由良川狂詩曲~連載第28回(最終回)

第8章 奇跡の日~いつかどこかで

 

佐々木 眞

 
 

 

――あっ、あれは、もしかして、Qちゃん? ほんとうにQちゃんなのかい?
ああ、、こんなに疲れきってボロボロになっちゃって……
Qちゃん、君はそれにしてもよく無事でこんなに早く故郷に戻ってこれたね。

ケンちゃんは、思いもかけない再会の驚きと感激で、頭の中がまっしろです。

Qちゃんは、朝の光を受けてキラキラと輝く由良川の清流の中を、軽やかな身のこなしで、ぐるぐると2回転半。あざやかなストップモーションを決めると、相変わらずアシカに似た賢そうな頭をクルリとひと振りしてから、上目づかいに見上げながらケンちゃんに向ってニッコリと微笑みかけました。

「ケンちゃん、お久しぶりです。お元気でしたか? ぼくも元気です。旧型の山手線はいまごろどこを走っているんでしょう? もうお払い箱になっちゃったのかしら?」
「山手線の旧型だって? お前は魚のくせに、JRに乗って、綾部まで帰ってきたのかい?」
「ぼくは、無事に帰ってきました。だけど、うぐいす色の山手線は、いまごろどこを走っているんでしょう? 南武線かな? それとも常磐線かな?」

すると、いつのまにか傍にいたオオウナギが、あわてたようにいいました。

「ケンちゃん、Q太はさかまく嵐の海を必死に泳ぎぬいて、たったいまなつかしい故郷へたどりついたばっかりなんじゃ。あんまり難儀な目にあいすぎて、ちょっとばかり頭が変になっとるようじゃ。そのうちに元に戻るさかい、あんまり心配せんでもええよ。
それより皆さんおまちかねじゃ。ほれQ太、これでお世話になったケンちゃんともお別れになるんじゃが、記念になんか一曲歌ってくれんかなあ」

Qちゃんはこっくりうなづくと、長老の頼みに応えて、持前の透きとおったボーイソプラノで、朗々と歌いはじめました。

♫君が愛せし綾部笠
落ちにけり 落ちにけり
由良川に 川中に
それを求むと尋ぬとせし程に
明けにけり 明けにけり
さらさら さやけの夏の夜は

♫心の澄むものは
霞花園 夜半の月
秋の野辺
上下も分かぬは 恋の道
岩間を漏り来る 由良の水

♫常に恋するは
空には織女流星
野辺には山鳥 秋は鹿
流の君達 冬は鴛鴦

♫舞へ舞へ 蝸牛
舞はむものならば
馬の子や 牛の子に
蹴させんとて 踏破せてん
眞に美しく舞うたらば
華の園まで遊ばせん

「華の園まで遊ばせん、華の園まで遊ばせん」、と二度まで繰り返して見事に謡いおさめ、Qちゃんはくるくると2回首をまわしてから、こう顔を七三に上手に方にひねって、ぴたりとみえを切りますと、井堰の舞台奥にズ、ズイと控えし由良川の魚ども、こぞって胸ビレ、背ビレ、尾ビレを総動員。綾部盆地を揺るがすような三三七拍子は、いつ果てるともなく山川草木の上に響き渡ったのでした。

そんなQ太の立派な晴れ姿をみつめながら、「ウナギにしては小さ過ぎ、ヤツメにしては目がふたつ、ほんにお前はドジョウみたい。変なやつ。でも、好き!」
とケンちゃんは、心の中でなんども思い思い、Q太へのつよい愛情が胸の奥いっぱいに広がるのを感じました。

「Q太よ、Q太よ。早く良くなっておくれ。ぼくの兄貴のコウ君だって、いっけん天才児に見えるけど、じつは生まれたときから脳のどこかをやられているんだ。でも今回は得意技を生かして、ここ一番というところでぼくの窮地を救ってくれた。だからQ太も頑張ってくれ。頑張ってなんて古くさい言葉だけど、いまはそれしか言えない。どうか頑張って!」

言葉にはせず、そう口の中でつぶやいてみただけで、ケンちゃんの大きな瞳は、みるみる熱いもので覆われてしまうのでした。

「さあ、これでぼくらの仕事は、ぜんぶ終わった。Q太くん! それから愛する由良川のすべての魚の諸君! いつまでも元気に、仲良く暮らしておくれ!」
とケンちゃんは、らあらあ泣きながら、由良川全部に向って叫びました。

「ではケンちゃんとコウさん。オラッチはもう年寄りでっさかい、ここいらで失礼させてもらいまっせ」
とオオウナギは、そばかすだらけの分厚い腰をペコリと一折折ってから、ニヤリと笑い、病み上がりのQ太をうながし、抱きかかえるようにして井堰の向うの川の深みへと消えてゆきました。

そのオオウナギの、そばかすだらけの横顔に浮かんだ、実に奇妙な笑いをみた瞬間、ケンちゃんの脳裏に、かすかな不安がよぎりました。

――西限と南限は東アフリカのナタール、東限は北部は小笠原諸島、南部はマルケサス島。日本の分布は黒潮が接岸する鹿児島県から房総半島南端にいたる沿岸と長崎県のみ、とされているオオウナギが、なんで丹波の内陸を流れる由良川にいるんだろう?

オオウナギの小型のやつは海の浅瀬の底にいるけれど、大型のは河川の淵の洞窟のなかに潜んでいると、確か魚の図鑑に書いてあったっけ。きゃつらの餌は小魚、エビ、カニ類で………
もしかしたら、ああ、もしかしたら、あいつらも、ライギョやアカメの同類項なのかも知れない!

「Qちゃん、Qちゃん、ちょっと待て! 待つんだ!」
と、ケンちゃんは大声で叫びました。

二度にわたって海を渡り、列島を大回遊し、奇跡の生還をなしとげた小さな友達に向って、声を限りに呼びかけました。
しかしいくらケンちゃんが目を凝らして、由良川の水面から遠くを見透かしても、もう魚たちの姿は、メダカ一匹見えません。

ただサラサラ、サラサラと規則正しい波音を立てて、由良川は上流から流れ、下流に向って、いっさんに流れ去っていくばかりでした。

正午。
太陽は、いままさに、ケンちゃんとコウちゃんの頭上に静止し、燃えるような強い光線を、垂直に注ぎこみました。

ちょうどその時、市役所のサイレンが喨々と、かつまた寥々と、鳴り響きました。

サイレンは五月のそよ風に乗って、由良川の川面を渡り、てらこ履物店の上空を過ぎ、やがて寺山のてっぺんのところで、ハタハタとはためく日章旗としばらく戯れたあと、綾部市の旧市街地にちらりと一瞥をくれ、青空の彼方へと静かに消えてゆきました。

 

 

 

 

○引用&参考文献
佐佐木信綱校訂 新訂「梁塵秘抄」(岩波文庫)
中村守純「原色淡水魚類検索図鑑」(北隆館)
阿部宗明「原色魚類検索図鑑」(北隆館)
村松剛「帝王御醍醐」(中公文庫)
綾部市役所編「市勢要覧」
浅野建二校注「山家鳥虫歌」(岩波文庫)
浅野建二校注「人国記・新人国記」(岩波文庫)
磯貝勇「丹波の話」(東書房)
神奈川県鎌倉市立大船中学特殊学級歌・小林美和子作詞「八組の歌」

