いちまいの

 

峯澤典子

 
 

それを古いノートに挟んだのはだれ。ちいさな子の唇に似たはなびらがいちまい。

まだ朝はやい海岸を歩いたのはいつのこと。なにも話さずに ただ ゆびをあたためようとして。白湯のなかのさくらづけがひらきはじめるように スカートが さらさらさらさら潮風をはらんで。

あのとき 遠くから流れてきたはなびらの さくらいろに さきにふれたのはだれ。浅い夢のなかの足跡を辿ろうとしても 波打ち際の腕時計はとまったまま。裾だけが さらさらさらさら濡れつづけて。どんなことばも 海鳥の声にまぎれてしまうのだから。

ふたたび訪れることはない砂浜には あのとき拾えなかった無数の花の影が さらさらさらさらゆれて。そのささやきを消そうとする波の音しか ここにはもう届かない。

すべてを忘れてしまえば 波にさらわれて どこまでもゆけるのに。それでもあなたは おなじ夢のなかでまた 花のいろに ふれようとして。

いま 閉じられたページのなかで眠るのは わたしの ではなく あなたの愛した いちまいのはなびら。

 

 

 

ゆきのあとに

 

峯澤典子

 
 

あさ 目覚めるまえの
窓辺に
小鳥たちが
濡れた花を落としていったから

ながいあいだ 会えなかったひとが
今日
そらを 渡っていったのだと わかる

交わしたことばよりも
交わせなかったことばは
ゆきに覆われた木の実のように
青いまま 残るから

夢のなかの
かじかんだ つまさきでも
さがせることも

あのひとは 聞こえない声で

さよなら と 言ったのか
おいで と 言ったのか

いつか
わたしも
ながい夢からさめ
そらを 渡りはじめる夜明けに

待ちわびた ゆきどけの窓辺で

ずっとさがしていた
青いままの ことばは
はじめて ささやく

さよなら
そして

おかえりなさい と