夢は第2の人生である 第40回

西暦2016年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

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かつて友人だった男が脳こうそくで倒れたので、その代理に私が呼ばれて、彼が復帰するまで、「名前だけの社長」を務めることになった。3/1

海水浴を楽しんでいたら、大きな箱がプカプカ浮かんでいたので、その上にイスと机を置いてくつろいでいたら、各国の軍艦が見物にやってきた。3/2

A男とB子が、私を銀座の料亭で接待してくれるというので、喜んで出かけたのだが、酒や料理はそっちのけで、やおら販促物のパンフレットを持ちだして、これについてなにか意見を述べろ、と強要する。

その口調が変なので、よく見ると、彼等はもう存分にきこしめてぐでんぐでんに酔っぱらっているのだ。こんな連中と打ち合わせなんて、とんでもない。「想定外のコンコンチキだ!」と捨て台詞を吐いて料亭を飛び出したが、2人はどんどん後を追ってくる。

瞬く間に追い付いた男の顔をよく見ると、なんと前の会社にいた日隈君ではないか。彼は「佐々木さん、そんなに大急ぎで逃げ出さなくてもいいじゃありませんか。せっかくあなたの昔の恋人を連れてきたのに、一言も言わずにほおっておくんですか」という。

じぇじぇ、それではあの酔っ払い女がそうだったのか、と思わずその場で立ち止まると、「ほおら、急に態度が変った。それじゃあ僕たち先に東京タワーに行っていますから、あとから来てくださいな」といいざま姿を消した。3/5

地下道ですれ違おうとした男が、いきなり私の腰に腕をまわしてエイヤとぶん投げようとしたので、そうはさせじとこっちも彼奴の腰に腕をまわしてナンノナンノとこらえているといつのまにか周りに人だかりができた。3/6

すると男は急に力を抜いて「いやいやこれは失礼つかまつった。ほんの冗談、冗談。許されよ、許されよ。アラエッサッサア」と言いながら一礼し、すたこらさっさと立ち去った。3/6

「私Adogの田村ですが」という電話が掛かってきたので、いったい誰だろうと訝しく思ったが、すぐに先週名刺を交換した取引先の女性だと分かった。

「なにかご用ですか?」と尋ねると「送って頂いた企画書の件で直接お目にかかりたい」というのだが、私はそんな企画書を送った覚えはないので、はてどうしたものかと思い悩んだ。3/6

小高い丘の上で黄揚羽と戯れながら巨大な水色の蝶が飛びまわっている。翅の色はクスサンに酷似しているがこれはこれは新種の揚羽に違いないと確信した私は、薄絹の採集網を一閃してそれを捕獲し、部厚い胸部を一気に押して窒息させた。

まだ生温かいその大きな蝶を三角の硫酸紙に折りたたんでいたとき、私は突如急な便意に襲われたので、三角紙に包んだ蝶をその場にそっと置き、近くの草むらで用を足してすぐに戻ったが、それはどこにもない。いくらあちこち探しても、影も形も見当たらなかった。3/7

大阪のデザイナーたちは「東京のデザイナーなんか最低。なんとかしてください」とみんな声を揃えて新社長の私に言い付けるのだった。3/7

私は超多忙だった。まず所属するカルテットの演奏会が目前に迫っていたが、委嘱した新曲がまだ出来あがっていないから練習さえできないでいたのである。3/8

次に新雑誌の創刊号に64ぺージももらっていたのだが、その中身をどうするのか何ひとつ決まっていなかった。最後は自分が監修するふぁちょんブランドの次期シーズンのデザインがノーアイデアだった。

にもかかわらず月日は矢のように飛び去っていくので、私は仕方なく3つ目の仕事部屋全体を大きな布で覆って外から見えないようにしたので、まったく気にならなくなった。3/8

「只今から26種の植物の植え込みを行います」と宣言したサトウ君は、私の弁当箱の中に無秩序に散らばっていた多種多様な苗を、26の棚田のように整然と区画整理して綺麗に植えこんだので、みんな拍手喝采した。3/9

25歳の処女の大活躍の御蔭で、宿願の用水が切り開かれたのだが、不幸なことに彼女の過去の罪業が暴かれ、逮捕監禁されることになったが、「功罪相半ばする」と判定されたので、無罪放免されることになった。3/10

ふと周りを見渡すと、第1章に出てきたサーカスの親子と、第2章で登場したじいいさんばあさん、第3章でSMに耽っていた男女がいずれもこの巨大な木の下の青い草の上で憩うているのだった。3/11

彼が起きると朝の7時半で、女も起き上ったが、彼は「疲れただろうから、君はもっと寝ていなさい」と言い残してベッドを離れた。3/12

私たちが乗った世界一大きな風船が、熱帯夜の赤道上空に差し掛かったので、窓を開けると月の光と共にわずかばかりのそよ風が吹き、極彩色の鳥が舞い込んできた。3/13

どういう風の吹きまわしかアレがだんだん硬くなってきたので、「オオ、イイゾ、イイゾ」と驚いて様子をみているうちに、やっぱりみるみる凋んでいった。3/13

燃えるゴミ、燃えないゴミのほかに、燃えるか燃えないか分からないゴミがあるので、我が家では3番目のカテゴリーを新たに設定して、土曜日に出したのだが、市役所のゴミ車は引きとってはくれなかった。3/14

わが社が冷果会社を吸収合併した途端、トランプにそっくりの顔をした社長が、「すぐそこにオフィスを作って仕事をしろ」というので、氷と氷の間にブースを作って、イヌイットのような生活をしている。3/15

私はその大学の寄宿舎に住んでいたのだが、ある日同級生の山口君が「君の誕生日はいつだ」と聞くので「じつは今日なんだ」と答えると、「それは目出度い。実は私の映画俳優の伯父も今日が誕生日なんだ。今から連れてくるからここでお祝しよう」と行って出かけたきり、いつまで経っても帰ってこなかった。3/16

