あな

 

正山千夏

 
 

ここに穴がある
泣いてばかりで
いつもそこに
ナミダを落としてばかり
ただそれしか
術を知らなくて

でもさすがに
近ごろ気付いた
落ちたナミダは
穴にたまり
時には溢れ出すことも
あったけど
必ずいつかは干上がり
そして穴は
埋まらないまま
そこにある

穴を埋めたいのなら
崩すしかないのかもしれない
なにを
どうやって
もう、流すナミダも
阿呆らしい
かと言って
一向に枯れないなにかを
持て余しながら

まだ
ナミダでなにかが埋まるものと
幻想を抱くことは
許されますか
穴は穴のままでいることは
許されますか

 

 

 

山のみどりのその向こうへ

 

ヒヨコブタ

 
 

ひとを送るときに
しないと決めていることをするひとに
さよならをいう

けれども
あなたには言えないね
少しずつずれて
少しずつ噛み合わない日々
歯がゆさに落ち着かなくなるひとを
見ながら

今年見送った大切な友に
こころで話す
こころで話すのをゆるされるのは
あなたのような存在なのだろうか

エゴでしかなくとも
すがって泣きたくなるときに
離れていく目の前のひとのことを
こころで
相談しながら
おもう

いつかいくどこかで
輝くその笑顔に安らぎを

 

 

 

2017 師走

 

みわ はるか

 
 

15年ほど前に欠けてしまった前歯に詰め物をしている。
先っぽだけなので見た目にはそんなに目立たないのだけれど、やっぱり気になるので詰め物をしている。
その詰め物が定期的に取れてしまうので、歯医者にその都度行っている。
先日、生まれた時からずっと通っていた歯医者さんが引退してしまった。
仕方なく新しい歯医者を探してそこに行くようになったのだが、未知の空間へ足を踏み込むのは勇気がいる。
椅子の上でわたしのまぬけな顔をのぞかれる。
知らない人にまじまじと見られる。
こんな恥ずかしいことはない。
年配の歯科衛生士さんにライトで照らされた口の中を すみからすみまでチェックされる。
あーーー帰りたい。
そんなわたしの歯医者デビューはなんとか無事に終わった。
慣れるまでには時間がかかりそうだけれど、当分ここに通うつもりだ。

社会福祉協議会という組織がある。
そこが募集している勉強を教えるボランティアに参加している。
月に数回程度、小学生や中学生の子と学校の宿題や参考書の問題を一緒に解いている。
自分も学生に戻ったような気がして思った以上に楽しい。
それにやっぱり人の役にたてるのはうれしい。
自分のことより誰かの笑顔を見るために生きていけたらなと思うようになったのはいつからだろう。
そんなに遠い昔ではないような気がする。
にこにこと笑顔でわたしの参加を受け入れてくれたスタッフの方に感謝している。
あるとき、いろんな種類の果物のジュースが差し入れにと置かれていた。
そこには「お一人様3缶までどうぞ」ときれいな字で書かれていた。
わたしは甘いものがそんなに得意ではないので、できるだけ甘そうでないものを3缶とも選んだ。
子供たちも思い思いのものを選んでいた。
その中に「お姉ちゃんが桃が好きだから桃にしよう。」と言って桃の缶を手にしている子がいた。
はっとさせられた。
その年で誰かのために無意識に物事を考える姿に脱帽した。
彼女のえくぼができたその笑顔はきらきらと輝いていた。

