あきれて物も言えない 08

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

やらなければならないことを置いて

 

ここのところ滅入っている。

そんなことを書くと幸せな方々の気分を悪くさせてしまうようで、
申し訳ない気分です。

どうして気が滅入るのだろう。

人には言えないような理由はいくつかあるのだがこの滅入ってくるという気分は、
わたしの平常心なのかもしれないとも思う。

この男、あまり面白くない奴なんですよね。

一昨日は、
やらなければならない事を置いて犬のモコと海を見にいった。

今日は、
やらなければならない事を置いて、
モコと居間のソファーで横になっている。

洗濯をする。

部屋の掃除をする。

トイレも綺麗する。

草をむしる。

玄関の絵を掛けかえる。

野菜と肉の煮物を作る。

水曜文庫に遊びに行き本を買ってしまう。

モコと散歩する。

そんなことでやらなければならないことから逃避している。

一昨年だったか、
東京からここに引っ越してきたが、
本の山をやっと二階の部屋に押し込んだのが去年だった。

それで下の部屋の襖が開かなくなったと女に小言をもらった。

だいたい、
本というものを売ることも捨てることもできない。

それでも本は買ってきてしまう。

本や詩集を送っていただいても、
なかなか読みすすむことができない。

お礼状も書かなければならないができていないものがたくさんある。
申し訳なく思っている。

だんだんと気が滅入ってきて身動きができなくなってしまう。
やらなけれならないことを置いている。

やらなければならないことは、
誰かと約束したことではないがやらなければならないと自分で自分に約束したことなのだった。

挨拶とか礼とかがある。
やらなけれならないことを置いているとやがて淋しい心細い場所にいることになる。

そんなことを考えているとよけいに気が滅入ってくる。

今朝も、
早く起きて、義母の仏壇に、お水とお茶とご飯をあげて線香をたてた。
それからモコと仏壇に手をあわせた。
義母のこと、母のこと、義兄のこと、
女とモコのこと、子どもたちのこと、秋田の姉と兄のこと、志郎康さんのこと、友人たちのこと、などなど、
みんなのことを祈った。

それから味噌汁を作った。

女の弁当とサラダも作った。
朝ごはんを食べた。
洗濯機を動かした。
洗濯物を干した。
浜風文庫にひさしぶりの志郎康さんの詩をアップした。
それでいまこれを書いている。

いまは、やらなければならないことを置いて、全部、置いて、詩を書きたいですね。
詩といっても詩とは別れて詩ではない詩を書きたいですね。
その後で、モコと浜辺に行きたいな。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

3月10日

 

鈴木志郎康

 
 

この日付は
忘れないというより、
身体にはりついている。
昭和20年3月10日
アメリカ空軍による
東京大空襲。
その夜、燃えさかる
火の粉の降る工場の間の道を、
わたしは 母と祖母と、
父の指示に従って、
下町の亀戸から荒川へ
逃げていた。
北十間川の土手を、
中川の土手を、
平井橋まで逃げた。
その先へは、
工場が燃えていて
行けなかった。
朝までそこにいて助かった。
朝になって、対岸の親戚の家で、
ほっとひと息ついて、
焼け尽くされた焼け跡を、
とぼとぼ歩いて、
小松川橋を渡って、
新小岩の駅から、
省線電車に乗って、
千葉県の本八幡にあった
叔父の家に落ちついた。
わたしは焼き殺されなかったのだ。
わたしは生きのびた。

 

 

 

赤ちゃん

 

鈴木志郎康

 
 

すやすやと眠る赤ちゃん、
かわいいねえ。
母親の乳房にしがみついた赤ちゃん、
かわいいねえ。
何かに驚いて泣いてる赤ちゃん、
かわいいねえ。
赤ちゃんがかわいいのは、
生まれたときに、
親の思いが込められてるからだ。
思いとは策で、
愛にしろ家系にしろ、
その策をケトバス力で、
赤ちゃんはかわいいのだ。
そして赤ちゃんは生きのびる。
そしてわたしも生きのびて来た。

実は私が生まれたとき、
2人の兄が二年続けて、
赤ん坊のまま死んでいたという。
夫婦の寝屋に窓がなく、
暗闇の中で死んでいたという。
それから窓が作られて、
その光の中で私は、
生きのびることが、
生きのびることが、
できたのだという。
私は光の中で生きのびた。
光の中で生きのびた。
そして、今や
85歳だ。