○初稿 1991年5月19日~9月26日 改稿 2018年11月8日

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第27回

第8章 奇跡の日~水の上で歌える

 

佐々木 眞

 
 

 

その次の日、5月5日は子供の日でした。五月晴れの晴天でした。
うっすらと絹のヴェールを刷いた青空が、丹波の国、綾部の町の上空に、お釈迦様のような頬笑みを浮かべながら、おだやかに拡がっています。

ケンちゃんは、コウ君と一緒に、由良川の堤防の上に立ちました。
気持ちの良い風が、シャツの袖の下から脇の下へとくぐり抜けてゆきます。
対岸の家並のいらかの波のあちこちで、大きなマゴイや小さなメゴイが、5月の透明な光と風を呑みこんでは吐き出し、ゆらゆらと泳いでいます。

「ケンちゃん、『8組の歌』を歌おうか」
「うん、いいね」

そこでふたりは声を揃えて、大船中学校3年8組の歌をア・カペラで歌いました。

明るい青い空 光があふれるよ
野に咲く はなばなは
ぼくらに ほほえむよ
みんなで ゆこう
あの山こえて
みんなで ゆこう
よびあいながら
明るい青い空 光があふれるよ
野に咲くはなばなは
ぼくらに ほほえむよ

それから、ふたりが河原へ降りてゆくと、井堰のちょっと浅くなったところで、由良川の魚たちが背伸びしたり、躍りあがったりしながら、ケンちゃんたちの到着を待ちわびているのでした。
中には井堰を乗り越え、身をよじりながらこちらへにじり寄ってくる、せっかちなドジョウもいます。

「おや、そこをノソノソと歩いているのは幸福の科学を呼ぶとか言うゼニガメじゃないか」

ケンちゃんは、チビのくせに生意気にも背中にコケをはやしているゼンガメを掌に乗せると、井堰の突端できれいに澄んだ由良川の流れの中にそおっと放してやりました。

ゼニガメが不器用に泳ぎながら、コイやフナ、ギギやアユたちが群れ集っているところに辿り着くやいなや、誰かが合図でもしたように、その数えきれない何千何万匹もの由良川じゅうの魚たちが、一斉に銀鱗をきらめかせながら、思いっきりジャンプしました。

幅おそよ1キロの大河ぜんたいを、見渡す限り銀色で埋めつくした魚たちの跳躍は、いつまでも続きました。
いつもはそんな絶好のチャンスを見逃すはずのないカワセミもトビもサギも、さすがにこの時ばかりは水面を飛ぶことも忘れ、くちばしをあんぐりとあけたまま。魚たちの繰り広げる一大ページェントに見とれていました。

やがて由良川の川面に、ふたたび静寂が戻ったとき、最長老のオオウナギが、ケンちゃんとコウ君が立っている井堰すれすれのところまで、クネクネと泳いできました。
魚族の生存をおびやかす凶悪な敵との熾烈な戦いを我らがケンちゃん、そしてコウ君の助けを得て、やっとこさっとこ勝利に導いたこの老練な指導者は、ごま塩の長いヒゲをピクリ、ピクリと動かしながら、重々しい声音で一場のスピーチを試みました。

「うおっほん、このたびの、由良川史上かつてない大戦争を、なんとかかんとか無事に終結でけましたんわあ、ほんま、そこにおわっしゃる、おふたかたのご尽力の賜物と、心より感謝感激しとる次第であります。

わいらあ一族の平和な暮らしを脅かし続けてきた、あのライギョども、そしてそのライギョよりもさらに恐ろしい極悪非道のアカメどもを、当代最高の知性と教養、そして、沈着冷静な判断力と積極果敢な行動力とを兼ね備えた、アメミヤケン氏およびその兄上のコウ殿が、力を合わせて一挙に撲滅されたちゅうことは、じつに国家3千年、由良川6千年の歴史を飾る壮大な事業、いな大革命といううべく、まことにまことに慶賀に堪えましえん。

ここにわいらあ全由良川淡水魚同盟員一同、鴈首揃え、幾重にも伏して御両所の獅子奮迅の大活躍に満腔の謝意と敬意を表し、遠く遙かな子々孫孫の代まで、その偉業を語り継ぐことを、この場で厳粛にお誓いするものであります」

「ひやひや、そおそお、そのとおり!」
「よお、よお、三流弁士。言葉多くて心少なし!」
と、後に控えた魚たちは口々にはやし立てます。

由良川じゅうをどよめかせる大騒ぎがようやく収まると、威儀を正したオオウナギが、今度は慎重に言葉を選びながら語を継ぎました。

「んな訳じゃによって、わいらあ一同は、おふたかたのこのたびのお働きを、とわに記念して、なにか贈り物でもと考えたんじゃが、ご承知の通りの台風一過、火事場のあとのおおとりこみ、葬式あとの結婚式で、あいにく何の持ち合わせ、何の用意もでけへんかった。

もとよりわいらあ魚は生涯無一物、この世、あの世へのさしたる未錬も執着も愛憎もあらでない。ただ後生への功徳をいかにつむか、はたまた天地を貫く真徳とはいかなるものであるか、について、いささかの知恵を持つのみ。

そこで本日の別れにのぞみ、ここでわいらあ魚族の誇る吟遊詩人に登檀願い、人・魚・両種族の末長き友愛と交情を祈念することといたしたいが、いかに?」

最長老のわざとらしい問いかけを受けて、もう一度由良川じゅうをどよもす拍手と喝采が湧き起りました。

そしてオオウナギが軽く右の胸ビレを振って合図すると、背ビレも尾ビレもぼろぼろになり、ガリガリにやせ細った一匹のちっちゃな子ウナギが、井堰の向こうからよろよろと姿を現しました。

 
 

次号最終回へつづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第26回

第8章 奇跡の日~必殺のラジカセ

 

佐々木 眞

 
 

 

ケンちゃんはしっかりと目をつむり、唇をひきしめて、まっすぐ川底へと沈んでゆきました。
全長2メートルにおよぶ飢えた巨大な魚は、双眼を真紅の欲望に輝かせながら、少年の周囲をきっちり3回旋回すると、1、2、3、4と、ストップウオッチで正確に5つの間隔を置いて、冷酷非情の鋭い牙をむき出しにして、ケンちゃんに躍りかかりました。

―――その時でした。

突如勝ち誇ったアカメたちが、頭を気が狂ったように振り回しながら、もんどりうってあたりをころげ回りました。
そのありさまは、まるで甲本ヒロトが「リンダ、リンダ」を歌っている最中に、胃痙攣の発作を起こして、渋公のステージを端から端までのたうち回ったときのようでした。

狂暴なアカメたちは、完全に理性を失い、全身を襲う激痛に耐えかねて、猛スピードで急上昇したり、かと思うと突然急降下したリして、千畳敷の大広間狭しと悶え苦しんでいましたが、とうとう自分から河底の岩盤に激突して、いかりや長介のように長くしゃくれた下顎を、普通の魚くらいの適正な長さに修整するという仕事を、この世の最後に成し遂げると、いきなり下腹を上にしてニヤリと笑ってから、次々に赤い2つの眼を自分で閉じてあの世へ行ってしまいました。

