昨日は
朝に
ひかりに乗り
景色を
過ぎていった
新宿で私鉄に乗ったの
だったか
コトバを破り
コトバを脱ぐヒトたちの
なかに
花の端切れを集めたドレスを着て
そのヒトは
いた
花の端切れのなかの
傷んだコトバを
抱いていた
笑っていた
昨日は
朝に
ひかりに乗り
景色を
過ぎていった
新宿で私鉄に乗ったの
だったか
コトバを破り
コトバを脱ぐヒトたちの
なかに
花の端切れを集めたドレスを着て
そのヒトは
いた
花の端切れのなかの
傷んだコトバを
抱いていた
笑っていた
新しいシャンプーを使った。
ダークグリーンのチューブタイプの入れ物。
白いジェル状のものが中には入っている。。
黒くて長い髪の先まで丁寧に洗った。
何度も何度も指をとおす。
少し熱いと感じるお湯で流す。
つやつや、きらきら、つるつる。
髪が生き返るように潤いをもつようになる。
ぱんぱんと軽くたたきながらパスタオルでふく。
柔軟剤でふわっふわになっている布。
風量が強すぎるほどのドライヤーで髪を靡かせて乾かす。
水分がだんだんなくなって軽くなる。
少し持ち上げるとなんの抵抗もなくすとんと落ちるようになる。
分け目をいつもの場所と変えてみる。
でもやっぱり気に入らないからもとのようにセンターに戻す。
いつまでもいつまでも鼻をくすぐるようないい香り。
自分の鼻に近付けていい気分になる。
そのいい気持ちのままするんとベッドに入る。
眠る。
いい夢を見られるはずだ。
自分専用の急須を戸棚から出す。
お湯を沸かす。
通販で取り寄せた京都で有名な茶葉を用意する。
陶芸教室で自分で焼いた湯呑をテーブルの上におく。
沸いたお湯で湯呑を温める。
茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ。
数分してから湯呑に投入する。
きれいな淡い緑色の液体。
じっと見る。
上から覗き込むようにじっと見る。
口にふくんでみる。
苦味成分のカテキンがいい仕事をしているなと感じる。
美味い。
心が不思議と落ち着く。
昔住んでいた田舎町の茶畑をふと思い出す。
あの時汗を流して茶摘みをしていたおばあさんは元気だろうか。
歩く。
ひたすら歩く。
川沿いまで着てみると高架下で若者たちが楽しそうにバーベキューをしている。
黒いタンクトップ、花柄のロングスカート、厚底のサンダル、蛍光グリーンの小さめの鞄、肉肉肉肉肉野菜。
あのクーラーボックスにはよーく冷えたコーラが入っているに違いない。
さらに歩く。
新しい建売の住宅が並んでいる。
広い庭がついた洋風の家が目立つ。
よそものの集まりなんだろうけれど、そこからきっと新しい組織ができていくにちがいない。
どの家も日当たりはよさそうだ。
雪が多くて寒い地域だからだろうか。
窓が厚くできているような気がする。
近い将来この辺一帯の家々には色んな名字の表札がかかるのだろう。
それぞれの人生がそこにはある。
普段のなんともないことや想像の世界をを文字にしてみる。
それをつなげて文章にしてみる。
ただそれだけのことがものすごく楽しい。
さらに幸せなのはそれを多くの人が見てくれるところ。
御縁に感謝。
這いずりあぐね
裸電球は空になっていた。
這えば這うほど
光が背中を刺す。
昼って素材が
現実を借りていた頃です。
普段、僕はそこにいます。
言葉をひっこめて
雲が喘いでいます。
見てますか。
脈の発作がきたら、
蓋をした
家路を探らなければならない。
道すがら
手紙を折って影絵をするのです。
内に、折りこんだ言葉を
道にすてて。
ぐつぐつと妾の中へ
お辞儀をする。
さぁ、参ろう
さぁさ、参ろう
佃煮があるってさ
蓋のない家屋を見かけたら
人のしずくの中を
調べてほしい。
うんと匂うから。
日本が中国を遮二無二侵していた頃に、
そうして手痛いしっぺ返しを喰らうておった頃に、
大阪と芦屋に四人の美しい姉妹が住んでおりました。
一番下のこいさんは、とびっきりのモダンガール。
おっとりと奥ゆかしいお姉ちゃんを尻目に
駆け落ちはするは、男どもを手玉に取るはの小悪魔ぶり。
こいさんが、あまりにも自己ちうやさかい、
中姉さんは、人知れず泣かはった。
幸子はんは、えんえんえんえん、泣かはった。
もしかすると妙子はんの強心臓には、
谷崎選手なんかをカモにするような、
綺麗で邪悪な血が、流れておったのかもしれへん。
案の定、こいさんは、流産しはった。
こいさんは、バーテンダーのその男と、一緒にならはった。
にあんちゃんの婿はんの貞之助はんが、あんじょうやってくれはったんや。
しゃあけんど、そのあとこいさんは、
二人して幸福にならはったんやろうか?
どうもそうは思えんのや。
こいさんは、またぞろ男をひっかけて、
その男も、こいさん自身も
またぞろ酷い目に遭うんやないやろか。
それからこいさんの上の嬢はんの雪子はん。
悪い噂の所為もあって、何度も何度も縁談に失敗してきた無口な雪子はん。
今度こそハッピーエンドになってほしいんやけど、
そううまく、問屋が卸すやろか。
全三巻の「細雪」を、パタンと閉じてしもうてからも、
どうもそうは思えんのや。
「下痢はとう~その日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ續いてゐた」
この文豪、谷崎潤一郎はんの超大作は、
そんなあまりにも尾籠な言葉で、突然幕を閉じてしまいよる。
雪子はんは、下痢してはる。雪子はんは、下痢してはる。
雪子嬢はんの下痢は、止まるやろか。
東京の晴れの結婚式までに、止まるんやろか。
どうもそうは思えんのや。
気の毒なことに、可哀想なことに、
雪姉(きあん)ちゃんは、あれからずっと下痢してた。
1941年4月27日の朝、汽車が東京に着いてからも、
晴れの結婚式が終わってからも、新婚旅行が終ってからも、
何年も、何十年間も下痢をしていた。
雪子はんの悲劇は、日本という国の悲劇と重なって
昭和一六年春にこの物語が終ってからも、まだまだ続き、
七四年後の今日までも、延々と続いとるんや。
ああ、極東の暗くて寒い国ニッポンよ。
雪子はんの下痢が、果てしなく続くように、
お前の前庭には、いつも不吉な断片が降り注いでいる。
黒くて細かな雪は、
あんたらの目には、見えへんやろれど、
ひらひら、はらはら、降り続けとるんや。
いまは真夏の八月やけど、
確かに今も、降り続けとるんや。
ひらひら、はらはら、降り続けとるんや。