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恵比寿で
佐藤時啓さんの

写真展をみた

会場の入り口と
出口に

原発と円形石柱遺跡の写真があり
ひかりは生まれていた

プリントは
印刷することだが

焼き付けることでもあったろう

記憶を焼き付ける

遠い
ヒトビトの

ない
記憶を焼き付けていた

 

 

 

blow 吹く

風が吹いていたね

でんわ
ちょうだい

姉のメールだった

電話のむこうに秋田の
姉はいた

母は肺に炎症をおこして
今夜から

抗生物質をいれると
姉はいった

紅い牡丹の花が咲いていたね
裏山の祠のまえで

母と姉と写した写真がある

風が
吹いていた

 

 

 

かずとんとん

辻 和人

 

何だって?
「和人さん」はもうヤダッて?

結婚式から一週間程たった頃のこと
妻になったばかりの妻は
洗ったばかりの髪を撫でながら
寝室に入るや否や
「他人行儀で何かヤダなあ。いい呼び名ないかなあ
和人さん、和人くん、カズトカズト……
あっ、『かずとん』
『かずとん』いいかも…
決めたっ
これから『かずとん』って呼んでいい?
いいよね?」

それから
軽くフシをつけて
「かずとん、かずとん
かずとんとん」
と呟いた

一瞬で、ぼく
「かずとん」になってしまった

それまでのぼくたちは「和人さん」「美弥子さん」ってな感じ
会話の中で敬語使っちゃたり
彼女、夫婦であるからにはもっと親密に、もっと柔らかくあるべきって
考えたに違いない

「じゃあさ、君のことこれから『ミヤミヤ』って呼ぶよ」と言い返したけど
「かずとん」に比べるとインパクトなし
だいたいどっから来たんだ?
「とん」って?

「うーん、特に理由ないけど
かずとんにはすごく似合ってる感じがする
かわいいじゃない?
オジサンくさくないし
カタカナよりひらがながいいかな
かずとん、かずとん
かずとんとん」

かずとん、かずとん
怪獣の名前みたいだな
おとなしい小型の怪獣だ
森の中に住んでいて
クマさんやシカさんとも仲良くやっていたりするんだろう
うんうん、きっとそうだ

「じゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
電気を消し
しばらくして、妻の寝息を確かめた
よし
かずとんになって
寝床を抜け出す

とんとんとん

ドアを透過して階段を降りて

近くに深い森はないから
マンションの庭の木立ちの中
実体はないから
もっこもこ伸縮する輪郭みたいなものを
体の代わりに踊らせて

かずとん、かずとん、かずとんとん
かずとん、かずとん、かずとんとん

すると
寄ってきたのは、寄ってきたのは
クマさんとシカさん
やあやあ

特に理由はないけど
かわいくて
カタカナよりひらがなが似合うものに
ぼくは、なった

かずとん、かずとん、かずとんとん
かずとん、かずとん、かずとんとん

理由がなくて
体もないから
まだ3月だけど寒さは感じない
今夜はこのまま寝ちゃおう
朝だよーって
ミヤミヤが
起こしに来るまで

 

 

 

七十九歳の誕生日って、ちょっと困っちゃうね。

鈴木志郎康

 

 

さて、どうやって切るか。
困っちゃうね。
わたしの似顔絵が描かれた誕生日祝いのケーキを前にして、
蝋燭の火を吹き消して、
ケーキを囲んで待ってる孫娘たちの前で、
いよいよ、
自分の顔にザックリとナイフを入れる段になった。
ちょっと困っちゃうね。

テーブルを囲む息子野々歩と嫁さんの由梨と孫のねむとはなと
妻の麻理とわたしと6人で
六つに切ればいいわけだが、
自分の顔が六つに切り裂かれるって、
ちょっと困っちゃうね。
ケーキの六つの部分はどこも同じだけど
顔の部分となると自分では気に入らない所もあるんだ。
わたし自身は何処を食べればいいのかいな。

まっ、誰が何処を食べたかは秘密。
幡ヶ谷のコンセントというケーキ屋さんで由梨が買ってきた
このケーキはクリームがさっぱりしていて、とても美味しかった。
で、顔の味はどうだったかな。
わたしを除いて、ケーキはケーキで、顔は無かった。
とうとう七十九歳か。腰が痛く、杖をついてもふらふら歩きで、
外に出るには電動車椅子っていうわたしの身体。
まっ、身体は身体だ。せめて美味しい詩を書きたいね。