「ケンちゃーん、ケンちゃーん、ダイジョウブ? ぼくだよ。ボクですよお!」
その声にふと我に帰ったケンちゃんが、声のする方に向って、そお―と眼をひらくと、いきなりギラギラと輝く午後3時半の太陽が、まともに頭上から落ちてきて、ケンちゃんは反射的に眼を閉じました。

眼の痛みが少しとれてから、もう一度そろそろと瞼を動かすと、相変わらず強烈な太陽光線を背に、一人の少年が、ラジカセを持って立っているのが分かりました。
少年は、もう一度やさきく声をかけました。
「ケンちゃん、無理しなくていいから、そのまま寝てな。コウ君だよ。ケンちゃんのお兄ちゃんのコウだよ」
「ど、ど、どうしたの、コウちゃん?」
「コウちゃんじゃなくて、コウ君」
「ご、ごめん。コウくん。どうしてここにいるの? どうしてここまでやって来たの?」
「もちろん、ケンちゃんを助けるためだよ」
「で、でも、どうやって?」
「実はね、昨日の晩、お父さんがニューヨークから突然帰ってきたんだ。
お父さんはケンちゃんが一人で綾部へ行っているって話を聞いて、とても心配してね、昨夜ケンちゃんが寝てしまった後で綾部に電話しておじいちゃんからいろいろ取材したんだ。由良川の魚の話とか漁網の話とかいろいろね……。
それでおよそのことは分かったんだけど、どうもひっかかることがあるから、「おいコウ、お前ちょいとひとっ走り綾部まで行ってケンを助けてこい」、って、そういう話になったんだ」
「なーーんだ、そうだったのかあ。それにしても何カ月も行方不明のお父さんだったくせに、ぼくなんかよりお父さんの方がよっぽど心配だよ」
「お父さんの話はあとでゆっくり聞かせてあげるよ。それよりケン、顔じゅう血だらけだぜ。大丈夫かい? 一人で立てるかい?」
「ありがとう。もうダイジョウブ。それよりお兄ちゃん、どうして、どんな風にしてぼくを助けてくれたの?」
「うん、昨夜12時40分品川駅前発の京急深夜バスに乗り込んでね、ケンちゃんが由良川に出かけた直後に「てらこ」に着いたその足で、ここへやってきてね、それからずーっとケンちゃんのやることを見ていたんだ。
もしもヤバそうになったらなにか手伝おうと思って、スタンバッていたわけ」
「そうだったのかあ。ちっとも知らなかった。おじいちゃんもなにも教えてくれないし」
「突然行って驚かせるつもりだから、なにも言わないで、って口止めしてあったのさ。それよりケンちゃんがアカメに襲われたときは、本当にどうなることかと思ったよ」
「ぼく、アカメの尾っぽでぶんなぐられたでしょ。そのとき、こりゃあヤバイなあ、って思ったんだけど、それから先のことは、なにも覚えていないの。お兄ちゃん、どうやってぼくを救ってくれたの?」
「これだよ、これ。このラジカセが役立ってくれたのさ」
「えっ、なに? ラジカセでアカメを殴り殺しちゃったの?」
「バカだなあ、そんなことできるわけないだろう。
実はね、この前、学校の遠足で江ノ電に乗って江ノ島水族館に行ったとき、たまたまこのラジカセを持って行ったの。このラジカセ、録音もできるだろ。それでね、電車に乗る前、友達の声とか、駅の物音とか、それから踏切の信号の音とかを回しっぱなしで録音したテープに、イルカショーの現場音もついでに録音しようとしたんだけど、間違えて録画ボタンじゃなくて再生ボタンを押しちゃったの」
「へええ、そうなんだ」
「そしたら、会場全体に小田急の踏切のカンカンカンという警告音が鳴り響いたもんだから、あわてて止めようとしたんだけど、突然イルカが、餌をあげるおねえさんの言うことをまったく聞かなくなって、全部のイルカが狂ったようにジャンプしたり、プールサイドを転がりまわったりして、どうにもこうにも収拾がつかなくなってしまったの」
「へええ。びっくり。でも、いったいどうして?」
「しばらくはぼくも焦りまくったんだけど、ようやくラジカセのストッップボタンを押した途端、まるで嘘のようにイルカたちは平静を取り戻して、急に大人しくなってしまったの」
「へえええ、不思議、不思議」
「水族館には部厚いガラスに遮られていない水槽もあって、そこにタイとかヒラメとかカツオとかが泳いでいたので、上からラジカセの音を流してみたら、魚たちがみんなパニックになったみたいに、跳んだり跳ねたりして悶え苦しむんだ」
「へえええええ、そんなバナナ」
「それでいろいろな音源を再生して、魚の様子をよーく観察してみると、江ノ電の踏切が鳴るあのカンカンカンという信号音が、魚たちにダメージを与えていることが分かったんだ。三蔵法師が孫悟空の乱暴を止めさせようとするときに、「金・緊・禁」と3つの呪文を唱えた途端、孫悟空の頭を、輪が締め付けるだろ。カンカンカンは、魚たちにとってはちょうどあの呪文みたいなものなんだ」
「へええ、お兄ちゃん、凄いじゃん。それって必殺の秘密兵器じゃん」
「まあね。それで家に帰ってから、いろいろ調べてみたんだ。江ノ電は小田急電鉄の電車なんだけど、江ノ電に限らず小田急の踏切の信号は、嬰へ長調で鳴っているんだね。ほとんどのメーカーの蛍光灯が、いつも低いロ長調の音を、ツバメの鳴き声のようにジジジと発しているように」
「嬰へ長調!? オンガクの話」
「まあ聞け、弟よ。そして、そのロ長調の、ジーーと鳴る蛍光灯の音が、帝国ホテルに泊まる耳に敏感な音楽家の神経を傷つけているように、嬰へ長調で規則正しくカンカンと鳴り続ける金属音が、タイとかヒラメとかカツオとか、フナとかコイとかナマズとか、フグやアイナメやオコゼやリュウグウウノツカイなどに激烈な痛みを与えているみたいなんだ」「アカメは?」
「もちろん、バッチリさ。ただし信号音といっても小田急だけ。横須賀線の踏切はみんなイ短調で、こいつは魚にはてんで効き目なしなんだ」
「ふーん、そうなんだ」
「それが分かったんで、お兄ちゃんは綾部に向う前の晩に、江ノ電のあかずの踏切の前で、嬰へ長調のカンカンカンの音を死ぬほど録音しておいて、こいつがなにか役にたつこともあるかなあと思って、ラジカセにセットしたままここに持ってきたってわけ。それがケンちゃんのピンチにあんなに役立つとは夢にも思わなかったよ。アカメときたら超意気地なしで、もう一発でノックアウトだたからね」
「へーえ、そうだったの。必殺メロディ電撃光線だね。びっくり! でもコウちゃんのお陰でぼくは命拾いできたんだ。お兄ちゃん、本当にありがとうございました」
「いいってことよ。ぼくたち兄弟じゃないか。困った時はお互いさまさ。長い人生、これからも助け合っていこうぜ!」
「うん!」
「さあ、そろそろ堤防に上がろうか。もうすっかり陽も落ちたね。きっとみんな心配してるぞ。早く帰ろうよ」

 
 

つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第25回

第7章 由良川漁族大戦争~戦いの果て

 

佐々木 眞

 
 

 

半分意識を失ってしまったケンちゃんめがけて、アカメは鋭い牙を鳴らし、直径15センチもある大きな口をガバとあけながら、勝ち誇って勝利の歌をうたいました。

♪勝った勝った
とうとう勝った

わいらあアカメや
とうとう勝った

いちの魚勝った
いちの魚偉い

にの魚勝った
にの魚偉い

さんの魚勝った
さんの魚偉い

よんの魚勝った
よんの魚偉い

ごの魚勝った
ごの魚偉い

ろくの魚勝った
ろくの魚偉い

しちの魚勝った
しちの魚偉い

はちの魚勝った
はちの魚偉い

くの魚勝った
くの魚偉い

とうの魚勝った
とうの魚偉い

わいらあアカメや
アカメが勝った

さいごの魚が
いちばん偉い

アカメアカメ
いちばん強い
世界でいちばん
わいらあ強い

まさかアカメがこんなに強い魚だったとは!
まさかアカメがこんなに歌がうまいとは!
ケンちゃんにとっては二重の驚きでした。

しかし、もう遅い。後悔してみても、すべては遅すぎる。
せっかく由良川の魚たちを救おうとはるばる綾部までやってきて、もうちょっとで、すべてがうまくいくところだったのに!

ああ、こんあところでアカメの餌食になってしまうとは! コンチクショウめ!
神様、仏様、残念無念です。
お父さん、お母さん、コウちゃん、ムク、みんなみんな、さようなら!

ああ、それにしても生まれてきて遊んだり、学校へ行ったり、また遊んだり、12年間生きてきたことは、いったい何だったんだろう? それにはどういう意味があったんだろう?

分からない。
面白かったのか、つまらなかったのか、苦しかったのか、楽しかったのか、幸福だったのか、不幸だったのか、それもよく分からない。
ただいっしょうけんめい生きてきた。無我夢中で生きてきた。だだそれだけだ。

でも、でも、ああそうだ。もし僕が今まで何か世の中に役立つことを何もしてこなかったとしても、そして、ここでアカメのやつに殺されてムシャムシャ食べられたとしても、少なくともウナギのQちゃんや由良川の魚たちはいつまでも僕のことを覚えていてくれるだろう。

それで十分だ。そうだよね、神さま!
だから神さま、僕があの時、友達にそそのかされて面白半分で棒で突いて軒の巣から落っことしてしまったコアイアカツバメのことはどうか許してください。

3才の時、タンポポとレンゲがいっぱい咲いている原っぱに立っていたら、どういうわけか僕のまわりに何十、いや何百匹というモンシロチョウが飛びまわる。
それで、次々にモンシロを両手で素手でつかまえては、ぜんぶポケットにいっぱいギュウギュウに詰め込んで、結局皆殺しにしてしまった。

あの時のモンシロチョウの香水のような独特の匂いがいまも鼻につんとくる。
そのことも忘れず許してください。

それから5才の時、お父さんからあらかじめ教わっていたのに、つい間違えてタカギ君ちの玄関のそばの電柱にへばりついていたヤモリをいっぱい捕まえてきて、水の入ったバケツの中に放り込んでしまった。

あれはイモリとヤモリをかんちがいした僕のミスでした。
苦しい、苦しいともがきながら溺れ死んでいったイモリ君! どうか安らかに成仏しておくれ。
ヤモリは茶色で、イモリは黒。お腹をひっくり返して、よーく調べてからにすればよかったんだ。イモリのお腹は毒々しいくらいの真っ赤だから、絶対に間違うはずはないんだから………。

ああ、神さま、許してください! 今度は絶対に間違えませんから!
それとお父さんにお願いして買ってもらったリスが、蛇にやられて死んでしまった時、ちゃんとお墓を作ってあげなくて済みませんでした。
床下に投げ込まれたままミイラになってしまったリス君! どうか勘弁してくれ。

それから僕は、お兄ちゃんにも悪いことをやってしまった。
タケとヒデとトシと4人でウナギ獲りに行こうとしてたら、お兄ちゃんのコウ君が「僕も連れてってくれおお」って必死に頼んだのを、僕は「コウちゃんなんか足手まといになるから駄目だ。帰ったらファミコンやったげるからおうちで待ってなさい」と冷たく突き放してしまったんだ。

そんな悪いやつだから、僕は今日アカメに殺される運命に昔から決まっていたんだ。
神さま、分かりました。僕はよろこんでアカメに喰われます。それでお兄ちゃんやリスやイモリに対しておかした罪が少しでも許されるのなら………。

そうして、ケンちゃんが泣きながら歌ったのが金子詔一作詞作曲のこのうたでした。

♪いつまでも たえることなく
ともだちでいよう
あすのひを ゆめみて
きぼうのみちを

そらをとぶ とりのように
じゆうに いきる
きょうのひは さようなら
またあうひまで

しんじあう よろこびを
たいせつにしよう
きょうのひは さようなら
またあうひまで

ああ、ああ、だんだん頭の中にモヤがかかっていく……
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お兄ちゃん、ムク、みんなみんな、さようなら、さようなら、さようなら……

 
 

つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第24回

第7章 由良川漁族大戦争~赤目の謎

 

佐々木 眞

 
 

 

「おや、あれは何だ」
と、ケンちゃんが、もういちど確かめるように見やったときには、その赤い点は、すっと消えていました。

ケンちゃんは、後続の若鮎特攻隊に、テテレコ・テレコ、すなわち「俺に黙ってついてこい」の信号を送りながら、スロットルを起こし、再び川底からの急速浮上を開始しました。

さすがにこの深さですと、水温もかなり低く、ケンちゃんは思わず、ブルルと身震いしました。
いつもは柳の木が茂る水面のところからかすかに光が差し込んで、見通しもそんなに悪くないのですが、今日に限って水がよどみに淀んで濁り、一足キックするたびに、泥がそこいら全体から湧きおこってくるような錯覚にとらわれます。

5メートルほど上昇した時だったでしょうか、ケンちゃんは虫の知らせか、なにげなく後ろを振り返りました。

アユたちが見当たりません。

ついさっきまで、ブルーハーツの「リンダ・リンダ」と、山本リンダの「狂わせたいの」をかわるがわる歌っていた、可愛らしいアユたちが一匹もいない!
ケンちゃんの背筋に、冷たいものが走りました。

冷たいものとは、何でしょうか?
それは単なる冷や汗とか、摂氏零度の寝汗とかの生易しい水分ではなくて、
「もしかしたら僕の12年の生涯が今日終わってしまうかもしれない」
という恐怖のH2Oが、ケンちゃんの全身を、ぐっしょりとおねしょのように濡らしたのでありました。

………そして心臓がかき鳴らす驚愕と恐怖の二重奏を聞きながら、茫然と立ち泳ぎするケンちゃんの目の前に、さっきちらっと見かけた赤い点が、再び現れたのです。

しかも、二つ。

いつの間にか、あたりは漆黒の闇にとざされ、真夜中のエルシノア城を思わせる深く濃い闇の奥底で、ケンちゃんをじっと凝視している、不気味な二つの赤い点。

その赤い点は、突如サーチライトのように強い光を放ちながら、ネモ艦長が運転するノーチラス号のようなものすごい速さで、ケンちゃんに接近してきました。

4メートル、3メートル、2メートル。

あと1メートルの至近距離までそいつがやってきたとき、ケンちゃんは、口にくわえた短刀を利き腕の右手に持ちかえ、東大寺南大門の金剛力士のように、そいつの前に立ちはだかりました。

