水仙の黄色い
花の
写真を
facebookで
見た
それから
鳥取の日吉津海岸の
暗い海に
暗い空がひろがるのを見た
綺麗だと
思った
遠くにあるがここにある
綺麗なものは
ここに
あった
青空に
白い雲が
浮かんでいた
水仙の黄色い
花の
写真を
facebookで
見た
それから
鳥取の日吉津海岸の
暗い海に
暗い空がひろがるのを見た
綺麗だと
思った
遠くにあるがここにある
綺麗なものは
ここに
あった
青空に
白い雲が
浮かんでいた
「私も、ワンちゃんよりネコちゃんの方に
近しいものを感じているんです。」
「それはなぜなんですか?」
「うまく言えないですけどね。フィリピンにいた頃飼ってたし…。
ネコちゃんかわいいですよね。」
明日は東京に帰るという夜
舞台は
政治家がお忍びで泊るみたいな(ってとこまで行かないけど)豪華な和室の窓の際
浴衣姿で並んで、高価そうな灯籠のある庭を眺めたりしているんだけど
ぼくのファミちゃん・レドちゃん自慢話を受けたその告白は
そのまま、ふっと空中に消え
代わりに
細身の彼女の生身のふっくらした抵抗感が
つい今しがたの
ふっくらした抵抗感が
熱を帯びて、浮かびあがってきた
何てゆったりした時間……
それから互いの家族の話になった
「ぼくの父は引退して長いから穏やかな感じですよ。
ファミちゃん、レドちゃんの世話が一番の仕事って感じかな。」
それを聞いたミヤコさん
ふぅーっと息を吐き出したかと思うと
「うちの父、悪い人じゃないんですが、
頑固者なんですよ。」
えーーーっ
頑固者ですか
いえいえ
ちょっと怖いけど
大丈夫
婚活で知り合った仲では
こうやって「次の段階」が
サラリと立ち現われる
サラリ、サラリ
すごーく自然
ずっと生身を寄り添わせてきたこの丸二日間は
まるで淀みのない時間だった
40越えのぼくらには
焼けつくような、とか、盲目の、といった類のモンじゃなく
よく見て、よく話して
それでいて淀みがないってことの方が重要なんだ
「頑固って、いいことじゃないですか。
それにミヤコさんだって結構頑固でしょ?」
「えーっ、そうですかぁ。そうかもしれないけど…。私はうちの父とは違うと思います!」
そ、そんなムキにならなくても……
ワンちゃんは主人の意向を探ることを優先するけれど
ネコちゃんというのは、そこにある身体を
そこに流れる時間に委ねきる
そこに淀みはあるか?
いいや、ない
サラリ、サラリ
待ってました、待ってました
それじゃ、いつの日か
頑固者相手に
どんな振る舞いをすればいいのかな?
ミヤコさん、一緒に考えて欲しいです
だれか来た
かおが来た
あしおと鳴らして
かた揺らし
身動きできないのか愛する人
だれかわからない
こえもする
したが伸びて風に揺れる
これはあの人のあの人じゃないか
何の音?何の音?
