広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
末世に於けるストーリーとは、練り上げるものではなく浮き出てくるものであり、カラックスミュージカル体験とは判決後のその種の揺蕩いである。ピアノの中からストンと茶筒が立っている。
最早全てのストーリーは同じものである。ただその大きなストーリーの中の消極的なエピソードを拡大するのが映画であるというだけだ。ピアノの中からストンと茶筒が立っている。
今や映画は映画の外側にいる。内側は映画や映画音楽では表現できないものばかりである。逆に言えば映画は敗北したのだ。抜け殻である。そして繰り返しになるが映画は映画の外にある。それが文楽空ックス体験である。そしてピアノの中からはストンと茶筒が立っている。
アネットのGIFの氾濫を見ると、名場面の戦略がフェイクとして透けて見える。今やタイトルが現れるまでとエンドロールとオマケメイキング部分だけが映画で、中身のストーリーは誇張する部分の差こそあれ、どれも同じになってしまったので、映画史で映画を語るやり方は意味がなくなった。
空腹で自分の内臓をホルモンにして食べているアルフォンソという男が、あゝ五臓六腑に沁みわたるわい、と言うと、隣の、同じくホームレスの男に、お前の内臓はその鍋の中やないかい、と突っ込まれる、というマンガがあったが、映画はいま、私たちはいま、自身の内臓を煮ているのである。ストン
#poetry #rock musician
悪魔のような声をあげて嘔吐する母を見ていた。
まるで口から何かが産まれようとしているみたいだった。
運び込まれた病院の、救急外来の待合で私は、
看護師から、母が身につけていたエプロンを渡された。
石鹸の、清潔な香りがするエプロン。
母の香りだった。
ポケットには、飴玉と常備薬とティッシュと口紅。
しばらくして、看護師に付き添われた母が、
おぼつかない足取りで、廊下の向こうから歩いてきた。
いつもきちんと髪を結い上げ、
きれいな身なりをしている母の
やつれた姿を見て、私は、
幼い子供を見るような気持ちで、
母のことをかわいいなあと思った。
この人を守ってあげられるのは、私一人だけだ
という、どんよりとした不安が募った。
その日の深夜、母と二人で家へ帰った。
その日以来、母はすっかり弱り切り
ほとんどものを食べなくなった。
ある夜、私の携帯に母から連絡が入り、
これから風呂に入るのだと言う。
そして「一緒に入ろうか」と言われたので
そうすることにした。
着替えと洗顔フォームと保湿クリームを持って
母屋の洗面所へ行くと、
すっかり痩せた母が、弱々しく立っていて、
「あなたには全部見せておきたい」
と言った。
日頃から美醜に対する強い執着心を持っている母が
そう言ったものだから、
私は思わず身構えた。
まず母は全部の歯を外して見せた。
彼女が一番多感だった頃の親の無関心で
自分の歯が一本も無くなったということは
何度か聞いて知っていたけれど、
歯を全て外した姿を見るのは初めてだった。
次に、母は裸になって、
幼い頃に全身ヤケドを負った痕を見せてくれた。
胸の下の肌が赤く引き攣れていた。
眠る時にすら口紅を引くことを欠かさない母だ。
自分の皮膚が醜くただれたことが、
どんなに辛かったことだろう。
私たちは一緒にお風呂に入って、
母は、私の髪を洗ってくれた。
顔はこうして洗うのよ。
体を洗う時は、こうするのよ。
そうすれば美しくなるから。
もっともっと美しくなるのよ。
そして、そのやり方を
自分の娘たちにも伝えるの。
わかった?
母はそう言った。
私は、今まで母の何を見てきたのだろう。
私の記憶では、母の乳首の色はもっと黒かった。
けれど、実際はもっと肌色に近い茶色で、
子に吸われ、男に吸われ尽くして、
疲れ切った乳首がそこにはあった。
本当は母という女性の裸を見たくなかった。
年をとって醜くなった自分の裸も見せたくなかった。
とても恥ずかしかった。
叱られるんじゃないかという不安もよぎった。
母は激しい性格の人だ。
母のことを悪魔のように憎んで恨んでいる人は大勢いるだろう。
でも、私は母を憎みきることなどできない。
私のことを命がけで生んで、
姉と私と弟を女手一つで育ててくれた人だ。
清濁併せ呑んで愛することしか出来ない。
私は小さな頃から壁を見るのが好きだった。
暇さえあれば、いつも壁を見て没入していた。
壁の前にじーっと立っている私を、
母は無理矢理やめさせようとはしなかった。
今日も壁を見ながら眠るだろう。
私は壁を見ているけど、
壁が私を見ることはないから。
母が死んだら、私は母の遺体をじっと見つめるだろう。
私は母を見ているけど、
母が私を見つめることは、もうないのだろうから。
若い、たいへん若い人が旅立ち
そこにいたる苦悩ははかりしれずとも
せめて頑張って生きたねと声をかけたいばかりで
親である知人からの便りには
そっと夜空のまるで天の川のような手拭いと
近況を報せる手紙
いまきっとあの夜空のようなうつくしいところに
そのこは確かに、いるのだと
わたしも思いたいのだ
安らかな気持ちで、夜空をかけていることを
思っていたいのだ
一つ、また一つと歳を取る
それが当たり前に思えず、何度も人生から降りようとしたわたしにとっては
世界はいつも異質だった
わたしはこの世界に向いていないのだと
そうではなかったのだ
大変に小さな世界にいただけで
あらゆる人の価値が認められると知ることで
存在していいのか、というスタートラインが見えた
そこから歩き出すのにどんな妨害があろうと
一度決めたわたしは歩む
この人生はいつか終わるのだから
いろんなひとが降りてしまう
でもそこに毒を吐きかけるのはとつてもなく嫌だ
どんな思いでそこまで這ってきたのだろう
想像もつかないこともあっただろう
またいつか、それまでおやすみなさい
わたしの人生が終わるときも
またいつか、それまでの挨拶でいい