのだが気分はよくない。
血圧が高いのは予期していなかった。
それぞれが都合し合って生きているのだから、となんとなく自分をなぐさめて
帰宅する前に血圧計を買う。
この年でまさか血圧計のお世話になるとは、と医師にもらった血圧手帳を眺めながら
毎朝毎夜血圧計とにらめっこなのだ。
なんとも情けなく血圧は高く脈もはやいまま。
まだまだ始めたばかり、力をそっと抜いて
腕を通してしっかり布を巻きつける。

 

 

 

2023年から2024年への年越し

 

長尾高弘

 
 

年末年始はどうも苦手。
この時期限定でやらなきゃならないことがあれこれあって、
いつものリズムが崩れるのが疲れるのよね。
でもそういったことがなんとか終わって大晦日、
ぽかんと口を開けて紅白歌合戦を見てしまったよ。
歌の合間にウクライナがどうとか平和がどうとか、
もっともらしいことを言って洗脳してくるけどさ、
なんでパレスチナって言わねえんだよ。
さすがにイスラエルとも言えなかったようだけどさ。
いつも後ろにアメリカがついてる方が善玉扱いで、
すっかりそっちばかり応援するように飼いならされちゃったけどさ、
そのうちアメリカの代わりにロシアと戦争させられてるウクライナみたいに、
日本が韓国、台湾と手と手を取り合って中国と戦争させられそうになったら
どうするのさ?
日本国憲法前文には、
《われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
  平和のうちに生存する権利を有することを確認する》
って書いてあるのに、
どうして「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」
ってところを忘れちゃったんだろうね?

一夜明けて正月元旦。
午後からこの時期ならではの会食があって、
横浜中華街のレストランの6階にいたんだけど、
忘れもしない日が暮れかけた午後4時すぎに、
足元がぐらんぐらんと揺れだして、
天井の照明もぐるんぐるん回りだした。
言うまでもなく、
それは能登の大地震が横浜まで伝わってきたってことなんだけど、
こちらはそのときにちょっとあわてただけで、
気がついたらもとのように食事してた。
マグニチュード7.6、最大震度7は並大抵のことじゃない。
でも、最初のうちは被害があまり伝わってこなかったので、
奇跡的にあまり被害がなかったのかと思った。
本当は、被害の情報が伝えられないぐらい
ひどい被害を受けたってことだったのにね。
2日のニュースで輪島の朝市通りの大規模火災の映像を見て、
さすがにとんでもないことが起きてると思ったよ。
昨年10月から何度も見てきた
イスラエル軍のパレスチナへの無差別攻撃の映像を思い出した。
それはいかにも傍観者らしい間の抜けたものの感じ方で心苦しいけど、
どうか許していただきたい。
当事者でない人間は手順を踏まないと理解に近づけないのだ。
能登では学校と病院が自然に避難所になったって報道されてた。
それは不安だからだ。
パレスチナでは学校と病院が集中的に空爆と地上攻撃を受け、
女性や子どもを含む多くの市民が犠牲になってる。
それがいかに非人道的な攻撃かが改めてよくわかった。
逆に変なことを言うなと思われるかもしれないけど、
パレスチナには原発がなくてよかったとも思った。
ハマスに取られた人質がどこにいるのか知ってか知らずか、
イスラエルはガザならどこでもってぐらいに攻撃してるけど、
デモ隊に乱暴な日本の警察だって、
誰かが人質を取って立てこもったら一斉射撃なんかやらないぜ。
あんな攻撃してイスラエル軍は人質が巻き添えを食わないか気にならないのかねえ?
そんなイスラエルのことだから、
もしパレスチナに原発があったら間違いなく攻撃するんじゃないかな?
原発攻撃は国際法違反だけど、病院や学校への攻撃も国際法違反だ。
パレスチナに原発があったら、ハマスの秘密基地だからとか言って攻撃しそうだよ。
能登には志賀原発がある。
最初は隠してたけど、3メートルの津波に襲われてる。
揺れは想定を越えたものだったけど、地元自治体にはすぐに報告しなかった。
そして変圧器の故障で2万リットルの油が流出したために、
外部電源の一部から電気を受けられなくなり、
完全復旧には半年かかる見通しだと言われてる。
一歩間違えば福一の再来だった。
それでも運転停止中だったからまだ救われた。
再稼働してたらどうなってただろうか?
しかも、今回激しい被害にあった珠洲にも原発計画があったのだ。
地元の反対で潰れてなかったらどうなってたのか?
想像するだけでも恐ろしい。
原子力規制委員会の山中伸介会長は、志賀原発再稼働審査について、
長期化することになるだろうと言ったそうだ。
おかしいだろ?
ただちに廃炉じゃないのか?