 

 

 

85

 

鈴木志郎康

 
 

始まりの数字なのだ。
それから1年が過ぎるとしだ、
85は1年から85年が過ぎた数字だ。
85を過ぎ、86、87、88へ進む。
85は現在の私の年齢だ。
それが86、87、88へ、
進んで行くのか、
進んで行くって、比喩だ。
この比喩は闇だ。
その闇に光を当てると、
命が現れる。
そして、85歳のわたし。
何か、ほっとした心が浮かぶ。

 

 

 

また旅だより 17

 

尾仲浩二

 
 

昨年末より始まった写真展で話をするために再び釜山へ。
打ち上げで古くから詩人が集まるという古くちいさな酒場へ。
オンドルの小上がりで、自家製マッコリと肉や牡蠣のチヂミ。
これがめっぽう旨く、ついつい杯がすすんでしまう。
他の席から独特の節回しの唄が聴こえてきた。
訊けばその人は歌い手だそうで、道理で上手なはずだ。
その人たちが帰った後でこちらの席でも唄が始まった。
したたか酔った僕も「釜山港へ帰れ」をいいかげんな歌詞で。
気分がよかったのだから仕方ない。

2020年1月11日 韓国釜山にて

 

*****
 
写真展情報
1月18日より4月5日まで
奈良市写真美術館にて個展「Faraway Boat」
http://www.irietaikichi.jp/

 

 

 

 

川床の工事 *

 

その女が
忘れられない

だけど

はは

それが誰だか
忘れた

それゆけ、ポエム。 **
それゆけ、ポエム。 **

遠い
遠い

俤の

裸足の

白い
ほそい中指が

綺麗

川床に
ゆらゆら

揺れてた

ゆらゆら
揺れていたな

コントラプンクトゥス

コントラ
プンクトゥス

コントラ
プン

死後 ***
未完のまま ***

出版された ***

川床をユンボで掘る
川床をユンボで掘る
川床をユンボで掘る

石は川岸に積む

その女は原発にやられた
その女は原発にやられた

 
 

* 工藤冬里の詩「森で眠るようになる」からの引用
** 鈴木志郎康の詩「詩」からの引用
***ウィキペディア「フーガの技法」からの引用

 

 

 

 

鈴木志郎康

 
 

詩って書いちゃって、
どうなるんだい。

詩を書いてなくて、
もう何年にも、
なるぜ!

ノートを買って来てくれた
ゆりにはげまされて、
なんとかなるかって、
始めたってわけ。

それゆけ、ポエム。
それゆけ、ポエム。

 
 

空白空2020年1月3日

 

 

 

森で眠るようになる

 

工藤冬里

 
 

森で眠るようになる
栞紐が二つも付いている
小さな手帳なのに
足の裏が蛇の頭に触れる
ゴモラに行って確かめます
山はよく見た
いや見てない
見足りない?
いや見た
目出度い額
産まれた時兄たちは
死にたい
うつな描画のように
億年は矛盾しないもんだいだということですね
ハコフグ森進一
動物の世話に何故失敗するか
きみの生態を解明できない
動物を見せた理由は
欠落を知るためだったが
知りすぎた挙句に
この欠落だ
少年は髪型を少年にして
声を少年にした
空間の上の水を飲んだら
それが喫茶だった
種があるから果物なので
肉だからではない
小さい方には夜を見守らせた
それは良かった
万事快調
I saw that it was good.
belly vest of navel
アダムの臍
信頼できるのは病気だけだ
乾いた石が転がされ
persist 根深いものがある
participants were persistent
転がされていく謙遜さ
上ってゆく岩
きみは動物で
きみの動物は
語尾がにぃである
母音省略の動物性
空白空白空白0という訳ではない
私の前に連れて来られる
森の中で眠れるように
虹の怪獣が潜む区域
緑や臙脂の

胎芽から
胎児
タイガからタイジへの
財産の移行
道を歩くときも
寝るときも
十字に裂けて固まった表面
幼い時からドブ浚い
とげをおしこむ
どんなことでも乗り越えられる
風に
運ばれて
追い風
風のかわりに耳鳴りが来た
紅海のドルドラムを行く
額は広い
青と緑
いい風

切る
頭を切る
首から上を切る
舟はどこに向かっているか
森で眠るようになる
新しい世界
黄土色と黄緑
川床の工事
森で眠るようになる