怒涛のように押し寄せる巨大な黒い影の最先端。そこにはおよそ15センチの間隔で、2つの瞳孔が真紅の色にキラキラ輝いています。
全身、黒と金で覆われたいかつい無数のウロコがすべて逆立って、「お前を殺すぞ!」と威嚇しているようでした。

実際そいつは衝突を回避するてめにケンちゃんとすれ違いざま、押し殺したような声で、「俺は、おめえをゼッタイに殺すぜ!」
と囁いたのでした。

その声を耳にした途端、ケンちゃんは、初めてそいつの正体を知りました。

――目が赤い。赤目、赤目、アカメ。そうだ。こいつはアカメだあ!
泳ぎながら、オシッコをちびりながら、ケンちゃんは、学校の図書館で魚類図鑑を眺めたおぼろげな記憶を呼び戻しました。

「アカメ。学名LATES CALCARIFER。熱帯性の淡水魚で、日本、台湾、中国南部、フィリピン、東南アジア、インド洋、ペルシア湾、オーストラリア北部などに分布。日本では宮崎、高知の両県にのみ棲息。」

――確かそう書いてあったのに、なんでこいつが京都府の由良川の上流にいるんだよ!

「大河川の河口部やこれにつづく入り江に棲むが、純淡水域にも侵入。餌はエビ類、小魚など。」

――アユがなんで小魚なんだよ。僕の友達をみんな食べちまって。でもいくら腹を空かしているからといって、まさかお前は、人間様まで喰ってしまおうてんじゃあないだろうな。

「産卵習慣は不明だが、稚魚は秋から出現する。食用。南方地域では重要魚。」

――くそっ、南洋ではお前は人間にバンバン食べられてるからって、由良川でその仕返しをしようってか!

「日本では分布が限られているので、一般には知られていない。ふつうに漁獲されるのは50センチ以下の未成魚。

――しかし、このアカメときたら、全長ゆうに2メートルはありそうだぜ。

Woooおおう!

無我夢中でとびのいたケンちゃんの、やわらかなお腹のあたりを、先端が鋭く尖った6本のナイフを1本に束ねたような真黒な背ビレが、横なぐりに襲いました。

あの6段のギザギザにちょっとでも触れようものなら、ケンちゃんの手足は一瞬のうちに切断されてしまうでしょう。それは背ビレではありません。完全な凶器です。

アカメの背ビレの強襲が空振りに終わって、やれやれと一息ついたせつな、「てらこ」のお店においてある座布団くらいの大きさの真黒な尾ビレが、ケンちゃんに顔をまともに一撃しました。

右のほっぺに、深さ3センチの裂傷を、7か所にわたってつけられたケンちゃんは、一瞬意識を失い、川底めがけてまっさかさまに落ちていきました。

 
 

つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第23回

第7章 由良川漁族大戦争~赤い点

 

佐々木 眞

 
 

 

さあ、喜んだのは由良川の善人善魚たち。死んでしまったライギョの数を勘定しながら、「丹波数え唄」の大合唱が、あたり一面から湧きおこりました。

♪一番はじめは一の宮
二で日光東照宮
三で讃岐の琴平さん
四で信濃の善光寺
五つ出雲の大社
六つ村々地蔵尊
七つ成田の不動さん
八つ八幡の八幡さん
九つ高野の弘法さん
十で所の氏神さん
これだけ信心したならば
浪ちゃんの病気もなおるでしょう
ポッポッと出る汽車は
浪子と武雄の別れ汽車
再びあえない汽車の窓
鳴いて血をはくほととぎす

ここで、ネットに突き刺さったきりのライギョたちの前で、パンツを脱いで白いお尻を振り振りしながら、ひょうきんナマズのテッちゃんが、「もういっちょう!」とアンコールをせびりました。

♪一かけ二かけ三かけて
四かけ五かけて橋かけて
橋の欄干腰おろし
はるかむこうを眺むれば
十七八の姉さんが
花と線香を手に持って
姉さん何処へとたずねたら
わたしは九州鹿児島の
西郷隆盛娘です
明治十年戦役に
撃たれて死んだ父上の
お墓詣りをいたします
お墓の前で手を合わせ
南無阿弥陀仏と眼に涙
もしもあの子が男なら
アメリカ言葉をならわせて
胸に鴬とまらせて
ホーホケキョと鳴かせたら
どんなに喜ぶことでしょう

今夜ここでのひとさかりが終わると、喜びの次には、怒りがやってきました。
この時とばかりに宿敵の喉笛にくらいついて、日頃の鬱憤を晴らそうとするスッポンのポン太。
口ぜんたいが吸盤になっているのをいいことに、ライギョのお腹にぶちゅっとキスをして、まるで吸血鬼のようにチュウチュウと音を立てながら、血を吸いだしたカワヤツメのヤッちゃんなど、親子兄弟親戚の多くを毎日のように殺され、(なかにはイオカワのオイカワ三世のように一家全員が皆殺しの目にあった悲惨な家族も少なくありません)か弱い魚やその仲間たちは、にっくきライギョたちに思い思いの復讐をしようとしました。

その時でした。現役最長老のオオウナギが、右の胸エラを静かにあげて、みなを制しました。

♪みなの衆、みなの衆、お待ちなせえ。事をせいては、いけないよ。
アラーに唾するものは、自分に唾するも同じこと。
左の頬を殴るものは、あの世で右の頬をナイフで抉られん。
ブッダの妻を奪いしナーガンダも、ついには地獄に落とされた。
地には愛。天には星。仲佳きことは、善きことなり。
人にやさしく、とブルーハーツも歌っておる。
岩窟王エドモンド・ダンテスも、罪を憎みて魚を憎まずと申しておった。
みなの衆! どうかもうそのへんで無益な殺生をやめてくれえ。

最長老の説得が功を奏したのか、さしも怒り狂っていた魚たちも、次第に落ち着きを取り戻し、何年振りかで戻ってきた川の静けさを確かめるように、仕掛けネットの近くをぐるぐると旋回しながら、手に手をとって「美しく青き由良川のワルツ」を踊ったりしているのでした。

さてその頃、ケンちゃんは、若鮎特攻隊の残党たちと共に、天井からわずかに朱色の光が差す千畳敷の大広間に、疲れきった身をお互いに労わっていました。

「ははあ、ライギョの奴らめ、まんまと仕掛けにはまったな。ざまあみろ。アユ君、君たちも命を投げ出し、多くの犠牲を出しながら、由良川に生きる友達みんなのためによくやってくれたね。ありがとう! ありがとう!」

と興奮さめやらず、べらべらしゃべりまくるケンちゃんは、お父さんに似たのでしょうか。

「さあ、もうこれで大丈夫だろう。そろそろ仕掛け網のところに戻ってみよう。きっと大漁だと思うよ」

と、アユたちに声をかけながら、ナイフをぐいと口にくわえ、タンホーザー序曲をBGMにしながらゆっくり浮上しようとしたその時、ケンちゃんの視線の隅っこで、なにやら赤い点のようなものが、チラっと動いたような気がしました。

