峯澤典子
それを古いノートに挟んだのはだれ。ちいさな子の唇に似たはなびらがいちまい。
まだ朝はやい海岸を歩いたのはいつのこと。なにも話さずに ただ ゆびをあたためようとして。白湯のなかのさくらづけがひらきはじめるように スカートが さらさらさらさら潮風をはらんで。
あのとき 遠くから流れてきたはなびらの さくらいろに さきにふれたのはだれ。浅い夢のなかの足跡を辿ろうとしても 波打ち際の腕時計はとまったまま。裾だけが さらさらさらさら濡れつづけて。どんなことばも 海鳥の声にまぎれてしまうのだから。
ふたたび訪れることはない砂浜には あのとき拾えなかった無数の花の影が さらさらさらさらゆれて。そのささやきを消そうとする波の音しか ここにはもう届かない。
すべてを忘れてしまえば 波にさらわれて どこまでもゆけるのに。それでもあなたは おなじ夢のなかでまた 花のいろに ふれようとして。
いま 閉じられたページのなかで眠るのは わたしの ではなく あなたの愛した いちまいのはなびら。