うちの事務所は新進気鋭の男女の作曲家を抱えているのだが、いくら新曲を書いても楽譜出版や演奏の見込みは皆目ないので、ここ10年間は演歌の編曲でなんとか食っていた。3/17

その時大きな幕がざっくりと切り開かれて蒼ざめた馬が嘶き、地は大きく震えたので、我われは「第7の封印」が解かれたことを知った。3/18

野球賭博をやったと噂されている巨人の生意気な若手選手が、バッターボックスに出て来たので、大きく振りかぶった私が、顔すれすれのビーンボールを投げると、彼奴はバットを投げ捨てて、ダッガウトへ逃げ出した。3/19

私は役満の「九連宝燈」をてんぱっていた。たぶん9面待ちだと思うのだが、もしかするとそうではないかもしれない。そう思うと額に脂汗が玉のように滲みだし、馴染みの雀荘に居たたまれずに逃げ出したくなるのだった。3/19

私が要塞に入って最初にしたことは、3.7インチ高射砲の砲身に右手で触ることだった。私は、手に入れたばかりの自分の武器を、自らの手で触れて確かめたかったのだ。3/19

夜になると7時間立哨せよと命じられたが、だんだん眠くなってきた。立ったまま眠っているとオオカミに喰われるので、私は皆と同じ寝袋に潜り込んで朝までぐっすり眠ってしまった。3/19

私は原子炉だが長い間使われていなかったので、技術者が恐る恐る「出力は30ぐらいでよろしいでしょうか」と聞くので、「大丈夫、とりあえず45までならいけそうだよ」と教えてやると、嬉しそうな顔をして「では、どうぞよろしくお願いします」と頭を下げた。3/20

本邦の代表的なテノール歌手は、先日の健康診断でガンの宣告を受けたにもかかわらず
昨日はモザール、今日はバッハ、明日はヴェルディを国立劇場で歌うことになっているというので、すぐに手術をするように勧めたが、ガンとして言うことを聞かない。舞台で歌いながら死にたいそうだ。3/22

5年前に会社を辞めた吉田君が突然やって来て、「ただ同然の値段で高級別荘地が手に入るから、いますぐ現地へ行きましょう」とせっつくので、「いまから会議があるんだ」と断ると、「この絶好のチャンスを逃したらもう二度と手に入りませんよ」となおも勧誘する。3/22

某国の宰相に良く似た男が暗い部屋の中にいたので、私は静かに背後に回って彼奴のそっ首をかいた。3/23

「戦争が始まったので、今日からネットの物販はできなくなる」と通達にやって来た役人が、たまたま昔の部下だったので、私はぎりぎりで「しきみ」の実を買うことができた。3/24

ジェームズ・ボンドの私は、新幹線が停車している高架線路の下にあるカフェでコーヒーを飲んでいたのだが、誘拐犯がドアを出て線路に降りた瞬間に立ちあがって、マグナム弾を連射すると、そいつはあとかたも無くなった。3/26

小泉首相は、閣議で立憲主義てふ言葉をこの国から追放しようと演説しただけではなくて、実行したのであった。3/27

せっかく寄席に行ったのに、誰一人客が来ていないので、私は万やむを得ず高座に上がって、自分自身のために一席伺う羽目になってしまった。3/28

いつまでも胸に秘めているのが心苦しくなってきたので、私はこの絶好の機会にむかしむかし黄色い花のような連中を殺してしまったことを告白した。3/28

さすが日本を代表する大手メーカーの大展示会だ。広大な空間をフルに生かした様々な物販ブースが何百と設営され人だかりができている。私たちもすぐに入場したいと思ったが、なんせ招待状を持っていないからどうしようもない。3/29

必死でもぐりこむ口実を考えていたら、O社の吉田氏が通りかかったので、これ幸いと大声で呼び止め「吉田さん、吉田さん、ちょっと中へ入れて下さいよ。生憎記者招待券を社に置いてきちゃたんで困ってるんですよ」と頼み込んだ。

すると吉田氏は「なんだ佐々木か。お前なんか、ウチの社にとってなんのメリットもないからなあ」と嫌みを言うので、「おや、そんなことないですよ。なんならおたくがいま喉から手が出るほど欲しいものを言ってみなさいよ。たちどころに希望を叶えてあげるから」と返した。

すると吉田氏は声をひそめて「じつは渋谷の専門店百貨店情報が入ってこないんで弱ってるんだ」というので、「なんだ、そんなこたあお安いご用ですよ。手元に渋谷流通協会の報告書が手元にあるんで、よろしければお貸ししますよ。リース代はお任せしますから、そちらで適当につけてもらえばいいですよ」というと、吉田氏はこちらへすっ飛んできて中へ入れてくれた。3/29

L社の宣伝部へ行き、次シーズンのテーマを尋ねたらアリゾナ州のイメージだという。アリゾナ州のどんなイメージなんですかとまた尋ねたが、ただ「アリゾナ、アリゾナ」とオウム返しに答えるだけで、具体的な内容がある訳ではないことが分かった。

「だいたいアリゾナ州ッってどこにあるんですか?」と聞いたが、それすら理解していないようなのであきれ果てた。「いったい誰がそんなテーマに決めたの?」と尋ねたら、カンという人物だという。

「カン氏はどこにいるの?」と聞いたら、「あそこです。あそこでふんぞり返っています」というので、見るとどこかの国の官房長官そっくりだったので、私はカン氏には会わずにL社を出た。

L社を出たら、そこはアリゾナ州だった。見渡す限り荒涼とした砂漠が広がり、風がヒューヒュー吹きすさんでいる。ふと見ると大勢のインデイアンの子供たちが私を取り囲むようにして迫ってくる。

怖くなった私は彼らから逃れてどんどん高い山に登っていくと、円陣を組んだリトル・インデイアンたちもどんどん私を追って高い山のてっぺんまで登ってくるので、困ったなあ、どうしようと立ち往生していると大正時代の着物をきたおばさんたちがやはり円陣を組んで、リトル・インデイアンたちの円陣にまともにぶつかっていくので、「嗚呼助かった」と喜んだ私は、その間に沖縄の亀甲墓のような建物の中に入り込んだ。ここならきっと安全だろう。3/30