「おや、あれは何だ?」

と、ケンちゃんが向き直って、もういちど確かめるようにその方向を見やったときには、その赤い点はすっと搔き消えていたのです。

それからケンちゃんは、後続の若鮎特攻隊に、「テテレコ・テレコ」、すなわち俺に黙ってついてこい、の信号を送りながら、ふたたび急速浮上を開始しました。
さすがにこの深さですと水温もかなり低く、泳ぎながらケンちゃんは、思わずブルルと身震いをしました。

いつもは柳の木が茂る水辺のところからは、かすかに光線が差し込んで、見通しもそれほど悪くはないのですが、今日に限って水がよどんで濁り、一足キックするたびに、泥がそこいらから湧きおこってくるような錯覚にとらわれます。
それでも、もう少しで仕掛け網のところまでやってきたケンちゃんは、何気なく後ろを振り返ってびっくりしました。後に続いているはずの若鮎特攻隊がいないのです。
ついさっきまでブルーハーツの「リンダリンダ」と山本リンダの「狂わせたいの」をメドレーで歌っていた可愛らしいアユたちの姿が、どこにも見えないのです。

ケンちゃんの背筋に、冷たいものが走りました。

そして呆然としてあたりを見回しているケンちゃんの目の前に、さきほどの赤い点が、再び現れたのです。しかも、2つ。

 

 

つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第22回

第7章 由良川漁族大戦争~くたばれ悪党!

 

佐々木 眞

 
 

 

戦いの火蓋が切られて、はや1時間。
さしも若さとスピード、そして美貌を誇る若鮎特攻隊も、多勢に無勢、すでに隊員の半分を失ってしまいました。

これ以上の戦闘は無意味、と判断したケンちゃんは、さびたナイフを振って若鮎たちを自分のまわりに集め、かねて用意の第2作戦に突入しました。

まず生き残った250匹の若鮎たちを、再びライギョ軍団の最前線に配置し、さんざんミニスカートで挑発して、ライギョおじさんたちの突撃を右に左にいなしておいてから、全速力で下流に向います。

そして、あと2メートル、あと1メートルで、今朝ケンちゃんが一生懸命に張っておいた漁網にたどりつくというギリギリのところで、取り舵いっぱい!
ケンチャンは若鮎特攻隊と一緒に左折して、柳の木の根方に緊急避難し、アユたちを先導しながら、漁網の少しまくれたところから、例の地下の大広間へとこっそり逃げたのでした。

雷魚ハルマゲドン
「くそお、ケンめ! アユめ! いったいどこへ消えやがったんだ。おれたちをサンザンおちょくりやがって。ちくしょう、1匹だって逃すもんか」
雷魚タイフーン
「おい,兄弟。あれは何だ? 何なんだ!」

ハルマゲドンとタイフーンの前方に、なんだか怪しい水煙が見えます。
それは昨夜の打ち合わせ通り、準備万端てぐすねひいて待ち伏せしていた、由良川じゅうのすべての淡水魚たちとその同盟軍でした。

少し具体的に書き記せば、その構成メンバーとは、以下の通りです。

ハヤ70648匹、アユカケ452匹、イワナ25匹、ウグイ9589匹、アカザ715匹、ムギツク514匹、オヤニラミ17匹、カマズカ569匹、ドンコ5789匹、カワムツ3657匹、オイカワ2679匹、フナ6459匹、コイ3685匹、スナヤツメ25匹、カワヤツメ16匹、アユ715匹、ヤマメ98匹、モロコ8671匹、ニゴイ578匹、ウグイ258匹、ドジョウ1023匹、シマドジョウ124匹、ホトケドジョウ269匹、モツゴ498匹、ワカサギ534匹、ナマズ867匹、ギギ558匹、ウナギ1364匹、オオウナギ268匹、タウナギ25匹、メダカ9046匹、ヨシノボリ6245匹、カジカ502匹などなどの総勢に、無数のトビケラ、カワゲラ、カゲロウ、ヤゴ、カメ、ミズカマキリ、イモリ、スッポン、カエル、カジカ、カワエビ、カニ、タガメ、タイコウチ、モクズガニ、ミズスマシ、マツモムシ、ゲンゴロウ、アメンボウ、ガガンボ、タニシ、カワニナたちを加えた全由良川防衛軍の面々たちが、時速60キロで殺到するライギョたちに向って、大胆不敵に陣営を組んで勢ぞろいしたかと思うと、三三五五次のような歌を、大声でうたいはじめました。

夕空晴れたら 秋風吹いた
ごはんがたけたら 晩めしたべよ

ごはんのおかずは ライギョの天ぷら
天ぷら食べたら パンツを脱ぐよ

パンツを脱いだら ポコチン出るよ
ポコチン出たら ションベンするよ

ションベンしたなら 水びたしだよ
水が出たなら ライギョがよろこぶ

お前がほんとの ライギョなら
雨ふりどしゃ降り かみなり鳴らせ

お前がにせもの ライギョなら
ドクダミつんで お茶飲まそ

そらそらおいで ここまでおいで
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ

そらそらおいで ここまでおいで
大陸生まれの らんぼうライギョ

それを聴いて、怒り心頭に発したライギョたち。
いつのまのやら姿を消したケンちゃんや若鮎特攻隊のことなどすっかり忘れて、目の前でヤンヤ、ヤンヤと口々にはやし立てるもろもろの魚たちに向って、歯槽膿漏の臭い息を吹きかけ吐きかけ、大きな口をさらに大きくひらいて、ものすごく長い背びれをまるでトビウオのようにバタバタと上下動させながらもんどり打って、なだれのように襲いかかったからたまりません。

ライギョたちと由良川の魚たちとの間に、ひそかに張り巡らされていたネットのために、総勢216匹のライギョ軍団は、全員しっかりからめとられて、もはや身動きひとつできなくなってしまいました。

一網打尽とは、このことです。
しかも彼らは普通の魚と違って空気呼吸が必要なために、時間が経つに従ってアップアップ。その日の夕方までには、全員があっけなく息絶えてしまいました。

 

 

つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第21回

第7章 由良川漁族大戦争~ある戦いの歌

 

佐々木 眞

 
 

 

なにやら血なまぐさいにおいがしてきました。
いました。ライギョたちの大群です。
30、50、70、100、150,およそ200匹くらいでしょうか。
巨大な肉食魚のライギョたちが、イライタ。
不機嫌な表情で、お互いに八つ当たりをしながら、狂ったようにあたりをぐるぐる回っています。

もう昨日のホルスタインのご馳走は、今日はひとかけらもありません。
「腹が減ったときほど、魚に理性と常識を失わせるものはない」
と、いつかもタウナギ長老も申しておりました。

みずからを呪い、他魚を呪い、由良川を呪い、丹波を呪い、この国を呪い、ついには全世界を呪って、ありとあらゆるものへの敵意と憎悪が最高潮に達したライギョたちは、新たな獲物を求めて歯噛みしながら、血走った両眼をあちらこちらへ飛ばしています。