これといった趣味のないわた しだけれど、唯一保育園のころからずっと好きなものがある。
それは活字をおうことだ。
読書が大好きなのだ。
学生のころ、テスト明けは友達と買い物に行くことと同じくらい図書館にこもることが約束になっていた。
読みたい本がありすぎて時間が足りない。
その中で最近興味をもっているのが作家綿矢りささんの作品だ。
史上最年少で芥川賞をとった作品「蹴りたい背中」は圧巻だ。
生きにくい中学校のクラスの様子が丁寧に描かれている。
出過ぎる杭は打たれてしまうのか。
そんなこと気にせず一匹狼で生きている人間は負けなのか。
ただなんとなく過ぎていく毎日に妥協して過ごすのか。
自分が誰かのターゲットになら ないようにただびくびくして生きていくのか。
何が正しいのか今でもわからないけれど、そんな世界を視覚化させてくれるこの作品が純粋に好きだ。
闇の中からすくいあげたような文章を書く人が好き。
ただ生きているだけでは表面に出てこない感情や行動を文字にしてくれる人が好き。
メールで文章の最後に必ず「。」をつけてくれる人が好き。
一人称が「僕」の人が好き。

文学に救われてきました。
これからもきっとそうです。

 

 

 

2017 師走

 

みわ はるか

 
 

15年ほど前に欠けてしまった前歯に詰め物をしている。
先っぽだけなので見た目にはそんなに目立たないのだけれど、やっぱり気になるので詰め物をしている。
その詰め物が定期的に取れてしまうので、歯医者にその都度行っている。
先日、生まれた時からずっと通っていた歯医者さんが引退してしまった。
仕方なく新しい歯医者を探してそこに行くようになったのだが、未知の空間へ足を踏み込むのは勇気がいる。
椅子の上でわたしのまぬけな顔をのぞかれる。
知らない人にまじまじと見られる。
こんな恥ずかしいことはない。
年配の歯科衛生士さんにライトで照らされた口の中をすみからすみまでチェックされる。
あーーー帰りたい。
そんなわたしの歯医者デビューはなんとか無事に終わった。
慣れるまでには時間がかかりそうだけれど、当分ここに通うつもりだ。

社会福祉協議会という組織がある。
そこが募集している勉強を教えるボランティアに参加している。
月に数回程度、小学生や中学生の子と学校の宿題や参考書の問題を一緒に解いている。
自分も学生に戻ったような気がして思った以上に楽しい。
それにやっぱり人の役にたてるのはうれしい。
自分のことより誰かの笑顔を見るために生きていけたらなと思うようになったのはいつからだろう。
そんなに遠い昔ではないような気がする。
にこにこと笑顔でわたしの参加を受け入れてくれたスタッフの方に感謝している。
あるとき、いろんな種類の果物のジュースが差し入れにと置かれていた。
そこには「お一人様3缶までどうぞ」ときれいな字で書かれていた。
わたしは甘いものがそんなに得意ではないので、できるだけ甘そうでないものを3缶とも選んだ。
子供たちも思い思いのものを選んでいた。
その中に「お姉ちゃんが桃が好きだから桃にしよう。」と言って桃の缶を手にしている子がいた。
はっとさせられた。
その年で誰かのために無意識に物事を考える姿に脱帽した。
彼女のえくぼができたその笑顔はきらきらと輝いていた。

これといった趣味のないわたしだけれど、唯一保育園のころからずっと好きなものがある。
それは活字をおうことだ。
読書が大好きなのだ。
学生のころ、テスト明けは友達と買い物に行くことと同じくらい図書館にこもることが約束になっていた。
読みたい本がありすぎて時間が足りない。
その中で最近興味をもっているのが作家綿矢りささんの作品だ。
史上最年少で芥川賞をとった作品「蹴りたい背中」は圧巻だ。
生きにくい中学校のクラスの様子が丁寧に描かれている。
出過ぎる杭は打たれてしまうのか。
そんなこと気にせず一匹狼で生きている人間は負けなのか。
ただなんとなく過ぎていく毎日に妥協して過ごすのか。
自分が誰かのターゲットにならないようにただびくびくして生きていくのか。
何が正しいのか今でもわからないけれど、そんな世界を視覚化させてくれるこの作品が純粋に好きだ。
闇の中からすくいあげたような文章を書く人が好き。
ただ生きているだけでは表面に出てこない感情や行動を文字にしてくれる人が好き。
メールで文章の最後に必ず「。」をつけてくれる人が好き。
一人称が「僕」の人が好き。