ウイキで「第9」を検索すると、直ちにその男の猛烈に下手くそな「おお、フロイデ!の野太い一声がユーチューブの映像で出てくるのだが、その下手くそさが並外れているのであっという間に世界的な人気を博し、近々ベルリンフィルに呼ばれるそうだ。3/31

 

 

 

*「夢百夜」の過去の脱落分を補遺します。

西暦2014年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

京の町を散歩していたら「はい、鉄板誕生400年記念日です」と言われて、誰かに写真を撮られてしいまったが、あれはいったいどういうことだったんだろう?5/31

ボーカルとギターの双方が、おのれが目立とう目立とうと競っていたので、私が謡と三味線と笛太鼓の演奏を聴かせると、2人とも黙り込んでしまった。5/30

「お客さん、どうせなら年増より初々しい少女のほうがよろしいでしょ」と、番頭は卑猥な笑いを押し殺しながら、珍客である私への人身御供を吟味しているのだった。5/29

いちおう胸の彫りものは終わったはずなのだが、私が「どうも龍のデザインがいまいちすっきりしないな」というと、彫師は「そうでやんすか。もう一度あっしが零からやり直しやしょう」と胸を叩くのだった。5/29

「東京を出て大阪に行かむとする者は神戸をめざすべく、仙台をめざす者は岩手をめざさざればついに大阪、仙台に到る日はあるまじ」と、或る者したり顔に語れり。5/28

私が小説の中で「「ドアンゴ」という名前の車は、漫画みたいなふざけた命名でよくない、むしろ安吾にすべきだ」と書いたら、その会社の社長から「よい案なので早速改名します」と電話があった。5/27

真夜中にバッハの「主よ人の望みの喜びよ」が2回鳴ったので、いつもの無言電話かと思って放置していたら、3回目にまた鳴って、それは渡辺さんのご主人が、たったいま湘南鎌倉病院に救急車で運ばれた、という電話だった。5/26

水道の水で乾き切った喉を潤し、ようやく元気を取り戻したので、再び元の道を南に向かって進む。行けども行けども誰にも会わない。やがて陽が沈み、空がゆっくりと黄昏れると、道はふっつりと消え去り、深い暗闇の奥底に私は取り残された。5/25

自転車に乗ってどんどん進んでいく。どこまで行っても道路に車はない。道路も周囲も行けども行けども無人である。はらっぱの向こうに一軒屋がみえてきた。平屋の一間に入ると真ん中に囲炉裏の灰穴があったので、私はそこで用を足した。5/25

水辺の別荘のすがれた庭で、私たちはふぁっちょん広告の撮影をしていた。その別荘の持主の老人が、ノーメークでモデルとして出演したのだが、モノクロ写真がかえって人物と風景に深い陰影を与えていた。5/24

その顔をよく見ると、知り合いの大辻嬢だった。彼女は養父の暴力と抑圧をうけて念願の巴里留学の夢が絶たれようとしていたので、私は無償の留学制度があることを教え、身元保証人になってあげるから早く旅立て、と助言したのだった。5/23

私が講演代を半額に値切ったことをまだ覚えていたらしく、ぶつぶつ文句を言う掘氏に別れを告げて、半島の小村の市場へ行くと、魚や野菜が信じられないような価格で並んでいたので、私がどんどん手にとっていると、レジの女性が大きな袋を貸してくれた。5/23

雨宮さんの家は、しろつめ草が茂る広大な丘陵の中にあり、放牧された牛たちがのんびりと空ゆく雲をながめていた。私は彼の奥さんと子供の3人ずれで、その大草原をこころ行くまで散歩するのが常だった。5/22

海外勤務員がなんだか落ち込んでいたので、「君の日記をネットで全世界に発信すれば、面白く読んでくれる人がきっといるはずだよ」と慰めると、次第に元気を取り戻して、「そうでしょうか。ぼくやってみます」などと口走るのだった。5/21

売上不振のこの会社にあって、他の誰もリストラされないのに、なんで販売課の課長の俺だけが指名解雇されるのか。しかも過去2カ月は抜群の売り上げを誇っているのに、と激しく怨みながら、私はノサップ岬の白い波頭を眺めているのだった。5/20

私は愛する少女のためにそのミュージカルをつくり、そのラブソングをつくったのだが、彼女はそんなこととはついぞ知ることなく、涙を流しながら、千秋楽まで毎晩主題歌を絶唱したのだった。5/19

「なにゆえ短歌」というネットでやっている怪しい短歌制作の試みを、授業でもやっていたら、教室の中に得体の知れない老若男女がおしかけてきたので、女子大生たちはきゃあきゃあ悲鳴を上げながら逃げ出した。

「般若のお辰」が迫ってきたので私は驚いたが、お面の奥から昔の女の顔が出てきたので、また驚いた。原宿でお茶していると、隣の席に嫌な女が2人座っていてしきりに私らを窺うので、急いで店を出て彼女のマンションへ行った。5/16

そのひとは、かつてはヘレン・ケラーのように偉大な人物として慕われていた。老いてアルツハイマー症を患ってからは、ほとんど昔日の面影は失われたにもかかわらず、若き日の美しさと冒しがたい気品がかすかに漂っているのだった。5/15

「ドスコイ、エンヤコラショ、おいらの掘った左の穴は、直径100×100」とシコを踏んだ途端左足のふくらはぎが攣った。ようやく回復したので、「ドスコイ、エンヤコラショ、おいらの掘った右の穴は、直径100×100」とまたシコを踏んだら、今度は右足が激しく攣った。5/15

私は巨大な蜂の巣のような巨大な穴の最低辺で働いていたので、遥か上方を見上げると大小いくつのもシャンデリアがさんざめいて、とてもここが地獄のような労働工場とは思えないほどだった。5/14