さあそこへ、ケンちゃんと若鮎特攻隊の討ち入りです。

雷魚タイフーン
「おや、あれは何だ。上の方でスイスイスイッタララッタスラスラスイとミニスカートで踊っている軽いやつらは?
なんだあれは由良川特産のアユじゃないか。
よーし、みんな俺についてこい。皆殺しにしてやる」

雷魚ハルマゲドン
「えばら焼き肉のタレで喰った昨日のこってりした牛肉とちごうて、アユはほんま純日本風の淡白な味や。塩焼きにしえ喰うたら最高でっせ。
ああヨダレがぎょうさん出る出る。ほな出陣しよか」

てな訳で、よだれを垂らしながら急上昇しはじめたライギョ集団めがけて、ナイフかざしたケンちゃんが、上から下へのさか落し。
先頭の雷魚タイフーンの顔面を真っ二つに引き裂いたものですから、さあ大変。
怒り狂ったおよそ200匹のピラニア集団は、ケンちゃんめがけて猛スピードで殺到しました。

するとこれまた決死の若鮎たちが一団となって、ケンちゃんとライギョ集団の間に、すかさず割って入りました。
ライギョは時速60キロ、対するアユは時速75キロですから、その差は大きい。
まるで戦艦と高速駆逐艦が、至近距離で戦うようなもの。
お互いに大砲も魚雷も打てないまま、体力と気力の続く限りの壮烈な肉弾戦が、由良川狭しとおっぱじまりました。

雷魚ハルマゲドン
「くそっ、待て待て莫迦アユめ!ちえっ、なんでこんな逃げ足が早いんじゃ。よおーし、とうとう追い詰めたぞ。これでもくらえっ!」

若鮎ハナコ
「オジサンこちら、手の鳴るほうへ。いくら気ばかり若くっても、もう体がいううこときかないんでしょ。

赤いおベベが
大お好き
テテシャン、
テテシャン」

雷魚ハルマゲドン
「若いも若いも
25まで
25過ぎたら
みなオバン
とくらあ。それっ、行くぞ。この尻軽フェロモン娘め。とっつかまえてやる!」

若鮎ヨーコ
「やれるもんなら、やってみなさいよ。
お城のさん
おん坂々々
赤坂道 四ツ谷道
四ツ谷 赤坂 麹町
街道ずんずと なったらば
お駕籠は覚悟 いくらでしょう
五百でしょう
もちいとまからんか
ちゃからか道
ひいや ふうや みいや
ようや いつや むうや
ようや やあや ここのつ
かえして
お城のさん
おん坂々々」

雷魚ハルマゲドン
「うちの裏のちしゃの木に
雀が三羽とまって
先な雀も物言わず
後な雀も者言わず
中な雀のいうことにゃ
むしろ三枚ござ三枚
あわせて六枚敷きつめて
夕べもらった花嫁さん
金華の座敷にすわらせて
きんらんどんすを縫わせたら
衿とおくみをようつけん
そんな嫁さんいんどくれ
お倉の道までおくって
おくら道で日が暮れて
もうしもうし子供しさん
ここは何というところ
ここは信濃の善光寺
善光寺さんに願かけて
梅と桜を供えたら
梅はすいとてもどされて
桜はよいとてほめられた」

若鮎ハナコ
「あやめに水仙 かきつばた
二度目にうぐいす ホーホケキョ
三度目にからしし 竹に虎
虎追うて走るは 和藤内
和藤内お方に 智慧かして
智慧の中山 せいがん寺
せいがん寺のおっさん ぼんさんで
ぼんさん頭に きんかくのせて
のるかのらぬか のせてみしょ

雷魚タイフーン
「京の大盡ゆずつやさんに
一人娘の名はおくまとて
伊勢へ信心 心をかけて
親の金をば 千両ぬすみ
ぬすみかくして 旅しょうぞくを
紺の股引 びろうどの脚絆
お手にかけたは りんずの手覆い
帯とたすきは いまおり錦
笠のしめ緒も 真紅のしめ緒
杖についたは しちくの小竹
もはや嬉しや こしらえ出来た
そこでぼつぼつ 出かけたとこで
ここは何処じゃと 馬子衆に問うたら
ここは篠田の 大森小森
もちと先行きや 土山のまち
くだの辻から 二軒目の茶屋で
縁に腰かけ お煙草あがれ
お茶もたばこも 望みでないが
亭主うちにと 物問いたが
何でござると 亭主が出たら
今宵一夜の 宿かしなされ
一人旅なら 寝かしゃせねど
見れば若輩 女の身なら
宿も貸しましょ おとまりなされ
早く急いで お風呂をたけよ
お風呂上りに 二の膳すえて
奥の一間に 床とりまして
昼のお疲れ お休みなされ
そこでおくまが 休んでおると
夜の八ッの 八ッ半の頃に
「おくまおくま」と 二声三声
何でござるかと おくまは起きて
金がほしくば 明日までまちゃれ
明日は京都へ 飛脚を出して
馬に十駄の 金でも進んじょ
それもまたずに あの亭主めが
赤い鉢巻 きりりと巻いて
二尺六寸 するりと抜いて
おくま胴体 三つにきりて
縁の下をば 三間ほりて
そこにおくまを 埋めておけば
犬がほり出す 狐がくわえ
亭主ひけひけ 竹のこぎりで
それでおくまは
のうかもうとののう一くだり」

雷魚ハルマゲドン
「ほら! 歌にご注意、恋にご注意、
油断大敵、うしろに回って
オジサンがつかまえた!
そらっ、泣くも笑うも、
この時ぞ、この時ぞ」

若鮎ハナコ、ヨーコ
「きゃあああ、やめて、やめて、
許して、お願い!」

雷魚タイフーン、ハルマゲドン
「千載一遇、ここで会ったが百年目。
ここは地獄の一丁目。ここで逃してなるものか。
処女アユめ、オジサン二人で貪り喰っちまうぜ。
おお、ウメエ、ウメエ、
処女アユときたら、なんてウメエんだあ!」

 
 

つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第20回

第7章 由良川漁族大戦争~僕らは若鮎攻撃隊

 

佐々木 眞

 
 

 

翌朝、ケンちゃんは、朝ごはんに山崎パンのトーストに生協のイチゴジャムをてんこ盛りに塗りつけたやつを1枚と、ネスカフェ・ゴールドブレンドの熱いのを2杯おいしくいただくと、おじいちゃん、おばあちゃんに「ごちそうさま」を言って、自転車を軽くひとまたぎ。あっという間に由良川河畔へとやってきました。

川には、一面の朝霧が立ち込めています。そこへ、寺山の反対側にそびえる三根山からまっすぐに立ちあがった5月の朝の太陽が、由良川を一望しながら、慈愛に満ちた光を放ちました。

ところどころうす雲をぽっかり浮かべた大空に、一羽のひばりが、ギザギザの螺旋状の軌道を残して舞い上がり、しばらくお神酒に酔っ払ったような歌を唄っていましたが、すぐに、青空のどこかで自分を見失ってしまったようでした。

素晴らしい朝です。
次第に温度が上がってくるようでした。

ケンちゃんは、由良川漁業協同組合の会員でもあるおじいちゃんから借りた漁網を自転車の後ろから取り出すと、それを井堰の上流15メートルの所に仕掛けました。
由良川の全幅700メートルにわたって、人の眼にも、魚の眼にも、それとほとんど識別不可能な漁網を、おじいちゃんに教わった通りに、端から端までていねいに張り巡らしました。
普通のネットだと破れる恐れがあるので、特別素材を二重にバック・コーティングしてある超ハイテク製品です。