毎朝の食事の後は新聞の字面を辿るのが楽しみなんて、困っちゃう。
誕生日から九日過ぎた朝に朝日新聞を開いたら、
「構図変わる新時代」と来た。
「/自ら国民を守り/米軍は有事駐留に」(注1)って見出しで、
思想家で麗沢大学教授の松本健一氏の談話ですよ。
わたしが七十九歳になったばかりで、「新時代」だってよ。
わたしはただ家にいて寝たり起きたりばかりで、困っちゃうね。
まっ、ちょっと困っちゃうけど、まあ、ひょいひょいか。

「日本国憲法の改正を逃げてはならない。」(注1)と来たよ。
わたしゃ、ひょいひょいですよ。
「日本は明治維新で開国し、敗戦で2回目の開国をしました。」(注1)
なるほど、ひょいひょいだね。
「現在、『第3の開国』の時期を迎えていると考えています。」(注1)
ちょっと待ってよ。日本の國っていろんな國と付き合ってるし、
ペルシャ湾、インド洋、イラクなんかに「自衛隊の海外派兵」してるじゃん。
開国してるのに、またその上に開国するって、どういうことかね。

開国しているのに更に開国する時期が来たなんて、困っちゃうね。
そんな、そんなドラマチックな時代に、ひょいひょいと
わたしは七十九歳の誕生日を迎えちゃたんだ、困っちゃうね。
今や、歴史的なヒーローが活躍する時代ってわけね。
すると、この『第3の開国』のヒーローは安部晋三首相なのか。
そりゃ、ちょっと困っちゃうね。
「日本を取り戻そう」って幻想を振り撒いて、
憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めるヒーローね。

このヒーローは、うんっぐっくですよ。
「国民を守るどころか戦争に巻き込む危険がある」と、憲法学者の
小林節氏は「憲法を国民から取り上げる泥棒」と言ってる。(注2)
ちょっと、ちょっと困っちゃうね。
一国の総理大臣が泥棒呼ばわりされてしまうなんて。
いやいや、この「憲法泥棒さん」は居直って、
憲法改正までやり遂げて、ずるずるっと、
国家と国民を守るための自衛隊を軍隊にするヒーローに変身するんだ。

第九条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」って、
素晴らしいじゃん。人類の歴史は戦争の歴史ってことを終わらせるってこと。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」ってのは、
正々堂々と人殺しはしないってことでしょう。いいですよ。
松本氏は「解釈変更なんて姑息だ。改憲で正面から解決しろ」
「9条に『国家および国民を守るための自衛軍を持つ』
という条項を加えることが必要です。」(注1)だって。困っちゃうよね。

自衛軍にしろ、軍隊にしろ、ひょいひょいとは行かないですよ。
怖いですよ。軍隊は、できるだけ効率よく人を殺すって集団ですよ。
わたしは子ども頃の戦時中、将校だった叔父さんが持ってた軍刀と
穿いていた長靴が怖かった。祖母に甘いものを持ってくるいい叔父さんなんだけどね。
いろいろと読んだ日本兵が捕虜を銃剣で突き殺す話が忘れられない。(注3)
最近で言えば、丸山豊の『月白の道』に書かれたビルマ戦での、
戦うというより蛸壺で耐えに耐えて死んでしまう身体を思ってしまう。
と言ったって、これはまあ、わたしの感傷なんだね。うんっぐっく。

軍隊は戦争が始まれば、人を殺す人たちの集まりになるのだ。
軍隊が戦えば沢山の人が死に、自然も人が作ったものも破壊される。
うんっぐっくだ。
人は生まれて自然に死ぬのがいいのだ。
自然を喜び、自分たちが作ったものを喜ぶのがいいのだ。
戦争は人を殺し、自然を破壊し、人が作ったものを破壊する。
戦争をしちゃ駄目だ。戦争には反対だ!!戦争する軍隊は無いのがいい。
うんっぐっく。うんっぐっく。