「ちょっと口を開けてくれませんか」と歯医者が言うので、言われるがままにしたところ、彼はいきなり麻酔注射をぶちかまして、予期せぬ大手術が始まったのであった。5/13

クリークを渡ろうとしたら、底には巨大な2匹の白蛇がうねっている。仕方なく側面をつたって前進しようとしたのだが、そこにも白魚のように白い無数の子蛇たちがうねうねダンスを踊っているので、さてどうしたものかと私は考え込んだ。5/12

プラクシートという所で世界演劇祭が開催されているというので、そこへ行こうと思ったのだが、いくら調べてもそんな名前も地名も出てこないので、私は途方に暮れた。5/11

日露交渉の日本側の通訳を担当することになった私は、プーチンを担当するロシア側の美貌の通訳官と恋に落ちてしまい、業務などそっちのけで愛を交わしていたのだった。5/10

3Dプリンターで拳銃を作ろうとしていたら、みょうちきりんな男が出てきて「シュウダンシジェイエイケングア」どうしたこうしたと言っているので、削除しようとしたが出来ない。仕方なくプリントアウトした奴を、危険物塵出しの日に出した。5/9

私はローバーミニに4人の外国人の女をぎゅうぎゅうづめに詰め込んで、逃走を続けていたが、それは彼女たちを、アフリカの偉大なる王への貢物にするためだった。5/7

野茂になった私は、捕手はもちろん監督の言うことなどもまったく聞かないで、勝手に剛速球を投げ込んでいた。それが墓穴を掘ることが自分でも分かっていたにもかかわらず。5/6

私は原稿を書いている時間が無いので、やむをえず生まれて初めての口述筆記を試みたのだが、私の秘書の男は(こいつはバカ殿のどら息子だった)、それについていくことができず、いたずらにドラエモンの漫画を書き散らしているのだった。5/5

その黒人の牧師は、説教を始める前に聴衆に向かって「まず喫煙をやめるように」と警告したが、聴衆がその指示に従ったのを知ると、「説教代は消費税込みで20.8ドルだ」と言い放った。5/4

息子が何度も「お父さん、すぐに食器を洗ってくださいね」と頼むのだが、パソコンに向かって仕事をしていた私が生返事ばかりしていると、彼は突然怒り狂い、地団太踏んで暴れ出した。5/4

「白いドレスの女」という映画について私が書いたコラムについて、それが国家情報局のビッグデータに収蔵されているデータとの整合が取れていない、という理由で文句をいわれた。そもそも題名からして違っているというのである。5/3

あの日私は、下から押し寄せてくる水をものともせずに、机の位置を少し高い場所に移動して、下からどんどん届けられる荷物を次々に処理して、普段通りに夕方帰宅したのであった。5/2

来年度の予算を立てている村田マネージャーが首をひねっているので、「消費税が上がったから困っているんでしょう?」と水を向けると、そうではなくて「盆踊りの経費をどうしても捻出できないので弱っている」というのであった。5/1

 
 
 

西暦2014年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

夢は第2の人生である 第19回 西暦2014年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

 

「あまりにも多忙だったので、パンフレットの文字校正をする余裕がなかったのです」、と若者たちは、懸命に弁明するのだった。6/30

私たちが運営しているNPO法人は、今年は赤字のはずだのに、なぜか50万の黒字になっているので、調べてみたら安倍蚤糞という会社から350万円の寄付があった、ということが分かった。彼らは水面下で税金をばらまいているようだ。6/29

その謎の電話会社は、先住民に誘拐された一家の悲劇を、隠喩だか、暗喩だか、モチーフにしているという噂があったので、私以外は加入していなかった。6/26

「これは陰茎ではなく、イチジクの形をした肥料なのです。原料は花のエキスなので舐めると花のキャンディにような甘い味がしますよ」と、そのセールスマンはイチジク浣腸をぶらぶらさせた。6/26

地下のスタジオでカモラマンと一緒に撮影をしていると、役員室から尾上理事長が降りてきて、「このパンフレットには違う判子が押してある」などと、じつにくだらないイチャモンをつけたために、撮影は中断のやむなきに至った。6/25

夜の海の奥底には、無数の深海魚がひめやかに泳ぎ回り、その隠微な世界は、波の上からのぞきこんでいるだけでは、到底伺い知ることができない。6/24

停車中の電車に乗り込むと、大学の演劇部の仲間たちが、座席にすわっている乗客たちを次々に殺しているので、恐ろしくなった私は、電車から飛び降りて線路伝いに逃げだした。6/23

独り暮らしをしているマンションで家政婦を頼んだのだが、火はつけっぱなし、水は出しっぱなしで、部屋中が水浸しになってしまったので、すぐに追いだした。6/22

もののはずみで誰かが「こんな会社辞めてやる」と言い出し、まわりの連中も「我も我も」と続いたので、ブラックプレジデントの私は、「本当に辞めたいなら、人事課長の中沢君か係長の内田君に届け出なさい」と言うた。6/21

夢の中なので、いくらお金を借りようが使おうが関係がないということにようやく気づいた私は、それこそ夢中になって欲しかった高価なあれやこれやを、どんどん手中に収めていたのだが、ふと「夢から覚めたらどうなるのか?」と心配になった。6/20

私はAに金を貸した。その金をAはBに貸した。しばらくしてAは、「Bが行方不明になった」と私に告げたが、おそらくそれは嘘だろうと思いながらバイトを続けた。6/19

私は、息子が私のお金を無断で持ち出したことを知っていたが、なにも言わなかった。しばらくして金庫を覗くと、そのお金は元に戻っていたので、息子が返したことが分かった。6/19

地震警報が発令されたので、私らは間もなくやってくる津波にそなえて、各戸に1個ずつ配布されている大きな浮輪を膨らませようとしたのだが、慣れない作業ゆえに捗らず、焦りまくっているうちに、それは襲ってきた。6/17