文学に救われてきました。
これからもきっとそうです。

 

 

 

アジサイじゃないアジサイ

 

辻 和人

 
 

シュキッ
キュクッ
突き刺さってくる
っていうのかなあ
アジサイ
出勤前、玄関前の花壇の植物に水やろうとして
おおっ
6月には水色のかわいいのを咲かせてたのに
12月の今
黒の点々が入った尖った葉っぱと白くて太い茎が
シュキッ
突き
キュクッ
刺さってくるみたいだ
とても元気
茎も太いが根っこも太い
ホースを向けてみますよ
ほーら
うねうねした奴が土から浮き出て
迸る水をゴックゴク
吸い込むじゃありませんか
冬だけど食欲旺盛ですよ
ぼくは花の中でアジサイが一番好き
家建てて植える植物決める時ミヤミヤに言ったんだ
君の好きなようにしていいけどアジサイだけはどっかに植えてってね
願いを聞き入れてくれたミヤミヤ
ヤマアジサイが玄関前を飾ることになって
初夏には
もこっとした花弁の塊の周りを
ちっちゃい蝶々みたいな小さな花びらがぴっぴっと飛び交う
あの光景を楽しめるようになった
いいねえ
かわいいねえ
ちょんちょん撫でてやって
うん、水やり楽しいぜ
うん、出勤楽しいぜ
でもでも
夏が過ぎて秋になって12月がきて
花なんかとっくに散っても
どっこいアジサイはそこにいる
どころか
本性現したな
アジサイってこんなに図体デカかったんだ
茎こんなに太かったんだ
花じゃなくて木だったんだ
鋭い切っ先いっぱいこっちに向けて
目に
シュキッ
突き
キュクッ
刺さってくるぞ
やられた
まいりました
アジサイじゃないアジサイ
いいじゃないか
花を愛でるだけじゃもったいない
ふとーい茎を愛でて
黒の点々まじりの尖った葉っぱを愛でて
大食いうねうねーの根っこを愛でて
うん、水やり楽しいぜ
うん、出勤楽しいぜ
さて背広に着替えて
行ってきまーす

 

 

 

山崎方代に捧げる歌 24

 

こんな夜にかぎって雨が降り出でて空の徳利を又ふってみる

 

どうなんだろう
とても言えない

そこに愛などないと
言えない

今朝
安倍川の橋を渡る時

カーラジオからボレロが流れた

にぎりめしを渡してくれた

雨の中
背中を屈めて田圃の稗を母は抜いてた

 

 

 

家族の肖像~親子の対話その24

 

佐々木 眞

 
 

 

お母さん、運命ってなに?
結局こうなってしまう、ということよ。

お母さん、ちっともってなに?
全然ていうことよ。

お母さん前夜祭って亡くなったときでしょう。
そうよ。キリスト教よ。

お母さん、耳を澄ませば?
なにか聞こえるでしょ?

オトゾウさん、目を閉じた?
閉じたのよ。

お母さん、海の幸ってなに?
海でとれる大事なものよ。お魚とか。

さっちゃん、「お父さんバッカア」って泣いちゃったよ。
なんで泣いたの?
分からないけども。

お父さん、クサカンムリに秋は萩でしょ?
クサカンムリに秋かあ。うん萩だね。

ぼく「電池が消えるまで」好きだお。
そうなんだ。

今日コンスープにして、お母さん。
そうしましょう。

うれいは哀しいことでしょ?
そうだね。

お母さん、強いるってなに?
無理矢理押しつけることよ。

今日さっちゃん、笑ってたよ。
そう、さっちゃんて誰?
黒川友香だお。「こころ」の。
そうかあ。
ぼく、さっちゃん大好きだお。

お父さん、ぼく「ハンガリーダンス」好きですお。
なに?いまの音楽?
そうですよ。
そうか、ブラームスのハンガリア舞曲だね。

お母さん、つまんないってなに?
そうねえ、つまらないことよ。

江の島水族館好きですよ、お母さん。
そう。今度行こうか。
行きますお。