時代が変わるんだってさ

 

ヒヨコブタ

 
 

なにも思い出したくない朝と夜がある
わたしは
表面的に笑いなぜふざけているのだろう
そんなことにもとても疲れて
追いかけてくる過去なんてうんざりだと手ばなしたくなる朝と夜が

この感覚は昔からだと気がつきもする
すべての記憶を手ばなしたら
嬉しかったささやかなことも消えていくなら
わたしはすべてをからめとり
からめとられていたいのだと応える
じぶんに

ことばのなかにひきこまれるとき
会えぬ誰かとの感触がある
地名のなかのあのみどり
わたしは
ほんとうにはしゃいで、いた
そのあとのこともほとんど覚えているのに

書くことのなかに痛みがあると知っていても
幼く頑ななわたしにそれを伝えようと
いまとそこまで変わらぬかもしれない
すべてのうつくしさもそうでないことも
書きとめてしまうのだと
はやく、はやくと急いていた幼い頃から

大丈夫になることも、ある
不安が増大しすぎる時期も生きた
当然じゃない?と開き直って
わたしは行こうか

30年夢見ながら
よく苦しみました
時代は変わるようだけれど
あなたももれなく変わっていくから
心配しすぎないで、疲れたからだをまとって行こう
少しだけ励ましたいのはわたしだったね
ハグするよ、わたしじしんを

 

 

 

パタタ

 

辻 和人

 
 

パタタだ
テーブルの上だ
パタタパタタ
逃げる逃げる
「かずとーん、ちょっと来てえ、大変大変」
ミヤミヤの切迫した声
駆けつける
職場の華道部のお稽古で使った花から黒っぽいモノが飛び出したっていうんだ
テーブルから椅子へ、椅子から床へ
飛び移ったパタタは
棚の下の暗がり目指して
パタタパタタ
奴か
殺虫剤を取りに行って無我夢中で
シューッシューッ
霧が晴れると
そこにはパタタじゃない
仰向けになった子供のゴキブリが
足を震わせていた
静かになった

ああ、前にもあったあった
会社から帰ってドアを開けた途端
暗い足元に黒い影
パタタパタタ
咄嗟に家は絶対きれいな状態を保ちたいというミヤミヤの言葉を思い出して
すぐさま殺虫剤をバラ撒いた
灯りを点けると
パタタじゃない
大きな脂ぎったゴキブリが足を震わせていた

「ゴキブリさん、ごめんなさい。でも、家はきれいに使いたいから。
かずとん、ティッシュに包んでゴミ箱に捨てておいて」
ミヤミヤがちょっと気の毒そうに言うので
無言で頷く

パタタが
パタタのままだったら良かったのにな
逃げるって恐怖の感情
足震わせるって苦痛の感覚
ああ、やだやだ
手を下すってやだな
パタタがずっとパタタのままで
殺虫剤も
いつか市販されるかもしれない家庭用ドローンからの散布とか
そんな感じならまだ良かったのにな

もう生きていない生き物を
ティッシュを何枚も重ねて
床から摘み取る
脆い胴体がティッシュの中でぐしゃっとなる
ゴミ箱に投げ捨てて
もう知らない、知らないよ
階段を昇って自室に引き上げる
でも、これで終わりじゃないだろう
パタタパタタ
ほーら、やっぱり
パタタが追っかけてくる

 

 

 

雨になる朝に

 

君子蘭の花が濡れていた

濃いみどりの葉も
濡れて

ひかって

雨になる朝に

女は
働きにいった

ここにいる

この
おとこは

だれのものでもない

コトバを
さがしている

コトバのなかに
コトバでないものを

さがしてる

たぶんそこには
ないね

それは
外にある

コトバの外にある

雨になる朝に

君子蘭の
オレンジの

花が
濡れてた

濃いみどりの葉も濡れてた
ひかっていた

“沖縄”

“大阪”

“日本”