客がギネスばかりのんでいるロンドンのパブで、私はノンアルコールのビールを頼んだはずなのだが、それはいつまで経っても運ばれて来なかった。6/16

彼らは男ばかり数名で共同生活をしているようだった、ノノヘイが病気の時はセキノが、セキノの具合が悪い時はスギザキが代わりに仕事に出て、お互いに助け合っている姿が好ましかった。6/15

東京を逃れて京都にたどりつき、熊野神社あたりで学生相手の一膳飯屋を物色していたのだが、唯一の女性である前田嬢が「これは嫌、これもダメ、ちゅうちゅう蛸かいな」と文句ばかりつけるので、いつまで経っても昼飯にありつけない。6/14

世の中が戦争一色に染まって来たので、もう黙っているしかないといったんは思ったのだが、あまりに酷い事態を迎えつつあるので、最後の科白を言おうとした途端、突撃兵たちの集団に飲み込まれてしまった。6/13

私が率いる1個小隊は、東に向かっていたのだが、西からやってきたわが軍団の大波にのみ込まれてしまったので、みな三八銃を抱えたまま、ちりじりばらばらになってしまった。6/13

「これからはワンショットごとに消費税を掛けることになった」というので、念のために撮影済みのフィルムを調べてみると、確かに映像毎のすぐ後の黒いフレームには「消費税8%」と書きこんであった。6/12

私は息子を海につれていって泳ぎを教えようとしたのだが、彼は親の言うことは全然聞かず、しばらく放置していたら独りで沖合まで行って勝手に泳いでいるのだった。6/11

塹壕戦に従軍していた私らは、指揮官が全軍突撃を命じたので、三々五々前面の狭い砲撃口から外へ出ようとしたのだが、そもそもそこが狭すぎるうえに、銃や背中の飯盒が邪魔になって、押し合いへしあいするうちに全てが終わった。6/11

プロレスの八百長試合で、私が「ハイ」と声を掛けると、甲が乙に業を掛ける段取りになっていたのだが、んなこたあすっかり忘れて試合を見物していたために、試合はそのまま終了してしまった。6/10

最新のメンズ市場の販売動向を中島選手が延々とレポートしている間、僕たちはねんねぐーしたりあらぬ空想にふけったり、どうやって借金を返済するか算段したりしていた。そして僕たちはこういう時間こそはリーマンにとって至高の時であることを知っていた。6/9

大勢の兵隊を乗せた巨大な軍用列車は、なぜか線路から浮かんでしばらく空中で静止していたのだが、突然呪縛が解けたように汽笛を鳴らして疾走し始めたので、兵士も群衆も鳥も喜んで叫んだり鳴いたりした。6/8

洗濯物を家の外に干しておいたのだが、いつの間にやらそれが道路に落ちてしまって、その上をたくさんの車が轢き過ぎていくのだった。6/8

苦心惨憺の末に1枚1面当たり3時間の長時間超高音質安価LPレコードの開発に成功した私は、CDの音の暴力に悩まされ続けていた全世界のクラシックファンから感謝されただけではなく、一躍大金持ちになってしまった。6/7

死刑囚の私の首の上からシューっと唸り声を上げてギロチンの刃が落ちてくるのを聞きながら、私はそれが初めてではなく、いままでに幾たびか経験していたことを思い出していた。6/6

戯れにガイガーカウンターを買った私が、自分の体や周囲の家具や植物などにそれを向けると、物凄い音響を発してガアガア、ガアガアと唸り続けるので、私は思わずそいつを取り落としてしまった。6/5

プロデューサーは、私が演出する番組の視聴率が悪いのを気にして、あれやこれやの提案を口にするのだが、私は昆虫の名前はすぐに覚えられるのに、どうして野の花や草花の名前を覚えられないのかと考え込んでいた。6/3

私は寝る前に黒い靴下を履き、これなら水虫も痒くならないはずだ、と考えていたのだが、夜中に蚊に刺されてしまったことは想定外であった。6/3

私が彼の女を奪ったために、彼はたいそう私のことを怨んでいたが、これまで彼は大勢の男たちの女を無理矢理奪っていたので、これもいい薬だと私はひそかに考えていた。6/2

グリーン州のグリンランドがこんなに素晴らしい緑の楽園とは知らなかった。観光客は誰ひとりいないし、風と鳥の鳴き声以外は朝から晩まで物音一つしない。私はなにもかも捨ててこの地に永住したいと願った。6/1

 

 

 

branch 木の枝

 

海辺で

拾った
拾ってきた

木の枝と貝が

机の
上にある

薄い紙の上にならんでいる

波の寄せるコンクリートブロックの
上に落ちていた

波にあらわれて
辿りついたのだろう

机の上の薄い紙の上にある

命はないが
そこに

見えないものたちが眠る

 

 

 

地獄だまり

 

道ケージ

 
 

オレが息も絶え絶えなぜこんな
ああサンタマリアと呼んだとき
オマエものまね番組ケラカラ笑い
いやいやそれは悪くない
遠く離れる宵闇の月

俺が欄干手をつき川面見て縮んだカエルを急かせると
お前メール寄越して「牛乳買って来て」
イヤイヤそれは有り難い
おかげでセヴンに戻ったさ

オリがナイフ握って殺るか殺られる尖っていると
オメーは風呂の水滴拭いたかと
えらい剣幕ドア閉めた
イヤイヤそれは助かった
憑き物落ちて桃剝いてそのまま流しに置いたから

オレが望まぬ戦い戦って
殴られ骨折り血を流し
あげくに裏切り警察沙汰に蒼ざめて

そのときお前は多摩川で
光の柱に包まれて いいことありますようにと
祈ったらしい
いやいやそれはいいことだ

関わりないことのみ美しい
それがよい(ヽヽ)かはわからぬが
遠く黙って何もしない
黙って知らずに動かない
知らずに黙って何もしない
それでよかと

 

 

 

18歳の彼

 

今井義行

 