「軍隊がなければ国土、国民、主権という近代国家の3要素を
守ることはできず、他国に守ってもらわねば独立を保てない。
保護国になるしかない。」(注1)っていうことだ。
うんっぐっくになっちゃうよ。うんっぐっく。
うんっぐっく。うんっぐっく。
軍隊が守らなくても独立して行ける国って考えられないのか。
国同士で互いに攻めないって約束すればいいんじゃないの。
うんっぐっく。うんっぐっく。

いやあ、ちょっと困っちゃう。困っちゃう。
「未来図を描かねばならない新しい時代がきたのです。
新時代に対応できるように憲法を改めなくては
真の独立国として国民を守ることができなくなります。」(注1)
國を守るために人を殺し破壊する。うんっぐっく。うんっぐっく。
守らなければ人が殺され破壊される。うんっぐっく。うんっぐっく。
うんっぐっく。うんっぐっく。うんっぐっく。うんっぐっく。
軍隊無しってことで、どうにかなんないのかね。

人を殺したり自然や人が作ったものを破壊しなくても、
生きていられるっていう、そんな世界を創ろうとしないのか。
生きる場所を奪われれば攻めなければならない。
独立って言って國土という領域を決めて自分たち以外を排除するからだ。
国境の無い世界ができないのか。
一人ひとりが民族の違いということを乗り越えられないのか。
一人ひとりが互いに信じるものの違いを認め合うことができないのか。
生きるのには、やっぱりテリトリーが要るのかなあ。うんっぐっく。

この詩を書いているこの仕事部屋に突然他人が入って来て、
「ここはオレの部屋になった。出ていってくれ」と言われたら,
わたしゃは怒るね。「なに言ってるんだ。おまえこそ出て行け。」
と争いになるだろうな。攻撃には反撃するってことか。
言葉で解決がつかなければ暴力沙汰になるのか。うんっぐっく。
わたしは法律で解決できるから、武器は要らないと信じている。
実際わたしはピストルも刀もアーミーナイフも持っていない。
七十八年、日本で生活していて現実に武器を向けられたことはない。

個人の場合と國の場合とは違うのかなあ。うんっぐっく。うんっぐっく。
現実に、他の國は軍隊を持っている。
攻めてくるかも知れないから、独立するには軍隊が必要っていう。
それなら、他の國が軍隊を持っていなければ、
攻められることはないから、軍隊は要らないわけだ。
ひょいひょいですよ。全世界の國が軍隊を持たなければ、
どの國も軍隊というものは要らないことになる。
そうなりゃ、ひょいひょい、ひょいひょいですよ。

そうだ、世界中の國の憲法に、「日本国憲法」の
「武力を持たない。戦争をしない」の第九条があれば、
この世界から軍隊は無くなり、ひょいひょい、
戦争も無くなる。ひょいひょい、ひょいひょい、
とまあ、七十九歳の頭は数日考えて、
さっぱりとした結論を得たってわけ。
でも、わたしの結論は非現実的で、まあ空論なんだよね。
困っちゃうね。困っちゃう。

軍隊って、実は、国民一人ひとりの心を縛り上げる存在なんだ。
国民に有無を言わせないための権力の暴力装置ってわけ。
そこんところをわたしはうっかり忘れちゃてる。
困ったもんだ。うんっぐっく。うんっぐっく。
自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣ってことになってる。
っていうことは、今日、現在の自衛隊の最高指揮官は
安部晋三ってわけだ。うんぐっく。うんっぐっく。
うんぐっく。うんっぐっく。うんぐっく。うんっぐっく。

時代は変わって行くのよ。
わたしは外国と戦う戦力を持った國の国民の一人になるってことか。
わたしは戦争をしない國で七十八年も平和に生きてきたっていうのに。
それが、今や「東西冷戦構造が壊れ、
グローバル経済とナショナリズムが勃興する一方、
力の衰えた米国への一極依存は続けられなくなっている」(注1)っていう
新時代には「日本は憲法を改正して軍隊を持つべきだ」という。
思いも寄らなかった。わたしは七十八年間戦争に行かずに平和に生きた老体!!