“自治”

“経済”

“成長”

コトバの外部に
人びとの

沈黙はある
雨になる

ヒトビトの沈黙を聴く
世界の沈黙を聴く

昨日

夕方に出かけていった
サックスソロを聴きにいった

そこには

小鳥がいて
呻いてた

呻きはコトバではない

小鳥は
佇っていた

よちよち

歩いて
いた

小鳥は空のむこうに渡っていった

 

 

 

病院から帰って

 

花粉症かな
くしゃみが止まらず

病院に行った

やっと

帰ってきた
薬を沢山くれた

尿と
血液の検査もした

肝臓の値が上がり
尿酸の値が上がり
中性脂肪の値が上がっていた

きっと

なにかは
下がっているのだろう

帰ったら
大崎紀夫さんの本が届いていた

句集 ふな釣り

十年ほど前は
大崎さんの釣りの本を読んだ

大崎さんの釣りの本が
好きだった

ヒトが小さくて
景色がきれいだった

あの頃は
小舟を車に積んだ

ひとり
海に浮かんで糸を垂らしていた

ずいぶん
釣りをしていない

海辺の町にいるから
海をみている

いつも

モコと
海をみにいく

風を肌で感じる

波がよせて
水面の波紋が揺れるのをみている

ずっと
みている

それだけなんだけどね

 

 

 

橋上女

 

佐々木 眞

 
 

見ろよ イズミ橋の橋の上
今日も佇む 橋上女
降っても 照っても
一日に 何度も 何度も
近所の石橋の上に 佇んで
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

歳の頃なら 五十 六十
身につけているのは 垢で汚れた紅色のダウン
水色のウールのパジャマの 上下をまとい
もっともらしく 両腕を 組んで
足には 黄色いサンダル 履いて
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

それとなく 近寄って 眼鏡の下の 薄汚れた顔を 見れば
小さな 両の目玉は 灰色に濁って
さながら M.ジャクソンンの「スリラー」に出てくる ゾンビのよう
これでは どこを 眺めても 何も見えないだろう
ところが そうではなかった
彼女は 恐ろしい真実を 見据えていたのだ
ギリシア神話に出てくる カサンドラのように

私はその時、むかしアメリカで撮影した たくさんの写真を持っていた
すると 橋上女は 私を 呼びとめて
「その写真を 見せて おくれな」というた
それで 私が 写真を渡すと 彼女は 物珍しそうに見つめていたが
「ほら この写真を じっと見ていて ご覧な」というた
1968年、78年、88年、98年に NYの ブルックリン橋を
私がおなじ場所、おなじ角度で撮った 4枚のカラー写真だ

橋上女が 橋の上で 1968年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1978年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1988年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

続けて「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1998年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

私は、橋上女から取り戻した 4枚の写真を 矯めつ眇めつ 何度も何度も見つめたが
そのどこにも ブルックリン橋は映っていない。同じような どろりとした茶色の印画紙が 掌から突き出た 4枚のトランプのように 並んでいるだけだ

この時遅く かの時早く 私は気が付いた
1968年と 1978年と 1988年と 1998年に撮影された写真は なぜか見つめられると 粒子が荒れて 映像がとろけ出し 膨れ上がって 土の色に戻ることを

西暦の末尾に8が付く写真は 10年毎に見つめられると ピンボケになってしまうのだ
それはあたかも 大きな栗の木を 輪切りにした時 その年輪が 10年ごとに膨れ上がっているような ものなのだ

ユーレカ! ユーレカ! これぞ世紀の大発見 ではないか!
手の舞い 足の踏むところを 知らなくなった 私は
かの 橋上女に その 驚きを伝えようとしたが 彼女の姿は どこにもない

橋上女 ことカサンドラは いつのまにやら 姿を消した
さらば さらば 謎の女 カサンドラよ!
お前の 灰色に濁った 両の眼は 誰にも見えない 真実を見ていた