OnLine その上で 署名 してしまうと
至るところに「とびら」が できてしまう

OnLine で 瞬時にあらゆる時制が 同期
され 見知らぬ人たちとの出会いもある

アパートの部屋にいるときだけではなく
喫茶店にいても バスに揺られていても

それはわたしの「とびら」だというのに
いつの地平へ出てしまうのかわからない

此処はどこだ 精神病院の アルコール閉鎖
病棟だ おかしな所へSignUpしてしまった
此処2014まで 泥酔しては 怪我ばかりして
様々な病院での寝起きの時間は ながかった
入退院を繰り返しながらあまい生クリームの
とりことなり 体重は急速にふえてしまった

≪BMIとは、身長からみた体重の割合を示す体格指数。
手軽にわかる肥満度の目安なのでチェックしてみましょう≫*ネットより
身長168cm 体重86kg  BMI 30.47
≪BMI値の判定基準は一般的には、18.5未満で「やせ」、18.5以上25未満で
「標準」、 25以上30未満で「肥満」、30以上で「高度肥満」と判定されます。≫*

( 腹水が溜まったこともあった・・・・・・ )

いまこうして病衣でベッドに仰むけになって
いると 自分自身が
臨月の 妊婦に おもわれてきて むかいの
6人部屋にいる蒼白な顔をした18歳の青年は
わたしの息子が育ったすがたか、とイメージ
が はしる ふしぎ。

痩せ細った身体は ストライプの半袖と濃紺の短パンに包まれ
食事は共同食堂ではなく 自分の部屋でのみ摂っていた
だれかと親しいようすもなく うつむいて お盆を運んでいた

≪わたしは、そんなふうに 育てたつもりは ありませんよ!≫

18歳の彼──その唄は日本では、岩下志麻が好んでうたった
注*スマホ、タブレットなどのブラウザでは再生されないかもしれません。
ご興味のある方は、PC【ダリダ/18歳の彼】
https://www.youtube.com/watch?v=GHhs6njqc5U

すると とつぜん陣痛がおとずれていたみの
なかに わたしの それまでの愚行が甦った

( 錦糸町を徘徊した 緑色の液体を吐いた )
( 酷すぎた・・・・・・ )

白痴だな、

或る夜の、地下のライヴハウスで──・・・・
美輪明宏がカトリーヌ・ドヌーヴを
あんな白痴美は駄目だと断罪した
「天井桟敷の人々」(1945/仏)のアルレッティを
御覧なさい 品格が違うのです

白痴美から“美”を取って
わたしは ただの白痴
社会に適合していくことが困難です

けれど、うらはらに──・・・・

美輪明宏は ロックはノイズだから聞くな
馬鹿になるわよ、と言いつづけてきたのに
桑田佳祐にリスペクトされて以来 そんな
ことはメディアで言わなくなったお天気屋

けれど、うらはらに──・・・・

いつもわたしは ドヌーヴを愛した
白痴は 馬鹿を超えており
差別語なので使うなというのだが
白痴を“黒く塗れ”ということは

わたしに「死ね」ということだ
「シェルブールの雨傘」は 台詞全篇曲で JAZZあり
奇異な原色の背景あり 馬鹿馬鹿しくもあったけれど

白痴を“黒く塗らないで”ほしい
カトリーヌ・ドヌーヴは雨傘を畳み
自らの時がくるのを待っていた

年配の患者さんから借りた

地図帳を拡げているとヨーロッパに雨が降る
モン・サン・ミシェル ヴェローナ
アムステルダム エジンバラ
ドヌーヴは 石畳を歩き続けている

わたしはカプリ島でパンを捏ねている
ばらばらの肌理の 何枚も積み重ねた
しろい生地だけしか 焼けませんです
わたし、きっと 白痴なんです
社会に適合していく ことが困難です

そんなとき 雨に濡れた ドヌーヴが
パン焼き小屋へ 入ってきた─・・・・
彼女は パン焼き小屋をホールにして
微笑みながら くるくると 踊った

≪わたし、娼婦の役を貰ったの ようやく
昼間から 真剣に 狂える時が きたの≫

OnLine その上で 署名してしまうと
至るところに「とびら」が できている

そして 好奇心からそれを開けてしまう
2014 精神病院の アルコール閉鎖病棟

夕暮れて、陣痛がおとずれて「つ、・・・・!」

窓硝子に薄く映ったわたしの横たわった姿を
覗くと 臍から鼠径部までの高まりのなかに
ヘラクレス真夏の星座が胎内の天を力づよく

押し上げている姿が 透けて見えた気がした

その果てに わたしの胎が ばりばりと割れた
その裂け目から 猛々しい茎が 伸びはじめ
そそりたつそのいただきに水仙の花が咲いた

わたしは 胎のうえの水仙の根っこをおさえ

18歳の彼に「この部屋でいいか」と 念じた
18歳の彼に「あい部屋でいいか」と 念じた

18歳の彼に「君は我が子だから」と 囁いた

 

 

 

西夏の瑪瑙

 

サトミ セキ

 
 

どんなひとにもいしはひつよう
とつぶやいて
砂漠の国から来たぼくの女友達が、トランクをあけた。
羽虫のようなびっしりと黒い中国漢字でいっぱいの新聞紙、
子供の握りこぶしをひらくように 小さく丸まった紙を開いた。
瑪瑙の小石がいた。
君は海を越えて運ばれトウキョウにやってきた、
渡り鳥が咥えてきた木の実みたいに。

せいか というまぼろしのくに の いせきでうられていました いちばんきれいな いし だった
長い紅の爪を研ぎながらぼくの女友達は言った。水遊びするうつくしい鳥のように細い足をのばして。

西夏って千年前チンギスハンの軍隊に消された王国だよね。生きていた人も、瓦も、書籍も、全部灼かれ、宮殿も、墓も、文字もぜんぶこなごなになって砂漠に散った。存在したことすら忘れ去られてた王国なんだってね。
さあ よくしらない
爪やすりをしまって女友達は言った。

