夜について

 

松井陽大

 
 

甘いうつの織りなす絹の十字路で
ぼくは夜の墨に呑まれ彷徨う。
とても深い墨の夜
ぼやけた夏の空を浮遊する鈍い影。
その「墨」を放つ
軟体動物をしめ殺して
昼が再び訪れるとしたら?
また君に会えるとしたら?
あたりはしんとして蜘蛛の糸が
天から降りてきそうなほど
アスファルトに汗を垂らすエアコンと
室外機の虫声
ハイブリッドカーの低音が
僕の腹をかすかに揺らす。
あいも変わらずの夜の街。
ぼくらはこの空っぽのおもちゃ箱の
広大な黒い色面にくっついた
小さな二つの目にすぎない。
偉大な夜の子宮のなかでは…
「ドレイ」は夏を、「靄」と「ユメ」
を曖昧にさせ、2本目の煙草に火をつける。

 

 

 

蟹男

 

長谷川哲士

 
 

愛を標本箱に取って置いた
秘密がまた増える懊悩
日付を暗号化すれば

声が風呂場から聞こえるが
恐ろしくて
甘い物無駄喰いし

少し風呂を覗いて
また
恐ろしくなって

むしゃぶりついて武者震い
家に帰ろうと
決心の賭場に上がり込む

尻鼠喰らい付いて
秘部間際まで穴だらけ
どの穴から誰のもとに帰ろうか

 

 

 

走る姿

 

長谷川哲士

 
 

お前が走る姿
横向きでしか
見た事ない様な気がするけどな
凄く変な走り方だな
男みたいだよ

そんなの嘘だ
あたしの事よく見てないから
そんな事言えるんだ
あんたに向かって正面から
走ってぶつかってるじゃんか
そしてあたしの事お前なんて
呼び方すんな
男みたいなとか古臭え事
言ってんじゃねえぞ馬鹿

そう言えば
この間職場まで迎えに
行った時
遅くなっちゃって
って言いながら鬼の形相で
前から走って来たの見て
思い出したよ

鬼だと馬鹿野郎
てめえが車ん中で
イライラしてるんじゃねえかと
推測して速度上げてんだ

最初のデートの待ち合わせ
お前遅れて来て
ラガーマンみたいに
前方から走って来て爆笑したよ
冷めるなあなんて

ラガーマンだと
てめえラグビーの事なんか
何も知らないだろ
このガリガリ野郎馬鹿野郎
お前って言うのやめろってんだろが

しいいいんと静寂
アナログ時計の秒針は
電池が切れそうカチカチカチの
間が抜けてしづくが
ぽたりぽたりと落ちるよう

あったなあったな
記憶の地層穿り返して
切なくなって
涙出そうになっちゃったよ

あったなあったなだと
何全部終わった気になってんだ
涙出てるのはこっちだ馬鹿
鼻水もだよ花に水やる時間だよもう

もう大丈夫だからよ
そんなに力走するなよ
何処にも行かないからよ

何処にも行かない競争だな
負けないよお馬鹿さん

 

 

 

春光る

 

長野充宏

 
 

ありのまま 進んでいくと

分かるかも あなたの良さが

人生の 破片を集め

成長を 続けるんだ

ほら明日 立ち止まらない

君がいて 進もうとする

君がいて 未来への旅

続けてく 明日の天気は

晴れること 光を浴びて

颯爽と 前へ進めよ。

 

 

 

役者の恋

 

長谷川哲士

 
 

紙で作った靴穿かされて
車に無理矢理乗せられて
ドライヴドライヴハイスピード
紙の靴なんて牛乳パック改造よ
臭くてぬるぬる
奴は此処で降りて歩いて行けと
言い腐った深夜のウォーキング
どこかで肉を焼いてる匂いがするよ
どうやって歩けと
行く先は何処なのだ苦しみはとこしえか
破れた靴で歩いて行く
ずるずる足の裏まですぐそこだ
底が消失した靴で荊道なんざ歩けませんよ
おい何とかしろよ
噛みつき不倫で悪いか俺名役者だぞ
あなたに恋をしただけだ
会社まで辞める必要はないよ
もう何年続いたのかな
お前熟女キャバクラで働くまでになり
俺は国宝役者のままフカッとした絨毯の上
ふらり六方踏むだけよンベンベンベンベンベンベンンッ
ぅよおおおおおっ
道ならぬ恋なんて有る筈も無くなんて勘違い
意識は飛ばされ未完の渦巻き星雲に
チューッと吸い取られ
僕俺儂と出世魚の如く一人称を変容させて
挙句の果てには儂から鷲への突発変容
遠くの空越え突き抜けて高速最高速最々高速
摩擦熱摩擦熱熱いよう
発火しながら飛行する鷲
入れ物の無い意識は笑いながら鷲と合一しようと
速く速く燃える飛ぶ追い越し合うふたつ
塵芥に成っても成りたくなってもどっちゃでもいい
とにかく行く
宇宙が見える
目ん玉の風景
両手の小指のみ震えているぷるぷる

 