だれだろ、「はーい、はーい」
ここで出逢うか
かおに風が吹いている
骨のような
膜のような
ぶぶんに音が跳ねている
なにゆえに
黄色いひよっこ
ピヨピヨピヨ
生きてるだけで
たのしいからさ
なにゆえに
めんどりおばさん
コケコッコ
生きてるだけで
仕合わせだからさ
なにゆえに
うちのムクちゃん
ワンワンワン
生きてるだけで
うれしいからさ
なにゆえに
隣のタマちゃん
ミャウミャウミャウ
鳴いてるだけで
恋しいからさ
なにゆえに
うちの耕君
ニコニコニコ
生きてるだけで
面白いからさ
なにゆえに
うちの奥さん
オホホノホ
思い出しても
可笑しいからさ
なにゆえに
うちの父さん
グウグウグウ
とにかく人世
疲れるからさ
みてたね
暗い居間の
片隅に
テレビが
あった
なにを見てたのかな
アニメを見た
ソランは
空を飛ぶ
車に乗っていた
みんな忘れたけど
こどもは
見ていた
忘れたけど残るものも
ある
あなたは
そちらにいったけど
よかった
会えて
よかった
鋭角って言えば、
先が鋭い刃物。
で、身体を刺せば、
血が出るね。
そして、出血多量なら死ぬね。
でも、
木を削ると、
温かみが生まれる。
曲面が温かみを生むんだね。
曲面を削り出す手を持つ人、
鋭角を持って温かみを生み出す人、
わたしは、
そんな手を持つ人じゃなかったなあ。
ん、でね。
わたしはね、
今年になって、
一月の末から二月の末に、
三度、慶應大学付属病院の救急外来に運ばれたんだ。
一度はタクシーで、二度は救急車で、
頭痛と顔の強ばり、烈しい嘔吐の感じ、そして痰が絡んでの呼吸困難。
救急車の中で過呼吸になり手先が痺れ、
「ゆっくり深く呼吸して」って言われた。
救急外来の診察じゃ、
採血して、CT撮って、レントゲン撮って、
別に異常ない、
と薬を吸入して痰を吐いて
家に戻った。
そして、町内の小林医院にいって
吸入の薬を処方して貰って、
家で、まあ、なんとかFBに投稿はしたが、
その直後、
玄関の段差で仰向け転倒しちゃった。
麻理ひとりじゃ起きあがらせることができないで、
丁度来ていた電気工事の人に起こして貰い、
ベッドに運んで貰ったわけ。
麻理いわく。
仰向けなった蝦蟇ガエルみたいだったってね。
10日経っても左の胸を痛めてまだ痛い。
発作っていうのはね。
頭痛と顔の強ばりは朝の六時、
烈しい嘔吐の感じは夜中の三時、
呼吸困難は夜中の二時、
夜中から朝に掛けて、
気持ちが悪くなったり、
息苦しくなったり、
それは三月になった今でも続いている。
近く小林医院で処方して貰った
吐き気止めの薬と吸入の薬で
何とか時を過ごしている。
昨年の七月から服用している
前立腺癌の新薬のパンフを見たら、
どうも、その副作用じゃないかと、
当てずっぽうに思ってる。
だが、担当医はそんなことはないと言ってる。
ぐだぐだ書いたけど、
書いてもしょうもないことですね。
身体って、
当人だけものなんだからね。
病のことを言葉にすると、
「お大事に」
と、言葉が返ってくる。
当人じゃないからどうしようもないものね。
でも、そこで、
身体が当人だけものでもなくなってくるんだ。
つまり、その先の身体の消失ってこと。
そこに、
名前と言葉と写真とか、
身体無き存在が残ってくる。
また記憶の中の存在になる。
家の中で、
麻理がいると、
麻理の身体が
なんやかんや
動いているのを感じて、
安心しているけど、
彼女が外出してしまって、
いなくなると、
急に、
寂しさが襲ってくるんですね。
身体の存在って、
そういうもんなんですね。
その存在が温かみってことかな。
荒井くん
たちと
宇奈月温泉にいったな
がたがたと
揺れる単線の電車に乗って
いった
田圃のなかの
小さな駅をたくさん過ぎて
荒井くんと
シンガポールや
タイや
フィリピンや
香港や中国の友人たちと
いったな
風が吹いていたな
光っていた
土曜と
日曜日のあいだで
映画を観た
ロシアの映画だった
男が
コトバを叫び
燃えた
それから
相撲を見た
男たちが裸で闘っていた
どうなんだろうね
パートナーというのは
いないと
淋しいのかな
モコは玩具をくわえて
見ていた
モコと
夕方
散歩した
いつも
老犬と散歩している婆さんが
モコに
話しかけてきた
あの犬が
死んだのだという
この子は
おとなしくていい子だね
そういって
くれた
だれでもいつか死ぬが
ひらく思いがある
土手に
小さな水仙の花が咲いた
皿を重ねれば
モスクが建ちました
所有された悲嘆は
もう聞こえません
皿は割れます
さっきの押し売りも
いまでは引いて買えます
皿に水をはれますか
スープでも構いません
皿の上のものを
食べます
無欲なホルモンです
数寄な憑きものです
仕方ありません
隙間を埋めます
これからは
いつも重ねます
皿を踏んでいます