見ていました そのときも
そのとき瑪瑙が ぼくにしか聞こえない声で囁いた。
ピンクがかった砂色をした、電灯の光がうっすら透ける石。間近で見ると、黒い砂粒が凹凸に隠れて入っていた。数粒の砂以外は不純物も化石も気泡も入っていない、砂が液体になって凝固したようだった。重すぎもせず、忘れるほどに軽くもなく、滑らかな手触りの君。

とつぜん 女友達と連絡が取れなくなった。長い髪一本も残さず、あとかたもなく消えてしまった。西夏の住人みたいに。

それからときどき 寂しさの発作みたいに 底の見えない穴に落ちていく。
そんなとき ジャケットの右ポケットに入れた君に触れる。
ここにいます 今は
ぼくにだけ聞こえる声で、いつも囁く。
ぼんやり胸があたたかくなる。いったいいつから存在するの。
せいぜい千年しか想像がつかないんだけども。

アスファルトが溶けそうな真夏の新宿を
固いカラーをゆるめながら 汗を滴らして歩く。
右ポケットの底では、ひんやりと西夏の瑪瑙がくつろいでいるのだった。
夏は灼熱冬は寒冷地獄育ちのツワモノだったね。せいかのめのう。

堆積型と溶解型が瑪瑙にはあるって、『岩石図鑑』に載っていた。君はきっと何万年かの堆積型だ。
くっりっりりっくりっっっりりり
夜、洋服だんすの中で砂鳴きをしている。君の中には砂漠がぎゅっと詰まっているから。
砂鳴きを聞きながら、ひとりの部屋の灯りを消す。まぶたを閉じると海抜千メートルを越える山脈。草木が生えていない君と同じ色の山々は、要塞になった。山脈を越えると、その先にまた砂漠が広がっている。ぼくは夢に落ちながら、その砂漠をまたいで幻の王国の痕跡を探しに行く。

ぼくのポケットがほころびスーツが燃やされ、ぼくも女友達の骨も風に紛れてしまい、この通りのアスファルトが擦り切れ高層ビルが崩れ、この国の名前もなくなる時。
その時君はどこにいるのだろう。
どんないしにもとりはひつよう
大陸から来た女友達の声を真似してつぶやいてみる。
南の島、真珠貝が生まれるところで海水浴をいっしょに。冬中日が上らない極北にも連れていこう。
飛べない石 咥えて運ぶ鳥。
次はぼくが瑪瑙のためのつかのまの鳥になる番だ。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第2回

第1章 丹波人国記~性霊のささやき

 

佐々木 眞

 
 

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丹波の国は、いまは京都府と兵庫県に分かれていますが、古くから京の都のすぐ近くにあって、山城、摂津、播磨、但馬、丹後、若狭、近江の7カ国に接し、わが国の分国のなかでも重要な国のひとつでした。
しかし江戸時代のはじめに関祖衛という人が著したといわれている『人国記・新人国記』で紹介されている丹波の人々の印象は、けっして好ましいものではありません。
「この国の風俗は、人の気懦弱にして、めいめい自分勝手、己れを自慢し、他人の非を謗り、他人の素晴らしいところを悪くいい、まるで女の腐ったような心を持っている。百姓は農業だけを専らにしないで商売を兼業し、金もうけしようとする。すべてに勇気を持つこと少なく、やたらに人に諂い、昨日の味方も今日は敵となり、あわれむべき世渡り第一主義といえる。
思うに、この国は四方が山々にとりかこまれ、みな谷間の人家である。冬の雪も北国ほどではないにしても相当なものだ。偏屈で了見が狭いのは、そんな風土からきているのであろう。人の性格が堕弱なのは、この国が都に近く、その乱れた風俗を見るにつけ自然と気持ちがくずれて素朴で飾らない気質を失ってしまったのであろう。
とくにひどいのは婦人のだらしない風俗であって、どうしようもないほどである。しかし能力のある人が生まれてきたならば、気持ちの柔らかな意地で成立している社会であるから、無双の人も出現するだろう。戦乱の世にあってこの国を治めようとすれば、たった5日でおさまってしまうであろう」
と、ほぼ全面的にコテンパンであります。
この女性の風俗の乱れについては相当有名だったようで、おなじ江戸時代の中期に諸国の民謡を集めた『山家鳥虫歌』では、前の著作をなぞるように、
「此の国都に近く其の風を倣ひ、とりわけ婦人の風締りなし。此所に多く蚕を飼ふ」とありますが、「締りなし」と書かれるくらいですから、それ相応の事実がその当時にはあったのでしょう。
ところで丹波の国の綾部というところは、この国のひとつの中心地として大和朝廷と共に栄え、奈良時代に入ると由良川沿いの低地では桑が栽培され、養蚕業が盛んになりました。
養蚕機織を主な生業とする秦氏、漢(あや)氏がこの地に渡来し、大きな勢力を持っていたといわれ、「綾部」という地名も、江戸時代のはじめまでは「漢(あや)部」と記されていたそうです。
時代がさがって明治に入ると、綾部の養蚕業は次第に盛んになり、明治29年には波多野鶴吉という人が、郡是製糸という会社を創設しました。現在の「グンゼ」ですね。
この波多野鶴吉翁の鼻の欠けた立派な銅像が、綾部の市街地を見おろす寺山の麓に立っています。なぜ鼻が欠けているかというと、翁は若き日にさんざん女道楽をして性病に罹ってしまい、鼻はその後遺症だというのです。
いわば身から出た錆で自業自得なのですが、それからが凡庸な私たちとはまったく違います。この不名誉な事件に懲りた翁は一念発起し、この地方有数の養蚕教師となって何鹿(いかるが)郡蚕糸業組合を設立。丹波の綾部の養蚕技術を日本全国にとどろかせたのでありました。
またこの実業家は熱心なキリスト者としても有名で、彼が設立した前述の「郡是」という会社は、単なる製糸会社ではなく、一面では人格の陶冶のための宗教的組織、他の面では地域社会における経済的文化的拠点という要素を兼ね備え、何鹿(いかるが)郡のセンターに屹立していました。
明治という時代の特性を頭においても、この時代のこの国に、これほど浪漫的で理想主義的な企業はそれほど多くはなかったでしょう。
まあそんな次第で、「蚕都」綾部を代表する「無双の人」のこそ、この波多野鶴吉翁に他ならなかったのです。(じつはこの盆地には、あの大本教を立ち上げた出口王仁(わに)三郎というもう一人の「無双の人」がおりましたが、彼についてはまた改めてお話したいと思います。)