そもそも、わたしは自分の将来を想像できないで生きてきたんだ。
行き当たりばったりの人生だった。ひょひょいとね。
第二次世界大戦の最中帽子革靴で澄まして立っている五歳のわたしは、
焼夷弾が降りしきる路地を逃げる九歳のわたしを想像できなかった。
國が戦争に負けた焼け跡で鉄くずを掻き集める小学生のわたしは、
朝鮮戦争に行くアメリカの戦車が夜中家の前を通り抜けた翌朝、
制服制帽でぎゅうぎゅう詰めの国電で通学する中学生のわたしを
想像できなかった。その中学生のわたしは、

浅草六区の映画館の暗闇の高校生のわたしを想像できなかった。
その高校生のわたしが、僅か数年後にヴェトナム戦争反対のデモに行ったわたしが、
フランス語の原書を読んでいるなんて想像できなかった。
そしてまたそのわたしがNHKのフィルムカメラマンになっているなんて、
さらに二年後、広島で悦子さんとアパート住まいをしているなんて、
そしてまた、愛してると信じてた悦子さんと離婚して麻理と再婚するなんて、
いやいや、全くもってとてもじゃないが想像できなかった。
自分のことで精一杯に想像外の人生を生きていたってことですね。

原爆を落とされるなんて、広島の人たちは想像できなかった。
わたしゃ広島に住んで『原爆体験記』に記された場所を歩いても想像できなかった。
「国民を守る」が、「原爆を持たなければならない」になるってことは想像できる。
「国民を守る」なんて言葉にすると、可笑しくなってくるね。うんっぐっくだ。
国民として守られて、わたしは詩を書いてきたってことなんですかね。
国民として守られて、わたしは極私的な映画を作ってきたんですかね。
危ないぞ。国民を守るなんて、国民が戦場に行かない連中のために死ぬってことだ。
わたしゃ、国民として詩を書いたことなんてなかった。

詩って面白そうだで、わたしゃ、高校生で詩を書き始めて、
人を驚かしてやろうと詩を書き続け、ひょいひょいとね。
詩人と言われような者になっちまった。こんなわたしは、
あの焼け跡の少年には、まったく想像もできない見知らぬ遠い存在だよ。
困っちゃうね。うんっぐっく、わたし自身は見知らぬ存在だ。
今じゃ、急激に人口が減少する日本の新たな時代になっちゃってね。
わたしは確かに老い耄れて自分でも見知らぬ存在なのだ。
新時代の実感はないけど、眼をしょぼしょぼと詩を書いてる。

年金暮らしの七十九歳のわたし。うんっぐっく。
今、現在、麻理と暮らしている。殆ど家で過ごしている。
新聞の字面を追うのとテレビのドラマを見るのが楽しみになっている。
twitterやFaceBookやMixiに庭の花を毎日投稿している。うんっぐっく。
眼が弱っているので本を読むのがきつい。うんっぐっく。
実際、困ってるのは、片づけられないってことなんですよ。うんっぐっく。
何とかしないと、何が何処にあるのやら、本当に困っちゃう。
勢い込んで、こんな詩を書くなんて、想像できなかった。

とまあ、この詩を書き終えて、急に気分が落ちてきた。
なんだい、こりゃ。気分がどんどん落ちていくぞ。
ぐーんと落ちたところで、寂寥感が襲ってきた。うんっぐっく。
また始まるってことのない、もう終わってしまったということか。
今までに経験したことのない寂しい空白ですよ。うんっぐっく。
この日頃の空白で新聞の字面に引っ掛かってしまったってこと。
そんなところってわけですね。ひょいひょいひょいですよ。まあね。
ここんとろは、詩を書いてこの時間を乗り越えて行こうじゃないですか。

 

(注1)朝日新聞2014年5月28日朝刊。「オピニオン・インタビュー」での松本健一氏の談話。
(注2)朝日新聞2014年5月29日朝刊。
(注3)Google検索「日本兵が捕虜を銃剣で突き殺す」。

 

 

 

 

many たくさんの

母の部屋には
ひかりが溢れていた

ひかりのむこう
には

田圃がひろがり
ひかりのなかにヒトはいない

田圃のなかの

ほこらの中には
男根と女陰が祀られていた

闇の中に
たくさん祀られていた

ひばりの声が聴こえた
ひばりの声がたくさん聴こえていた

 

 

 

hill 丘

雲のなか
浮かんでいた

頂きは
白くひかっていた

恥ずかしい
ことはなかったかい

丘の此方
からあちらはみえないけれど

なかったかい
なにもなかったかい

知ってたの
かい

貰ってきた仔犬は
オオカミの子どもだった

灰色の眼をしていた
ラッキーと呼ばれた