 

 

拝啓大統領閣下

 

須賀章雅

 
 

拝啓閣下、親愛なる大統領殿
君と私は旧くからの友達だった
まだ頬も薔薇色の若造の頃から
大学でも任地でも一緒だったね
閣下、君は覚えているかい、ドレスデンの酒場での愉快な夜を
泥酔した私に君が肩を借してくれたあの夜を
あの頃の君はお喋りで冗談好きの目立たない諜報員
だが万事すぐに覚えて決して忘れない男
やがてベルリンの壁は壊され連邦は崩壊
一時はタクシーのドライバーで糊口を凌いでいた君は
やがて長官として腕を振るい始めた
その頃から閣下、親愛なる大統領殿
君の指令のままに私は一手に汚れ仕事を引き受けてきた
それから君は副首相から首相
そうしてついに昇りつめたのだ
この大国の王様に、大統領にね
私にしたって夢をみているようだった
度々起こる反乱も命の犠牲など微塵も省みず
「厠の中でも皆殺しにする」と
流血で制圧し強さのプロパガンダで君は民衆の支持を集めてきた
密命のままに私は活動家や女性記者、政敵や新興ブルジョワ等々
あまねく殺めつくし、容赦なく獄に投じてきた
そうして閣下、親愛なる大統領殿
この度の特別な軍事作戦開始以来
またまた君からの拝命のままに
君の秘密を知りすぎた人物達を次々亡き者にしてきた
しかしである、君の裏面を知り抜いている者といえば
この旧友の私に優る者はいないだろう
最近雇った家政婦も怪しいものだ
今夜のスープは毒入りだったのかもしれぬ
どうも先ほどから息苦しいのだよ、ところで
いま君に、友人はいるのか
いま君の、浮腫んだ微笑の下の心臓はシベリヤの監獄の壁より冷たいだろう
いま君の、蒼ざめた血液は冬の凍ったモスクワ川の水より冷たいだろう
家族と愛犬以外に隙をみせない君は
「人はいつか死ぬものだ」と
狩り集めた兵士の母親達に諭したという
閣下、親愛なる大統領殿、確かに
人は皆死ぬ、時が来れば必ず死ぬ
だが死と太陽は直視できないという
君は不死の霊薬を発明させる気なのか
瓜二つのAI人形を代役にする気なのか
どんな夢も永遠に続けば地獄と化すという
そろそろ私の終りの時が近づいてきたようだ
若くして逝った妻と逢えれば幸いだが
でもそれには悪いことをやり過ぎたようだ
さようなら閣下、親愛なる大統領殿
そろそろここらでお仕舞にすることとしよう

 

 

 

Stand By Me

 

有田誠司

 
 

其処にある月が全てを綺麗に照らしていた
満月に近い巨大な月が夜空に浮かび
僕は夜の音に耳を澄ませた

真夜中の深い静寂の中 
不自然な程明瞭な月明かりが
僕に語りかける 

僕は始めて
自然に呼吸する事の出来る場所を見つけた
Stand By Me … Stand By Me

君の記憶をひとつひとつ
呼び起こし断片を繋いだ 
世界が夜に属しても月は輝き 
君は僕の傍に居る 何も怖くない

 

 

 

曖昧な夜と曖昧な朝の狭間

 

有田誠司

 
 

全てが暗示的で曖昧な夜
其処に大切な象徴を見つけようと目を凝らす
ただひとつ失いたく無いものを心に描いた

入江を渡る風の色が知りたかったんだ
その色でしか空白を埋める事が出来ない
最初からわかっていた

自分の属してる世界の価値観や
未来への展望だとか
そんな言葉を口にする人達
僕は耳を塞いで空を見ていた

夕暮れは以前より遥かに希薄に輝き
承諾を求める様に弱く消えそうな色に見えた
そして何も無かった様に夜が訪れる

相応しく無い人間が相応しく無い夢を見て
相応しく無い色を探している
相応しく無い女が 恥を知れ 
そう吐き捨てて出ていった

全てが暗示的で曖昧な朝がやって来る

 

 

 

苦手で大好きな春

 

花 詩子

 
 

見返すほどに
まばゆい空が照る中で
冷たい風も少し弱気になっている

春はほとばしるようにやって来て
留<とど>まる心を染めていく

賑わいが浮かれては
「今のまま」を跳ねのけて
何か出来そうな勘違い

春は
私の平穏を脅かす

今更と今こそが
行ったり来たり

春は
心がいつも騒がしくなる

 

 

 

路子/みち/こ

 

長谷川哲士

 
 

寂雨が路を潤す
身がもたないと
命の葉っぱが
揺れながら
落ちようとする

葉っぱには名前が有る
路には名前が無い

有るから無いへの
引っ越しは辛い

せめて下からの
風など吹いてもらって
浮遊してみたい
などなど願望するが

吹上の風は
婦人のスカート
めくりあげて
ふふふと笑って去る

路だけうねり続いて
時折穴ぼこがある
どうしても雨止まぬ
何となく寂しくて
鼻水上下してる