ところで、さきほど引用した『山家鳥虫歌』は、丹波の女性の風紀と養蚕を結び付けて奇妙にエロティックな記述をしています。
「前に出でてあるものに感ずるといふ事、不思議なるものなり。蚕は性の霊なるものにて、物に触れ形をなす」
さあ、これはいったいどういう意味なのでしょう。ちょいと飛ばして、次を読んでみましょう。
「中国の漢の時代にある寡婦が、ある夜どうも寝られないので、枕によりかかって自分の家の壁が崩れているところから、お隣の家で蚕を飼っているのをなんとなく眺めていた。その蚕はちょうど繭を作っているところだったが、出来あがった繭を見ると、その女の姿形によく似ていた。目許、眉のかかり具合などははっきりしないが、物思う女の形をしていたのを、琴の名人の蔡中郎(さいちゅうろう)という人が金に糸目をつけずに買い求めてきて、その琴の弦にして弾いたところ、その音はじつに哀れに聴こえた。
その寡婦が蚕になったのではない。ただ蚕の性の霊のせいだ。人間は万物の霊である存在だから、いろいろ奇怪なことを引き起こすと思うかも知れないが、そんなものは表面だけのことであって、いちばん奇怪なるものの正体は、『陰陽二気』だけだという事をしっかり考えるべきべきだ」
読みながら私は、ある夏の日の午後、丹波の綾部の蚕糸試験場の無人の一室に放置された何千何万という蚕たちの純白の群れが、上になり下になり、鈴なりになってムシムシと不気味な音をたてながら、桑の葉をむさぼり食う光景を見て、なぜか心が凍るような戦慄を覚えたことを思い出しました。
このように、蚕に“性霊のささやき”が天与されていて、一種の性的な霊媒の気を持つ怪しい虫であることは、かなり早くから世に知られていたのです。
みなさんの中には今村昌平監督が1963年にメガフォンを取った『にっぽん昆虫記』で、左幸子さんの左肢の内側のところを秘所に向かってゆっくりと這い上ってゆく第五齢の白い蚕の姿を覚えている方がいらっしゃるかもしれません。
あれなんかも、蚕が性の霊なるもので、物に触れ、形をなす、その寸前の怪しい雰囲気をなかなか巧みにとらえていたと思います。
ともあれ、丹波の国に綾部という町があり、その綾部の中心に一匹の巨大な蚕が蠢いていて、その蚕の中心に性霊が渦巻き、その渦巻きの中心にひとりの哀しい女が佇んでいる。
綾部という言葉を耳にすると、私はどうしてもそんなイメージが浮かんでくるのです。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空次回へつづく

 

 

 

夏、海の日に綴る

 

みわ はるか

 
 

蚊に刺されて目が覚めた。
ブタの形をした蚊取り線香に手を伸ばしスイッチを入れる。
しばらくするとその特有の臭いが漂ってくる。
不思議とこの臭いは嫌いではない。

日用品の買い物に出掛けた。
エアコンのフィン用のスプレーや、日焼け止め、花火等が入り口近くにたくさん並べてある。
本当に夏が来たんだと視覚的に感じられる瞬間だ。
かごに必要なものを入れ、レジに並ぶ。
列の先頭にはいくつか商品が入ったかごを前に清算の準備をする70代くらいのお婆さんがいた。
きれいな短めの白髪に、少し腰の曲がった小柄なお婆さん。
たまごボーロ、米製品のおかし、角砂糖がまぶしてあるいかにも甘そうな煎餅。
ふと突然に今は亡き祖母を思い出した。
祖母もこんなようなおかしをよく買っていたなと思い出した。
孫にも厳しい性格の持ち主だった。
ちょっと近所に足を運ぶのにも身なりをきちっとしていきなさいと諭すような人だった。
近所のドラッグストアにラフすぎる格好で来ている今のわたしを見たら叱責されそうだ。
少し冷や汗が出た。
だけれどもものすごく会いたくもなった。

ローラースケートにはまっている。
河川敷沿いにきれいに舗装された道がある。
タイムを計りながらランニングしている人、犬の散歩をしている人、キックボードをしている人男子小学生、しろつめ草で冠を作っている保育園児。
思い思いに仕事終わりや学校終わりの明るさが残るわずかな時間をそこで過ごしている。
そこで、赤い小さな自転車に乗る、これまた赤いヘルメットをかぶった小さな男の子に出会った。
年を聞くと4才だと言う。
何に興味を持ったのか、ローラースケートで滑るわたしの後を一生懸命ついてくる。
ほんわり優しい気持ちになった。
遠くでその男の子の付き添いで来たと思われる白髪のおじいさんがにこにこ縁石に座ってこちらを見ている。
軽く会釈をした。
汗だくになってきたわたしは地面に座り込んだ。
ヘルメットをとって休憩していると、その男の子がじっーとこちらを見ながら「お姉ちゃん、頭べちゃべちゃじゃん。」と笑った。
思わずケラケラわたしも笑ってしまった。
子供は思ったことをストレートに言えていいな~と羨ましくなった。
大人になると愛想笑いや思ったことも言えない窮屈な場面がたくさんあるなと悲しくなる。
わたしが「まだ自転車乗るの!?」と訪ねると「まだ頭べちゃべちゃじゃないもーん。」とこれまた心に突き刺さるようなことをずばっと言われた。
またケラケラと笑った。
男の子に大きく手をふって別れた。
またここに来たら会えるといいなと心から思った。

入道雲がもこもこと空を覆いつくす夏が来た。
どこか前向きな気持ちにさせてくれるこんな空が大好きだ。
夏は始まったばかりだ。