村岡由梨
透析のクリニックの、やけに白い待合室で
一本足の、灰色の男を見かけた。
私は、全盲のおじいさんの車椅子を押して
待合室に入ったばかりだった。
人たちは皆うつむき加減で
テレビから聴こえてくる笑い声にじっと耐え、
迎えの車が来るのを待っていた。
翌々日も、同じような時間に同じ場所で
その男を見かけた。
その男も車椅子に乗っていた。
迎えが来るのを、待っていた。
私は、男の見えない足を見ていた。
見てはいけないものを、見ていた。
そして、おじいさんの車椅子にブレーキをし、
近くのソファに座ってぼんやり考え事をしていた。
娘たちのこと、夫のこと、猫たちのこと
遅かれ早かれ終わりはやってくるのに、
私たちはなぜ、出会ってしまったんだろう。
そんな悲しい詩の言葉を、
心の中で反芻していた。
やがて、その一本足の男を見かけることは無くなった。
ある日、待合室のあまりの沈黙に耐えかねて、
テレビのチャンネルを変えた。
昼のニュース番組だった。
灰色の瓦礫の山の中に、
片足を失った少女が立っていた。
片足だけでなく、親も兄弟も住む家も無くしたという。
泣き腫らした、燃え尽きたように黒い瞳が
怯む私を突き離して、遠くを見ていた。
一本の松葉杖にしか頼る術のない
不安定にグラグラ揺れる世界が、そこにはあった。
決して目を背けてはいけないものから
目を背けて逃げた私は、
真っ赤に燃える荒野にいた。
そこには、右足を失った18歳の眠がいた。
足元には猫のサクラが寄り添って
じっと前を見据えて
死にたい自分と、闘っていた。
荒野には左足を失った16歳の花もいた。
靴も履かずに、花は
割れた手鏡の破片で血を流しながら、
背筋をピンと伸ばして
昔の自分と、闘っていた。
眠は、使い古したクロッキー帳と鉛筆で、
花は、痛みと引き換えに手に入れた
スネークアイズとスネークバイツで武装して、
自分達を食い潰そうとしている世界と必死に闘っていた。
時には一方に無い右足になって、
時には一方に無い左足になって、
グラグラ グラグラ グラグラと
不安定に
沸騰する
世界
世界と少女たちは互いの肉体や精神を食い千切ろうと、
ギリギリの均衡を保って屹立している。
彼女たちの視線の先にいるのは
もはや私なんかじゃない。
彼女たちは叫び、抵抗し、暴れ回る。
彼女たちには叫び続けてほしい。
この世界が壊れるまで。