草原は針のようで、水は途切れない

 

爽生ハム

 

 

ひたすら旅して、これ以上やってもつまらないな、飽きたなって事になって、そのまま悪意を置いて、帰ってこれれば、家族とか仕事とか作って幸せになっていたかもしれない。ていうか、私以外の旅仲間のおおよそは幸せになった。しかし、私は悪意を捨てきれず、なんせ一応、とても大きな悪意が、こんな綺麗な形で残っているのは、奇跡に近く、価値もあったので、まだ捨てずに取っておこうとした。それを懐にいれ現実に帰ってきたものの、その悪意を現実の方で爆発させたくなった。ただの街角で悪意を捨てるでも、置くでもなく、稀少価値があり純度や解像度が高く、他人に見てほしくて、ついつい計画的に悪意を放り投げた。

旅仲間はというと、惑星の中華街を出て谷底と川を渡った先くらいまでの、退廃した市民を対象とした市民ホールで、弧を描いて徘徊する黒い陽炎のあとを追い続け、弧を描く運動に参加する人になったり。勿論、旅仲間はオーディションを待っている迄の時間の訓練のようだが、実際のところ時計がないので、オーディションまで、あと何分というのを知らないでいる。でも旅仲間の時間の使い方には目を見張るものがあり、ホールの事務所で、この世界の元々の住人だと思われる事務スタッフの横のデスクに座り、ランチをとっていたりする。その時、陽炎は、旅仲間の弁当を見てたりする。それほど、ぱっと見、仲が良いが成立している。

弧を描く旅仲間は、最終オーディションまで来たので、明確な目標と情熱を持ちはじめた。其処にとどまった。
実際のところ、その先を知る前に私達は歩きはじめたので、弧を描く旅仲間の事を、一生、最終オーディション手前で弧を描く、永遠のランナーのようにして、私達はその旅仲間から、記憶するように別れた。

私達は、と言っても、私には、私、私、私、くらいに私の個人活動へ移りつつあったように思えた。距離感ができてきていて、惑星の道の草を触ったり、触らなかったりの判断と精度が恐ろしくあがっているように見えた。なにしろ、私は最後尾を歩いていたので見えるようにして見ていた、のだろう。
思い描くように触れ、思い過ぎたように触れなかった旅仲間の後ろ姿と手の両翼っぷりは、完全に悪意たっぷりに、悪意を蓄積していた。癒されていたとは逆の、伝染してるだった。

私達は中華街に戻り、階段の隅の方で、少なくとも四方のうちの半分は壁に覆われている、いかにもの代表的な階段の隅だった。そこで、思い悩み、歩き疲れただの、どうせ一緒だの、見ても見なくてもどっちでもいいだの、人間と風景がおかしいだの、そもそもの他人を他人からはじめるのが面倒だだの。だだっ広い大地の中の、狭い建築物の中の壁にもたれ、見た事が正確であるかのように、正確な、がっかりを披露していた。