由良川狂詩曲~連載第5回

第2章 丹波夏虫歌~君美の里

 

佐々木 眞

 
 

img_1907

img_1985

 

「健ちゃん、健ちゃん、大丈夫かい。ほれ、ほれ、しっかりしなさい。お母さん、お母さん、健ちゃんにちょっと葡萄酒を飲ませなさい……。
ああ、これで大丈夫だ。気がついたようだ。長旅で着いたばかりなのににぎやかな人ごみで花火を見たり、大売り出しを手伝ったりしたものだから、きっと疲れがでたんだろう。
ほら、早く健ちゃんを休ませておやり……」

翌朝5時、健ちゃんは元気いっぱいで飛び起きました。なんといっても少年時代から野山できたえにきたえたしなやかな体です。
窓の外では、ニイニニゼミにまじってアブラゼミが猛烈な勢いで鳴き叫んでいます。
健ちゃんは自転車を飛ばして、由良川のかなり下流、君美(きみ)の山のクヌギ林までやってきました。わずか10分ほどで到着です。
綾部大橋をくぐった由良川が川幅いっぱいに張り巡らせた巨大な井堰によって急に堰きとめられ、苦し紛れに大蛇のようにもだえながら石の上を匍匐前進すること1・5キロ、やがて次第に元の勢いを取り戻した北近畿1の清流は、川砂利の丘によってふた筋、み筋に切り離されていた流れを大きくひとつに束ね、満々たる清水を豊かに蓄えつつ、倍旧のスピードで強固な岩壁に激突します。
そして、ここで90度方角を捻じ曲げられた由良川は、やむなく下流の福知山盆地へ向かうことになるのですが、このあたり一帯を君美の里というのです。
川の対岸の落葉樹林では、たとえば6月の黄昏時ですと、コナラ、クヌギ、ミズナラ、カシワ、ハンノキ、トチノキなどを食草とするムラサキツバメやアカシジミ、ミドリシジミ、そして時折は天然記念物のスギタニルリシジミたちが、それらの落葉樹林の樹冠の上空を猛スピードで飛び交い、あざやかな深緑や燃え立つような朱、ダイアモンドよりも素晴らしい七彩の光芒をあたりにまきちらしながら、ギリシア神話の妖精のように高ぞらに消えてゆく光景におめにかかれるのですが、ちょっぴり残念なことにいまは夏。

健ちゃんが、君美の林道を両手を離して自転車で走っていますと、クリとクヌギの木々の根元から湧きだすあまい樹液を求めて、あの華麗な国蝶オオムラサキとその子分のコムラサキ、ルソーのように憂鬱な散策者キマダラヒカゲ、ぶんぶんとやたら元気なカナブン、獰猛なスズメバチに混じって、カブトムシとクワガタが群がっているのが見えました。
あいにく何の用意もなかったので健ちゃんは黒光りするカブトムシの雄ばかり5匹をショートパンツの左のポケットに、ミヤマクワガタの大きいやつを右のポケットに7,8匹ぎゅうぎゅうに詰め込み、(ポケットの中では地を血で洗い、しのぎを削り同族相はむ同士討ち)さらに半袖のポロシャツの小さなポケットに、濃い黒と茶がいぶし銀のような光沢を放っている体長10センチはあろうかという巨大なオオクワガタを2匹つっこみ、
♪ミミファソ、ソファミレ、ドドレミ、ミレレ
と喜びの歌をうたいながら、「てらこ」まで全力疾走で帰って来たのでした。
それから夕方になると、健ちゃんは、お父さんのマコトさんと一緒に畑へ行って、湿った土を掘り起こし、できるだけ大きくて元気そうなテッポウミミズを5,6匹捕まえました。
マコトさんは、地面でのたうつテッポウミミズにオシッコをひっかけていましたが、健ちゃんは、それをやるとオチンチンが腫れるという噂を信じ込んでいましたので、軽薄な父親の真似はしませんでした。
それからマコトさんのオシッコのかかっていないテッポウミミズを持って、健ちゃんはおじいさんのセイザブロウさんと一緒に、もう薄暗くなっってしまった由良川へ出かけました。
轟々と地響きをたてて流れる由良川が、川幅全体にわたって井堰によって堰きとめられている一帯を慎重に歩きながら、石と石の間、岩と岩の間にできたほの暗い穴、魚たちのひそんでいそうな隠れ家を見つけ、そこに縄で編んだヤナを仕掛けるのです。
ヤナの奥には針を呑みこんだテッポウミミズがのたうちまわっています。
健ちゃんは、思わず唄い出しました。

♪下駄隠し ちゅうねんぼ
ながしの下の 小ネズミが
ぞうりをくわえて チュッチュクチュ
チュッチュクまんじゅうは 誰が食た
だあれも食わない わしが食た

さあ、これでよし。あしたの朝がたのしみだ。お父さんと一緒に5時に起きて、由良川に戻ろう。健ちゃんは期待に胸を膨らませて、西本町25番地の「てらこ」へ帰りました。

さて翌朝です。
健ちゃんが、お父さんをさそいに行きますと、マコトさんは、ベッドの上で普段の3倍は膨れ上がったオチンチンを押さえて、「痛いよお、痛いよう」と転げ回っていました。
昨日の立ちションのバチがあたったのです。
仕方がないので、健ちゃんはひとりで由良川へ出かけました。

 

空空空空空空空空空つづく