そして、左岸に1本だけ立っている大きな柳の木の根っこのところにポッカリ口をあけている、例の千畳敷の大広間に通じる秘密の入り口の手前のところだけは、わずかながらネットを掛けない隙間をつくっておきました。
つまり、左岸の隅っこのわずか30センチを除いて、由良川は完全に封鎖された、というわけです。

それが終わると、ケンちゃんは、柳の木の下の木陰に腰をおろして、おばあちゃんが特別につくってくれた沢庵入りの特大おにぎりを、おいしそうに平らげました。
そして掌にねばつくご飯を、川の水でごしごし洗っていると、メダカが3匹寄ってきて、ご飯粒をツンツンつつきながら言いました。

「ケンちゃん、ケンちゃん、そろそろ1時だよ。戦闘開始の時間だよ。さっきから若鮎行動隊がスタンバッてるよ」

――よおーし。

気合いを入れながら、ケンちゃんは、寺山を背中にして西郷どんのような格好で、すっくと立ち上がりました。
ケンちゃんは上半身はもちろん裸ですが、半ズボンの腰のところにベルトをつけ、ベルトにはてらこ先祖伝来の少しさびた脇差をはさんでいます。

気合いもろともその短刀を腰からエイヤッと抜きはなって口にくわえ、一瞬川面ににぶい光をきらめかせると、ケンちゃんは、柳の根方から、一気に由良川に踊りこみました。
ケンちゃんは、口に短刀をくわえたまま、由良川の中央最深部めざして、ぐんぐん泳いでゆきます。

まもなく綾部大橋の下にさしかかります。
橋の下には、由良川でいちばん速い魚、すなわち50匹のアユが、全員うすいピンクのたすきを掛けてケンちゃんを待ち受けていました。

みなさま、覚えておられるでしょうか。これこそ、去る4月23日未明、全由良川防衛軍最高司令官に就任したウナギのQ太郎が編成した、海軍特別攻撃隊でした。

昨年の冬、丹後由良の海で越冬し、ふたたび由良川にさかのぼって来たばかりの頼もしいアユたちが、ケンちゃんの日焼けした顔を見ると一斉に胸ヒレを4回、背ビレを3回、尻ヒレを2回、そして尾ヒレを1回振って歓迎しました。
これが由良川の魚たちの正式の挨拶の作法なのです。

知育・体育・徳育の3つのポイントで厳重に審査された、由良川史上最強の若鮎特別攻撃隊は、ケンちゃんを三角形の頂点にして、見事なピラミッド梯団を組みながら、由良川を毎時13ノットで遡行してゆきます。

ドボン、ザボン、ガボン
僕らは若鮎攻撃隊

死地に乗り込む切り込み隊
命知らずの若者さ

ドボン、ザボン、ガボン
僕らは若鮎攻撃隊

邪魔だてする奴はぶっ殺す
ナサケ知らずの若鮎さ

みんなで唄いながら進んでいくと、やがて由良川は急に深くなり、きのうライギョたちが、ホルスタインを喰い荒していた地点にさしかかりました。

ここが「魔のバーミューダ・トライアングル」と呼ばれる怪しい一帯です。
水は濁りに濁り、前方は、ほとんど見通しがつきません。

 
 

次号につづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第19回

第6章 悪魔たちの狂宴~正歴寺の鐘は鳴る

 

佐々木 眞

 
 

 

やがて、朝ケンちゃんが登った寺山には、虹のような琥珀色の後光が射して、西の空が美しい朱色に染まりました。
その朱色が、わずかに暮れ残ったセピア色と溶け合いながら、明暗定かならぬ幻覚を見ているような微妙な色調に、おぼろおぼろに変わる頃、正歴寺の高く澄んだ鐘の音が、綾部の町ぜんたいに子守唄のような晩祷を捧げはじめました。

 

他人おそろし
やみ夜はこわい
おやと月夜はいつもよい

ねんねしなされ
おやすみなされ
朝は早よから
おきなされ おきなされ

ねんねした子に
赤いべべ着せて
つれて参ろよ
外宮さんへ

つれて参いたら
どうしておがむ
この子一代
まめなよに まめなよに

まめで小豆で
のうらくさんで
えんど心で
暮らすよに 暮らすよに

寝た子可愛いや
起きた子にくや
にくてこの子が
つれらりょか つれらりょか

あの子見てやれ
わし見て笑ろた
わしも見てやろ
笑ろうてやろ 笑ろうてやろ

あの子見てやれ
わし見てにらむ
突いてやりたや
目の玉を 目の玉を

 

と、その時、
正歴寺さんの鐘の音が、「突いてやりたや目の玉を、目の玉を」と唄い終わった時、
ケンちゃんは、由良川全域に響き渡るような大声で、

「そうだ!」

と叫びました。

ケンちゃんは、由良川の水際の泥と水を両足でぐちゃぐちゃにかきまぜ、砂利だらけの河原をましらのように走り抜け、さまざまな自然石を足掛かりになるようにコンクリートに埋め込んだ堤防の傾斜面をイノブタのように駆けのぼり、スズメノテッポウやチガヤが生えている堤防の上の一本道に座り込んで、土の上に棒きれでなにやら地図のような見取り図のようなものを一心に描きはじめました。

それからケンちゃんは、なにを思ったのか、もうとっぷり日が暮れて誰一人いない由良川へ、静かに入ってゆきました。
そして大きなストロークで河を15メートルほどさかのぼってから、空気をうんと吸い込んでどこか深い所へ潜ってしまいました。

5分、そして10分近く経っても、ケンちゃんは浮かんできません。
どこかでなにかが、ポチャンとがねるような音がしました。あれはきっとアユかフナが、水面すれすれに飛ぶユスリカに飛びついたのでしょう。
それからさらに30分、1時間と、時はどんどん過ぎてゆきます。

おや、水浸しになった濡れ鼠のケンちゃんが、星いっぱいの夜空に、片腕を元気いっぱい振り回しながら、岸に向って泳いできます。

――やったあ、これでうまくいくぞお! チェストー!

と、ケンちゃんは北斗七星の大熊くんに向かって吠えました。
それからケンちゃんは、由良川の堤防に置いてあった自転車に軽々と飛び乗ると、西本町の「てらこ」までお得意の両手放し乗りで帰ってゆきました。

晩ごはんは、ケンちゃんの大好きなスキヤキでした。
丹波の但馬のいちばんやわらかでおいしい肉を、ケンちゃんのおばあさんがサトウをどっさりかけてお鍋でグツグツ煮込んでいきます。
そこへフとネギを加え、肉と三位一体になった大好物が奏でる香ばしいかおりと絶妙の味わい……
ケンちゃんは、ごはんを3杯もおかわりして、もうお腹がいっぱいになってしまいました。
ごはんの後ケンちゃんは、おじんちゃんに由良川での投げ網の漁のやり方についていろいろ教わってから、大好きないつもの「テレビ探偵団」も見ないでお風呂に入り、8時すぎには、もうぐっすりと眠りこけてしまったのでした。

 
 

つづく